6時前に起きて、温泉は勝手に入っていいといわれていたけど。
まあなんとなくやめて。
朝早いので朝食は不要の旨を告げていたためか、宿の人はお弁当を用意してくれていた。
僕にとって早起きをする日は特別である。
それが海の近い場所ともなると、なおさらとなる。
温泉の湯でいれたというコーヒーをいただき、熊本駅へのナビをセットする。
いい宿だった。
夜、看板にヤモリがいたところが良かった。
夜、どこかの柴犬が一直線に宿の庭へ消えていったのが良かった。
夜がよかった。
車が見えなくなるまで手を振ってくれていたおかみさん。
僕は、おかみさんの進言とナビを天秤にかけて、ナビを選んだ。
結果、ばっちり通行止めの道に入ってしまったんだった。
ここから戻るとなると、さっき手を振っていたおかみさんゾーンを再度通ることになる。
道は一本道だった。
僕はこの旅のなかで、一番強くアクセルを踏んだ。
カテゴリー: 遠出系
ちょっとそこまで。33
実は、僕は天草に来ているんである。
これはある種の人たちにとっては垂涎、よだれ。
喉から手が出たとき、いっしょにだ液もどっぱー出ることなんである。
何のことやらわからない人は、手元にある妖怪辞典を調べてみたまい。
九州の妖怪の多くは、天草地方で報告されているのである。
たぶん、水木しげるが報告しているのである。
妖怪と認識できたやつがいたら、ひんつかまえて見世物小屋にでも売り払う所存だったが、もしかしたら妖怪よりも見世物小屋のほうが数の少ない可能性があって、ということはたまたま見世物小屋があっても、そこには既に妖怪が納品済みというわけである。
いや、むしろ雇ってる。
というか経営している。
そうかー。
経営してるかーと背伸びをしながらふとんに倒れ込み、そのままの姿勢で明日の予定を考える。
明日は15時くらいの新幹線で帰る予定だが、隙あらばもう一つの用事をこなすつもりである。
故に早く寝る。
かっぱが経営しているところの給料はきゅうりなんだろうな。
なー。
なーのところで電気を消す。
小さい頃は豆電球をつけていないと眠れなかったのに、今ではついててもついてなくても寝られる。
これで「もう真っ暗じゃないと寝られない」とかなら話は収束していけそうなものなのに。
豆電球って、なんで赤みがかった色してるんだろう。
全然収束しない。
駅の人、宿の人によると、阿蘇はあんがい近いという。
ちょっとそこまで。32
やはりたこやきの間食がいけなかったのか。
1日目の「大量の夕食をどうにか攻略」という偉業に対し、2日目の夕食は致命的なまでに食べられなかった。
仲居さんも心配する食べなさ。
その心配と僕の恐縮がまたしても混沌とし、もはや生きてこの部屋から出られはしないと覚悟すらする始末だった。
そして僕は今回の旅でひとつ、あやまちをおかしていた。
「海産物の苦手な人にとって、サザエ、アワビの肝はその旅行そのもの」
これは間違いで、正しくは「海産物の苦手な人にとって、サザエ、アワビの肝、カニ丸ごと、かぶと煮はその旅行そのもの」だった。
やはり地元で取れるから安いのだろうか。
もうなんか、豪華な物がたくさん出てくるのである。
そんななかでも、海の物が苦手な人にとっての「カニ丸ごと」「かぶと煮」もかなりのものだ。
朝食の「伊勢エビのみそ汁」もすごかった。
今、「伊勢エビのみそしる」とひらがなで書いたら「伊勢エビのみぞ知る」と読めて、まあ伊勢エビにしか分からないこともあるよな、触覚部分の脱皮の仕方とかなどと感じたのだが、とにかく朝食のみそ汁。
味はおいしいのだが一面に茶色の藻のような物が浮いており、失礼な話だがこれは主に動物園で、カバのいるところのプールに浮いている産物とそっくりなのである。
