ペット

正直どうでもいい話なのだが、聞いてもらいたい。
僕としてはドラクエゴンスト9は買わないつもりだった。
ということは買ってしまったわけだが、なぜ買わないつもりだったか。
それは「スライムつむり」が登場しないからだ。
かねてより、僕のなかでは何をペットにしたいかと考えたとき、以下のようなことになっている。
1位 スライムつむり
2位 はぐれメタル
3位 マンチカン
1位である。
で、なぜ1位かというと、ドラクエのスライムは一般的にかわいいのだが、それに加えて何よりも「持つところがある」という点が群を抜いていい。
そう、スライムつむりは貝殻を背負っているので、そこを持てばスライムの粘膜に触れずに済む。
スライムも元気、というわけである。
持てる大きさなのかどうかは分からないが。
ちなみに2位はかわいくて死ななそうな上、もし死んだとしても恩返しがあるという点で2位。
3位はかわいいからである。

無口

※当方咽頭炎の為、手抜キズムを推進。
熱が下がらないのでR。
ただし、高熱というわけでもないので、もやもやだ。
ということで、今日は「あまり話さない友人」に対して、今後使おうかと思っているつっこみを紹介だ。
「武蔵丸でももう少し喋るわ」
本当はどうかわからんけど。
「お前なあ、武蔵丸でももうちょっとおもろいこと言うで」
「なあ、何かおもろいこと言うてみ?」
「ちょっとみんな静かに!!、武蔵丸がおもろいこと言うって!!」
あだ名が武蔵丸になってしまうようだ。
無口な人は気をつけるように。
とにもかくにも、手抜キズムばんざい!!。

珈琲十連・十連終夜

今でこそアレだが、ユニコーンファンである人間からすると、釣り番組でナレーターが奥田民義というのは、ちょっとあんまりな気持ちにさせることだったのだ。
あんまり歌を出さないと思っていたら、こんなところに出ていたのか。
釣り番組を契機に復活するのではないか。
そういったことを思い出させ興奮するが、すぐに民義(以下呼び捨てしてごめんなさい)であることに気づく。
民義も因果な名を持ったものだ。
ところで突然だが「褐色の恋人」というのをご存知だろうか。
スジャータのコーヒー用クリームのコピーであり、なんとも因果な名だ。
ポイントは、やはり「褐色」である。
確かにコーヒーは褐色、なんだろう。
しかしコーヒークリームが「褐色の恋人」とはどうだ。
1.褐色がコーヒーのことで、その恋人としてクリーム
→コーヒーを褐色呼ばわりである。
2.褐色の恋人がコーヒーのことで、その相手がクリーム
→クリーム主体のとらえ方である。
3.人種差別
→どうしてもそういった忌むべき問題を思い出させてしまう
良くないよね。
うちでは、猫にこのコーヒー用クリームを与えていたことがあり、その点では「2」は問題として意識しづらい。
しかし普通に考えてみれば、コーヒーを褐色と言ってみることでそれは漠然としたものになってしまうし、クリーム無しコーヒーはあるがコーヒー無しクリームは需要がないし、差別は良くない。
スジャータはこの点を考慮し、例えばクリームの色を設定した「白の恋人」などというコピーに修正、某商品とは関係のないことを明記してもらいたい。
ただ、コーヒーを褐色の恋人とし、その相手は人間であり、クリームについてはそれを仲介するくらいのものです、と言った世界をこのコピーで表そうとしているのなら、大いに結構なのでOKとする。
とにかく、コーンスープについては、今後も引き続きおいしく作ってもらいたい。
以上。
と、そうこう書いているうちに、コーヒー関連の話10話は、本日の10連コンボ完成をもって終了。
よくもでっちあげたものだ。
そして当分、コーヒーについては書かないだろう。
正直ぱっつんぱっつんで、コーヒー以外の派生ができないのが大変だった。
そして今思うと、この10夜をコーヒーを飲みながら書かなかったことに、くいが残る。
そうしていれば、内容も詰むことなく、もっと面白いことが書けたような気がするな。
確か、奥田民生が「コーヒー」という歌を出しているのだ。
♪ コーヒーで 一息入れろと 言ってる
なるほど。

