ということで「落石注意」についてである。
この指標を見て「何に気をつければいいんだ・・・」といぶかしげる(?)人の話は多い。
もちろんそのとおりでこの事柄。
我々ができることと言えば、どちらかというと「落石が起きた後」のことであり、その点「落石準備」のほうが適切な気もするが、それでは何かショッカーのやりそうな、悪いことをするように聞こえてしまうため、適切じゃありませんでした。
先日「警察24」的な番組で、盗撮被害にあわれた方に対して、男性の私服警官が証拠品を確認してもらっていたのを見てびびったのだが、まあそれはいいとして、そこで気になるのが、彼が被害者にかけるだろう一言である。
「これからは気をつけてください」
これ、冒頭の「落石注意」とは似ていないだろうか。
被害者は何に気をつければいいのだろうか。
あやしい動きを見せる背広男に接近しないようにするのか。
それとも、ミニスカを自粛しろということなのだろうか。
見せパンをヒッキー北風のようにはきまくれというのか。
ただ、私服警官としてもそのくらいしか言えないのである。
「おまえはミニスカに合わないから、着用すな」
犯罪の未然防止の観点と、被害者へのまごころから生まれたことばだとしても、怒られる。
話を戻す。
今回「落石注意」といわれて、何していいか、分からないよ!!。
でも、やれることならやっとくよ!!、を考える。
次回に。
追記
ヒッキー北風さんのことを、すごく調べた。
投稿者: nimbus7942
代名詞
「いか焼きは夏まつりの代名詞である」
異論があるかもしれないが、ここではとりあえず「代名詞」ということばについて、である。
さて、僕が気づいてることとして、この「代名詞」と同じような意味を持つことばはあとひとつ、ある。
「風物詩」
上記の例文を書き換えてみると、「いか焼きは夏まつりの風物詩である」。
ちょっと変だが、間違っていることはなかろう。
というか、むしろ「代名詞」のときよりも、なんだか風情が出てきた。
辞書を見てみるとその辺、書かれているようなので、気になる方は調べていただきたい。
風物詩は「季節」をよくあらわさなくてはならないらしいのだ。
それにしても「代名詞」のかたくるしさ。
「風物詩」のほうの、なんとなく「ハチミツとクローバー」的なものに比べて強固で、かわいげがない。
もちろんこの2つは使い分けされるべきことばであるが、「代名詞」の融通の利かなさを考えると、何でも「風物詩」でいきたくもなるところである。
「観覧車はお台場の風物詩である」
「伊集院光は「かしこデブ」の風物詩である」
「松井はゴジラの風物詩である」
「川相は犠打の風物詩である」
さりげなく違うものを混ぜ込んでしまったが、まあいいだろう。
「代名詞」だったときとは違い、それぞれ風情やら伝統が出て、大変よい。
何の風情、伝統かは不明だが。
まあ、こんな感じでレンゲソウの群生する広場のようなことばを味わっていきたいところである。
と、ここでもうひとつ、「代名詞」「風物詩」の仲間として触れなくてはならないものが出てきた。
「ホームラン王」
少々古いが「お菓子のホームラン王」のアレである。
だが、どこかで先にナボナに触れられてしまって、また本ブログでも触れたことがあったことを思い出して、なんとなく書かないでいた。
が、やってみよう。
「観覧車はお台場のホームラン王である」
「伊集院光は「かしこデブ」のホームラン王である」
「松井はゴジラのホームラン王である」
「川相は犠打のホームラン王である」
ほら。
違うものを混ぜ込んだかいが、そこそこあったというもの。
本当につまらないものですが
昨日から。
【あらすじ】
「ヤクルトいかがですかー」をサイエンスする。
例
「ヤクルトいかがですかー」
↓
「ヤクルトのおいしさ、忘れていませんかー」
=====
もっと積極的に、かつ相手に失礼のないように、ヤクルトをすすめてみる。
「ヤクルトいかがですかー」
↓
「ヤクルトたちと遊んでみませんかー」
生きて腸内に、というアレである。
そのことが遊んでいることになるのかは定かではないが、まあいいだろう。
残業のお父さんが、昼間の販売員さんのことばを思い出し、つぶやく。
「たまには、ヤクルトたちと遊んでみるか・・・」
ほのぼのである。
次。
「ヤクルトいかがですかー」
↓
「ご家族、無事ですかー」
少し怖いが、言っている人がヤクルト販売員であることで、その意図はむしろ「ヤクルトで家族全員を気遣ってくれている」ということが言える。と思う。
残業のお父さんが、あわてて家に電話し、けだるそうな妻の声を聞く。
