暗転の恩恵 3

【あらすじ】
決めポーズのない歌手達は、歌い終わったあと、困っている。
CMなり画面切り替えなり。
その曖昧な時間を解決するもしくはやり過ごす、よい区切りの仕方を考える。
お。
窓から綺麗な月が見える。
やったね!!。
なんだ。
「おもいでエマノン」の漫画が出てるじゃないか。
やったね!!。
あれ。
かわいい子犬がこっちに向かって走ってくる。
やったね!!。
いけね。
何も上記、解決方法を考えてなかったから、現実逃避しちゃった。
やったね!!。
いくつか考えてみる。
「歌い終わったあと、歌手達はこれをすれば、綺麗に区切ることができる」
1.マイクを床に置く。
きわめて正攻法。
相応の年齢を召したお前なら、どうしても伝説のアイドルグループを思い出すだろう。
次の画面切り替わりなどの時間ぎりぎりに、ゆっくりした動作で置けば、美しく区切れる。
「あぁ、歌い終わったんだな。」
視聴者も納得する。
ただ、歌手の方から見ると、そのまま普通の女の子に戻ってしまうよう(or戻りたくなる)な気にもなりそうである。
「あぁ、歌い終わって、かつ歌手生命も終えたんだな。」
そう思う、そして思われる可能性あり。
気をつけられたし。
2.作曲するとき、エンドレスにしておく。
このようにしておくと、歌い終わっても曲が流れ続けることになり、「それにノってます」という風に、動物園のゾウのようにゆらゆらしていることができる。
もちろん、みんなも曲がエンドレスであることを知っており、適時CM等に移してしまうため、歌い終わりのゆるい時間をやり過ごすことができよう。
ただ、明確に歌い終わり、と区切れているとは言いがたく、これでも十分ゆるい時間だ、と考えられる向きも多いだろう。
しかし、にやにやしながらカメラから目をそらしたり、どこか遠くを見る、といった動作よりは、いいと思う。
3.セットの片付けをしだす。
マイクのコードをくるくるーっとまとめだしたりする。
衣装さんとかが登場してきて、ティアラを外したりする。
後ろでスタッフらしき人が、ダンボールを運んでいる。
どこから見ても、終わりだ。
4.舞台が回転しだす。
回転先は、スタンバっていた次の歌手でも、コント風居間でも、お好きなほうを。
歌手の方に頼みたいのだが、このとき、回転中はむしろ気取っていて欲しい。
5.ケータイをいじりだす。
歌い終わり。
一寸先はプライベート時間である。
6.緊急速報が流れる。
歌い終わったと同時に緊急速報が流れる。
内容はもちろん「○○さん、歌い終わる」である。
7.歌い終わり直前くらいから、音がフェードアウトし「ごらんのスポンサーの提供で・・・」が流れ出す。
提供終了前くらいに歌い終わり、提供終了とともにMCへ。
8.歌い終わり直後、マイクのスポンジが飛ぶという、どっきりが発動する。
歌手はもちろん怒るが、内心「歌い終わりが区切れて、本当によかった!!」と小野キャップに感謝しきりである。
・・・どうも、挙げすぎだ。
僕としては「9.歌い終わり、なぜかマイクがハウリング(きーん音)する」が、誰の心も傷付けず、いいのではと、今思いました。
ということで、文量もしりつぼみつつ、終わり。

暗転の恩恵 2

【あらすじ】
「暗転」って、何事も確実に一区切りしてくれるから、いいよ。
先日、音楽番組を見た。
なにやら女性アイドルグループが歌い踊り、呼吸し、生き。
そして歌い終わったとき、それぞれポーズを決め、動かなくなったところで司会の方に画面が移行した。
この「それぞれポーズを決め、動かなくなった」は、一種の「暗転」ではないか。
歌が終わり、ポーズが決まる。
完結した。
※ただ、このとき彼女達がポーズに耐え切れず、微妙に揺れていたのが印象的だった。
これを見て、僕は心配になった。
「ポーズを持っていない歌手は、大丈夫だろうか?。」
ここでの「大丈夫」は、暗転しなくても、うまくはけることができるか、ということだ。
歌い終わり、彼らはどうしているのだろうか。
僕はあまり音楽番組を見ないので、いまいちイメージがつかめなかった。
知人に聞いてみた。
彼は妙な顔つきをしたが、「とりあえずその点、DAIGOは例外だね」と言った。
彼は確かに、とりあえず両手をクロスし、その手先は謎のフィンガーサインと。
そのポーズをとれば、安泰である。
確かに例外だ。
知人は少しして、「あまり思い出せないが、そういうポーズとかを持ってない人は歌い終わり、カメラから目線を外したりして、ちょっと笑ったりして、ちょっと手持ちぶさたな感じだ」と言った。
僕は確信した。
ポーズのない歌手の人たちは、困っている、と。
いい具合の一区切り方法がないため、そんな曖昧な行動をしてしまうのだ。
次回、歌い終わったあとの区切り方法を考察。
現在の方法数ゼロだが。