珈琲十連・銀色の風

エスプレッソマシンというものがある。
その名のとおり、エスプレッソを作るための機器である。
様々な種類があるのかもしれないが、僕の見たことがあるのは、挽いた豆をセットし、水をセットし、なにやらすごく熱くなり、そして滴る、そんなマシンだった。
この手の機器で絶えず議論されるのは、ジューサーや電動泡だて器に代表される
「人生で2回くらいしか使わない」
「洗うのが面倒」
という2大巨塔である。
毎朝バナナオレが習慣になってしまえばいいのだが、それがない場合、なかなかジューサー大活躍、とはいかない。
同様に、毎夜ホイップクリームを体に塗りますとかなってしまえばいいのだが、それがない場合、電動泡だて器皆勤賞、ともいかない。
ざんねんだ。
さて、くだんのエスプレッソマシンと言えば、毎日とまではいかないまでも、毎週土曜日の午後なんかに登場。
その持ち主も交えての、小さい茶会が思い出される。
エスプレッソの香ばしさと苦味で、FLOのキャラメルプリンタルトがよくすすんだ。
ということで、このマシンは「人生で2回くらいしか使わない」シーンを回避することができた。
しかし、もう一つの巨塔「洗うのが面倒」は、どうにもならなかったように記憶する。
確かけっこうな具合にバラして、管には水を通して洗ったような・・・。
そうしないと、マシンの細かいところに前回のエスプレッソ分(ここではエスプレッソっちと呼ぼう)が残るのだ。
※このことは、人によっては「人生で1回だけ、エスプレッソっちに会う」ということを表している。
すなわち、「人生で2回しか使わなかったが、しかも洗わなかった」である。
まあ、こういったイベントがあったせいか、僕としてはジューサーなどのざんねんさはエスプレッソマシンにはそう感じない。
エスプレッソっちにも会わなかった、というか会っていたとしてもそれがエスプレッソっちなのか、入れたてのエスプレッソなのか、判別はつかなかっただろうが。
とにかくコーヒーも飲めたし、タルトもおいしかったしで、僕のコーヒー好きには、この午後がいくらか影響しているのは間違いない。
ただひとつ、このことを思い出すたびに、少し納得ならない気持ちが出てくることもある。
そのときのメンツを思い出してみると、どうもマッドハッター担当は僕くさいのだ。

珈琲十連・待ち時間

昨日は「コーヒーを飲み去る」ことを書いた。
本日はその逆ともとれる「コーヒーを待つ時間」について考えてみよう。
かねてより、僕は「料理を待つ時間は厳かでなければならない」と考えている。
と、こう書くと「箸の先端1cmまでしか汚してはならない」とか「迷い箸で手首から先切り落とし」のような感じになってしまうが、何もそこまでは考えていない。
そして上記の例は厳かでない。
ここでの厳かとは、もっぱら「料理を望む気持ち」のことであって、例えば席についていて、料理のにおいがしてきて、そしてそれが運ばれてくる間くらいは料理のことを考えよう、といったものである。
その考えは「コーヒーを待つ時間」でも同じで、例えば店でコーヒーを注文したとき、なにやら厨房からこぽこぽ湯の音がしたり、店員さんがうろうろしたり、なんかクリームを何かの上に乗せようとしたり、そして香りがしたり。
そのときくらいは出てくるコーヒーのことを楽しむべきなのである。
「コーヒーが出されたとき、一生懸命コンセントに詰まったホコリについて考えている客」
確かにコンセントに詰まったホコリは気になる。
でも、やっぱりここはコーヒーを待ち望んで欲しいところ。
店員さんも残念に思うだろう。
ん。
でも、コンセントに詰まったホコリも重要だよな・・・。
例を変えよう。
「コーヒーが出されたとき、掃除したトースターの金具がうまくかみ合わなかったことについて考えている客」
確かにトースターがまだ掃除前の状態に戻されていないことは気になる。
でも、せっかくのコーヒーなのだから、まずはそのことを考えてもらいたいところ。
トースターのことを考えている客になんて、店員さんは出したくないだろう。
お。
でも、この気になることって、トーストを注文できる喫茶店ではけっこうあるのかも。
例を変えよう。
「コーヒーが出されたとき、このあとどこに行こうかと考える客」
これだ。
こんな客は、店員さんに怒られてしまえ。
「コーヒーを出されたんだから、コーヒーのことを考えろ!!」
すると、こう返されるわけだ。
「ここのコーヒーを飲んじゃったら、もうそれが目的だったってことで満足しちゃうんだよ!!」
良い、しかしめんどくさい店の誕生である。

