今日は、僕が日常生活において、出力を0にしている事柄のひとつに触れてみたいと思う。
ガンネタである。
このブログでは時たま触れるけど、あんまり広げません。
でも、自分からではないとはいえ、このブログ中に「パーフェクトズゴックキャノン」という言葉が複数出てきているので、触れないわけにはいかない。
ということで「パーフェクトズゴックキャノン(この場ではPZCと略してよいこととしよう)」の話。
ガンダムを知らない人でも、とりあえず「パーフェクト」で、「キャノン砲」がついてるような気がするのではないか。
実際そのとおりで、「ズゴック」というカニが二足歩行するようなロボットに、大砲やらベアクローやらビームやらツノやらがついた、パーフェクトなやつだ。
ちなみに彼(彼女)はアニメなどには登場していない。
むしろ、けっこうマイナー。
というか、「純正品」じゃない。
パーフェクトの名に反してカワイソウなロボでもある。
で、だ。
僕はコイツが大好きである。
古来より、人間は自分達より強大なものを崇め続けてきた。
例えば自然。
今でも大ピンチになるくらいだから、昔なんかは超ピンチ。
いろいろ具現化(物語なり彫刻なりで)して、「こんな気にしてるんスから、勘弁してくださいよー」とご機嫌をうかがったわけだ。
また、そういう怖いものに対して逆の発想、すなわち自然に対抗しうる力を持つ「神さま」も創造し、同様にご機嫌をうかがったはずだ。
ところで、人間が想像もつかないような力を持ったこれらを、どのように表現するか、というところで、みんな考えた。
でっかく作る。
いい。
硬いもので作る。
いい。
ツノ生やす。
いい。
とかいうのがどんどん連なって、「複数化」みたいなものが起きた。
剣をひとつ持たすよりはふたつ。
剣をふたつ持たすなら、手を増やす。
何でもかんでも増やしていって、完璧なさまを生み出す。
千手観音みたいのがやたらいたりするのも、手やら顔やらをたくさん持たせて、完璧な力を表現しようとしたのだろう。
マンダラも、ちっこい仏様がわんさかいる。
これも、しかり。
みうらじゅん氏が完璧であることも、うなずける。
もひとつ。
「ベヘモス」という、某FFで有名な怪獣がいる。
こいつの「ス」は、いわゆる複数形の意味を持っているというのをどこかで聞いたことがある。
複数の動物を集めたくらい大きいから、複数形にしちゃえ!!。
ということだったんだろう。
ちなみに、こいつ自身はカバやらなにやらではないかと言われたり、ヘタすると食われる運命でもあるのでカワイソウだ(PZCと同じ!!)。
でも、「バハムート」読みすると、かっこよさアップ。
そこにきて「PZC」。
たくさん強いのつけた。
これぞ、人間の営みの真髄を形とした、我らが崇めるべき「新しい神」と呼べなくもないか?。
・・・やっと、好きな理由にたどり着きました。
長かった・・・。
ちょっと、「PZC」が何なのか、忘れてしまいました。
それにしてもこの新しい神を創造した人。
ベースがズゴックって・・・。
センスシャープである。
投稿者: nimbus7942
アメンボ大学
空を飛ぶ方法。
まず、右足を上げる。
その次に、その右足が地面につく前に左足を上げる。
これを繰り返せばいい。
とかいうのをどこかなにかで見たことがあります。
2年くらい前までは時々やりましたが、あまりうまくいきませんでした。
ということで、今回はアメンボの話。
僕は、以前から「水生昆虫」という虫らしからぬ虫に注目していました。
しかし、アメンボは別。ピンと来ない。
ところが、最近になってアメンボのことを考えてみると、思いのほかいい体つきであることに気付いた。
アメンボの写真集「MINAMO」が出たら、立ち読みする。
とか考えていたら、何だか気になることが。
「アメンボは何を蹴っているのか」です。
確か、アメンボは足の先に毛が密集していて、その間の空気のおかげで水をはじく。
それに、調べてみると疎水性の分泌物も出てるとか。
水の表面張力をさらに利用できるわけ。
で、このことで浮くことはできるのですが、僕には「ちょーん」が分からない。
※「ちょーん」
「ちょーん」とは、捕まえようとしたりしたとき、アメンボが「ちょーん」と水面を移動することを指しています。
クラウチングでもスタンディングでもないスタート法ですが、とにかくあんなにも「ちょーん」とスタートできるのを見ると、何蹴ってんねん、と思うのです。
