さすらい

昨日の「のりもの」のことで思い出したのだが、僕は夜の駅でホームの端からホームの端を眺めるのが好きだ。
遠いなーと思えるからだ。
特にいいのは端に車掌さんみたいな人が立っているとき。
彼をスケールに、より遠い感じがわかるのだ。
そして電車の到着にまだ時間があるようなら、端まで歩いてみたりする。
遠さが実感できる上に、ゲーム機のすれちがい機能が期待できる。
そんなときに限って、ゲーム機を持ってないことも多い。
僕の机の上で、すれちがわれることなく明滅するランプのゲーム機。
かわいそうだ。
そんなことを思いながら端まで歩いたり、さらに時間があるときは一度改札まで行ったりしてみる。
そして人でにぎわう駅内モールのようなところを、ひとりさまよったりする。
かわいそうだ。

はたらくのりもの

おさそいを受けたので、飲みに行った。
その場でわかったのだが、僕は乗り物関係に明るいというフレコミで呼ばれたらしい。
これは乗り物酔いをしないとかいうことではなく、いわゆる「てっちゃん」に代表される、乗り物好きのこと。
僕は去年「九州新幹線」に乗っているので、それがキーになったようだ。
しかし、僕はかなり乗り物に詳しくない。
バスにしたって時刻表は見ず、バス停で次来るのが遅いとなったりすると次のバス停へどんどん歩いてしまう。
今の例はあまり「詳しくない」の例になっていないが、とにかく詳しくない。
もつ鍋が出てきた。
梅酒が好きなのでそればかりを注文。
ぽん酢と豚骨ベース、2種類のもつ鍋が出てきたが、「かなりおいしくない」と評されたぽん酢バージョンもいたっておいしく感じられる。
僕は、乗り物は詳しくないが、昔はトランスフォーマーが好きだった。
今のギザギザ動くほうではなくて、アニメやどんくさい感じのロボットの方。
もちろん、これを乗り物の話題のときに持ち出すのはやめた。
「乗り物が変形するのだが、変形後は乗り物じゃない」。
そう考えているから。
もつのどこかの部分は、あぶらっ気のないあぶら身のようで、うまい。
山芋をすりおろして揚げたものが好きなので、「山芋のタツタ揚げ」を注文。
しかし出てきたのは、山芋のぶつぎりを揚げたもの。
残念だったがすごくおいしかったので、よしとしよう。
乗り物の話は引き出しなくてできなかったが、乗り物に乗って帰ったし。

宣言、2012。

「人に気づかれないこと」を憧れ、一種のぜいたくと考える人がいるとすれば、彼は間違いなく時効待ちな人なのであって、一般的にはあまりいないだろう。
だがそれを実現しようとしたとき、どんな方法が考えられるだろうか。
まず思いつくのは「とにかく隠れる」というものだ。
例えば一昨日の「飽きているラーメン屋の店主に顔を覚えられたくない」というものに対してこれを適応するとどうなるか。
仲間あるいはたまたま入店しようとしている人が必要だが、とにかくその人に隠れる。
隠れまくる。
そうすることで、おそらく顔は覚えられることはないだろう。
しかし注意する点もある。
それは店主が「いつも声はしているが、姿を見せない客がいる」と気づかれてしまった場合。
この瞬間、目的の「顔を覚えられたくない」は達成不可になるだけでなく、むしろ強調されてしまう。
それを避けるにはもう、「声はするが姿は見せない」で有名そうな、座敷童の精神を絶えず持っておくことが必要だろう。
「覚えられたくない」ということなら、顔を見られたあと、それを忘れてしまうような事柄が生じる、というのもありだろう。
「入店客を見た後、なぜか必ず店員さんがグラスを落として割る」
どう実現するかはさておき、店主はグラスの対応に追われて、見た顔を忘れてしまうだろう。
もちろん、これにも注意する点がある。
「なんか誰かを見た直後に、何か起こるな」と気づかれてしまった場合である。
先ほどの座敷童の精神のくだりと類似しているが、どちらかというとこちらは「不吉な事柄の前兆のあなた」の意味合いが強い。
ちょうど座敷童のところを「疫病神」に置き換えるといいかもしれない。
「店がすごく忙しいときにしか、入店しない」のはどうだろう。
「顔を覚えられないようにする」ということについては、結構有効だと思う。
しかし、本日の「座敷童」「疫病神」の流れでいくと、ここは確実に「ぬらりひょん」が来る。
確かそういうやつなのだ「ぬらりひょん」は。
勝手に家に入って茶などを飲み、勝手に出て行く。
家の人は「そういえば誰かいたのに」と気づいたようなそうでもないような。
そんなんだった。
「気づかれない」とは、妖怪のことだったのか・・・。
それにしてもちょっと最近、妖怪系が多い。
もういいじゃないか、妖怪は。
楽したい時以外は当分、脱妖怪の方針を取っていきたい。
永田町、脱妖怪宣言!!
超斬新、唯一無二風刺が出ちゃったので、おわりに。

