怪談のタイトルについて

怪談で興味をひくのは、そのタイトルだ。
「雨の日のバス停」や「病院」など、日常的に目にするものやことば。
これが「怪談を聞く」というフィルターを通すと、やたら意味ありげで怖いものになる。
「深夜のタクシー」や「トンネル」とかも。
となると今後期待されるのが、何かの一周をした場合のタイトルだ。
「ゆうれい」
なんて新鮮なんだろう!!。
あるいはそこからどう怖い話につなげるの?と考えさせられるのもいい。
「あゆの塩焼き」
この方向性はけっこう難しい。
冒頭のように、「日常的に目にするものやことば」が、怪談ともなると怪しげなものに感じられる。
ゆえにそこそこの「どう怖い話につなげるの?」なことばでは、ちゃんと怪しげなものになってしまうのだ。
「あゆの塩焼き」だって、全然知らない血まみれの人が毎夜ポストにあゆの塩焼きを入れて消えるという怪談になりえるし、あゆの霊だってのも考えられないことではない。
「サンガリア」
これは結構いいのではないだろうか。
突き詰めると「サンガリアで亡くなった人がいる」とかで派生できるが、亡くなる人はどんな会社でもどうしてもいるわけだし、それはもはや怪談タイトルが「サンガリア」であることもない。
何よりも現在も活躍中のメーカーなので、いろいろと「ちゃんと怪談になるの?」「いいの名前まるみえだけど」感が出てよい。
このくらい人は「怪談 サンガリア」と聞いたとき思う。
だから注目されるだろう。
「地デジ」
これも一見、怪談になりにくい。
なによりも「まだ」な点がそう。
しかし「地デジ化」だと少し気色が変わる。
「地デジ化」という言葉から地デジ化に乗り遅れたおばあさんを想像してしまえば、もはや怪談としての要素を必要十分もつ。
やはり「地デジ」のほうがいい。
似たものとしては「エコポイント」なども「そこからどんな怪談が繰り広げられるの」と興味がわく。
「宇宙人」
これはかなりダイレクトな怪談なのでは、と思われるかもしれない。
しかし怪談は、基本的にはゆうれいや人外のものの話であり、宇宙人はUFO話である。
だから怪談で宇宙人とは、そこからさらにゆうれいが生じる必要があり、不思議話のぜんぶのせ状態。
どういった怪談になるのか想像もつかないものになるのである。
「米軍機が撃ち落としたUFOの乗組員が夜な夜なゆうれいとして歩き回り、操縦レバーを探しまわる」
属性多過ぎである。

マナー

「スティール・ボール・ラン」で登場人物のひとりが、たしか「ナプキンを最初に手に取るもの」について熱く語る。
もちろんこれはナプキンフェチ連盟での、自らのフェチ魂の高みについて話されたものではなく、あらゆる事象のきっかけを作る、影響を与えることについての例え、あるいはラプラスの悪魔的な発想とでもとらえるべきだろうか。
よくわかんないけど。
こないだ「大人のマナー」みたいな雑誌を見ていたところ、「友人の祝儀には何円を入れるか」みたいなコーナーがあった。
そこのは年齢別の集計表があって、確かどの年齢でも「3万円」一律だった。
一律というのはすごい。
その性質上、なかなか他人に確認できないだろう「祝儀のお金」。
それがあーた、決め合わせたかのように、一律。
誰かが最初に決めたのだ。
「友人の祝儀は3万円」と。
派生で「結婚でペアだから、2万円もあり」みたいなものもあるが、あくまで基本は「3万円」で揺るいでなさそう。
すごい決定力である。
それにしても、「最初の人」が5とか7が大好きでなくて、本当によかったと思う。
一方で、音楽が好きでもないらしい。
好きだったら音楽ギフト券が祝儀に入れられる文化になっていたはずだし。
そう考えると、いろんな意味で米が大好きでなくて、良かった。
お米券ならまだしも、八十八ととらえられたら、もう。
どうやら最初の人のことでわかるのは、お金が好きな事だけ。

