ファミレスや居酒屋で、不意にまき起こる拍手。
それは、遠くの席に座っている、見知らぬ人間であるはずのあなたを祝っているものではないので、安心してほしい。
小さな祝福が、誰かに訪れただけだ。
しかし、である。
その音が聞こえた以上、あなたは何かしらの反応をしなければならない。
なぜならば、拍手の音はよくとおり、興味を抱かせる。
また、何気にそんなに頻繁にあるものではなく、少しだけ非日常的なイベントが近場で行われていることがわかってしまうからだ。
ひとりのときならまだしも、複数人でいるときに拍手が聞こえてきてしまうと、極端だが各個人内で相手の動向をうかがうような雰囲気になってしまうときもある。
「あ、拍手だ。何かあったのかな?。でも、そんなことで不審な行動をとっても・・・。あいつはどうするんだろ?。」
ということで、友達なんかといるとき、不意の拍手が聞こえてきたら。
なんか考えた。
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「不意の拍手が聞こえてしまったら、こう対処しよう」マニュアル
◆初級
:これはおさえよう。どこでも使える「気付いていますよ」テク!!
1.拍手が聞こえてきたほうに、少しだけ目をやる。
2.すぐに視線を戻す。
※1.の動作によって、主に
・その方向で、少し非日常的なことが起こっていることを、私は気付いています。
・経験的に、それは危険なものではないことを、私は気付いています。
が主張できます。
そして、2.の動作によって
・その拍手は私に向けられたものではないことを、私は気付いています。
が主張できます。
これらの動作で、すみやかに「自分は全てを理解しており、その結果、何もしないのだ」ということを友達等に示すことができます。
シンプルですが、ほとんどの不意拍手に対応することが可能です。
そして友達は、あなたをこう見るでしょう。
「あいつは不意の拍手を完璧にスルーできるやつだ。」
次回、中級。
カテゴリー: 疑問結論など
当て身、2回目。
昨日からのつづき。
【あらすじ】
「当て身」について書いていた。「一撃で仕留めるなんて、どれだけ練習、実践してんだ」と。
しかし、その間にも、わが家の風呂は開かれている。
昨日、当て身を一発で成功させるには、それまでにも当て身を何度となく繰り返してきたはずだ、と書いた。
全くそのとおりで、昨日、というか正直さっきの僕には頭の下がる思いである。
結局、何度も当て身を繰り返さないと気絶させられないようでは、ただの暴行になってしまうのだ。
(「ただの」重要!!)
だが、じゃあ一撃で仕留められることはすごいか、というと、それも考えものだ。
そんな彼は「当て身をしなくてはならない場面」が、人生の中にいくつもあるということで、それはちょっと、へんだ。
いわば、人よりも多く「当て身にフォーカスを当てた人生」を歩んできたわけであり、あまり大きい声では言えなさそう。
「特技:当て身」
どんなエロトークが展開されるか、わかったもんじゃない。
とにかく、当て身一撃で相手を気絶させるような手練になってはいけないのだ。
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でも男は、当て身を多くこなすような人生しか、送ることができなかった。
はじめての当て身のとき。
不馴れな当て身を気絶するまで受け続けてくれた女の愛は、確かというものそのもの、と感じた。
今までにした当て身は数え切れないくらいだったが、鳩尾に手をかける瞬間、彼が愛を感じないことはなかった。
そして今。
目の前の愛する人が、懇願する。
これが最後の当て身にならないだろうか・・・。
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ここで「ぎりぎり当て身に耐える女」の登場が、物語を加速させるのだった・・・。
そりゃいつかということで、「当て身」おわり。
当て身
「どうしても行かなければならないんだ。」
「行くというのなら、私を殺してから行って!!」
「…ゴメン」
と、ここで当て身の登場だ。
男は女の中落ちもしくはみぞおちに打撃を加え、意識薄れゆく恋人に永遠の別れを告げ、一人敵地へと向かうのである。
小さな頃から。
叱られた夜は「この当て身一撃で、本当に人は気絶してしまうのだろうか」という小さなじゅもんが聞こえてきていた。
いろいろ疑問だった。
何か吐いたりしてはしまわないのだろうか。
どのくらいで意識が戻るのか。
後遺症は?。
でも今は、できるできないはともかく、「一撃で仕留めるなんて、どれだけ練習、実践してんだ?」という疑問だ。
「はじめての当て身」でなんて、一撃で仕留めるなんてできるはずがない。
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「…ゴメン」
エイヤ。
あれ、気、失わないな。