暗転の恩恵

そこが、「暗転」するかしないか。
大違いである。
例えば何か、お笑いの舞台があったとして。
ひと話終わったあと、照明が落ちる。
また、その意味合いと同等のものとして、幕が閉じるとか、TVだと場面が変わったりとか、赤いカーペットが「動く歩道」のように動作する。
このように、自動に一区切りがつくことは多い。
しかし、それが多いゆえ、その恩恵がいかにすごいものか、忘れている人もいるだろう。
考えてみよう、暗転がない場合を。
あなたの頭の中のコンビ「ふぉ?ちゅんついんず」がネタをしている。
*******
正一「だからこそ、印字されている文字が丁寧に消されてるサンテFXを用意しておけばいいじゃん。」
正二「もういいよ!!」
正一正二「どうもありがとうございました?!!」
*******
ここで、自動に彼らがはけていく場合は問題ない。
漫才が終わり、美しく句点が打たれたのである。
しかし、暗転がない場合、あなたの頭の中のポップコーンはどうしているだろう。
何か、えへへしながら歩いて去っていくのではないだろうか。
「さっきまで、切れのいい漫才をやってくれてたのに・・・」
なんとなく後味が悪い気がしないだろうか。
この、暗転の恩恵は、お笑いだけに限ったものではない。
ニュース番組や音楽番組でも、話題の切り替えやCM入り等、暗転の変形型によって、いつもの放送が救われていると言える。
一方、ゆるりと続くトーク番組などは、暗転が必要ないだろう。
だが、その恩恵はほとんどのシーンでは有効そうだ。
誰だって、一度や二度、奈落へ続く穴が開いていたら、そこにダイブしたい、と思ったことがあるだろう。
それは、どんなキビシイシーンでも、別にそうでなくても、綺麗に一区切りしてくれる点にある。
有用性、忘れてはならないものである。

続・ナンバー2の美学

昨日からのつづき。
【あらすじ】
物事に深みを与えるのは、「2番目の存在」だ。
今日は例え1番目に対してテキトーな2番目を考えて、遊ぼう。
==============
◆ex1・・・貸し出し数
年間レンタルDVD貸し出し数
第1位 ダ・ヴィンチ コード
第2位 DVDレンズクリーナー 乾式
第3位 ナイトミュージアム
◆ex2・・・押下
A「やっぱさ、梱包シートのいわゆるぷちぷち。あれを押したのが、俺の人生で一番多いんじゃないかな。」
B「へー。じゃあ、2番目は?」
A「CtrlとAltとDeleteが同率だね。」
◆ex3・・・投稿
月間投稿数
第1位 栃木県 川岸広隆(28)
第2位 東京都 マルクスの友(52)
第3位 京都府 向本茂文(24)
==============
今日のテーマは色々使えそうな予感。
でも、眠いので今回はこれにて。

でか盛り

「大盛り」と「でか盛り」の差はなんだろう。
そう聞かれたら、大体は「大盛りの、さらに多いのがでか盛り」。
そんな答えになるんじゃないかな。
僕も半分はそう思うけど、一方ではこんなことを考える。
「日本の、でか盛りで料理を出す人の幾人かは、怒っている」ということ。
この考えは、僕の個人的な心象がだいぶ入っている。
それは「でか盛り」の「でか」は量とかではなく、あくまで大きさを表現した言葉なんじゃない?、というところに起因しています。
例えばコロッケ。
僕としては「コロッケの大盛りは、普通のコロッケが山盛りで出てくる」ことであり、「コロッケのでか盛りは、5倍サイズのコロッケが出てくる」がしっくりくる。
この考えでいくと、牛丼大盛りは「どんぶりに茶碗5杯分入れられたご飯の上に、大量の牛丼具がかけられているもの」であり、牛丼でか盛りは「5倍大きいご飯粒たちの上に、厚切りのすき焼き肉が乗っている」ような感じになります。
おそらく「5倍大きいご飯粒」は、作っていく過程にて、ほぼもちになるでしょう。
 
