今日はリシーレとひとやすみ。

今日はどうしても「楽したい」カテゴリに入れられてしまうような話をしたい、要は楽したいのだが、あいにくと楽な話が手元にない。
ということで楽な話を生み出すことにする。
そもそも、楽な話とはなんだろう?。
最初に思いつくのが、文字数が少なく、不明瞭なもの。
少なくて、どうにでもとれるものというのは、確かに楽だ。
「あわてない、あわてない。ジュブナイル、ジュブナイル。」
若い人は分からないだろうが、昔「一休さん」というアニメがあった。
以前、とんちで幅を利かせたのがいけなかったか、主人公の一休さんは子供なのに、色々な局面でとんちを求められることになる。
主にとんちの考え中に、彼は言う。
「あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。」
「ひとやすみ」を「一休み」と書くと、なんとも彼の思惑通りな感ありなので、あえてひらがなで書いたのだが、まぁこのようにつぶやく。
先ほどの「あわてない、あわてない。ジュブナイル、ジュブナイル。」は「ひとやすみ」を「ジュブナイル」に、なんとなく変えてみただけだ。
「ジュブナイル」は確か子供向けとか、そんな意味を持ってるはず。
精神的にまいっている人や使用済みティッシュをもう一度使おうとポッケの中に入れる人の幾人かは、「あわてない、あわてない。ジュブナイル、ジュブナイル。」と言う一休さんを見て「おまえが言うな、おまえが。」と思うかもしれないし、思わないかもしれない。
また「あわてない、というのは小学校などでは防災訓練のときに言われるな。そのとき、よく「おかし」というキーワードを教えてもらったっけ。「お」は「押さない」。「か」は「かけない(走らない)」。「し」は「しゃべらない」だった。」
「そうなると、あわてないときの「ジュブナイル」ってのは・・・。」
とか考え、「ジュ」が「数珠」くらいしか思いつかず、いきなりジュブナイらない方向性になってしまったり、するかもしれないし、しないかもしれない。
この文面のとりとめのなさからもわかるように、文字が少なく、どうにでもとれるものは、楽なのだ。
また、何も考えなくて済む話も、楽だろう。
「ラサールいしい→リシーレうすう」
これは、ずいぶん昔、逸見さんが出ていた頃の平成教育委員会で出題されたような気がする問題の回答例だ。
それは暗号の問題で、ミソは「50音でいうところの次の文字に置き換える」という点。
例えば「ラ」について考えると「ラリルレロ」で「ラ」の次ということで「リ」となる。
そのようにしてできた「リシーレうすう」。
のぞまれずに誕生した、かわいそうなクリーチャーだ。
また、くどすぎるような、確実にいらない説明も、ポイント。
さらに「ラサールいしい→リシーレうすう」の形態美も映える。
やじるしが、なかなか重要な任務を与えられている。
それに、なにかっこでくくられてんだ。
かっこで。
このリシーレのように、万人に影響を与えない話というものも、いろいろ考えずにすむので、楽といえば楽。
※ちなみに、万人に影響を与えないとはいえ、おそらくラサール石井には、少しは影響を与えるかもしれない。
だが、僕は日常生活においてラサール石井を見たことがないし、ニアピンもなかっただろう。
よって、これからも僕とラサール石井間における相互作用はないと思われる。
こんな感じで、あまり楽できなかった。
そういえば今日の話は、どちらかといえば後者に属するね。

長耳

サザエさんが喉に物を詰まらせたときに発する音を「んがんぐ」と表現した人はなかなかのなにかの持ち主だ。
しかしあの音は、僕には「うーわってんとん」としか聞こえない。
何故、文字数が倍も違うのだろう。
思うに、
・鼓膜に到達するまでの道が二手に分かれており、その先に鼓膜が別々にある。
・耳小骨が6個。
・蝸牛(三半規管の絵のくるくる部分)が、人より多く回っている。
・リンパ液がすごくゆるい。
・シュレックみたくなっている。
・入り組んだ外耳。
・耳がぱたって閉じる。
・鼓膜の先にまた鼓膜があり、伝言ゲームのようになってしまう。
・耳の中の小さな人が、入ってきた言葉を翻訳してくれている。
・本当に「うーわってんとん」と言っている(台本にもある)。
のどれかだ。
台本にはどのように書いてあったのだろう。
「うーわってんとん」と書いてあったなら、「んがんぐ」と聞こえた人はだいぶリンパ液が濃いはずだ。
気になる。
ちなみに耳小骨6個はなんとなく「つち、きぬた、あぶみ、みそら、ぎぎ、ふらむ」とかいう感じ。

