いつだったか、「ガメラ」は「ワニガメ」という大きいカメをモデルにしたという話を聞いたことがある。
本当かどうかはわからないが、確かにワニガメは角張っていていかつく、大怪獣のようにも見える。
似たような話は他にもあり、例えば山手線は粒子加速器をモデルにしていて、より速くみたいなことを意識していた。
犬の多くはオオカミがモデルなのは良く知られているけど、そのオオカミのモデルがイーヌーなのは、あまり知られていない。
昔はイーヌーがたくさんいて、すぐに腱を狙ってきて困ったけど、今は全然見かけない。
そういえば、この世で一番モデルになっているものを知っているかい。
ハンガーなんだ。
有名なのはヌンチャクで、あれはハンガーから生まれた。
ハンガーにスーツを掛けようとしたとき、それを落としそうになったのを懸命に落とすまいとした行動の結果なんだ。
また、ブーメランもハンガーから生まれているね。
あれも、落としそうになったのを懸命に落とすまいとした行動の結果だ。
外骨格もハンガーだね。
あれはハンガーをぎゅってやってごちゃーってした結果だ。
あとは相模湾とかもだね。
もうあれ、ハンガーまんまなんだから。
モデル過ぎるよ。
ちなみに、特定保健用食品のマークは僕がモデルらしいよ。
投稿者: nimbus7942
ネーミングライツ
例えばマスクに対してネーミングライツ的なものが採用されたとすると、それは「○○マスク」などとその名前だけではあまりにもこう、マスクの用途に対して失礼であり、やはりあのキャンパス。
マスク前面に大きく「SB」とか書けばより映える。
例はとりあえずソフトバンクで、とりあえず言いたいことは言った。
マスク前面に何か書くことはないのかということ。
往年のおもしろ系のものとして「VOW」というものがあり、そこには確かマスクに絵の書いてある商品が。
まあVOWに取り上げられているわけだから、少々装着にためらわれるものだった。
だがそれは、多分に人を笑かそうという悪しき意思が見え隠れしており、それが結果的にVOWカテゴリに所属する原因となっていたのである。
冒頭のSBであれば、面白いどうこう以前に「ああソフトバンクの広告だ」と思わせることが出来るだろう。
広告料のおかげで、単価を下げることも可能かもしれない。
JALでもいい。
いろいろ書けそうだ。
そのままJALでもいいし、滑走路から飛び立つ飛行機でもいい。
ただ、「いい」ということにだけ着目すれば、「血がにじんでいる」のは秀逸だ。
マスクににじむくらいだから、結構な量。
「マスクよりも先にやることがあるはずだ」
見ている人にそう思わせる力がハンパない。
ただ、これを冒頭の考え方にあわせようとすると、どうだ。
「血のにじむことが宣伝になる」
保険会社とか?。
グッドデザイン
本日のディスカッション
「のほう」というものについて
========
中略
<ピーチティを選んだ時点でぶりっこもいいところだ>
========
「のほう、ってのはどういうことですか?」
「じゃないほう芸人ってあるでしょ。あれだよ」
「で、それでどんなディスカッションになるんですか」
「こないだ友達がさ」
「バーバパパの気持ち悪くないほう、って言ってさ。困っちゃって」
「というと?」
「ほら、たいてい「~のほう」ってなると考えることは2つで、そのどちらかってなるじゃん」
「けど、バーバパパは全員気持ち悪いから、気持ち悪くないほうって言われても困っちゃったんだよ」
「確かに、「のほう」で考えられることがたくさんあると分かんなくなりそうですね」
「タイガースの、きぐるみ着てないほう」
「それは分かりますね。着てるか着てないかの2つですから。ほとんどのタイガースがそれに当たりますね」
「ゴレンジャーの、色違いのほう」
「これはわからない。みんな色も、目のところもばらばらですから」
「バーバパパの、グッドデザイン賞を受賞してないほう」
「グッドデザイン賞を取ってたりするんですか?」
「バーバパパの、グッドデザイン賞を受賞しているほう」
「どちらがバーバパパにとって幸せなんでしょうかね」
「バーバパパの、正月におじいさんが、すおっすおって吸うほう」
「これは幸せじゃないうえに、加害者になる可能性もありますね」
あくびエクステンション
あくびを拡張してみよう。
あくび
↓
さとり
ちなみにあくびがさとりにまで拡張するには、以下の経緯がある。
あくび
↓
受動的深呼吸
↓
かみ殺し
↓
かみ殺しを突破するあくび
↓
ヒヒのものまね
↓
あごが外れて、一段階大きなものをくわえられるようになりました
↓
エアオペラ
