何の準備もなしに本屋に行くのは、少々危険だと思います。
「危険」というのは、別に自動ドアが開かないとか、狭い店内で迷子になるとか、買った本が包み状に包装されてしまい、自転車が片手運転になってしまう、ということではありません。
何を買うのか、あらかじめ決めておかないと店内ドリフターズになってしまうのです。
最近、よく本屋に行くのに、何も買わないことが多くなりました。
これでは、行かない方がましです。
行く理由は「何を買うのかを決める」ためであって、これは別に変な店訪問理由ではないでしょう。
そして、訪店(あるのか、この言葉)してみたら、あるんです、何か気になるタイトルの本だとか。
でも、買わない。
何故か食指が動かない。
誰だ、俺の食指に枷をはめたのは。
※枷を指輪に変えると、なにか感がアップします。
たぶん、時間だ。
本を読むには、時間がいるので「蚊や蝿などの不快害虫を寄せ付けない呼吸法」とかいうような、ズキューンとくるもの以外は読ませないように、体がしているんだろう。
ところで、これまた最近「買う本が決まっているのに、それを目の前にすると買いたくなくなる」というのが増えてきた。
「まあ、あるんだったら、いつでも買えるしな」と思ってしまい、買う意欲がなくなってしまう。
これはどうだろう。
いうなれば「クリア直前の、ラスボスの部屋前まで来て、レベル上げをしてしまう」心境に近いと思う。
しょうもなく、どうでもないが、少し美しい行為でもある。
投稿者: nimbus7942
封筒その3
昨日からのつづき。
【あらすじ】
こんなメールはいやだ。
・明らかに友達を装ってくる出会い系、を装ってくる。
・ほとんどアの段で構成されている。
・「うん」「だよね」のエンドレス。
・何故か、センテンスの一番上にのみ絵文字を持ってくる。
・質問の返答に対する質問が、返答メール作成中に来る。
・メールの送り主が、目の前でTVゲームをしている息子だ。
・詩を送信してくる。
・リーリーリーリーってなってる。
・伝えたい気持ちを階名表記してくる。
・自分の着うたの指定をしてくる。
・「わ」と「れ」のタイプ練習が行われている。
・縦読みを意識してくる。
・昨日までは違ったのに、TVでやってた「こういうメールは嫌われる」点を今日は確実にクリアしている。
・電話中にメールが着信すると、音声で電話に介入してきて、着信を知らせる。
・着信時のアイコンに、黒いふちどり。
・そのメールが来る前に、ケータイのアンテナが勝手に伸び始める。
・そのメールが来ると、ケータイがパクッてなる。
うーん。
日ごろメールをしないので、あんまり思いつかなかったなー。
みんな。
こういうメールは相手に迷惑になるし、あなたの子々孫々にまで影響を与えるから、するなよな。
封筒、終わり。
封筒その2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
こんな手紙はいやだ。
※封筒じゃなくなってしまいました。
・もう、封筒の中でガサガサいってる。
・何かが漏れている。
・銀のエンジェルが張ってある。
・やや巻物。
・焦げてる。
・飛行機を折った折り跡がついている。
・みっちり、ひらがなのみで書いてある。
・チラシの裏を利用している。
・毛がセロテープで張ってある。
・「毛在中」とある。
・封筒の素材が網戸。
・封を開けるところに、読めない梵語が書いてある。
・エイトフォーが散布されている。
・封がホッチキス。
・まだ暖かい。
・明らかに一度、封が空けられている痕跡がある。
・全ての漢字にルビ。
・切手のギザギザが綺麗に切り除かれている。
・真っ赤。
・宛名に「様々」と付け加えられている。
・何度も往復はがきで送ってくる。
・コースターの代わりにした跡がついている。
・切手をはがしてみると、裏に差出人の名前が書いてある。
・箇条書き。
・あぶり出しで書かれたらしいが、あぶらなくても読める。
・端に小さく「たらこっち」が書いてある。
・「わ」と「れ」の練習が行われている。
・スライスハム。
・明らかに配達用バイクのタイヤの跡がついている。
うーん。
テキトーな割には、たくさんかけた。
こういう感じのは、書くのが楽そうで、実際に楽なので、とてもいいと思います。
でも。
手紙という点で、もう古いな。
今はメールだ。
現代における「カミソリの入った封筒」は、メールだとどのようなものになるだろう。
ウイルスとかはありがちとして、どんなんなら「カミソリの入った封筒」並みのいやがらせを確保できるのか。
都合上、それ明日。
封筒その1
昔のドラマなどで「カミソリの入った封筒」というものが登場した。
いやがらせなどの目的で、相手に送るのだ。
このあいだ、開放骨折について書いていた時に思い出した。
そんなもの送られたら、さぞかしいやだろうな、と思ったけど、反面、あれで手を怪我することはあるのかな、と疑問に思った。