この手の物が苦手な人は、ちょっとつらいだろう。
そしてカニ丸ごと。
カニが好きで「やり方」を知っている人は、おそらくきれいに、かつおいしそうにそれを食べるだろう。
しかしカニが好きでない、あるいは「やり方」を知らない人にとっては、一般的に喜ばれる「かにみそ」部分がつらかったり、甲羅内側の何かびらびらしたものが怖かったりする。
かぶと煮。
かぶと煮とくれば「目のまわり」である。
これまた一般的には好まれるゼラチン質部分だが、苦手方面にとっては「おっ、ちょっとそれ待ってみて」と言いたくなること必至のぷるぷるだ。
食べたらおいしいことも多い分、ある意味もったいないことである。
ともかく、海産物苦手というものの認識を改める必要が生じた。
この改めは、今後いくらでも生じそうだが。
ちょっとそこまで。31
海を見ていた。
日の暮れて間もないそこは、冷めていくようにもとのコンクリートの色に戻っていき、まもなくそれも月明かりの色へと変わっていった。
僕の右手も例外じゃなかった。
海のにおいと波の音だけで、体がゆらゆらとゆすられているような錯覚を覚えた。
小沢健二の「地上の夜」が流れてきた。
海は対岸の町の灯りを反射して、しかもそれを千々に乱し。
夜空よりもよほどきらめいていた。
あれを思い出さないか。
「何でしょうか。あれというのは」
クロノクロスっていうゲームのやつだ。
「たしか、海がテーマみたいなゲームでした」
そう。その序盤でのイベントだ。
平行世界では死んでしまっていた主人公に対する母親のことばをおぼ「そういえば、この間の震災のときにも思い出しました」
えていたんじゃないか。
そしてそれを海を見るたび、思い出したんじゃないか。
もう誰もこの子から
奪うことはできない
もう誰もこの子に
与えることはできない
海から贈られたものを
ただ海に返しただけ
「そうでした。別に海の近くに住んでいたわけじゃないですし、親しい人が海で亡くなったわけでもない」
そう、震災があったから、被災された方にはとてもじゃないけど悲しい内容。
「それでも、すごく心に傷を負わされたような気分になりました」
だからずっと覚えてた?。
「そして今、また思い出しました」
「これを思い出すと、他にもいろんなことを思い出すんです。たとえば映画「恐怖のハエ男」では、実験で飼い猫が別次元に行ってしまって、姿は見えないけど鳴き声だけ聞こえる状態になったこと。漫画「ぼのぼの」では、好きな子がいなくなった時の気持ちを、ぼのぼのが理解したこと」
つらそうだが、それは俺の知らんところのものだ。
それにしても、お前に対してずいぶん何かを考えさせるフレーズだったんだな。
よくできてるみたいだし、何か元ネタでもあるんじゃないか。
気づくと、僕は月明かりで陰ができるくらい、透きとおった夜の中にいた。
音をさせないように立ち上がると、僕は「元ネタのない世界」へ向かって歩き出した。
ちょっとそこまで。30
お腹の減りを我慢できなくなってきた僕は、もう砂時計みたいなコルセットをはめることができそうなくらいになっていた。
故にシートベルトも「あれ、俺と座席の間に誰もいないんじゃない?」と思うほどで、早急に食べ物を摂取する必要がでてきた。
16時。
お手軽な食事をもくろみながらの運転を続けていると、道路左側に大阪たこやきと銘打った店舗が目に入った。
観光地ならではの「現地もの」ではなく、大阪をうたっているという、明らかに「地元住民向け」のたこやき。
せっかく天草なのに、そこで大阪たこやきとなると、現在地の天草、たこやきの大阪、僕の住んでいる東京。
「天草-大阪-東京殺人ルート」が西村京太郎によって創作されてしまう。
しかし、もう何でもいいから食べたい。