以前も触れた事あるが、走性というのがある。
例えば「おいしいものとまずいもの」があるなか、生物がおいしいほうへと行く。
これを「正の走おいしいもの性」と言えるわけだ。
なんだか分からないが、とにかくまずいものしか興味ない生物だった場合、それはまずいほうへと行き、「負の走おいしいもの性」となる。
中学だか高校だかの理科の授業であった。
ミドリムシという全然むしじゃない、プランクトンな感じの生物は「正の走光性」を持つというのだ。
どうも光合成ができるので、そのため光に集まりたいらしい。
変である。
なぜ「光に集まりたい」のなら、飛翔する能力を進化の過程で獲得していないのだろうか。
そのほうが、よっぽど光のほうへ近寄れるだろうに。
プランクトンだからかんべんしてくれとでも言うのだろうか。
「イカロスはロウで固めた鳥の羽で、太陽目指してん!!」
図解書のミドリムシ写真に鳥の羽を書いてあげたわけだが、ひとつわかったことがある。
「走性は生きていく上で重要な機能だが、ほどほどである」
光には集まるが、その性質があとあと空を飛ぶ能力、宇宙を駆け巡る能力にまで発展する事はないわけだ。
いや、まだ進化の途中だから、いつかは性質ががらりと変わったミドリムシがその時点でのミドリムシになりえるのかもしれないのか。
「空をめぐり、光のない夜間、自ら発光するミドリムシ」
今の僕らは、それを星と呼ぶ。

ものごころ

「ものごころがつく」というのは、具体的にはいつごろからなのだろうか。
と、そう考えているとピンポイントな年齢を出す作業になりそうだが、そこには興味はなく、どちらかというと人によってかなり差異があるのではないかというところ。
「自分が考えるように、他の人も考えている」
人間同士の関係についての発見が「ものごころ」たる要素だとすれば、それはだいたい幼少期で落ち着きそうだ。
しかしその確立までを範疇に含めると、いきなり「ものごころはまだついていません」という26歳とかが現れてしまうかもしれない。
人生を理解し許容する姿勢がその要素だとしたら、もしかしたらほとんど「ものごころついてない」まま人生をまっとうしていたり。
一方で「ものごころついた」幼稚園児がいて、砂場で山を作っては静かにうなずいていたりする。
口癖は「それはもうわかっているんですけれど」で、ちょっと嫌な園児。
また、人生どうこうなどとそこまで行かなくても「なんとなく社会というものがどういったもので、どんなふうにやっていたら問題ないのか」がわかったとき、ものごころがつくのだとしたら、それは言い換えると「なあなあがつく」になる。
これは22歳とかで「なあなあがつく」人が多いのではないだろうか。
「いつもは横断歩道を使わず道路を横断してしまうが、パトカーの前ではそれをやらない」
なあなあがついている、良い例である。
人間関係の一片として、恋愛感情がそれにあたるとすれば、そこは心情的に「こいごころがつく」としたい。
これも人によってずいぶん差ができそうだ。
スカートめくりがその特徴的な動作だとすれば、小さい頃が「ものごころ発祥」だろうが、まあ大人でもやっちゃう人もいるわけで、まあそれほど掘り下げない。
最後に、ことばそのままの意味を考えてみる。
「ものごころがつく」
付喪神にたたられてますな。

サンキョー棒について2。

昨日から。
【あらすじ】
任侠ドラマなどで見かける事のある「パチンコの玉がくぎのあいだを通るかどうかを調べる棒 = サンキョー棒」の、かっこよい使いこなし方。
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何もおもしろいことを思いついていないのに、次回へつなげてしまうのが本ブログ悪いところのひとつ。
どうしよう。
1.自動販売機の下に小銭が入ってしまった人に対して「お困りのようですね」と、サンキョー棒を差し出す。
2.アイドルのコンサート終盤に、みんなでサンキョー棒を大きくリズムに合わせて左右に振る。
3.のどちんこの裏が炎症を起こしている際、医者が看護士にサンキョー棒を持ってくるようにと指示。
4.宇宙人が捕獲した人類へインプラントを行うとき、鼻の穴からアプローチできるかを確認するためにまず使用。
5.パチンコ玉部分が大小様々のサンキョー棒を用いて太陽系の惑星を説明する教師。
6.おりがみのプロが、おりがみの折り目をよりシャープにするため、サンキョー棒のパチンコ玉部分を使用。
7.ペンを使うのは本番だけにしたいので、ペン回しの練習用として使用。
=====
サンキョー棒は、本名ゲージ棒というらしく、両端にパチンコ玉がついているもののよう。
ふーん。。。