なんとなく、冒頭の話が思い出されたりしました。
まぁ、蹴ってるのは水面で、そこへんも表面張力で全て片付けられるのかも知れませんが、それでは面白くありません。
たぶん、彼は第三志望を蹴ってます。
蜜月の日々
過ぎ去りし日々よ。
コーヒーにブランデーを垂らした、ブルジョアな日々よ。
朝から全く喋らなくて、17時ごろにやっとその機会を得たのに、自分の音量が分からず、大声で「プレパラートだよ」と言ってしまった日よ。
そう。
もう、マヨネーズは調味料としての域を超え、手の届かぬところへ。
もう、えさに群れるハトは欲望のかたまりとしか見えない。
でも。
変わらぬものも。
「阿Q正伝」って、なに?。
おはじき
20世紀最高の哲学者ソファムステンは「人間」について、こう述べた。
「みなさんは、「世界」がどのようなものだと思っていますか?。
両手を広げた範囲?。
自分が住んでいる町?、国?。
ざらついた地球の表面?。
・・・なるほど。」
「では、「自分」がどこにいるかわかりますか?。
・・・そう、誰もがこのホテルの披露宴会場であると答えるでしょう。」
「みなさんは、自分が、この広い世界の中のひとつの国の、ある披露宴会場にいる、ということをおっしゃってるわけですね。」
「では、こう質問します。
「本当の自分」、はどこにいますか?。」
「どうですか?。
みなさんは、「こころのなか」、と考えたのではないでしょうか?。」
「では、「本当の自分」の世界は、どんなものでしょうか?。
この前、目の前の本を買いに来たのに、何だか表紙が予想だにしない萌え系で、なんとなくその周りの本を物色してしまっている自分に気付きました。
そのとき、わかったのです。」
「「本当の自分」はこころのなか。
すると、その世界というのは、私達自身の体です。
私達は、体という閉じた世界を持ち生まれるのです。
「閉じた」というのは、皮フという層により外界とは完全に遮断されているためです。
もちろん、本当の自分はそこから一歩も抜け出せません。
そして、そこから一回も出ることなく、一生を終えるのです。」
「よって、世界というものは、実は内なるものであって、最初に挙げていただいた「世界」は、むしろ虚空と言えましょう。
我々は、虚空を漂うガラス玉のようなものであるのではないでしょうか?。
泡のように生じたガラス玉の中にいて、あらゆるものの干渉を許されることなく、いつかはじける。
人間は、なんとも寂しい、完結型の生き物なのです。」
この話の直後、ソファムステンは新婦さんからキッチンスポンジを投げつけられるという、痛みリアクションのとりづらい反撃を受けた。
バックグラウンド
尾田「北木さん、今日もいませんね。」
柴野「・・・そうだな。」
尾田「今日の舞台も忙しいですよ。何だか、北木さんがいなくなったんで、最近は二人でやりくりしてますね。」
柴野「・・・そうだな。」
尾田「でも、不思議ですよ。今回のは、黒子が必要な場面が多いヤツなのに、なんでやりくりできるのかって。」
柴野「・・・。お前は若いから、一度だけ話を聞かせてやる。」
尾田「???」
柴野「黒子は、達人の域ともなると、本当に見えなくなる。」
尾田「またぁ。」
柴野「そして、さらに鍛錬されると、その存在も確認できないものとなるそうだ。」
尾田「北木さんがそうとでも?。」
柴野「・・・俺達の「札」が部屋の前にかけてあるだろ?。」
尾田「あぁ。個人名の書かれた。ひっくり返して、不在を表すやつですね。北木さんは「不在」でしたよ。」
柴野「あれが消えたとき、黒子は「そういう」存在になる。」
尾田「・・・それが本当だったら、そんな話は生まれないはずじゃないですか?。」
柴野「・・・そうだな。」
次の日、いつものようにかかっている2枚の札が、やけに殺風景に見える。
今日も、忙しくなりそうだ。
追記
黒子制度がわからないので、だいぶテキトー。
ブログ歌
【吉原炎上 ?ガラスばりの輪舞曲?】
全て nimbus7942
申し分ない その筋骨で
ドーバー海峡 横断部員
永久(とわ)に続かぬ 体だけれど
せまる病魔を ぶちかませ
今日はとっても 調子がいいんだ
同窓会に 出るまでは
ケーキの表面 蝋だらけ
調子のいい日が 続いたよ
奥ゆかしきは 森の緑と
シーツの白さ 看護士さん
今日もとっても 調子がいいんだ
同級生より 長生きを
「でも、ぼくだって最初はこんな人間じゃなかったんだ・・・
だって、そうだろ?
ぼくの、目を見てくれよ
必死だろ?
