Girl’s Side 2

昨日からの続き
【あらすじ】
ゲームにある「Girl’s Side」の良さそうなところをいろいろな物に付加してみる。
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例えば「電車 Girl’s Side」はどうだろう。
これは鉄道の好きな女の子のための隔月紙だと考えて、間違いない。
一方でJRのいくつかの路線で見られる「女性専用車両」のことであるとも言える。
このように、当たり前ではあるが「Girl’s Side」を付けて困る事はない。
むしろ楽しくなる。
「舞姫 Girl’s Side」
森鴎外の名作の新解釈版、登場である。
とはいえ、内容は「Girl’s Side」と銘打たないものと同様。
文学というものはどちらの視点からでも遜色ない感銘を与えてくれるはずである。
「サーロインステーキ Girl’s Side」
おそらく、肉は赤身で気持ち小ぶり。
そのかわり小鉢が8つ付いてくる感じである。
「ガンダムAGE Girl’s Side」
えっ、その方向転換は功を奏すの?という感じだが、実は一度もガンダムAGEを見た事ないので、みんなはどんどん見てもらいたい。
「スパイ Girl’s Side」
簡単に言うとボンドガールが活躍するものである。
ヘタレな男性スパイと組むはめになったボンドガールが、彼を叱咤激励する。
そんな展開が10分おき。
「たこやき Girl’s Side」
タコのかわりにプチトマトやミニキャベツを入れ、オリーブオイルで焼くに違いない。
あれ、結構本当にいけそうじゃないか。
「にんげんだもの Girl’s Side」
せっかくの人類全般を賛美する言葉なのであるが、あえてGirl’s Sideとしたことで女性の人間らしさを再度考えてみようという運動。
さて、私たちはもうひとつの事柄に目を向けなければならないが、それをここまで先送りにしてきた。
「Boy’s Side」である。
あまり見かけない。
それは実際に必要なかった場合もあり、意図せずとも結果的には「男尊女卑」の一端を示す事例として挙げられる場合もあるやもしれない。
しかし、とりあえずの「Boy’s Side」。
考えてみよう。
例えば「にんげんだもの Boy’s Side」。
おそらく飲み屋なのではないだろうか。
非常に残念ながら「Boy’s Side」という言葉から得られるイメージの程度は低くなりがちである。
くやしいが、ほぼ「R-18」と同義である気がする。
でも考えてみる。
明日。

Girl’s Side 1

Girl’s Sideとと言うと「ときめきメモリアル」というゲームが思い浮かばれる。
もともとは女子との仮想恋愛な内容だったものに対して、男性との仮想恋愛を取り上げているのだろう。
確かに、テレビゲームをたしなむのは男子が多く、そのイメージも強いような気がする。
ゆえの「Girl’s Side」明記なわけだろうが、例えばこれはどうだろう。
「ストリートファイター Girl’s Side」
もちろん普通にストリートファイターをやっている女子もいるだろうが、僕が考えるにそのゲームは彼女達を特別に指したものではない。
・操作性が初心者にもわかりやすい
・操作するためのレバーの玉が少し小さい
・勝利するとMOCO’Sキッチンのレシピが印刷されて出てくる
・登場人物が全てKAT-TUNになっている
・強力なライトが備えられた筐体で、ゲーム中の表情を陰影なく撮影してくれる
・リュウと春麗が!!
・リュウとケンが!!
・ガイルとベガが!!
・亀梨和也と田中聖が!!
このような列挙をすると、あるものは「Girl’s Side」に対するある種の偏見であるかのように捉えられそうだが、大丈夫。
既に存在している「ストリートファイター」も、高レベルな戦いで「リュウと春麗が!!」などと叫びたくなるようなシーンがよくある。
ともかく、本来誰に対しても開かれている事に対して「Girl’s Sideのいいところだけを付加する」というのは面白そうな気がしてきた。
明日。