「そんなことより、「らめぇ」っていうのは、本当は嫌がってないと思うんだ」
腰が折れる。
チェーン店らしきそのたこやき屋さんは、少々危険だとは思っていたが、やはり「作って保温していたもの」を出してきた。
いいのだが、やはり外はかりかりで、中がほんわりしたやつが食べたかったな。
とか考えながら口に含むと、全体がほんわりなのは予想できたが、一方できなかったのがたこの大きさだ。
ずいぶんでかい。
やはり海が近いと仕入れやすいから、チェーン店といえどもそうなってしまうのだろうか。
それとも海にうるさい地元住民をもうならせるため、無理しているのだろうか。
どちらにしても、僕はたこやきにおいてたこをそれほど重視していないため、大きさ以上の何かを見いだすことはできなかった。
ちょっとそこまで。29
道が混まなければ、宿へは16時くらいに帰ることができるだろう。
目安がつくと、急に昼ご飯を抜かしたつけが回ってきた。
道自体の気持ちが迷走しているようなくねくね道沿いには、食べ物屋さんがないことはない。
しかし前日に恐ろしい量の夕食を出され、どうにかそれをこなしたことを考えると、ここは何も食べないで、本日の夕食の準備をするのが正解だ。
しかし腹は減っている。
そんなことを考えながら迷走していると、個人経営と思われるお土産屋さんのあることに気づいた。
旅には、お土産も必要である。
ただその理由のみで、寄ってみることにした。
海が目の前だからだろう。
そしてお土産という性質。
ただちに食う的なものがないことは、腹の減っている僕にはいいことだった。
要は、手当り次第にお土産を買おうとしない。
これは声を大にしていいたいのだが、天草は、こっぱもちである。
こっぱもちはサツマイモの餅で、こんがり焼くと、ちょっとどうしたんだといううまさになる。
以前はそうでもなかったのだが、最近のはハチミツ配合のせいか。
焼くとやわこくなり過ぎ、コンロを汚しやすいのが難点だが、それを差し引いてもうまい。
というかそういうのはうまさと単位が違うから、差し引けない。
そんなこっぱもちがあったので、さっそくかごに入れた。
店内は一夜干しとウニ瓶的なものが多く、えいひれだとか、それそのものだとどうすればいいのか分からないものを面白いと考え、購入。
さらにうろつくと、いいものがあった。
たこの干物である。
天草地方をドライブしていると、たこ丸ごとを何かの刑のようにさらしている光景が時折見られる。
あれは一体何に使うんだろうとずっときになっていたのだが、まさかそのまま売るのだとは考えていなかった。
3000円とたこ自身も驚く金額だが、見てくれはかなりいい。
魔除けみたいだ。購入。
結局、天草に直接関係なさそうなものも含め、結構買ってしまった。
宅急便で届いたころには、手に余る強敵ばかりのお土産である。
ちょっとそこまで。28
牛深市街にはほとんど滞在できなかった。
なぜか妙に混んでおり、つぶれていなかった港の「巨大お土産屋さん」も、何となく遠目で「やってるな」と見えたくらいだ。
路上に鍋を置いておけばビーフストロガノフができそうな天気なのに、混んでいる。
しかし街全体をみると、「のんびりしかない」雰囲気。
「のんびりしかない雰囲気」。
不思議である。
例えば、暇だからねりけしを懸命にねるとする。
一見彼はのんびりしているようにも見えるが、一方ではねりけし生成の錬金術の真っ最中なのだ。
しかしこの牛深の雰囲気。
「暇だからねりけしを懸命にねるわけだが、肝心のねりけしがない状態でそれをしている」とでもいうか。
目的のないのんびり。
ただ、よくよく考えると暑い日はこんなものなのかもしれない。
暑い日の昼間に出歩かない僕にとって、純粋なのんびりっぷりが珍しかっただけだろう。