耳を動かそうとすると、ちょっと必死の形相になるんだ
いつ、動くのかなぁ・・・」
そんな時代も あったねと
話せる相手が 人以外
ロンリーウルフ ネオン街
背負った運命(さだめ)に 武者震い
晴れわたる空と わが地球
その青き光を 手に入れるまで
幕は明日まで閉まらない。
最近、寝る前にあったかい牛乳を飲むことにしている。
母親あたりにすすめられたかもしれない。
どこぞのもんたが言ってたかもしれない。
枕元に小さい老人が立ったかもしれない。
3つも「かもしれない」が続くと、その効力をまとめて、ひとつは断言できるかもしれない。
4つも、しかり。
枕元に立ったもんたは、僕に「寝る前にあったかい牛乳を飲むと、母親が「こいつまだ背のこと気にしてる!!」って思うよ。」と言ったのだ。
とにかく、牛乳を飲むと安眠が期待できるらしい。
だが元来、僕は牛乳が嫌いだ。
冷たくしてもいまいち清涼感が得られない。
なんともとらえどころのない飲み物だ。
それにしても、とにかく膜である。
あの、あっためると出現する、膜。
何ともいえない厚みの、膜。
喉のヘンなとこについたりすると気持ち悪い、膜。
でも、悲しいとき、いつも一緒だった、膜(膜)。
みんなと作った、カレーライス(カレーライス)。
今はじめて、昨日のブログとカブったことに、気付いた
(人生がいかに厳しいものかということに、気付いた)。
そんな僕らは、卒業します。
「では、ブログ歌、斉唱。」
三男は「おはぎ」で。
この間のカレー屋さんでは、つじあやのと双子なんじゃないかと思うくらいそっくりのメガネをかけた、店員さんがいた。
ちなみに三つ子の可能性もあり。
とはいえ別に盛り上がらないので、そこではものすごくめずらしそうに水を何杯も飲んでみた。
お客さん、店員さんは気付いてくれただろうか。
僕は盛り上がらなかったね。
だが、その意図は他にもある。
僕にとっては、店を出て全て終わりだが、お客さんや店員さんの誰かが「あそこの席のめがね、めちゃくちゃ水をめずらしそうに飲んでなかった?。」
というように気にしていたのであれば、意図を汲んでくれたと言える。
願わばその後、
・貯水率
・海で遭難
・乾季
・ジャミラ
などの話に派生するとすてきだ。
それにしても福神漬け。
だいぶ最近にも書いた気がするけど、どうもカレーにヤツは合わないと思う。
でも、かなりのところでは、カレーの隣にしたり顔で鎮座している。
あぁ・・・。
特に!!。
特に、カレーとちょっと混ざっちゃってるヤツもいたりする!!。
ゆ、許さないんだから!!。
ちょっとかわいく言ってみた。
とにかく、カレーと福神漬けの関係をみなさんも見直してほしいのである。
そうしないと、今回のブログの感嘆符たちがかわいそうだ。
ということで、そこのカレー屋さんでも、おしゃれ小皿に福神漬けを付けてくれたのだが、ノータッチ。
最近のザ・たっちも、ノーたっちにならないように気をつけること。
もうそろそろ、三男を登場させるべきだ。
いたらね。
無脊椎の節操
浮気をしていたのが、ばれた。
愛人と歩いているところを、ひろ子に見られたのだ。
ひろ子の目の色が変わった。
攻撃色の赤に。
流行は、春のように。
ほえーん。
ぶふっ。
出た。
「ほえーん」。
「ほえーん」は僕がなんとなく「ふーん」と思ったときに口から出る、ジャスミンの香りのようなもの。
ちなみに「ぶふっ」は犬がよく言う。
今日、当ブログが表示される検索ワードを見ていたら「ロビンと100人の友達」が複数でした。
数は多くないけど、何かのメディアで取り上げられたのかな?。
前回のロビン話で、ガチャガチャを買うとかいうことを書きました。
吉祥寺には2箇所ほどロビンスポットがありまして、僕はよくゲーセンで1000円をくずして100円で何かゲームをし、その後ヴィレッジヴァンガードで3ガチャガチャします(300×3=900円!!)。
まぁ、何が言いたいかというと、この時、僕には本を買うかガチャガチャするかの葛藤があるわけ。
900円あれば、文庫本が2冊買える可能性があるのだ。
(ときどき、900円台という、度肝を抜く文庫が平積みされているけど)
そんな葛藤。
ロビンの勝ちなわけだこれが。
だって。
だって、友達が増えなくちゃ、不憫じゃあないか。
ロビンがフビン。
もう一度言う。
ロビンがフビン。
ちょっとアクセサリをつけてみる。
教師ろびんふびん物語(ちょっと早めに、流れるように言う)。
またひとつ、永遠に検索されない言葉を作ってしまった。
・・・
姉は、「ロビンはもうすぐ来る。いや、もう来ている。」と言っていました。
どんな風にだ?。