↓
ごみいれ
↓
生体大気ろ過装置
↓
宇宙エーテル大パワー取り入れ
↓
宇宙エーテル大パワー+煩悩吐き出し
↓
さとり
さらに拡張してみる。
さとり
↓
なんかもう脂ののった肉とかいいですから
↓
あぶらとり紙いらず
↓
汚れ知らず
↓
シーツ替えず
↓
寝床変わらず
↓
寝床座禅
↓
「宇宙エーテル大パワーを取り入れたこともあったっけ」
↓
「マジカル頭脳パワーって番組、あったっけ」
↓
「マジカル頭脳パワーって俵孝太郎が出てるときくらいが一番面白かったな」
↓
生体大気ろ過による、煩悩取り入れ
↓
「夜、寺から街を望むと、その灯りに誘われている気がするんだ」
↓
夜王
以上をまとめて。
あくびを拡張してみると「ねむたそうな夜王」となり、夜王ってなんだっけというふうになりました。
わかりましたか?。
らんま3/2
昨日から。
【あらすじ】
「らんま1/2」の「1/2」を変えて遊ぶ。
一昨日:らんま1/144
昨日:らんま5/8、5/9
=====
今回は分子の大きいやつを考える。
「らんま29/6」
こういうのだ。
例えば「11/7」のように月日に収まる組み合わせの場合は、昨日提案したように、誕生日5月9日のように考えればいい。
しかし29/6だ。
割り切れもしねえ。
らんまはいったいどうなってしまったのだろうか。
少なくとも、このときのらんまは「水をかけたら女、お湯をかけたら男」のようなメリハリの効いた状態ではないだろう。
「いつもは6だが、このときはおよそ29のちからを発揮できていた」
「いつもは一人だが、このときはおよそ5人いた」
これあたりが一番しっくりくるだろうか。
あるいはやはりサイズか。
「いつもは6フィートだが、あのときは29フィートくらいあった」
どちらにせよ、らんまはいったいどうなってしまったのだろうか。
そして「余り」の存在だ。
商が1以上になるものだから割り算をしたくなるが、対象がらんまという人である以上、小数点は控えたい。
そうなると余りはどう考えればいいのか。
29/6だと、商が4、あまり5。
4倍、あるいは4人のらんまと、らんまに足りない何かが5くらい。
肉片か何かだろうか。
らんま2/2
昨日から。
【あらすじ】
「らんま1/2」の「1/2」を変えて遊ぶ。
昨日:らんま1/144
=====
5/8
5/9
一見似ている両者だが、前者はチップス、後者は昨日の日付である。
「らんま5/8」
「らんま5/9」
元々の意味を重んじるなら、らんまはなんらかの作用で5/8サイズに縮小してしまい、かつ誕生日が5月9日である、ということになる。
他にも考えられる。
らんまは5位だった。
欄間の修理日など。
しかし困るのが、「5/8」「5/9」が「らんま1/2」の「1/2」部分、すなわち「男もしくは女に変わるよ」という意味の「2」であり「1」である場合。
「らんま5/8」
昨日のように、8人の人格を持つ多重人格者なのだろうか。
いや、それなら「1/8」でいいじゃないか。
8人のうちの1人なのだから。
いや待てよ。
多重人格には、それぞれの人格の強さみたいなものがあるとか読んだことある。
「らんま5/8」はそのうちの5番目に強い人になっちゃっている状態のことともとらえられる。
また、実は「男か女かになる」という特徴は変わらないのだとしたら。
「5/8は男で、3/8は女」ということなのではないだろうか。
このときの「5/8」「3/8」が、何を意味するのかもちゃんと考える必要がある。
5/8は過半数を超えているから、それが「男」に割り当てられているのだとしたら、より男っぽいと解釈できる。
となると3/8は「女」で、女にはなるが、ちょっと足りない、と解釈できるか。
となると気になるのが「より男っぽい」「女にちょっと足りない」の「より」「ちょっと」の基準だ。
誰なんだ。
それはおそらく「4/8の男」「4/8の女」に他ならず、約分するとそれはまさしく「らんま1/2」であり、やっぱり「らんま1/2」がちょうどよかった割合だと、今一度確認できる。
それに、これらは何となく「8時半の男 宮田征典」を彷彿とさせ、いろいろ楽しい。
「それに」ってのもないですが。
次回、駄目そうな気もするが、分子の方が大きい場合をズームイン。
らんま1/2
パチンコ屋のポスターを見ていると、「らんま1/2」がはじっこに書いてあった。
あれ、なんで僕のパソコンは「はじっこ」が「恥じっこ」って出たかな・・・。
それはさておき、ずいぶん昔にやっていた「らんま1/2」。