封筒を開けるとき、ハサミや手で封を開ける人は、大抵中身も一緒に破かないように、光に封筒を透かすと思う。
このときのカミソリの気持ちと言ったら、ない。
そして、この時点で相手をカミソリで傷つけるという目的は、達成されない。
(おそらく、カミソリを見つけた人は、その封筒を内側から開けるために、わざわざ入れてくれたんだなと感謝し、封筒を思いっきり、ひと振りするだろう)
また、透かさずに封を開けても、さらにその中のものを、封筒に手を突っ込んで探すような人でなくては、手負わせることはできないだろう。
やはり「カミソリの入った封筒」の目的は、いやがらせ以外のナニモノでもないのだ。
確かに封筒を振るとカミソリが出てきたら、精神的なダメージは大きい。
また、いやがらせの効力として十分なだけでなく、封筒がカミソリ分重いので「何かいいもの入っているんじゃないか」という期待との落差による追加ダメージも見込める。
いやだなぁ。
しかし、いやがらせが目的だとすると、相手を傷つけるかもしれないカミソリを用いていることは、ちょっとセンスない、とも思う。
次回
こんな手紙はいやだ。
ふるまい2つ。の3
「目の前でやってくれるんなら、そら見るけど、わざわざ見に行くのはなー。」
これが、5年ほど前の僕の考え方。
映画。
DVDで見たらええがな。
歌。
歌えばええがな。
劇。
いつも演じているがな。
こんなんだった。
では、5年後の今、僕はどうなのだろうか。
「中曽根元首相のソックリさん・クリスマスディナーショウ。」
「あのステラーカイギュウの胆石、日本初公開。」
「ドキュメンタリー映画・5円玉で五重塔を作る。」
このようなものを見るためなら、家族の誰かを病気に仕立てたり、質に入れたりするのだろうか。
実は、全然変わっていません。
むしろ「わざわざ見に行くかい」という気持ちは、もはや僕の中では不動のものになっている。
こいつはもう、揺るがない。
なので、とりあえず揺るがないものは横に置いといて、新規の気質を探したくなったのです。
「わざわざ並んでまで・・・」という気持ちを内在しながら、何かの順番を待つ。
結構いいもんです。
行ったら行ったで、面白いしね。
この気質を確実にモノにできたら、いつだって、僕はどのようなふるまいをするのだろうか。
楽しみだけど、たぶん日和見感炸裂。
ふるまい2つ。の2
客席もほぼ埋まり、後は陽水氏(養命酒みたいだ)が出てくるのを待つのみだ。
騒がしい客席も、養命酒が出てくれば静まるだろう。
定時になり、大きな音でブザーが鳴る。
かなり長く。
「始まるから、お前ら静かにしろ」という意味だろう。
そんな中、前の席のおやじが、よほど何か喋りたいことがあるのか、ブザーに負けじと大声で何か言っている。
会場を静まらせるためのブザーに、あくまで対抗するおやじ。
ブザーはおやじに気付き、さらに音量を上げたいところだろう。
そして、伝えたい言葉を伝えたい相手に伝えるため、さらに声高らかなおやじ。
相乗効果である。
ブザーの大音量に混じって「若い人が少ない」旨の会話が聞き取れた。
「一役買っているお前が言うな。」は、ブザーの前に掻き消えた。
ふるまい2つ。
昨日、知らないおじさんの後ろに並んでいたら、近くで2人の男達が路上コントのようなものをやり始めた。
みんな集まれ的なことを叫んでいる。
並んでいるおじさんも、僕も、そちらに目がいく。
「はい、目を閉じてくださーい!!。」
人を集めといて目をつむれとは、どういうことだろうか。
「では今から、ドナルドダックの笑い声のマネをしまーす!!。」
そうか、マネするか。
と、次の瞬間、かなり驚かされた。
ドナルドダックのものまねを聞いた観客達が、予想以上の歓声をあげたのだ。
もちろん、ここで書きたいことは、ドナルドダックのマネがどうこうや、コントの出来などではない。
予想以上の歓声は、観客達の多くが、今までの人生の中でドナルドダックのマネをしたことがないことを示しているのだ。
僕が思うに、ドナルドダックをマネる能力の獲得には2つのステップが必要だと考えている。
1つ目は、ドナルドダックの声に触れることだ。
これは、油断さえしなければ、幼少期に経験済みとなるはず。
単にガーガー言うだけでなく、いかにも何か言ってそうな、怒ってそうな口調(?)は、僕らの脳裏に焼きつくはずだ。
2つ目は、声喩を口にすることだ。
これだって、たいていの人は「ワンワン」とか「キュイーン」とか「どーん」とか言っているはず。
好きな曲があれば、そのメロディーをも口に出してしまうムーディも多いだろう。
そして、口に出すからには本物の音に近づけたいというもの。
例えば、どーんと言う人は、
「あぁ、あれね、言うの?、あぁ、はいはい、どーん、と。ほら、ね・・・。」
とかいうよりは、
「ずごごごごごご、どぅどぉーーーーーん!!、じょふぁああああああ!!、ぎゃあぁぁぁぁ!!!、シィィィタァァァァァ!!!!!!」
とかのほうを目標としており、