もちろん、上記の牛丼でか盛りは現実的ではなく、実際は「茶碗5杯分入れられたご飯の上に、大量の牛丼具?」となります。
しかし、コロッケの方はありえる話です。
そして、5倍サイズのコロッケを作っている人たちから見れば、「茶碗5杯分、大量の牛丼具?」の牛丼が「でか盛り」を名乗るのに、ちょっといい気はしないのではないでしょうか。
「なんだよ、俺らは大きさも考慮してんのに。量だけ増やして、「でか」言うなや。」
刑事にあこがれる巡査部長か、とツッコみたくなるに違いないのです(※)。
そして、この怒りは他の「でか盛り」シーンに対しても、同じでしょう。
「もっと、ニョッキの切る前みたいな麺を出せや。」
「ひき肉は、ちゃんとサイコロステーキなんだろうな?。」
その遺恨は、僕的には深いと思われます。
そう。
結局、「でか盛り」の「でか」をどうとらえるか、が重要。
日本語って、難しいものですね。
※刑事という階級はないらしいです。でも書きたかったので書いた。

レ点

「なんかおもしろくないなー」という、漠然とした気持ちがもう、10年は続いているような気がする。
もちろん、全くそれがないのが10年続いているはずもなく、面白いものはいくつもあったのだ。
しかし、そのほとんどを、僕は感心することで感じてしまう。
「うわ。それうまいこと言ったなー。すごいわ。」
胸が痛むほど笑い転げたり、加湿器が必要になったり、そういったのが、無い。
こんななので、時間があればお笑い番組をよく見る。
すると、1/2くらいの芸人さんはうまいこと言いで感心しーの、1/4くらいの芸人さんはオチが読めーの、1/4くらいはチャンネルを一時変えーの、になる。
要は、半分くらい、笑えないし、感心できない。
例えば、一発ネタを持つ、ある人気芸人さんがいるが、どうしてもあまり笑えない芸人さん。
それが一発芸的な面からのみ得られる感じなのかはともかく、だが。
ただ、僕としてはむしろ普通の会話や漫才の方が、いいセンスを出す気がする、そんな人。
ところで、僕は一度もあったことの無い人を批判的にどうこう書きたいわけでない。
ここで言いたいのは「昔だったら、そのネタに笑っていただろう」ということだ。
どういうことか。
それは「以前、何かしらその人の芸風に似たモノを見てしまった。」ということ。
上記の、笑えないし、感心できない芸人さん達のもそう。
過去に、似た芸風を経験してしまっているのだと思う。
もしかすると、全然芸風が似ていなかったとしても、例えば顔が似ているというだけで、過去に経験したものとして勘違いしているかもしれない。
過去に見たっぽいから、いまいちと感じる。
それが、さみしいし、もったいない。
「僕のエド・はるみ(書いちゃった)枠は、もうチェックが入っちゃっているみたい。だからいまいちなんだと思う。」
誰なんだ、俺のエド・はるみ枠を塗りつぶしたのは。
その人がエドよりも面白くなかったら、エドに申し訳なく、僕ももったいないことになっているんだぞ!!。
と、この一連の話を知人に話したところ、かわいそうな子を見るような目で、見られちゃった。

eの主張

うかつにも、本ブログ2回目の「電子辞書」話で恐縮だ。
そのCMは2日ほど前に見た。
ゾウのキャラクタが、新製品の電子辞書を紹介していく。
うかつにも、前回までのニンテンドーが続くような話で恐縮だ。
その電子辞書は、ニンテンドーDSのように、タッチペンで、検索したい漢字などを入力することができるのだ。
ゾウは、お前らそら調べんとわからんよな、という漢字を鼻で持ったペンで入力、その意味を知ることができていた。
問題はここからだ。
その電子辞書には英語関連も入っており、ゾウたちはある単語を調べようと、「e」を入力した。
なんでもないCMのはずだった。
・・・しかしこのCMのあと、僕は誰かにこのことを報告せねばと、妙なあせりを覚えることになる。
なんと、ゾウが検索したかった単語は、万人が想像した「elephant(象)」ではなく、たしか「environment(環境)」だったのだ。
どういった了見だ、ゾウ。
CMというか、流れとして大ミスではないのだろうか。
それとも、環境問題がこんなところにまで来ているとでもいうのだろうか。
いや、そんなんはいい。
気になるのは、このCMでどれほどの人が肩透かしをくらったような気になったか、ということだ。
むしろ、それが狙いだったのか、CM。
そうなると僕、少々楽しみすぎとなる。

Wii Fitについて ?

