気づかれないことの話。

ステルスでも光学迷彩でもプレデターでもハイパージャマーでもデルトイの居間でも石川雅之の「自分を信じた男2」でも何でもいいが、結構僕は「気づかれない」事が多い。
僕を呼ぶ人の目の前にいたりするのに。
あのときの気分は、たとえ「あまりにラーメン屋に行き過ぎていて、そこの店主に顔を覚えられるのが嫌だ」という今月最高の悩みをもってしても、いいものではない。
挙手よりもすごいことをしているはずなのに。
そう思う。
しかしながら、一方で気づいてほしくないときに気づかれてしまうというのもある。
一時期、おまわりさん関係でよくそういう目にあった。
もちろん気づいてほしくないときとは言っても、犯罪真っ最中であるとか拘束具をバッグに忍ばせているとか。
カラスの死骸を背負っているとか暗視スコープを装着しているとかプリキュアのお面を頭にかけているとか、サンタの格好をしているが工具入れを手にしているとかではない。
理由のない散歩。
このときは、けっこう気づかれたくないのだ。
理由がないから、いわゆる「おまわりさん受けする回答」もない。
よって、例の質疑応答に少々時間を要してしまうのである。
こういったことからも、上記の「気づかれない」事は、解析する意義がある。
原因が判明すれば、それをもって交番前をうろうろしてもいいわけだから。
では「気づかれなかった」僕は、そのとき何をしていたのだろうか。
もちろん、何もしてなかった。
せいぜい、気づかれないことに対して気まずそうな顔をしていたくらいだ。

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