気づかれないことの話。

ステルスでも光学迷彩でもプレデターでもハイパージャマーでもデルトイの居間でも石川雅之の「自分を信じた男2」でも何でもいいが、結構僕は「気づかれない」事が多い。
僕を呼ぶ人の目の前にいたりするのに。
あのときの気分は、たとえ「あまりにラーメン屋に行き過ぎていて、そこの店主に顔を覚えられるのが嫌だ」という今月最高の悩みをもってしても、いいものではない。
挙手よりもすごいことをしているはずなのに。
そう思う。
しかしながら、一方で気づいてほしくないときに気づかれてしまうというのもある。
一時期、おまわりさん関係でよくそういう目にあった。
もちろん気づいてほしくないときとは言っても、犯罪真っ最中であるとか拘束具をバッグに忍ばせているとか。
カラスの死骸を背負っているとか暗視スコープを装着しているとかプリキュアのお面を頭にかけているとか、サンタの格好をしているが工具入れを手にしているとかではない。
理由のない散歩。
このときは、けっこう気づかれたくないのだ。
理由がないから、いわゆる「おまわりさん受けする回答」もない。
よって、例の質疑応答に少々時間を要してしまうのである。
こういったことからも、上記の「気づかれない」事は、解析する意義がある。
原因が判明すれば、それをもって交番前をうろうろしてもいいわけだから。
では「気づかれなかった」僕は、そのとき何をしていたのだろうか。
もちろん、何もしてなかった。
せいぜい、気づかれないことに対して気まずそうな顔をしていたくらいだ。

標語

少々軽卒かもしれないが「お・か・し」の話だ。
「お・か・し」はいわゆる緊急時に気をつけなければならないことを覚えるための標語で、その詳細は「押さない、かけない、しゃべらない」という非危険三原則、逆読み書きそろばん、ともいうべきものだ。
様々な場所で様々な亜流があるらしいが、今回はその亜流を考えてみようということ。
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「い・た・こ」
「意識があるか、助けを呼ぶ、呼吸の確認」という、救命処置の順番を表す標語。
「す・み・そ」
「すべらない、みすぼらしくない、そうでもない」という、中堅芸人を表す標語。
「て・じ・な」
「テレパシーを送らない、神通力を使わない、NASAに過剰に反応しない」という、宇宙人であることがばれないようにするための標語。
「ト・キ・オ」
「東京、TOKIO、沢田研二」という、何らかの御三家を表す標語。
「じゃ・あ・ね」
「国生さゆり、河合その子、ゆうゆ」という、何らかの御三家を表す標語。
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楽しましたが、ラストのはかなり悩んだ。
じゃあね。

ごめんね田村くん。

前代既聞!!
お手抜き企画
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わかってる。
わかってるけど、まずは「事件事故の両面から捜査」してほしいな、の案件集。
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①あなた!! 何このワイシャツの口紅のあとは!!
②田村のそで、真っ赤だけど聞く。誰だ給食前に大おかずのナポリタンを盗み食いした奴は!!
③和子!!、お前今日の昼に知らない男と腕組んで二子玉川の商店街歩いてただろ!!
④田村の羽振り、妙によくなったけど聞く。誰だ給食費を盗んだのは!!
⑤たーちゃん、まさかお母さんの乳液を豆乳に入れ替えたりなんか、しないわよね?
ちなみに、登場人物全員が田村姓を想定した、戯曲となっております。

足らない証 その2

昨日からの続き。
【あらすじ】
タクシーの運転手さんが「ソースのつけないたこ焼き」を知っているかと尋ねてきた。
明石焼がちらついたが、そのことを知らない体で話を聞くという人道はずれたいたずらを敢行。
=====
「ソースをつけないたこ焼きって知ってます?」
そう運転手は言ってきた。
「いや何言ってんですか。たこ焼きにソースつけないなんてありえないじゃないですか」と僕。
事実、たこ焼きの3割はソースだと思う。
5割は生地、2割は揚げ玉だ。
「それがあるんですよ。僕も驚いちゃってね」
「実はそのたこ焼き、ダシをつけるんですよ」
着陸地点の明石焼が近づいてきた。
「ええーっ。だってせっかくカリカリに焼いてあるのに?」
「そうなのよ」
「ソースなんかはどうなっちゃうんですか?」
「いやだからソースのかわりなのよ、そのダシが」
「ダシって何です?」
「なんかスープみたいの」
「いやあそんなたこ焼きは知らないな。そのダシっていうのもイメージ湧かないですし」
「そうでしょ?」
悪い奴だ。
僕は悪い奴だ。
しかし話はよく転がり、その点は悪くない。
「実はね、そのたこ焼き、卵で焼いてんのよ」
かなり近づいてきた。
今、明石焼が対向車線をさっと通り過ぎなかっただろうか。
「えっ?。どういうことですか?。たまご?」
「そう、卵。卵焼きみたいになってんの」
「卵焼きですか?。だって、たこ焼きって生地に卵も入っ」
「あんな感じじゃないのよ。もうほんと卵ばっかりって感じで」
楽しそうだ。
食い気味で卵のことを話してくれた。
一方で僕も、悪いと思いつつも楽しくなってきた。
こんなに楽しそうに明石焼のことを話す人を、僕は見た事がない。
そして話は、ついに最終局面となる。
「実はそれ、明石焼って言うんだけどね」
「え、そんな名前なんですか?」
「確かに明石ってタコが有名だったりしましたっけ」
「そうなのよ、ダシで食べるんだよ。もう俺はびっくりしちゃってね!!」
タクシーは一筋の光となって、16号線をなぞっていた。