そして「たまには、ヤクルトでも買って帰るか・・・」
ほのぼのである。
次。
「ヤクルトいかがですかー」
↓
「ノッポさん、待たせていませんかー」
いつぞやも書いたが、ヤクルトの容器は工作に有用なのであり、そういうことなのである。
だから、必要なときに限って無い、というのは避けたい。
いつだって、洗った容器が炊事場付近にあってほしいのである。
次。
「ヤクルトいかがですかー」
↓
「ヤクルトですかー」
何気に名コピーと思っているが、どうだろうか。
以上、つまらなく終わり。
つまらないものですが
もういくつ、「つまらないものですが」という言葉に対してツッコミを入れたことがらを目の当たりにしてきただろうか。
まあ日常的な言葉だが、その謙遜ぶりと「つまらないものを相手に送るのかよ」という美しいほどに明瞭な返しができるため、「日々の生活を違う角度で見てみたら」という考えを述べる上で恰好の例題となるのだ。
誰なんだ、俺は。
ところで、先程すれ違ったヤクルト販売員さんの「ヤクルトいかがですかー」は、こうなる必要があるだろうか。
「つまらないものいかがですかー」
必要はない。
いや、ヤクルトのことではなくて、言い方のほう。
いまだ日本が謙遜主義国家だとしても、ここまでいう必要はない。
というかこの場合、もっと積極的にヤクルトしていいと思う。
「ヤクルトいかがですかー」
弱い。
おまえ達は、ヤクルトに絶大な自信を持っているのだろう。
ヤクルトでみんなを健康にさせたいのだろう。謙遜も度が過ぎると、ど謙遜になるぞ。
と、怒ってばかりでは士気も上がるまい。
まずはこういうの、どうだろうか。
「ヤクルトいかがですかー」
↓
「みなさん、ヤクルトいかがですかー」
「ヤクルトいかがですかー」では道行く人のほかに犬猫、植物、アスファルトなど、森羅万象にヤクルトをすすめていることになり、曖昧である。
そこで「みなさん」を付けることにより、ターゲットをヒトに限定するのである。
また、同様の理由により「鈴木さん、ヤクルトいかがですかー」も、悪くはないだろう。
たぶん。
次。
「ヤクルトいかがですかー」
↓
「ヤクルトのおいしさ、忘れていませんかー」
かなり積極的ないかかですかである。
あたかも相手のほうに非があるように言い、飲んでいただく試算だ。
うそも方便。
本当においしさを忘れていたかもしれないが、それでも顧客に非のあるように見せる販売員の罪悪感による苦悩を考えると、辛いものがある。
長いので次回に続こうと思う。
苦節四半世紀
たかし7歳
たかし「おじさん!!、僕の離した風船を取ってくれようとしたのはうれしいけど、手の届かなかったからって銃で撃つことないじゃないか!!」
おじさん「あきらめやすいと思ってのことだ」
たかし「ファイナルバスターで、死んじゃえ!!」
たかし15歳
たかし「おじさん!!、勝手に部屋に入って、隠してたエロ本を机の上に置くなんて、ひどいじゃないか!!」
おじさん「何らかのアピールになると思ってのことだ」
たかし「ファイナルバスターを食らえ!!」
たかし32歳
「もうほんと、おじさんにすすめられて結婚したけど、家族を持ってわかったのは、家族を養う大変さと、YesNoまくらの意味だけだったよ!!」
おじさん「よかったじゃないか」
たかし「覚悟は、できているな?」
たかしの母「たかし、やっと技をマスターしたのね」
たかしの父「おじさんも草葉の陰から喜んでいるぞ」
もろ
いつでも恋人が出来てしまうスポーツって、なーんだ?はい「つき合ってる」ということでフェンシングです。
なんとなく思い付いたなぞなぞだが、まあよく出来ているのでどこかで見たのかもしれない。
ところで、適当に挙げた割には考えさせられる点がいくつかあることに気がついた。
まず、「つく」ことが含まれているスポーツについて。
僕はフェンシングくらいしか思い付かなかったが、モロ「つき」というのがある剣道や、組稽古で正拳突き?みたいのをやっていさげな空手など、つき合いたい人必突なスポーツもある。
ただ、剣道のそれはフェンシングに比べて頻度が低く、「私たち、本当につき合ってるの?」と不安になりそうだ。
また、空手で「つき合っている」というのは、なにやらなぞなぞのほのぼのイメージを払拭するくらいの殺戮イメージがある、気がする。
血生臭い。
・・・あれ?。
俺、「モロ」って言葉使うの、久しくね?。
次は、なぞなぞによく見られる「なーんだ」について。
なんだこの、にくらしい言い方は。
とっても「知るか」と言いたくなる。
「今日のぼくの朝食、なーんだ」
この問い掛けに反応してあげる人は、ほぼこの男に弱みを握られていると考えて間違いない。
