メリー

実のところ、現在は2012年12月9日で、どうぶつの森ばかりやっている。
このゲームでは自分の作った町に住んでいる住人に対して、物を付加した手紙を送ることができる。
ゲームの中での時間が12月24日になったので、住人に「メリークリスマス」としたためた手紙に、プレゼントを付加して送ってみた。
そうすると、ある住人からこのような旨の返信が。
「みじかいないようのてがみ、ありがとう」
12月24日に「メリークリスマス」の手紙を見て、短い内容とはどういうことだろうか。
などとゲーム上の些細なツッコミどころをとやかく言うつもりはなく、ただ「メリークリスマス」を短くなくする方法はあるのだろうか。
それが気になった。
例えば「メリークリスマス、おめでとう」となったらどうだろう。
少なくとも、聞いたことがない。
「メリまして、クリスマそうございます」
もう少し長くなったが、これも無理に長くした程度のもので、いったい何なのか。
そもそもクリスマスは「おめでとう」なものか。
少なくとも、最近の僕にとっては「おめでとう」なものでは、決してない。

サウイフMONOニ ワタシハナリタイ

知らなかったのだが、最近は色付きのシャーペンの芯があるそうで、赤色の線を書いているその人は言った。
「ごめん、赤い線を消しちゃったら、消しゴムが赤くなっちゃった」
この、自己犠牲の模範となりそうな、宮沢賢治が書いていそうな事象をハタから聞いていて、僕は感心してしまった。
赤色だし!!。

JB

じじいよりばばあの方が強い。
そうメモがあったのだが、今となってはなぜそうなのか。
全く思い出せない。
なぜそう思ったのだろうか。
電車の中で空いた座席をじじいをはねのけて奪ったばばあを見たんだっけか。
アルファベット順だったか。
「ウォーリーを探せ」をやっているとき、ウォーリーよりも先に「じじいをなぐるばばあ」を発見したんだろうか。
一般的に、じじいは普通に生活しているが、ばばあはいざというときのために、1日10分程度、毒液に両手を浸している。
そんな話を聞いたのかもしれない。
結局のところ、どうしてそう思ったのかはわからないが、ひとつ言えるのは、我々はいずれどちらかになる、ということだ。

アルコールの分解しきれない夜。

最近感銘を受けたものは「ザ・ふぐ」というやつで、確かふぐ飼育の本のタイトルだった。
確かにふぐはかわいく、飼育できる機会があるのならやってみたい。
しかしそんなことよりも、「ザ・ふぐ」のいさぎよさには参る。
この本には他の魚のことなんてぜったいに掲載されておらず、何らかの理由でそんなことがあったとしても、それはふぐのえさのことだろう。
そんな絶対的なことが、たった3文字程度で表現できるとは。
もうフグはフグの命名者にヒレを向けて眠れない。

強襲

幸いにも、我々のほとんどは物理的な戦闘にさらされることがあまりない。
そのためか、いざというとき、自分がどのような行動を示すのか、わからない。
例えば、「はい、今あなた襲われてるよ!!」ということでそのときの動作、しぐさを考えてみるとどうだろう。
ポスターのボクサーのようにファイティングポーズをとるのだろうか。
あるいは防御姿勢をとるのだろうか。
それとも逃避行動?。
と、いろいろ考えてみたが、あまりにそれを試しにやってみようという気にはならない。
なんたって、今僕は襲われていないのである。
襲われてないのに逃避行動なんてとったら、隣の人がおもむろにファイティングポーズだったりしちゃうから。

赤石の地へゴー。

異論はあるかもしれないが、やはり「火星人はタコ状」の発想はすばらしい。
誰が最初に考えたんだ。
あるいは当時判明していた情報プラススパイスをかき混ぜたら、結果的にタコになったのだろうか。
どちらにせよ、あれはマツコデラックスの皮膚のひだから新種の寄生虫が発見されたり、劣勢だからと将棋盤をひっくり返したらマグネットが仕込まれていてめちゃくちゃにできなかったとか、そのような事例と同様あるいはそれ以上のインパクトがある。
だから、火星にはできるだけ早めに明石のタコを生きたまま送り込みたい。
どのくらい保つかわからない水槽内で鎮座するタコを想像し、我々は火星を見上げる楽しみが増えるから。

散歩している犬をよく観察していると、だいたい飼い主を引っ張っていく体で、かなりの率先ぶり。
お前にとってその先に、どんなに楽しみなことがあるのかとうらやましくもなるが、どうなのだろう。
あのとき、飼い主が手綱を手放したとしても、彼らはすぐそこの草むらなどに顔をつっこむだけなのではないだろうか。
それは一見、人間にとってよくわからない衝動。
だが、未知な場所への異常な執着ということなら、まあ。
ただ、例えば今の件のように、草むらに顔をつっこんだとして。
犬にとってどんなイベントが発生したら正解なのだろうか。
異性のにおいを感じ取れればいいのか。
エロ本が見つかったらいいのだろうか。
ハチに鼻先を刺されることだろうか。
どちらにせよ、そんなことをしている飼い主にとっての「正解のイベント」は、草むらから振り向いた犬の顔がぜんぜん知らない犬の顔だったりすることかな。

できるし、って。

魔法使いというものはなぜか「杖」を持っていることが多い。
呪物として必要なのかもしれないが、気になるのはその形状だ。
先端がもこもこしていたり、ぐねっていたりしている。
僕が思うに、あれは木というよりは、自然薯ではないだろうか。
ということで、魔法使いの爪のあいだには土がつまっているとみたが、いかがだろうか。
杖からエクトプラズムできるし。

落涙のチャンス。

先日行っためがね屋は低価格がウリで、確かに昔と比べたらこれでもかというくらい安い。
ちゃんと見えるのだろうかと心配になる。
ふらふら店内を歩いていると、「確かめてください」みたいなコーナーがあり、あるメガネを試着させようとしている。
レンズのコーティングのことか、老眼鏡のことか。
よくわからないが、気になったのは試着の効果を試すために置いてあった文庫本だ。
文庫本は、広告やテレビの字幕と比べても文字が小さい。
それを試着テストに用いるのは商品への自信のあらわれであるから問題ない。
気になったのはその文庫本が「人間失格」だったということだ。
試着して初めて見る文章が「恥の多い生涯を送って来ました」だったりするのである。
やっぱり低価格のめがねだ。
めがねをかけているのに、前がよく見えない。

茶飯事

「日常茶飯事」という言葉を見ていると、どうも一日というのは朝昼晩の食事とヤムチャ的なことが全てだと思えてくる。
要は食事ができ、おやつが食べられればその日に達成するべき事は済んでる。
あとは、どこかの係長かなにかのネクタイのバランスがおかしい程度の事柄。
言い換えればどうでもよい事であると言える。
昼ご飯をちゃんと食わないのがもったいなく思えてきた。
そして最近、僕はどこかの係長かなにかのネクタイのバランスの事ばかり考えている。