サンキョー棒について。

何かのまんがだかドラマでみたことのある「パチンコの玉がくぎのあいだを通るかどうかを調べる棒」。
えんぴつくらいの棒の先端にパチンコ玉がついているような仕組みだったと思う。
あれはいったい何なのだろうか。
いや、何かというと「パチンコの玉がくぎのあいだを通るかどうかを調べる棒」なのだろうであって、もしかしたらぐりぐりやることで「パチンコの玉がくぎのあいだを通れるようにする棒」というのも兼ねているかもしれない。
しかし、あえて「あれはいったい何なのだろうか」。
名前は何なのだろうか。
「判定調節玉」とかだろうか。
それとも「ゲートセーバー」とか、かっこいい名前だろうか。
「サンキョー棒」かもしれない。
いくらなのだろうか。
そもそも一般的に販売されているものなのだろうか。
いや、販売はされていないだろう。
どちらかというと、パチンコ台のメーカーの人が独自に使用するだけのような気がする。
パチンコ台の調節なんて行わないような一般の人が、これを使うというシーンは考えにくい。
使えるとしたら、そのパチンコ台はいわゆる「まるみえ」なわけで、玉の調節どうこうよりも、そもそも指で入れたい穴に玉を入れてしまえばいいわけで、お客様感謝デーだ。
売られていないのだろう。
売られていないものを持っているというのが一種のステータスである、と思われる事が多い世界。
ふでばこの中にサンキョー棒が入っていたりするとかっこいいのではないだろうか。
スーツの胸ポケットで、サンキョー棒のサンキョー部分が顔を出したりしているとデキる男に見えるのではないだろうか。
いや、おそらく全然かっこよくない。
考えるに、あれを所持してかっこいいのは、やはりパチンコ台を前にしての仕事風景である。
お店がもうかり、しかもお客さんが平均的には楽しめるというぎりぎりの演出を施すシーンでのみ、かっこよくなるだろう。
まあここまで書いて、サンキョー棒の使い方が全然違っていたりすると申し訳ないんですけど。
次回
それでもこう使えばサンキョー棒はかっこいい、の話。

スープ割り

美容室に行ったあと、近くの大勝軒に行くのが通例となっている。
つけめんがおいしい。
そのつけめんについて気になるのが「スープ割り」と呼ばれるシステムだ。
つけめんがメニューにあるお店などでは、たまに貼り紙などで「スープ割りできます」と書いてあるのだが、実のところどういうことをしてくれるのか、全然知らない。
頼んだ事がないのである。
僕が考えている「スープ割り」は以下のとおりだ。
1.麺をつけまくったために薄くなったつけじるの濃さを戻すため、つけじるのもとみたいなものを入れてくれるサービス。
2.食べ終わったあと、残ったつけじるをおいしく飲むためにお湯を入れてくれるサービス。
3.つけじるを残した分、料金から割り引いてくれるサービス。
正直3は捻出なわけだが、1なのか2なのかは、知らない。
ならば試せばいいのだが、どちらかが分からないと、どのタイミングで「スープ割り」を所望すればいいのかが難しいのだ。
1を想定して「スープ割り」を頼んで、実は2なら、まだ麺を残した状態でつけじるがうすうすになってしまう。
一方、2を想定しての注文で実は1なら、スープ割りを注文したにもかかわらず、それにタッチする事なく店を出なくてはならないだろう。
インスタントラーメン発売当初の様相をつけじるで試みる事は、なんだか「スーパーサイズ・ミー」だ。
というわけで結局のところ、スープ割りはいまだ試せてない。
悔しいので、麺を食べ終わるのと同時につけじるもなくなる配分で食べようかと考えているが、これまたどうも「スーパーサイズ・ミー」くさくて、どうも。

寒さ対策

本日2回言われた「車でお越しですか?」。
僕は車についてはかなり疎く、車種とか全然分からないから事件の目撃者にはなりたくないと常々思っている。
なのに、なぜに車か。
それはどうも、薄着だからそう思われたよう。
いつか書いたかもしれないが、基本的には薄着である。
外出時に寒くない格好というのは、言い換えれば電車や店のなかでは過着になっていることだ。
暑苦しいのは苦手なので、その分を差し引いて、薄着。
車で来たわけではないことを知った相手は、なんだか腑に落ちない感じ。
「厳しかったときよりは、最近はあったかいでしょう?」
まだ納得いかないようだ。
こいつは寒さがわからないのではないだろうか。
となると、あとはこう言うしかない。
「ふるえも衣類の一部です」
言わないけど。