なんて頭にくる「なーんだ」なんだ。
「前はシルベスター、後ろはスタローン。これなーんだ」
お、これの回答はなかなか考えさせられるな。
「知るか」や無視もありだが、なにか相手の裏をかきたいな、と相手に思わせやすい気がする。
回答として、今の気持ちとしては松島トモ子がいいか。
さっきまでは「あれ、肩に毛玉ついてるよ」だったけど。
パズル
マッチ棒を使ったパズルのことを考えると楽しい。
「ここにマッチ棒を並べて作った正方形がひとつあります。これにマッチ棒を2本追加して、正方形をふたつにしてください」
こういったやつだ。
こうなると、当然「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を2本追加して、東京タワーにしてください」みたいなことが予想できる。
もちろんできるかい、という雰囲気になるが、これに手を加えて「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を50本追加して、東京タワーにしてください」となると、ぎりぎりいけるんじゃないかということになる。
「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を2000本追加して、ピサの斜塔にしてください」とかなると、出題者はどれほど精巧なピサの斜塔モデルを要求しているんだ、となるし、元々の正方形はいったい何だったのか、ということにもなる。
さらに「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を50万本追加して、モアイにしてください」となると、出題者は本気でモノを拝みたいと思っていると考えられそうである。
ということは「このマッチ棒の正方形に、マッチ棒を5億本追加して、グランドキャニオンにしてください」となると、その解答は「マッチが足りません」となるだろう。
逆に、「このマッチ棒の正方形に火をともして、暖をとってください」となると、そういうことを出題者に指図される覚えはないと憤る人もいるだろうし、そうですかそうですねという人もいるだろう。
逆に、ということでもないが。
「このマッチ棒の正方形に、生ジョッキ人数分を追加して、場を盛り上げてください」となると、もうこのマッチ棒のことなど誰も気にしなくなるだろう。
ということで、なかなか楽しいマッチ棒パズル。
僕は「このマッチ棒の正方形を、お気に入りに追加」していることになるわけだ。
花びら
僕の住むところでは桜のシーズンも終わって、川辺はいくらかの平静を取り戻したよう。
それにしても桜。
中学生くらいまでは花見なんてするよりもゲームしたいという考えだったけど、今は開花の具合を確認しに、夜さんぽするまでになりました。
これを老化と言うか。
ともかく桜。
大抵の人は桜の、淡く色づいたような景色がわっと視野に入ったりするだけでテンション上がるでしょ。
花びら散る中を歩きたいでしょ。
桜にたまらんものを見出しているわけです。
「花びらが、風のかたちを教えてくれるんだ」
これ、だいたい20%の人が言ってるね。
内容、少々恥ずかしいね。
でも、そこは桜でテンション上がっちゃったから。
しょうがない。
「見て。蝶が花びらと戯れている」
これ、だいたい5%の人が言ってるね。
内容、恥ずかしいね。
ところで、群生した桜もいいけど、遠くの山を望むと見える、一部分桜もなかなかですね。
山の中を歩くと、ある場所だけ花びらがしきつめられていて、それで桜だって分かったりするんですよね。
「花びらのじゅうたんみたい」
これ、100%の人が言ってるね。
内容、恥ずかしいね。
でも、そこは桜でテンション上がっちゃったから。
しょうがない。
と言うわけで、統計的に見ると桜のシーズンは恥ずかしいことを言えてしまうけど、それはしょうがないということが分かりました。
むしろ、言えるときに言っておけという感じもします。
言う相手がいないものにとっては、桜ばかり気にかけることになるのですけどね。
いつもなのですが、花粉症の薬で今、やられていますので、これで終わり。今回の口調、気持ち悪いですね。
ダルシムの村
ストリートファイターという格ゲーについて。
ダルシムの村。
=====
基本知識
ダルシム
ヨガの人。
手足が伸びて、相手をはたく。
火も吹く。
テレポートもできる。
=====
ダルシムは、首から人の頭蓋骨のネックレスをしていたり、ブライト艦長の分も入ってしまったくらいの白目っぷりですが、その異様な姿とは異なり、いい人です。