割にあう2箱。

前にも触れたが、いちごポッキーについて。
これはいちごポッキーに関わらずポッキー状のお菓子すべてに言える事だが、あれは1本だとちょっとさみしい。
口の中が満たされない。
ということでいつも2本同時に食べるという癖がついてしまった。
いちごポッキーは一箱につき20本入っているから、結果的にポッキーは10ターンしか持たない。
ポッキーが10ターンというのは、例えば銭形平次で考えてみると、まだ小銭を投げていない。
黒幕も登場していない。
水死体も発見されていない。
冒頭の我が家シーンくらいだ。
あるいはピザでいうと、生地をくるくる回してない。
生地、こねてない。
注文取ってないくらいだ。
ということで僕はかならずいちごポッキーは2箱購入する事にしている。
これにより、15ターン目くらいから小銭が回り飛び、生地が宙を舞う。
そして最後の5ターンは、小銭が回り飛び続け、生地が宙を舞い続けるわけである。

自動洗浄

スカルプDの広告に、女性がシャンプーしている感じのものがあった。
なんか髪は濡れていないのに、頭のてっぺんに泡が大量に乗っかり、そこを手で優しくかいている感じ。
なぜ、髪が濡れていないのか。
こつ然と泡が頭に舞い降りたとしか思えない画像である。
風呂が嫌いな人間にとって、こつ然と泡が頭に舞い降りてくるのは一見朗報。
この場合は天啓とも取れるが、とにかく何やらいいことのような気もする。
しかし、風呂が嫌いな人は石けんやシャンプーを泡立てるのが嫌いなのではなく、あれが目に入るのが嫌なのである。
朗報ではない。
ただ、この画像を見ていたずらをしてみたくなった。
泡を用意して学校へおもむき、授業中に前の席の奴の頭に乗せてみるのである。
たいがいの人は泡のついた手を見て、なんだこれはと驚く。
しかし、一人くらいはいると思うのだ。
そのまま頭を洗い出しそうなやつが。
そのとき、授業中の理科の先生が叫ぶのだ。
あれが条件反射です。

まばたきも惜しいくらい。

花粉症の症状がひどく、眠っているときに目をこすってしまうようだ。
目覚めると、片方の目が腫れ上がっている。
不思議なのだが僕の場合、症状は体の左右、どちらかだけのことが多い。
目は片方だけかゆいし、鼻は片方だけつまる。
右利きだし、両目をつむって歩くと左側にだんだんと曲がっていく。
ごめん後半心情から。
とにかく、目がかゆいのはつらい。
目を閉じる、そのまぶたの動きが「かいている」ことになり、あとあと余計にかゆくなる。
ならばずっと閉じていたいところだが生活上そういうわけにもいかず、ではずっと開けていればいいというところだが健康上そういうわけにもいかない。
これがマジンガーZの「あしゅら男爵」なら、片方寝てるときに片方起きていればよく、目の乾燥も人外的な力でどうにかなりそうだ。
奇遇にも、僕の症状は左右どちらかだけだし。

百科のひとつ その2

昨日からの続き
【あらすじ】
ことわざって昔のギャグだったかも。
では、今のギャグはことわざとして伝えられるのか。
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流行語大賞というものがある。
詳しくないが、流行語を決め、何かの辞典にそれを載せるのではなかったか。
そして結構、決定した流行語はギャグ的なものであることが多いはず。
しかし昔の流行語大賞の発表シーンや辞典を見た時、我々はどう考えるだろう。
なつかしっ。
これだけではないだろうか。
昔はよかったんである。
昨日記載したように、娯楽。
少なくとも現在のような即効性と規模の点において、抜きん出た娯楽がなかったのだ。
昔の人は米のとぎ汁を飲んだだけで酔っぱらったという(※うそ)。
そんな金額の書かれていない小切手のような連中にとって、言葉遊びは後世へ伝える義務を決心するくらいのことだった。
しかし現在。
流行語は短い生涯を終え、なつかしっになる。
辞典に載ったのだとしたら、辞典というものは突き詰めるとたくさんの人のなつかしっを集めたものと言える。
「辞典は人の思い出です」
多くの取捨を通じて、あの厚さで足りているわけだから、記載物はすべて、生粋の思い出である。
これからはこころして五十音コーナーを眺めていきたい所存。