エイヤ。
苦しそうだ。
エイヤ。
…気絶したみたいだな。
と彼は、なんとなく別の理由で気絶したっぽい女に、もう一度「ゴメン」と言わなくてはならない。
…ゴメン。
風呂に入るので、つづく。
例の、丸い構造物 3
前回からのつづき
【あらすじ】
すごく大きい、燃料を貯蔵してそうな丸い構造物「アレ」について。
特撮モノで、怪獣にアレを壊させている意図とは!?。
実のところ、アレは転がるものなのではないだろうか。
そして、その事実を隠すために、わざと怪獣という創造されたものに壊させているのではないだろうか。
もしそうなら、その試みは成功していると言えよう。
「お父さん、アレって、転がるのかなぁ?」
「転がるはずないじゃないか。」
ただ、なぜ「転がらない」と思わせたいのか。
それは、アレが転がるのは現実に対して、ちょっとファンタジーすぎる、ということに尽きよう。
安全性、コスト面、容量と、すべてを兼ね備えたタンクを開発することができた。
そして建造の許可を受ける際、こんなやり取りがあったのである。
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A「素晴らしいタンクですね。文句のつけようがない」
B「そうです。夢のタンクです」
A「すぐに許可がおりるでしょう」
B「ありがとうございます」
A「ところで、一応なんですが」
B「はい、何です?」
A「まさか、転がらないでしょうね?」
B「え、何がですか?」
A「ですから、土台部分が外れた場合、崩壊するのではなく、転がってしまう、ということです」
B「土台が外れることはあり得ません」
A「では、土台をつけずに建造した場合は?」
B「そんな憶測は、無意味です」
A「とにかく転がらないか、が重要なんです。もちろん崩壊でも転がるのでも、絶対にあってはならないことです。しかし、もしもがあって、転がってもみなさい。被害の中に、ファンタジーが生まれてしまいますよ」
B「何言っているんですか。試してはいないですが、とにかく転がったりしません!!」
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転がってしまったのである。
しかし、災害による崩壊とその二次災害の重大性を考えると、その強度を下げることはできない。
まだ転がった方がまし、とは口が裂けても言えないが、まぁそうだそうだ、となったのではないだろうか。
絶対に崩壊も転がりも起きないはず。
しかし、転がる能力だけは持つ、アレ。
それを隠すため、色々な場面で「アレは転がらないことを想像させる方針」が取られているに違いない。
人々に「アレは転がらないもの」であるという誤った事実を植えつけているのである。
なんというプロパガンダだろうか。
実際に何か起きて、アレが転がってしまったとき、国がどう動くか、見ものである。
転がった跡を見て、国も言い訳できまい。
紙面が「七転八倒」という言葉に染まることになるだろう。
ちなみに、まだ調べていないが、おそらく「アレ」の周辺は高低差がつけられており、もしものときにアレが転がるルートを確保、終点には穴が仕込まれているのでは、と考えている。
例の、丸い構造物 2
昨日から。
【あらすじ】
すごく大きい、燃料を貯蔵してそうな丸い構造物「アレ」について。
あれは怪獣が壊しやすそうなものだが・・・?。
アレを破壊し、感慨深げな怪獣よ。
あぁ、怪獣よ。
しかし、僕はここで恐るべき事実に気付く。
「怪獣は、現実にはいない」
当たり前である。
「怪獣だ!!」というニュースが報道されたとしても、たいがいそれは捏造だったり、はぐれアザラシだったりする。
そもそも現実に「怪獣だ!!」と口に出して言うチャンスはないだろうし、あったらあったで結局はぐれアザラシなのである。
「怪獣だ!!」と叫ばせるようなレベルの高い怪獣はいないだろうし、存在したとしても、ほぼ現れない。
そう。
いたとしても、彼らは我々が思っている以上に、怪獣は環境問題に対してそれほど怒っていないのである。
話がずれた。
「怪獣は、現実にはいない」
しかし、問題なのは「怪獣にアレを壊させている」ことである。
怪獣がアレを壊す。
その、壊れる映像をメディアに載せることに意味があるのではないだろうか。
つ、つづく・・・。
例の、丸い構造物 1
誰の心の中にもある構造物と言ったら、それは国会議事堂でも金閣寺でもなく、「すごく大きい丸いヤツ」ではないだろうか。
あの、クリームもしくは淡い若草色をした、ビルにも匹敵する大きさのあれ。天然ガスを蓄えるタンクだろうか。
誰しも「あれの土台とか出っ張りを外したら、転がるのだろうか」という疑問を持ったもしくは持っているにちがいない。
さて、そのアレであるが、とにかく怪獣に壊されそうな建造物でもある。
思うに、怪獣もアレが転がるのか、疑問に感じているのではないだろうか。
そして手を出し、あわれ粉々に壊れ破裂していくアレを眺める怪獣の目は、どこか悲しげだ。