珈琲十連・離脱症状

中島らも「頭の中がカユいんだ」には、酒を注文してそれを飲み干すと、何秒もせずして店を出て行く人の描写がある。
アルコールを体内に取り入れるためだけの行動、その殺伐とした雰囲気がよく出ているのだが、これはコーヒーではありえなさそうである。
まず、コーヒーは入れるのにほどほど時間がかかる。
そしてコーヒーを急いで体に取り入れなければならないことが、普通ない。
そんなこんなで、上記の酒のようなシチュエーションは、コーヒーにはないのである。
ところが、である。
入店すぐにブレンドを注文。
ブレンドを飲み終えたら颯爽と出て行く人がいるのである。
もちろん注文後、すぐにはコーヒーは出てこないため、新聞などを見ている。
しかしコーヒーが出てくるやいなや、すぐそれを口にし、一言二言したと思ったらもう出ている。
ダンディーである。
何を急いでコーヒーを飲むことがあるのか。
愚問である。
コーヒーを飲まないと倒れてしまうのか。
関節が痛むのか。
眠くてしょうがないのか。
やはり愚問である。
結局、コーヒーの好きな人には「あーもう、コーヒー飲まんとたまらん」というときがあるのだ。
それが人を、「コーヒー飲み去り」というハードボイルドな行動に走らせるのだろう。
日常のコミュニケーション、わずらわしい。
新聞?。焦点が合わん。
早くコーヒーを嗅がせてくれ!!。
こう書くと少々騒がしく、ダンディーじゃない気もしてきた。
でもとにかく「コーヒー飲み去り人」はこんな状態であり、はたから見る分にはやはりダンディーで、これから指名手配犯を逮捕したり、親の敵を討ったり、劣勢な裁判を覆したり、不可能と思われた時間内の荷物届けをやってのけたりするのだろう。
かっこいいのである。
と、無論ここまでくれば「実は僕でした」とやりたいところだが、残念。
当方、一度で長く効く方なんで。

珈琲十連・囀石の理

場所によって違うのだろうが、喫茶店というのはたいてい静かで、当然そんな中で人々はこそこそと話す。
「おっちゃん、とりあえずコーヒー」
「ぷはーッ。おっちゃん、同じものをもう一杯」
あまり聞かれない。
一般的には、コーヒーは爽快感を味わうための飲み物ではない。
一方、なにやらかしこまって飲むものでもない(と思ってる)が、上記の例ではやはりおっちゃんではなくマスター的な人に登場してもらいたい。
そういった点で、豪快さを欠く飲み物なのである。
と、ここで気になるのが「豪快な飲み物」であるが、これはまずビールは外せないだろう。
それを踏まえ、以下に思いついたものをランキング形式であらわしてみた。
?豪快な飲み物ランキング?
1.生がき
2.咳止めシロップ
3.ビール
4.どぶろく
5.かにの甲羅酒
6.ホースから出る水
7.バリウム(バニラ味)
8.生き血全般
9.直樽ワイン
10.リポビタンD的なやつ
思いのほか「飲み物」が少なかった。
ただそれは、言いかえると「飲み物は豪快さばかりを目指しているわけではない」ということ。
コーヒーもそれにあたる飲み物なのである。
そしてそれを飲む場、喫茶店が静かでこそこそなのは、まさにそこがコーヒーを飲む場だからだ。
しかし、喫茶店特有の環境にはもうひとつ、特徴があるように思う。
饒舌。
みんなこそこそと饒舌のような気がする。
あれは一体なんなのだろうか。
店内が薄暗いから、みんな興奮するのだろうか。
それともコーヒーの例の成分のせいだろうか。
久しぶりに会う人ばかりが訪れるのだろうか。
こそこそと饒舌。
もしかしたら、ランキング2位のやつでも類似したことになるかもしれないが。
他ではあまり見られない状況だろう。
そしてそれは楽しい状況であることは間違いない。
本を読むフリをして聞き耳を立ててると、案外面白いのだ。

珈琲十連・一手間則

コーヒーとバニラアイスの相性はすごくいい。
「トモダチコレクション」でも、そのような結果が出るはずだ。
コーヒーフロートに代表されるように、人々はそのことを把握しており、そして実践している。
市販されているアイスに「爽」というものがある。
あいつを食べるとき、同時にインスタントコーヒーのとびきり濃いヤツも一緒に用意する。
そして「爽」にその濃いヤツをかけて食べるとおいしい。
コーヒーがシャーベット状になり、見た目も楽しい。
ちとめんどいが、やって損することはない。
なんか少しでも手を入れることが、おいしさにもつながろうというものである。
ただ、ときどき容器からコーヒーがもれる。
それにしても、今回のをコーヒーネタのひとつとしていたのが失敗であったことが分かり、つらい。
どうしようか。
今思いついたのだが、「コーヒー風呂」というものはあるのだろうか。
コーヒー風呂。あったとしても、あまり聞かない。
牛乳やワインより知名度が低い。
それとも、ないのだろうか。
皮膚がやられてしまうのだろうか。
においがきつすぎるのだろうか。
自身の肉がやわらなくなってしまうのだろうか。
「ラテ風呂」とかもあるのか。
安易にコーヒー牛乳やオレに走らなかった点を自己評価したいが、それらの総合点は軒並み低い。
ただ、なんとなくだが、風邪はひきにくくなりそうである、コーヒー風呂。
それに、お風呂にインスタントコーヒーの粉末を入れる人の姿は、ちょっといい。
炊き出しみたいだ。

