前にも触れたが、いちごポッキーについて。
これはいちごポッキーに関わらずポッキー状のお菓子すべてに言える事だが、あれは1本だとちょっとさみしい。
口の中が満たされない。
ということでいつも2本同時に食べるという癖がついてしまった。
いちごポッキーは一箱につき20本入っているから、結果的にポッキーは10ターンしか持たない。
ポッキーが10ターンというのは、例えば銭形平次で考えてみると、まだ小銭を投げていない。
黒幕も登場していない。
水死体も発見されていない。
冒頭の我が家シーンくらいだ。
あるいはピザでいうと、生地をくるくる回してない。
生地、こねてない。
注文取ってないくらいだ。
ということで僕はかならずいちごポッキーは2箱購入する事にしている。
これにより、15ターン目くらいから小銭が回り飛び、生地が宙を舞う。
そして最後の5ターンは、小銭が回り飛び続け、生地が宙を舞い続けるわけである。
カテゴリー: 楽したい
自動洗浄
スカルプDの広告に、女性がシャンプーしている感じのものがあった。
なんか髪は濡れていないのに、頭のてっぺんに泡が大量に乗っかり、そこを手で優しくかいている感じ。
なぜ、髪が濡れていないのか。
こつ然と泡が頭に舞い降りたとしか思えない画像である。
風呂が嫌いな人間にとって、こつ然と泡が頭に舞い降りてくるのは一見朗報。
この場合は天啓とも取れるが、とにかく何やらいいことのような気もする。
しかし、風呂が嫌いな人は石けんやシャンプーを泡立てるのが嫌いなのではなく、あれが目に入るのが嫌なのである。
朗報ではない。
ただ、この画像を見ていたずらをしてみたくなった。
泡を用意して学校へおもむき、授業中に前の席の奴の頭に乗せてみるのである。
たいがいの人は泡のついた手を見て、なんだこれはと驚く。
しかし、一人くらいはいると思うのだ。
そのまま頭を洗い出しそうなやつが。
そのとき、授業中の理科の先生が叫ぶのだ。
あれが条件反射です。
まばたきも惜しいくらい。
花粉症の症状がひどく、眠っているときに目をこすってしまうようだ。
目覚めると、片方の目が腫れ上がっている。
不思議なのだが僕の場合、症状は体の左右、どちらかだけのことが多い。
目は片方だけかゆいし、鼻は片方だけつまる。
右利きだし、両目をつむって歩くと左側にだんだんと曲がっていく。
ごめん後半心情から。
とにかく、目がかゆいのはつらい。
目を閉じる、そのまぶたの動きが「かいている」ことになり、あとあと余計にかゆくなる。
ならばずっと閉じていたいところだが生活上そういうわけにもいかず、ではずっと開けていればいいというところだが健康上そういうわけにもいかない。
これがマジンガーZの「あしゅら男爵」なら、片方寝てるときに片方起きていればよく、目の乾燥も人外的な力でどうにかなりそうだ。
奇遇にも、僕の症状は左右どちらかだけだし。
ゲームをしてきた。
お酒をよく飲む人には「休肝日」と銘打たれた日があるらしく、それは物言わぬ臓器肝臓をちょっとアルコールの分解作業から距離を置くようにしてあげようという魂胆らしい。
最近、これだというゲームがなく、ゲームを休んでいる状態だ。
僕は多くのゲームをしてきた。
おゆうぎ
受験
結婚
出産
増毛
還暦
ずり落ちたメガネを戻すため、素早くうなずく遊び
知らないおじいさんに向けて携帯を赤外線受信モードにする遊び
不特定多数が参加している風を想定した影ふみ
実に、僕は多くのゲームをしてきた。
だから少し、休む必要があるのだろう。
先入先出法
機会があって、ある絵本を読んでみた。
いやな癖なのだが、僕は本を読む時、最初に何刷のものであるかを確認する。
それで、これから読む本に対して態度が変わる訳ではない。
ただ、どれほど売れているのかによっては詰んだときの話題に一つにでもしようかという、ささやかな消費者気質である。
絵本も例外ではない。
裏表紙をめくってみると、気になる文言が。
「乱丁、落丁はお取り返します」
裏表紙をめくると、たいがいの本でお見かけする言葉。
しかし絵本である。
絵本の本編をめくってみると、やはり小さい子向け。
ちょっと本編と呼ぶには難しい。
脈絡の捉えづらいコンテンツが、1ページあたり1つ。
時間をかけて箸で切った卵の白身のように、そのつながりが見えない。
もし、この絵本に乱丁落丁があったなら、それに読者あるいは読者の親は気づく事ができるのだろうか。
それが気になったのである。
ページ数もふられていない。
そんな中、「1ページ目:もじゃもじゃ」「2ページ目:ぴかぴか」「3ページ目:えーんえーん」の「ぴかぴか」の順序が違っていたら。
なかったら。
その差異を見つけ出す事ができるのだろうか。
「もじゃもじゃよりも前にぴかぴかが来ているのはおかしい」
「もじゃもじゃのあとにえーんえーんはおかしい」
もちろん、おまえがおかしい。
殺しのライセンス
おしゃれデカ、たかしの口説き文句ランキング
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1位
ガイシャの血液は、春の新色でしたか?
2位
あなたはアイウェアがないのに、逃げた人物が彼だと言いましたね?