足らない証 その1

このあいだ、久しぶりにタクシーに乗った。
電車代金のことを考えると、毛ガニの甲羅に焼酎を入れて一杯やりたくなるような値段だが、荷物が多かったんである。
多くの人が気づいているように、タクシーの運転手は喋る人か喋らない人か。
だいたい2通りに分かれる。
喋らないのはごもっとも。
運転中でそれが仕事なのである。
それに集中してもらいたい。
喋るのもごもっとも。
お客さんを楽しませられそうな話を引き出しに持っているわけで、それで束の間の休息を過ごしてもらいたいということなのだろう。
僕はどちらも全然気にならない。
その運転手は喋るタイプで、昔旅行したことを話してくれた。
そんな車中。
僕が先日大阪に行ってきたことを話すと、意味ありげな笑みをバックミラーに浮かべて、こう切り出してきた。
「ソースをつけないたこ焼きって知ってます?」
知っていた。
おそらく明石焼のことであろう。
僕はたこ焼きが大好きだから、結果的に明石焼も大好きだ。
見た目くらいしか類似点はないが、たこ焼きの積極的な味と明石焼の優しい味。
どちらも甲乙付けがたい。
しかし、ここでちょっといじわるな気持ちが芽生えてきた。
彼には申し訳ないが、ここは「明石焼知らない」で通してみたくなった。
この手のいじわるは、人が思っているよりもかなりたちが悪い、ひどいことである。
だからまずやらないのだが運転手があまりに楽しそうに、しかも人なつこくていい人っぽいので、いじめたくなったのだ。
ここであやまる、「こないだのたこ焼き明石焼の件」、ごめん。
ついでに続きは明日にして、ごめん。

チョロギについて。

何かのクイズ番組で、正月に見かける珍妙な形状の食べ物のことが紹介されていた。
「チョロギ」と呼ばれるそれは巻貝あるいは芋虫、人間の何らかの臓器のような形。
人を小馬鹿にしたような和名。
どちらをとっても、他の多くの根菜と比べてあまりに先見性に富んでいる。
とりあえず、僕はそれを見た事はあったが正直名前は知らなかった。
そんなチョロギの名前が、あるホームセンターの球根コーナーにあった。
あれは球根として育てるものなのか。
チョロギの知識がまた少し増した事に、特に感動を覚えないまでも、どういう風に売られているのかが気になった。
チョロギのパッケージには他の根菜同様、土が入っている。
ここにチョロギの球根が入っているのだろうか。
しかし、パッケージ越しに探ってみても何も見当たらない。
種として入っているのだろうか。
ただ、僕はそれほどよくは探さなかった。
あの白い物体が土の中から見つかったら、それはチョロギであろうと何かの幼虫であろうと「土の中の芋虫的なもの」として見つけたこと触っていたことに後悔するだろうからである。

無性生殖産物をちぎっては捨て。

首に「いぼ」が出ていたことに気づいてから、何かあるごとにそれをいじるのがくせになってしまった。
いや、何かあるごとって言ってもね?。
別にそんな特別なことじゃないんだよ。
スーパーでじゃがいも詰め放題をやっていた時、思ったよりもずいぶん袋詰めできたとか。
昼ご飯に入った店がサービスでハーフおそばを出してくれるのにそれを知らなくて、儲けた感じがより強くなったとか。
ぎりぎりまでカサカサになった唇にリップクリームを塗るだとか。
そのくらいなのよ?、ホント。
以上、「微妙にフレンドリーパート」が終了した訳だが、この「いぼ」。
どうしたことがいじっていたら取れてしまった。
取れるものだろうか「いぼ」。
もう、さっきから「いぼ」が「異母」に変換されちゃって少々の憤りと多くの心の高ぶりを覚えているが、とにかく取れてしまった。
もとに戻そうとも、よく見ると取れた「いぼ」。
かさぶたみたいになっていて、いまいち生気が感じられない。
悪い事をした、「いぼ」には。
その善し悪しは気にせず、出芽したとよろこんでいたのに。
これを蒔いたら、来年の今頃には「nimbusの花」が咲くかしら。
弟の血しぶきを浴びたから「弟切草」。
nimbusがその命を分け与えたから「nimbusの花」。
こんな話、さくらももこのエッセイにもあったにゃ。
以上、「さくらももこ&気持ち悪い口調パート」が終了した訳だが。