「あ、転がらないんだ…。」
しかし、僕はここで恐るべき事実に気付く。
つづく。
言える日
「なんとも言えない甘みですね?」
よく聞かれる言葉だ。
しかし、この言葉がある以上、日本語はまだ、発展途上にあるということ。
「なんとも言えない」ことを表す言葉が誕生すれば、そのあとは、なんとも言えなくなることはなくなるはずなのだ。
そして、日本語を使用している人も「もう「なんとも言えない」では、表現の限界を感じざるを得ない」と感じている。
そんな背景もあり、そろそろ、その言葉が誕生すると思われる。
「あ、あの甘みが、ついに表現できる!!」
旅番組の未来は、明るい。
ひねもす
恥ずかしながら小生、「ひねもす」という言葉を動詞、しかも、なんとなくマイナスイメージのある動詞、と思ってました。
「和夫、ちゃんと宿題やりなさい。」
「なんだよ、ちゃんとやっときゃいいんだろ!!」
「なに、ひねもしてんのよ、ほら、すぐに!!」
こんなだ。
この「ひねもす」。
調べてみると「終日」のこととか。
またおりこうに近づいてしまった。
ところで、コイツを英語で表すと「all day」となってしまう。
日本人からすると「一日中、遊んでたんだね」では「all day」でよさそうだが、「ひねもす、遊んでたんだね」のときは少し、「all day」では伝わらない気がする。
「ひねもす、遊んでたんだね」というからには、絶対禁じられた遊びのはずだ!!。
ということで、またおりこうから遠ざかってしまった。
仮名
何か、公共的な書類などで名前を書くとき、その上の欄に「ふりがな」という項目があるだろう。
この時、その欄に我々は「にんばす」と書かなければならないのであって、「ニンバス」ではダメである。
しかしながら、こういう制限は時々あるにしても、大抵のシーンでは、平仮名だろうが片仮名だろうが、問題になることはない。
せいぜい平仮名表記で、物事がかわいくなるだけである。
(個人的には、「西国分寺駅→にしこくぶんじえき」の豹変っぷりがかわいすぎる)
ところがである。
「平仮名」を片仮名で書いてみると「ヒラガナ」。
なんとなく公約違反な気がしてはこないだろうか。
そこまで行かずとも、なんだか違和感があるはずだ。
そして同様に「かたかな」。
2?3年前までつっぱっていたのに、最近はすっかり丸くなりました。
そんな印象を受けないだろうか。
その感じは、その言葉の持つ意味を反転してしまうような、矛盾した動作に対してのものである。
なんたって反するものが、そのものの体を表しているのだから。
イメージとしては、
・両親殺しの犯人として追っていた男が、実の双子の兄だった
・砂糖を塩蔵
とか、そういう感じだ。
とにかく「平仮名」は片仮名で、「片仮名」は平仮名で、それぞれ書いてしまったら、そいつはちょっとかわいそう、となる。
好青年
最近は使われるのだろうか「好青年」。
道端を掃除しながら、道行く人にあいさつ。
サワヤカ男前で、電車ドア付近に立ってしまったら、誰も降りなさそうな駅でも、率先して道を開けるため、下車する。
いつも肩には小鳥がとまっており、足元をリスが忙しそうにまとわりつく。
声を発すれば、それは美しい旋律となり、周りの人々を魅了。
歩いたあとには、色とりどりの花びらが落ちているという。
ところで今回は好青年の「好」についてだ。
なんなんだ、好。
意味は分かるが、そう使っていいのだろうか。
もちろんいいんだよな、ということで、使ってみようと思う。
「青年」だけでなく、「敵(好敵手)」などで使えるのだ。
他で使えないはずはない。
1:好怪盗
いわゆる「義賊」の類いではないだろうか。
漫画などで時おりみられる「快盗?」と同義だろう。
盗みはするが、そのあとにはもっといいものを置いたりする。また、現場には花びらが散乱しているため、好怪盗の犯行であることが分かり、冴羽獠似の刑事がくそうと言う。
2:好失速
自転車や車での話なら、使いやすい。
好失速が事故を未然に防ぐのだ。
後ろの車が急ブレーキにならないように、知らせるようにテールランプを点灯させる前の車。
好失速である。
また、ほどほどの成績のヤツが、何故か中間テストであまりいい点を取れなかった。
と思ったら、週末テストではクラス上位の成績に。
これも好失速のいい例である。
3:好アルカリ
アルカリ電池はどれも同じはずだが、なにやらやたらもつヤツがいままでいなかっただろうか。
メーカーが従来品に、ひそかにしのばせた新製品に違いない。
我々はその、やたらもつ電池に対して「ナイス好アルカリ」と呼ぶ。
なかなか使えるようだ、「好」。
「好々爺」なんて、ダブルパンチだもんな。
みんなも要所で使ってみよう!!。
ところで、「好」は「プレー」という言葉にも使用される。
そのため、「珍青年」というものもあることは、想像に難くない。
珍青年。
ズッコケ三人組とズッコケ中年三人組の間くらいのメンツだろうか。