なぜいい人かというと、彼は確か「村を救うためのお金を手に入れる」ために、格ゲーに身を投じているからです。
と、これは最初の頃の話ですが、たぶん最近も格ゲーに登場するということは、何かしら人のためだったり村のためだったりするのでしょう。
ということで、ダルシムの村はなんだかいつも不幸なイメージ。
いつましになるのでしょうか。
というか、ダルシムのやり方に問題があるのではないでしょうか。
「ダルシム。助けてくれるのはありがたいが、もっとやり方があるんじゃないだろうか」
村民が言います。
「私には、手足を伸ばして相手をはたくことしかできないのです」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
「ダルシム。いつになったらこの村の不幸は取り払われるんだろうか」
村民が言います。
「私には分かりません。なぜこの村だけやたらうまくいかないのか・・・」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
「ダルシム。なぜ君は手足が伸びたり、テレポートができたりするんだい?」
村民が言います。
「ヨガのおかげ、と言っていますが、本当のところは分かりません。いつの間にかできるようになっていたのです」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
「ダルシム。その手は遠くのしょうゆ入れを取るときに、便利そうだね」
村民が言います。
「私には分かりません。しょうゆ入れというものがどういうものか」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
「ダルシム。その手は遠くのカハシャ(※)を取るときに、便利そうだね」
村民が言います。
「遠くのカハシャに手は届くのですが、このときの手は相手をはたく用なので、カハシャを壊してしまうのです」
ダルシムはたぶん、こんなこと言いません。
おそらく、彼はこんなことを言われたとき、テレポートで村民の背後に回るのでしょう。
※カハシャ
インドの家庭で普通に見られる、調合済みスパイスを入れておく小瓶のことで、うそ。
イロモノ担当
先に言っておきます。
今日と明日、ストリートファイターという格ゲーについて。
今回はエドモンド本田の必殺技。
明日はダルシムの村。
=====
基本知識
エドモンド本田(以下本田)
相撲の人。
姿かたちはだいたい関取だけど、色々とハデ。
張り手や頭突きで戦う。
=====
本田の必殺技と言えば、頭突き。
それも、ミサイルの如く相手に飛んでいく頭突き。
それは、彼が初めて登場したときから彼が習得していた技。
この技を出すと、突然彼の身体は地面と水平になり、頭を相手に向けて景気よく突進していく。
手は前に出すこともなく、身体にぴたりとつけられ、それこそ頭から突っ込んでいく感じ。
結構早い。
僕は最近のストリートファイターに出ている彼の頭突きを見るたびに、開発者のあきらめにも似た怒りを感じずにはいられません。
彼らは本田を登場させ、キャラクターを作成するときにいつも思うでしょう。
「頭突き、相撲の技じゃねーんじゃね?」
心情的に、関取の必殺技が相撲の技っぽくないのは、いやなはず。
彼らは一番最初に本田のプロファイルを作成した人物を怒りたい気持ちでいっぱいでしょう。
「お前が「頭突きが得意」とか書かなければ、本田の必殺技は「突進張り手」とかの相撲技っぽいもので、事なきを得たのに。」
「明らかに本田をイロモノ扱いにしている。ウケがいいように、な!!」
でも、本田誕生時に、既に彼がそれを習得しており、しかも主力となる技であったため、もう方向転換できないのです。
愛を持って本田を作成する開発者たちは、おそらくイロモノ担当としてイロモノな必殺技を与えられた本田に対して、こう思っているでしょう。
「頭突きは、もういいんだよ。」
ところが、そんな彼らの心情を逆なでするような事柄が。
最近のゲームには「超必殺技」という、なんだかある意味遺体を粗末に扱うんじゃないかと思わせるような印象の技があるのです。
本田の超必殺技。
鬼無双。
この技を繰り出すとき。
本当は張り手を繰り出したいであろうに。
相手に向かって頭突いていく本多に、開発者はこう思います。
「頭突きは、もういいんだよ。」
「頭突きは、もういいんだよ。」
・・・悲しいことに、鬼無双は頭突きを2回出す技なのです。
追記
本田には他に、頭突いたあとに張り手を出す技もあり、ある程度の相撲技フォローがなされていますが、頭突きを外すことはできないのか・・・。