百科のひとつ その1

調べていないので何なのだが、ことわざというのは生まれた当時に流行っていたギャグなのではないかと思いついた。
例えば「猫に小判」は、江戸時代あたり。
寝ている猫の横に小判を添え、それを版画か何かで販売したところ、たいそうウケたのだろう。
「小判使えねーよ!!」
そう江戸っ子内部でもてはやされ、皆の記憶に残った。
そしてそれが今、あたかも語学の一片を担うかのように振る舞う「ことわざ」を形成するまた一つとなったのである。
昔はアミューズメントなこともあまりなかったのだろう。
ウケが今の常識とは比較にならないほどの規模になったし、長く続いたわけだ。
もしかしたら、あまりに面白いので後世に伝えようという向きもあったかもしれない。
ところで、栄枯盛衰。
ギャグというものは、いつかはウケなくなるのが一般的であり、ギャグはそういうものでなくてはならない。
ことわざはウケのスパンは長いが、それでもいつかは廃れると思われる。
また、それを待たずして将来、猫や犬が進化してきたときも廃止されていくだろう。
すなわち、動物が言語や文化を習得してきたら、ちょっと彼らに聞かせたくないことわざが多いからである。
上記の「猫に小判」に加え「犬も歩けば棒にあたる」「馬の耳に念仏」などは、そのころには動物虐待よりも重度の卑下を宿してしまうだろう。
では一方、今のギャグは今後ことわざになりえるのだろうか。
明日。

ゲームをしてきた。

お酒をよく飲む人には「休肝日」と銘打たれた日があるらしく、それは物言わぬ臓器肝臓をちょっとアルコールの分解作業から距離を置くようにしてあげようという魂胆らしい。
最近、これだというゲームがなく、ゲームを休んでいる状態だ。
僕は多くのゲームをしてきた。
おゆうぎ
受験
結婚
出産
増毛
還暦
ずり落ちたメガネを戻すため、素早くうなずく遊び
知らないおじいさんに向けて携帯を赤外線受信モードにする遊び
不特定多数が参加している風を想定した影ふみ
実に、僕は多くのゲームをしてきた。
だから少し、休む必要があるのだろう。

先入先出法

機会があって、ある絵本を読んでみた。
いやな癖なのだが、僕は本を読む時、最初に何刷のものであるかを確認する。
それで、これから読む本に対して態度が変わる訳ではない。
ただ、どれほど売れているのかによっては詰んだときの話題に一つにでもしようかという、ささやかな消費者気質である。
絵本も例外ではない。
裏表紙をめくってみると、気になる文言が。
「乱丁、落丁はお取り返します」
裏表紙をめくると、たいがいの本でお見かけする言葉。
しかし絵本である。
絵本の本編をめくってみると、やはり小さい子向け。
ちょっと本編と呼ぶには難しい。
脈絡の捉えづらいコンテンツが、1ページあたり1つ。
時間をかけて箸で切った卵の白身のように、そのつながりが見えない。
もし、この絵本に乱丁落丁があったなら、それに読者あるいは読者の親は気づく事ができるのだろうか。
それが気になったのである。
ページ数もふられていない。
そんな中、「1ページ目:もじゃもじゃ」「2ページ目:ぴかぴか」「3ページ目:えーんえーん」の「ぴかぴか」の順序が違っていたら。
なかったら。
その差異を見つけ出す事ができるのだろうか。
「もじゃもじゃよりも前にぴかぴかが来ているのはおかしい」
「もじゃもじゃのあとにえーんえーんはおかしい」
もちろん、おまえがおかしい。