珈琲十連・同種療法

「レモン10個分のビタミンC」。
このフレーズが示唆する「やり方」にアンテナの立たないやつはいない。
差が出るのはそのあとだ。
立ったあと、そんな安易なことができるかとスルーするやつ。
この発想は新しいよ?と、ぴょんぴょん跳ねるやつ。
当方、今宵跳ねます。
「レモン10個分のビタミンC」。
こうきたら普通、ビタミンC含有量に触れる際にレモンを指標とするのは正しいのかという疑問が生じる。
賢い消費者達は、見た目の数字だけでだまされないように気をつけている、らしいからだ。
一方、そういった考え方がないと、例えばこうなる。
「プリウス2000台分のビタミンC」。
すごそうだ。
でも、何か違うのではないか。
指標がブレていることに気づかない私たちは、ずっともやもや。
ただ、プリウスにもいくらかのビタミンCが含まれていたことには驚かされるだろうが。
「成人男性10人分のビタミンC」。
これもすごそうだ。
しかも、何か血なまぐさい。
指標が血なまぐさいことに気づいた私たちは、ずっともやもや。
これをうたっている商品は、一体何を目指しているのだろうと眠れない日々が続くだろうが。
「レモン500個分の犬養毅」。
これもすごそうだ。
しかも、何か違和感を覚える。
犬飼毅を目指したことは分かるが、レモン500個程度では、犬養毅はほとんど体を成していないのではないか。
そう多くは、レモンに犬養毅は含まれていないだろう。
そして何よりも、レモンに犬養毅は含まれちゃいけないだろうという気もする。
喜ばしいことに、私たちがレモンスカッシュを飲んでいるとき、唐突に犬養毅のことを思い出したりすることはほとんどないため、それはプラシーボにすらならない。
そしてもちろん、今回も例えが最悪でごめんなさい。
知人が、ときどきコーヒーのにおいを振りまきながらやってきたことがある。
尋ねると、どこそこの喫茶店に言ってきたとのこと。
確かに香りの良くする喫茶店にずっといると、少しの間は、その香りが服からする。
そのときは、いつもより少ない人数分でコーヒー一杯くらい作れるんじゃないか。
そう思ったことは、まあないですな。

珈琲十連・4の奇数

コーヒーの話題は「MAXコーヒーの甘さ」についてである、と言っても過言ではない。
そのくらいMAXコーヒーの甘さは多くの人に指摘され、しかしMAXコーヒーはその存在価値が揺らぐことはなく、指摘したもの達もそれを咎めない。
いい関係が続いている。
MAXコーヒーは甘い。
「MAXの名のためには、多少の無理はしなくちゃ」
一理ある。
しかし、誰も望まぬMAXならMAXでなくてもよいし、そもそもそのMAXは甘さのことなのかどうかも知らぬ。
関係ないけど、なんとなくナナ、ミーナ、レイナ、リナはMAXコーヒー飲みづらいだろうね。
先日は甘いことはいいことだ的な感じだったが、甘いにもほどがあるのだ。
ところが、である。
MAXコーヒーの甘さばかりが指摘される「コーヒー甘っ」の世界だが、なんだかんだ言って缶コーヒーは全体的にだいぶ甘い。
つめたいあたたかいとかはどうでもいい。
そんなん抜きにして甘いでしょう?。
「微糖」とされる缶コーヒーを飲んだ瞬間の驚きは、多くの人が体験しているはずだ。
味噌汁だと思って飲んだのがぜんざいだった。
コーラだと思って飲んだのがメッコールだった。
お茶だと思って飲んだのが尿だった。
蛇だと思っていたのが何かのゴムチューブだった。
広川一郎太だと思っていたのが広川太一郎だった。
自分のためだと思っていたのが「情けは人のためならず」だった。
こんなところに尿を置くなと言いたいところだが、とにかく誰しもその瞬間「甘っ」となっているだろう。
ただ、この手のコーヒーは、疲れているときはやたらおいしい。
以前、僕の入れるコーヒーはクリープ山盛り、角砂糖4つ入りの、1ヶ月間くらいは腐らないんじゃないかと思われるようなやつだったが、これはこれでおいしいのだ。
問題は「甘い」やつと「非常に甘い」やつと「微糖」の区別である。
それが分かれば、心構えもできるというもの。
ローカルなニュアンスも含まれるものであろうため、そうやすやすと区切れるものではないが、微糖と思っていて、食事中に「甘っ」と吹きだしてしまう。
そんなギャップはなくしたいところ。