「パズゥゥゥゥゥゥ!!!!!」となるはずだ。
この2ステップを学ぶシーンを逃さなければ、たいがいどこかのタイミングの「どーんリアル節練習中」において、「あれ、何かドナルドっぽくね」的な口の形と吐息の出し方が発見されるのである。
歓声をあげた人たちは、これらのステップのどちらか、もしくは両方を学ぶタイミングを逃したがゆえに、「自分には到底ドナルドは無理だよ」と思ってしまっている。
そんなことはない。
その気になれば、ドナルドはいけるはずだ。
並びながら、そんなことを思う。
ふと、前の背中に気付く。
おじさんはドナルドを聞きに来たのではない。
僕だってそうだ。
場所、NHKホール。
井上陽水コンサート会場だ。
指定その2
昨日からのつづき
【あらすじ】
「R指定」って、色んなところで使えそうだけど、疑問もあるな。
「R指定」への疑問点は、その指定が定数で区切っちゃっているところ。
年齢だ。
「R-18」なら18歳、「R-15」なら15歳未満だっけか。
「R-54T」ならかなりロボットっぽい。
「R-120」なら未来への先手打ち過ぎだし、かなり生きる気満々だ。
人間、10歳になったら全員さかあがりができるといった十把一絡げ的な性質は、ひとつも持っていないだろう。
だから、
「R-15」を見るに耐えうる精神を修行で得た10歳が「R-15」と書かれたゲームの前で「もー!!、もー!!!!!」と地団太を踏むのを、
家庭が複雑で、まぁ色々あって、「R-18」を経験できる、絶えず安定した精神状態を保持できる能力を獲得した12歳が「R-18」と指定された覚せい剤根絶キャンペーン映画のDVDを手にとって「もー!!、もー!!!!!」とハンカチを噛むのを考えたとき、
なんとなく不条理な気がするのだ。
ちなみに、後述の例では、いよいよ本格的に不条理な気がするのだ。
よって、「R指定」は定数で指定しないようにするといい。
「R親知らず期」
:一生お世話にならない人もいる。
「R反抗期」
:子供向け、親向けと用途が分かれるため、表記は
「R反抗期」と「R反抗期(親用)」に分ける。
(子用)と付けないのは、エチケット。
「R倦怠期」
:ある意味、だいぶ過激なものになりそうだ。
消費者は、期待する商品を手に入れられるだろう。
指定その1
「R指定」というものは、もっと色んな風に使えばいいと思う。
例えば、書店などではよく「中学生のあいだに読んでおきたい本」みたいなものがあるが、これには「逆R(アンチアール)」を仕掛ければいい。
「AR15指定」なら、16歳以上の人には売らない。
こうなれば、なんとなくでも15歳までには読んでおかなくちゃ、となるはずだ。
もちろん、ネットなどで「AR18指定のものを違法に配信する」ことなどが懸念されるが、おそらくそんなに問題にはならないんじゃないかと思う。
なぜなら、「R指定」では「もっと人生積み重ねなくちゃいけないのに、それを一足お先に」的な需要が存在するけど、「AR指定」ではそんな需要に相当するものがないから。
「へっへっへ。「ライ麦畑でつかまえて」を46歳でも読んじゃったよ?」
相手が「あぁ、よかったね・・・。」と悲しい笑みを浮かべるのが、目に見える。
でも、この「R」の指定ってのには、疑問点もある。
明日へつづく。
自我開放
幸運なことに、今まで僕は「骨折」というものを経験したことがない。
したいとも思わない。
やはり、痛いのだろう。
身近にも、骨折したい人はいないし、骨折したままにしている人もいない。
ところで骨折は、患部がたいへんなことになっているか、たいへんなことになっていないかで分類されることをご存知だろうか。
・閉鎖骨折:骨出てない
・開放骨折:骨出てる
※「患部がたいへんなことに・・・」と、明確な文章を書かずに申し訳ないが、それは、いきなり「骨出てる」とかいうのはちと衝撃的すぎるか、と考慮したためである。
やはりいじりやすいのは「開放骨折」、しかも「骨折して、その骨が皮膚を突き破る」ケースである。
本来、皮膚は外から闖入者が入らないようにしている組織のはずだ。
だから、内側から刺される、しかも自分の組織に、となると、寝耳に水に違いない。
「皮長!!、内側から刺傷が発生しました!!」
皮長は骨たちのことを間者とののしるに違いない。
一方、骨のほうは骨の方で、すでに割れてしまっている。
もう、大ピンチである。
しかも、骨は感染症に弱いとのことだ。
なんとしても体内へ引きこもっておきたいところ。
でも、皮が。
皮のやつらが。
骨が開放していくのを止めることができなかったのである。
開放骨折は、このような展開により、骨と皮の確執という、なんとなくスネ夫を思い出さずにはいられない問題を引き起こすのである。
幸運なことに、今まで僕は「骨折」というものを経験したことがない。
もし骨折してしまって、それが開放骨折だったりしてしまったら、僕はこの諸問題を思い出し、痛みを少しでも忘れようと思っている。