3位
あっあなたがやったんですね。そうですね。では、この自白証明書の方にサインをお願いします、はい。
4位
張り込みのときには、君にもらったストールが役に立つのさ。
5位
きみはとてもガーリーだね、ガーリー。あ、電話出るからちょっと待って。はい、殺し、2丁目、行きます。
つながらない件
ソニーのタブレットを、ずっとwifiで使っていた。
確か購入時に3G回線もつなげていたのだが、特に使用するシーンはなかったのである。
しかしこないだ、外出時に使おうとすると、3Gががんばってくれていそうなアイコン表示にはなるものの、ネットワークに接続できない。
なぜなんだ。
とそれほど困らないのでそのままにしておいた。
本日暇だったのでドコモショップで聞いてみると、どうやら初期設定が「SPモード」であるべきところが「なんとかモード」になっていたかららしく、なんか調べればわかったんじゃないかと後悔。
僕は最近あたたかくなってきたので、一枚薄着をする事にした。
せっかくなのでショップの辺りをうろうろしてみると、お茶屋さんがある。
僕は花粉症に効くのだとドクダミ茶を飲んでいた時期がある。
それがよかったのか、今はそれほど重度ではないのだが、それはさておきドクダミ茶はあまりおいしくない。
まずいの部類に入る。
それでも、このお茶屋さんで試飲されていたドクダミを含むお茶。
その味は懐かしく、また飲んでみてもいいかなという気分がした。
僕はもう一枚、薄着をする事にした。
駅前では初老の男性がギターを弾きながら歌っている。
昼時だからだろうか。
立ち止まる人はおらず、彼の周りには普段通りに買い物へ向かう人の流れしかない。
ロッテリアからハンバーガーのいい香りがしてくる。
僕は一枚、上に羽織る事にした。
終わりました。
ものまね王座的なものを、昔は結構観ていたのに今はあまり観ない。
面白さどうこうよりも、時間がなくなってしまったためのような気がする。
それでもこの間観ていると、気に入ったものがあった。
それは正直、全然ものまねする気のない人の場面。
彼は、ものまね対象者を扱ったネタを披露、面白い。
そしてネタをやり終えた。
このとき、バックバンドが「チャー!!」と鳴らしたのだ。
あれは面白かった。
本来、ものまねの多くは歌手を模したもので、歌を歌う。
そして歌い終えた時、よくこの「チャー」が鳴る。
音楽が終わったよ、を示す意味での「チャー」なのだろう。
そう考えると、一見ネタ披露型ものまねでの「チャー」はよくわからない。
「ネタが終わって、なんかチャーって鳴ったよ」
これが面白かったのだ。
そして分かった。
やはり、ネタが終わった事を示すのだろう。
ネタが終わったかどうかは、少なくとも歌よりも分かりにくいから。
以前「暗転」について触れた事があるのだが、それと似ているのだろう「チャー」。
僕も、すべったときに誰か「チャー」と言ってくれないだろうか。
めりはり
「めりはり」という言葉について、「はり」というものが「張り」。
肌などの状態で、「張り」というものがいい意味であることを考えると、おそらく「めり」は良くない意味だ。
「めり」は良くない。
だからといって、「めりはり」のもっといい状態が「はりはり」だとは考えにくい。
「はりはりのある顔立ち」。
アンチエイジングだろうか。
あるいは前日、お酒を飲み過ぎたのだろうか。
「めりめりのある顔立ち」
パンチを受けたのだろうか。
地獄のミサワだろうか。
ジャンプして喜ぶ子供達。
藤子・不二雄ミュージアムは川崎にあるものかと思っていたら、南武線の登戸駅からバスが出ていた。
登戸から近いのだろう。
駅前バス停の様子を眺めていると、さまざまな人がミュージアム行きのバス停へ向かっていく。
やはり子供が多い。
そのバスはドラえもんやパーマンなどのキャラクターがいきいきと描かれているものだから、見ただけでうれしそうだ。
ある親子が警備員に声をかけていた。
どうやらバス停の場所を聞いているようだ。
すると、その回答を待つ事なく、そのバスが目の前を横切る。
藤子・不二雄ミュージアム以外は明らかに行かないバス。
それを見た子供はジャンプして喜んでいた。
子供はそのあふれる喜び。
主に語彙量からあふれる喜びを表現するのに、ジャンプする事は有名だ。
僕は久しぶりに「ジャンプして喜ぶ子供」を見て、ミュージアムの力の片鱗を目の当たりにしたのである。
僕が「ジャンプして喜ぶ」ことをしたのは、いつが最後だったろうか。
あるいは最近、「ジャンプして喜ぶ」ことをしただろうか。
さきほど、その行動は「言葉だけでは表現できない」ことから生じる旨のことを書いたが、どうなのだろう。
「ジャンプして喜ぶ子供」に、「すごく」という言葉を教えたらどうなのだろうか。
すっとジャンプするのをやめて「すごくうれしい!!」と繰り返すようになるのだろうか。
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あ、あんなに高い所に、宙に浮いた人がいる。
あなた「ちょっといいですかー!?。すごく高いところにいますね!!」
浮いた人「えっ、ス・ゴ・ク?」
以上、両親の方針により強調を司る形容詞、副詞の除去した教育を受けた人がうれしかったときの図でした。