カサつく。

最近、はだがかさかさしてしようがなく、風呂上がりにスキンクリームを全身に塗る事にした。
ニベアクリームには「さらさらタイプ」と「しっとりタイプ」があるが、うちにあるのは「さらさらタイプ」で、ある意味今はさらさらで、今後しっとりさせたい派の僕としてはその力量が気になるところであったが、使用してみようか。
僕は小さい頃からクリームを顔に塗るのが嫌いだった。
とにかくべたべたするのが気に食わない。
しかし今、そんなことを言っていられないかさかさ感で、一部ひりひりするところもある。
「さらさらタイプ」は「しっとりタイプ」との比較ができないためか、そこそこべたべた感じる。
せっかく風呂に入ってさっぱりなのになと、とざんねん。
翌日、いまいちだった。
いちおうましではあったが、期待したほどの効果は見られなかった。
毎日使用するといいのかもしれないが、早々に見切りをつけた僕が次に考えたのが「ベビーオイル」だ。
商品を外見でしか見た事ないが、あのオイルっぷりはどうだ。
すごいじゃないか。
早速購入してきて使用してみたところ、そのぎとぎとがすごい。
不快感はニベアの上を行くが、かさかさには勝てない。
これを塗って寝てしまえば、翌日はにぎるとちゅるんってなるくらい、になっているはずだ。
<インターミッション>
本文中の4文字的のなやつを使った「ニベアタイプ」の考察
「かさかさタイプ」
ニベアを所持していないひと全般に見られる、デフォルトタイプ。
「さらさらタイプ」
本文参照。
「しっとりタイプ」
本文参照。
「べたべたタイプ」
商品イメージよりも、かさかさになやむ客のニーズを優先したタイプ。
「ひりひりタイプ」
鍵をかけて保管しなければならない試薬の一部に見られるタイプで、ニベアでない。
「そこそこタイプ」
商品の性能に自信はあるが、謙虚に振る舞うタイプ。
「せっかくタイプ」
鍵をかけて保管しなければならない試薬の一部に見られるタイプで、ニベアでない。
「さっぱりタイプ」
しっとりタイプを塗ったあと、その気持ち悪さに我慢しきれず、手を洗ってしまった感じのタイプ。
「ざんねんタイプ」
鍵をかけて保管しなければならない試薬の一部に見られるタイプで、ニベアでない。
「いまいちタイプ」
新商品として開発したが、試行上いまいちだったタイミングで商品化してみたタイプ。
「いちおうタイプ」
合コンで目をひく男性がいなかった女性陣が一斉トイレにて口々にする、主催者のことを慮ったタイプ。
「ぎとぎとタイプ」
チャーハンを作ったあとの、メガネの表面がよくなっているタイプ。
「ちゅるんタイプ」
なにげにこういう商品名だと結構売れるんじゃない?というタイプ。
</インターミッション>
翌日、かぶれてた。

かみなり

「一部雷の発生するところがあります」
こう天気予報で言われたとき、気になるのが「自分のところが一部に入るのかどうか」という点だ。
もちろん自分のいるところで雷が発生したら「ここは一部だったんだ」となるが、やはり雷の発生は事前にわかっておきたいところ。
「一部雷の発生するところがあります」
これは、そういわれた全域の人が「自分のところは一部に入るかもしれないな」と気にしておいてね、と留意させるための魔法なのである。
面白いのは、結局雷が全然発生しなかった場合でも、誰も雷の発生についてはっきり決定できないところ。
「どこかで雷が発生するかもしれません」という言い方なら、自分のところは発生しなかったから、「今日は雷なかったよね」となる。
しかし「一部雷の発生するところがあります」という言い方だと、自分のところは発生しなかったとしても、例の「一部」のところでは起きたんだろうな、と感じてしまうだろう。
そもそも言葉の意味自体も、かならず発生する訳でないことを示唆しており、実際発生しなくても文句いわれる筋合いはなさそうだが。
一方で気象予報士側としては、せっかく「一部雷の発生するところがあります」と言ったのだから、どこかでは雷が発生してほしいと考えているに違いない。
泣きながら「ああっ、あれはなんだ」と空を指差し叫んだ気象予報士の話がある。
そして「グレートマジンガーがサンダーブレークを放とうとしている!!」と言いながら自分の携帯電話をはちみつの瓶につけ込んだという。
ここまで全然おもろいところなかったが、今2つおもろいことがイメージできた。
①グレートマジンガーなのかマジンガーグレートなのか、全然わかんなかった。
②はちみつの瓶の中で着信する携帯電話はおもしろく、イメージもいい。
正直なところ、あまりマジンガーZには興味がなく、そのグレートとなると、グレートたる部分は興味なさだけになる。
「グレートマジンガーの劇中、グレートマジンガーは半分くらいマジンガーグレートと呼ばれている」
可能性はあると思う。
そして恐ろしい事に、「サンダーブレーク」なのか「ブレークサンダー」なのかもいまいち自信がない。
これも劇中、混ざっていたと思う。
自信があるのは「ブレークマジンガー」や「サンダーグレート」は違うという点だ。
なんか「ブレークマジンガー」はだめな気もするし。
そして今「雷の話しているときにサンダーブレークなんてキーワードが出てきて、展開楽じゃん!!」と一瞬思ってしまったが、サンダーブレークはまさに雷の話のときに自ら持ち出したもので、今日はもうだめね。