一応つづき。
【あらすじ】
Wii Fitの「ジョギング」って、Wiiボード使わないのかわいそうじゃん。
でも、もうひとつFitで気になることあるな。
===============
もうひとつ、気になるのは、同じくWii Fitについているソフトに収録されている「スキージャンプ」だ。
これは文字通りスキージャンプを模したゲームで、坂を滑り降りていく映像時に、実際に身をか少しかがませ、ジャンピング地点でタイミングよくひざを伸ばすことで高得点を目指すものだ。
これをやると、かがんだことを認識してくれるWiiボードに正直、感心するのだが、それとは別に気になることができてしまう。
「こいつにとって、かがむとは何だ」である。
僕なりに「これをやると、かがんでいると認識する可能性が高そう→低そう」を予測、並べてみた。
◆可能性大
・かがむ。

・ゆっくりコマネチをする。

・逆立ちした両足にボードを乗せる。

・あぐら。

・猫を寝かせる。

・こたつの中にボードをいれ、みんなで足を乗せる。

・ろくろを回す

・Wiiボードを3台ほど重ね、その上に直立。

・人差し指でぎゅーっと押す。

・10人くらいで息を吹きかける。

・ししおどしの台に置く。

・拘束されている人に乗ってもらう。

・大きく上下に振る。

・乗らない
◆可能性低
この場合、例えば「猫を寝かせる」までをボードが「かがんでいる」と認識した場合、こいつにとっての「かがむ」とは、「猫である」ということになります。
それにしてもばらばらだな、順・・・。
以上のことで、結論が2つ出ました。
1.Wii Fitに発電床つけたらどうなるんだ?。
2.ヌンチャクって語呂、なんかやらしいと思わね?。
「?」がつく結論ってのも、いいものです。
次回。
いろいろなものに「Wii」とつけてみる。

Wii Fitについて

いまさらながら、Wiiである。
「Wii Sportsで筋肉痛になっちゃったよー」というあいさつもあまりされなくなり、いたって普通に消費者に溶け込みまくっている任天堂のゲーム機である。
さて、そのアクセサリに「Wii Fit」がある。
本体に乗り、ヨガや階段運動がゲーム感覚でできるやつだ。
CMでもおしとやかに紹介されている。
こいつ、気になる点が2つある。
まずは「ジョギング」。
Wii Fitに付属しているソフトに収録されているものだが、その割にはFit本体(バランスWiiボード)は使用しない。
コントローラとしても使う「Wiiリモコン」を持ったり、ポッケに入れたりした状態で、その場ジョギングをする。
トレーニングそのものをどうこう言う気はなく、僕はフラフープのゲームの、プレイヤーの奥で踊る2人が大好きだったりするが、この「ジョギング」は疑問だ。
なにが疑問かというと「プレイヤーがWiiボードの横でその場ジョギングをする」点。
「ジョギング」を楽しんでいる間、そのボードは無関係なのである。
もちろんそのあとまた使うので出しっぱなしなのかもしれないが、汗をかくプレイヤーの横でじっとして、なんかかわいそうだ。
また、これもボードの使い方ですということになったら、その用途が飛躍的に広がってしまうような気もする。
例えば、ボードを居間に出しておいて、リモコンをポッケに入れておいて掃除をし始めたら、それは「Wii Cleaning」となりそうだ。
そのまま本を読みながらうたたねでもしてしまえば「Wii Relax」。
外におでかけすれば「Wii 外出」となる。
もちろん「Wii 通勤」というのもあるだろうし、うっかり「Wii Lovers」やっちゃってた!!、もあるだろう。
これらは、それほど「ジョギング」の使用方法から離れたものではないと思う。
これも範疇に入れていいのか、Wii Fitよ。
でも、書いてて「Wii Cleaning」「Wii Lovers」はいろいろ考えられそうで、あながちブーではないかも・・・とかなってきた。
うーん。Wiiのある新しい生活。
次回、もうひとつWii Fitで気になる点。

いのちの名前

先日、itunes Storeギフトカードについて少しだけ触れたのだが、それまで僕はその正式名称について、曖昧だった。
何か、そういう風に使えるカードがある、くらいの知識しかなかったのである。
なので、それを調べようとitunes Storeを開いたのだが、そのとき思い出してしまった。
千と千尋の神隠しのラスト近くで流れる曲「いのちの名前」。
千尋がハクと別れる。もう、出会うことはないだろう、互いの手が離れゆくシーン。
八百万の神々が住まう世界から出るときの、振り返りたい気持ちを払拭したシーン。
学生時代、千尋をずっと「ちさと」だと思い込んでいた自分。
全てが、ガムテープでみっちり封じられたダンボールを力任せにこじ開けたくなるような衝動に駆られるものばかり。
その衝動に「いのちの名前」はあったのだが、それに歌詞があることを僕は知らなかった。
ところが少し前、姉がどこからか「アカペラジブリ」なるCDを入手、それを聞いて初めてそれを知った。
そして、こういう流れにより、まんまと僕はitunes Storeでオリジナル「いのちの名前」を探しまくってしまったのだった。
僕はそのとき、ここちよく、手中にあった。