おまえって、思ったより濃厚。

この世には、生きるスタンスとして「自分みたいなもんが」精神を持つ人が、少なからずいる。
むしろ多い。
そんな人は、月へ。
月の重力は地球より弱くて、大気というものを形成する力がほとんどない。
重力自体はあるので、大気とは呼べないにしろ、いくらかの分子は漂っているらしい。
でも、とにかく地球のそれよりはだいぶ希薄だ。
そこなら、周りよりだいぶ濃厚である自分の存在意義を見つけることができるかもしれない。
まずは「自分みたいなもんが、月へなんて・・・」を克服しよう。
諸問題は、それからだ。

絶対強度

「今度、絶対に、鏡の中の自分と、違うことやってみせるから!!。」
寸分たがわぬ同じっぷりでした・・・。
このとき、セリフ中の「絶対」は、僕たちの知っている「絶対」ではなくなってしまいました。
言葉「絶対」の強度は、その人の言葉を発する力(舌の筋力とあごの強度、声帯のふるえ具合とか)との和にほぼ等しいのです。
例の場合、「鏡の中の自分と違うことをする力」は、彼の舌の筋力とあごの強度、声帯のふるえ具合の和を上回ってしまったのです。
オペラ歌手などは、鏡の中の自分とは違う動きができるかも。

あと3回は使いたい言葉。

囲碁というものの遊び方を、僕はほとんど知らない。
オセロの仲間程度に思っていたが、誰かに聞いたところ、何か分からな
いけど囲んで倒す、というゲームなのだそうだ。
このまえ、電車内でサッカー少年達に囲まれてしまった。
やつらはたいがい大きなバッグを所持しているので、それが邪魔になり、逃げるに逃げられない。
囲碁というものの遊び方を、僕はほとんど知らないが、黒い敵に囲まれた白い碁石は、こんな心境なのだろうか。
四面楚歌。
四方から聞こえてくるのは歌ではなく、「たけしのスパイク」やら「他校生徒の足の速さ」やら「Jリーグ」やら。
気分はすっかり、サムライブルーである。

結社の揺るがない宣言

下水道用のマンホールをよく見ると、「汚」という字を丸で囲った表記が見られるだろう。
マンホールとはいえ、あんまりではないだろうか。
でも、分かりやすい。
この分かりやすさを他のものに採用してみると、例えば、丸に「電」だと何かケーブル的なものが通っているところなんだと想像できる。
丸に「車」だと、トンネルに通じていそうである。
丸に「バツ」だと、地下に警察署でもあるのか、と疑える。
丸に「穴」だと、そんなことは分かってるよ!!、と言える。
丸に「丸」だと、よかったよかった、と思える。
丸に「ゴーストの絵」だと、なんだ、ゴーストバスタれてないじゃないか、と思い電話する。
丸に「秘」だと、あぁ、やっぱり日本にもそういう地下結社があるんだなぁと、感慨にふけることが出来る。
そして、今ここに、丸「楽」を記すこととしよう。
おやすみなさい。

ついてないらしいよ。

「どんなに勧誘の人に声をかけられてもいいが、マクレーン警部補だけには声をかけられるな。」
ろくなことにはならない。
「No」などと言うような状況にしてはならない。
というのをいつか書こうと思っていたら、ダイハードの4が今度やるらしい。
時事的な話題は避けるのが当ブログの考え方なのだが、そうも言っていられない眠たさだ。
その証拠に、みてごらん。
今日の内容は、これで終わりみたいだ。

正しさニッチ

俺は正解なんて、ひとつも知らない。
だが、間違いは知っている。
例えば暇なとき、電話を誰にかけるかなんてものに、正解はない。
だが、電話自体に話しかけるのは、間違っている。
だって、電話はレスポンスないだろ?。
どこの国の主張が正しいかなんて、知らない。
だが、多くの人を傷つける行為が間違いだってことは、知っている。
だって、自分に置き換えてみたら、当たり前だろ?。
週刊誌に載っていることが全て正しいかなんて、知らない。
だが、子供向け週刊誌「そーなんだ!」の、以前やっていたCMで「そーなんだ!」と言っていた女の子の、はきはきし過ぎた笑顔は、間違っている。
だって、はきはきし過ぎた笑顔の子供は、ちょっと背景を考えさせすぎだろ?。
・・・あぁ、もちろん。
最後に取り上げた話題のセレクションが間違っているなんてことは、既に把握済みだ。

耐える

生徒「先生、何で国語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?。」
先生「しりとりで「る」ばかりを返されても、5ターンは耐えられるようにするためだ。」
追記
しりとりで「る」が出されたとき、「流布」とか「流刑地」とか出たら、しりとりをやめるいい機会だと思う。