暑くて仕方がないので、みんな家の中でビーフストロガノフを作ってるかもしれない。
どこかで昼ご飯でも食べようかと思っていたが、何となくカーを降りるのもおっくうになり、そのまま宿へ戻るとする。
途中、トイストーリーを模した手書きの看板を発見し、写真に収める。
そのデータがどこにあるのか、今も全然わからない。
ちょっとそこまで。27
昔ヘビのたくさんいた道は、見てくれはそのままだったが肝心のそれはいなかった。
丘を横切るその道を抜けて、このまま牛深市街へ行ってみることにした。
僕にとって牛深市街は、4つほど思い出がある。
初めての一人旅で熊本へ。
そこからバスとフェリーを駆使して牛深港に着いたとき。
港の浅瀬に小さいフグがいた。
今でこそミドリフグという名で売られている小さいフグがいるが、そのときはそんな小さいフグがいるなんて知らなかった。
子供だったのかもしれないが、その愛嬌っぷりのせいで覚えているのだ。
同じ牛深港近くにあった定食屋で食べたちゃんぽんとかき氷。
異常にうまかった。
特にかき氷は、でかい氷を専用のシャリシャリ機で削ったもので、たぶん削り目が細かいのだろう。
あれを食ったせいでその後一度もかき氷を食べなくなってしまったくらいだ。
サムライスピリッツというゲームの橘右京というキャラクターが細雪という、剣をしゃしゃしゃやる技を持っていたが、彼が氷をしゃしゃしゃやったら、このかき氷ができると思う。
キン肉マンという漫画でブロッケンJrというキャラクターがベルリンの赤い雨という、それだけじゃ何だか全然わからない技を持っていたが、彼がプリズマンをしゃしゃしゃやったら、カピラリア七光線を跳ね返せると思う。
谷崎潤一郎という作家が細雪という、筆をしゃしゃしゃやる技を持っていたが、彼が原稿をしゃしゃしゃやったら、この傑作ができると思う。
もういいか。
そして潤一郎、このメンツに遅れをとるか。
もうこの店はなく、とにかくうまかったことしかわからない店になってしまった。
牛深市街には、スーパーの寿屋があった。
ずいぶん昔だが、当時はおそらく牛深市民の生活を一手に担っていただろう。
そんな迫力を覚えていたのだが、いつの間にかなくなってしまったようだ。
なんと、その閉店のことがらはウィキペディアにも載っている。
やはりその影響は大きかったのだろう。
そしてそれと前後してか。
港近くにいつの間にかできていた「巨大お土産屋さん」がつぶれたという噂。
これは思い出とは少し違うが、え、あの市営っぽいお土産屋さんがつぶれた!?と驚いた。
牛深市街へ向かうのは、以上の確認なのである。
ちょっとそこまで。26
散歩から戻るころには、夕立まがいの通り雨がうそだったかのように晴れまくり、路面はもう乾いている。
南天でやることはもうひとつあった。
車に乗り込んだ僕は、右足でアクセルとブレーキを交互に踏んだり、両手でハンドルをいい具合にさばきながら、車を色々なところにぶつけないように運転した。
その目的地は案外近く。
というか、たいしてまとまっていない。
道だ。
コンクリートで舗装されてはいるが、かなり乱暴な道。
多くの枯れ枝で覆われたそこは、「あそこあんまし通りたくないな」と思わせるに充分な品格。
ここが僕の父親を希代の蛇ぎらいにし、僕もビビらせたロードなのだ。
小学生だった僕は、そのころトカゲに凝っていた。
なぜトカゲだったのだろう。
ギラギラした光沢だろうか。
しっぽが切れるところだろうか。
いや、たぶん手足とその付け根が人間みたいだったからだろう。
まあトカゲに熱を上げていたわけだが、僕はトカゲを見つけるにはどこがいいかを尋ねまくり、その道を知ったのだった。