そのタイトルは、この漫画で最も特徴的な「水をかぶると女性に、お湯をかぶると男性になる」というダイナミックな性転換を意味する「1/2」が目立つ。
確かにどの程度の量をかぶると転換するかとかも気になるが、目立つのならしょうがない。
「1/2」について考えよう。
1/144
5/9
5/8
身近にはさまざまな「1/2」的なものがある。
それを「らんま」で考えたとき、どうなるのだろうか。
・1/144
あまり得意ではないが、確かガンダムのプラモデルの縮小サイズはこんなだった。
144倍すればガンダムになるのだ、あれは。
なぜ12の自乗なのかはよくわからないが、考えてみよう「らんま1/144」。
まずプラモデルと同様、縮小サイズのことを言っているのだとしたら、らんまは将棋の駒みたいなもんであり、それはふけば飛ぶよなという例のジェネレーションギャップを恐れない手法ということで、内容は冒険漫画になるだろう。
また見方を変えれば「日本家屋プラモデル1/144」の「欄間部品」のことであるともとらえられそうだ。
一方、「らんま1/2」の意味の方だとしたら、一時期はやった多重人格者関連のノンフィクション。
やたら多いが、なんとなく12の自乗というのも、多重な人格を管理しやすそうだし。
次回、つづき。
ピレネ
人は挑戦する生き物であり、それは全ての人が一度は挑戦してみたある事柄で証明づけられる。
「まきぐその作製」
朝からこんなことは書きたくないのだ。
しかしどうも、人は一度は、作ろうとした経験を持つらしいのである。
アメリカにこんな逸話がある。
「おばあちゃん、なんでピレネはうまくできないの?」
「昔の人はうまく作っておったんじゃよ。でも、あまり高くすることができたものだから、神様が起こってその頂きに雷を落としてくずしてしまったんじゃ。それから、人がピレネを作ろうとしてもすぐくずれてしまうんじゃとさ」
まきぐそのことを「ピレネ」と呼ぶのは古来よりであるらしいから、なんとなく昔は高かったというのも間違いではなさそうだ。
え、「作ろうとした経験を持つ」あたりから信用ならない感じだって?。
おかしいなあ。
おかしいねえ。
ものことばについて。
その人は不意に目線をそらすと、どこからか椅子を持ってきて、おもむろに腰を下ろした。
「おもむろ」には楽しいところがたくさんだ。
まず、その意味は何となく「急に」っぽいが、実はそうでなく「ゆっくりと」。
漢字で書くと「徐に」と一文字におさまり。
そして「徐に」はやはり「じょに」と読んだ方が味、迫力ともに増す。
今ちょうど何作目かの「パイレーツオブカリビアン」のCMがやっていることも踏まえると、ここは「ジョニー」で行くのもいいかとも思うが、僕は、ジョニーのたぐいはほとんど知らない。
引き出しない。
じゃあ他にはあるのかと問われれば特になく、僕は疲れたから椅子に座りたい。
そう、椅子だ。
その人は不意に目線をそらすと、どこからか椅子を持ってきて、ゆっくりと腰を下ろしたんである。
その様子をみて、こう思ったんだった。
「ものことばってのもいいな」
花言葉というものがある。
説明はいらないだろう。
魚言葉というものがある。
これは吉田戦車の漫画にあったもので、それ以外の説明はいらないだろう。
まとめると「ものことば」というのは、説明はいらないだろう。
僕はその椅子を見て「お前には時間がかかる」という意味を見いだすことが出来た。
おそらく今月いちばんの勇気。
もしかしたら、もう「原文ママ」は触れるだけでやけどをしてしまう。
そんな危険なものになってしまったのかもしれない。
しかしそれは今まで多くの人の心に何かしらの影響を与え続けていたことの裏返しに他ならない。
読書中、唐突に現れる原文ママ。
「原文ママって、なに?」
僕はずいぶん長い間、なんとなく「もともとの文章があって、間違いがあったとしてもそのまま書いてますよ」を意味するものだとは認識していた。
しかしその曖昧なイメージを吹き飛ばすのが、やはり「ママ」だ。
なぜカタカナなんだ。
「原文のまま」でいいじゃないか。
なぜ出版社はかたくなに「原文ママ」をつらぬくんだ。
「今風にアレンジしました」でいいじゃないか。
なぜ変だったり、卑猥な文章に味があるとか、そういう発想になるんだ。
わざわざ変だった文章をさらすことないじゃないか。
なぜ人々は争いをやめないのだろうか。
多少のことは許し合えばいいじゃないか。
なぜ大便をするとき、それより前に小便が出てしまうんだ。
小便は次回のトイレタイムまで取っておきたいこともあるじゃないか。
(原文ママ)
なぜパパじゃなくて、ママなんだ。
「原文パパ」がいたっていいじゃないか。
(勇気)