歩いて20分くらいのところにある、山道入り口。
そこから10分程度かけて丘をのぼりおりする。
そんな道だった。
その道に、語るところは少ない。
ヘビばかりなのである。
脇にマムシがいるのが見えているので、道の真ん中を歩けば、車にひかれてちぎれたヘビ。
また、晴れているのに活発じゃないものだから枯れ枝なのかヘビなのかもよくわからない。
しかしちゃんと見てみると、かなり多くのヘビが道路上でじっとしているようだ。
食べられてしまったのだろうか。
トカゲは一匹も見つからなかった。
そんな道で、とてつもなく恐ろしかったのが「木の枝から垂れてるヘビ」だった。
完全に誰かがゴムのおもちゃを仕込んだ。
そんな出で立ち。
ヘビもリラックスしてたらあんなことになるんだと思った。
そんな道を経験してから、今でも年に一回くらい、町中に小さいヘビが現れる夢を見るようになった。
道のヘビは動かなかったのに、すばしっこいんだ、夢のやつは。
ちょっとそこまで。25
海岸とはいっても、黒石海岸には申し訳ないが白い砂浜という感じではなく、やや黒石ごつごつの海岸だ。
しかもこの黒石、やたら滑るので、クロックスもどき装備の今の僕が歩き回ることは、何かのフラグを立たせる。
しかし砂浜部分もあるので、いくつかあるタイドプールに向かって歩き出した。
何も考えていなかったが、たまたま引き潮というのは都合がいい。
満ち潮だったら浜全体が海に埋もれてしまうので、まあ眺めるだけにするかということになっていた。
しかし引いている。
引いている海岸は、かなり楽しいことになっている。
まず、漂流物だ。
珍しい生き物が流れついていて面白いこともあるけど、たいがい死んでいる。
一方で人工物も多様で、単なる発泡スチロールだったとしても、それは海で捕まえた生き物を入れるのに便利であったり、海に投げて遊んだりとゲームボーイ並みのプレイバリューだ。
そして角の取れたガラス。
おはじき状のそれは、集めだすと熱中する。
それは貝殻集め並みで、集めた後の奇麗さと、集めた後の案外じゃまくさいっぷりは、それを越える。
波の、寄せては引く寄せては引く運動に付き合うのもいい。
サルにそれを教えると、死ぬまで「寄せては引く寄せては引く運動」で遊んでいたらしいし。
タイドプールへ行ってみよう。
南天の黒石海岸は、引き潮のときはいい具合のタイドプールができる。
昔はたくさんいたけど、今では鋭利な貝殻ばっかくさいカキが覆う岩肌を注意しながら進むと、油断したカニやハゼが取り残されたタイドプールがいくつもある。
小さいプールは煮えるような熱さになるにもかかわらず、小さい魚がどうにか生きながらえているのが不思議だ。
ここには生き物がたくさんいることもあるが、なかなかのレアアイテム「ウニの殻」があることにも注目したい。
割れやすいそれの、完全版はかなり珍しい。
見つけたと思っても、それは片半分が欠けていたりするのだ。
岸からだいぶ離れたところまで歩くことができたが、その途中でクロックスを貫通する何かを踏む。
それは、足を踏み込んだときのみ少し刺さるといった案配で、普通に歩く分には影響がない。
しかしときどきそうくるものだから、もうタイドプールはいいよという気分になってきた。
それでも「引き潮の境い目」まで来た。
ここにはフォッサマグナ並みの溝があって、昔ここを潜ったときは、ニモが顔をつつきにやってきた。
今もつつきに来るだろう。
海底近くの岩肌には小さい穴があいていて、そこは「必ずタコが住んでいる」ことでnimbus7942仲間(家族のみ)間で有名だ。
今もいるだろう。
ただし今日はやめておこう。
ニモにつつかれるのも、タコを掲げるのも、ちょっともうファンタジーじみてすごい。