昨日、ザリガニのことを書いていて思い出したのは「彼らの平衡感覚を司る器官は、砂がないと機能を果たさない」ということだった。
それは、砂のない環境でザリガニを育てていけば、ある脱皮のときを境にそのザリガニは絶えず「バットに額を付けた状態でぐるぐる回ったあと」の感じを受け続ける、かわいそうなザリガニになるのかも知れないことを示している。
僕はあの「バットでぐるぐる」が嫌いだ。
その効果もさることながら、やっている人の見た目がざんねん過ぎる。
「ゲームとはいえ、何を酩酊感を求めているのか」
方向定まらず倒れている彼らの行動をザリガニに当ててみると、どうなるのだろうか。
と考えても、あまり変化はないのかも知れない。
というのも、彼らの行動はかなり直線的で、おそらく体が傾いてしまう事以外はなんら他のザリガニと変わらないのではないだろうか。
すなわち、しっぽを跳ねてバックするくらい。
あとは、そのザリガニを食べる時、じゃりっと砂を噛まないで済むことだろうか。
ドロ抜きするとかなりおいしいらしい彼らについて、平衡器官のどうこうを考えるのなら、僕はその砂を噛む感触と「ザリガニの額はどこだろうか」ということくらいしか思いつかない。

許す

うちにいるザリガニが、半身水面上に出ているような状態で浮かんでいても、さほど驚かなくなった。
最初は死んでしまったのかと思ったが、水槽を揺らすと慌てて沈み、身を隠そうとする。
えさを与えていないわけではない。
隠れ家用のプラスチック管が少ない訳でもない。
彼らは水中の酸素を取り入れるはずだから、それが足らないのだろうか。
それにしても共食いしたり、そもそも弱っていたりで死んでしまう彼らを知っているから、ぷかりと水に身を任せる彼らに正直「油断し過ぎだ」と思ってしまう。
しかし、ここにひとつ気づく事がある。
彼らが油断して浮いているのだとしたら、それは「ザリガニは浮くのがデフォルト」ということであり、僕らのイメージする「水底で徘徊するザリガニ」はザリガニが意識して沈んでいるということだ。
沈んでいるザリガニはがんばっている。
ならば少し浮くことくらい、許してやろうか。
ザリガニを、許すことにした。

気づくのはいつも朝。

前提:
おやおや。
彼はまだ自分が「鳥の世界に迷い込んでしまった事」に気づいていないようですよ。
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ラジオ体操
先生「まずは深呼吸」
「はい、次に手羽を伸ばしてー」
ひろし「!!」
授業中
先生「今日の体育は滑空です」
ひろし「!!」
放課後
三浦「やべえ。美加子見てるとハツのドキドキがとまらねえ」
ひろし「!!」

忘れるということ。

携帯電話の通話エリアの拡大は「電波の通じるところを探しまわるふりをして、飲み会を抜ける」という平和的な帰宅方法を社会から排除した。
それを受け、全国にいる飲み会を抜けたい人々は「なくした携帯電話を探しまわるふりをして、飲み会を抜ける」という危険な行為をせざるを得なくなってしまった。
このため、日本における忘れ物ランキングでは、携帯電話は第一位。
なくしたふりをしたものが、本当になくしてしまうという皮肉めいた結果を表している。
二位が久しく使っていないネットショップのID、三位が小学生の水着バッグだという。
忘れ物常連の上記のものを差し置いている点から見ても、第一位というのはいかに飲み会を抜けたい人々がいるかを如実に表している。
ということで最近、飲み会が多い。
それを、僕は携帯電話を失う事なく、参加し続けているのである。

メリー

実のところ、現在は2012年12月9日で、どうぶつの森ばかりやっている。
このゲームでは自分の作った町に住んでいる住人に対して、物を付加した手紙を送ることができる。
ゲームの中での時間が12月24日になったので、住人に「メリークリスマス」としたためた手紙に、プレゼントを付加して送ってみた。
そうすると、ある住人からこのような旨の返信が。
「みじかいないようのてがみ、ありがとう」
12月24日に「メリークリスマス」の手紙を見て、短い内容とはどういうことだろうか。
などとゲーム上の些細なツッコミどころをとやかく言うつもりはなく、ただ「メリークリスマス」を短くなくする方法はあるのだろうか。
それが気になった。
例えば「メリークリスマス、おめでとう」となったらどうだろう。
少なくとも、聞いたことがない。
「メリまして、クリスマそうございます」
もう少し長くなったが、これも無理に長くした程度のもので、いったい何なのか。
そもそもクリスマスは「おめでとう」なものか。
少なくとも、最近の僕にとっては「おめでとう」なものでは、決してない。

サウイフMONOニ ワタシハナリタイ

知らなかったのだが、最近は色付きのシャーペンの芯があるそうで、赤色の線を書いているその人は言った。
「ごめん、赤い線を消しちゃったら、消しゴムが赤くなっちゃった」
この、自己犠牲の模範となりそうな、宮沢賢治が書いていそうな事象をハタから聞いていて、僕は感心してしまった。
赤色だし!!。

JB

じじいよりばばあの方が強い。
そうメモがあったのだが、今となってはなぜそうなのか。
全く思い出せない。
なぜそう思ったのだろうか。
電車の中で空いた座席をじじいをはねのけて奪ったばばあを見たんだっけか。
アルファベット順だったか。
「ウォーリーを探せ」をやっているとき、ウォーリーよりも先に「じじいをなぐるばばあ」を発見したんだろうか。
一般的に、じじいは普通に生活しているが、ばばあはいざというときのために、1日10分程度、毒液に両手を浸している。
そんな話を聞いたのかもしれない。
結局のところ、どうしてそう思ったのかはわからないが、ひとつ言えるのは、我々はいずれどちらかになる、ということだ。

アルコールの分解しきれない夜。

最近感銘を受けたものは「ザ・ふぐ」というやつで、確かふぐ飼育の本のタイトルだった。
確かにふぐはかわいく、飼育できる機会があるのならやってみたい。
しかしそんなことよりも、「ザ・ふぐ」のいさぎよさには参る。
この本には他の魚のことなんてぜったいに掲載されておらず、何らかの理由でそんなことがあったとしても、それはふぐのえさのことだろう。
そんな絶対的なことが、たった3文字程度で表現できるとは。
もうフグはフグの命名者にヒレを向けて眠れない。

強襲

幸いにも、我々のほとんどは物理的な戦闘にさらされることがあまりない。
そのためか、いざというとき、自分がどのような行動を示すのか、わからない。
例えば、「はい、今あなた襲われてるよ!!」ということでそのときの動作、しぐさを考えてみるとどうだろう。
ポスターのボクサーのようにファイティングポーズをとるのだろうか。
あるいは防御姿勢をとるのだろうか。
それとも逃避行動?。
と、いろいろ考えてみたが、あまりにそれを試しにやってみようという気にはならない。
なんたって、今僕は襲われていないのである。
襲われてないのに逃避行動なんてとったら、隣の人がおもむろにファイティングポーズだったりしちゃうから。

赤石の地へゴー。

異論はあるかもしれないが、やはり「火星人はタコ状」の発想はすばらしい。
誰が最初に考えたんだ。
あるいは当時判明していた情報プラススパイスをかき混ぜたら、結果的にタコになったのだろうか。
どちらにせよ、あれはマツコデラックスの皮膚のひだから新種の寄生虫が発見されたり、劣勢だからと将棋盤をひっくり返したらマグネットが仕込まれていてめちゃくちゃにできなかったとか、そのような事例と同様あるいはそれ以上のインパクトがある。
だから、火星にはできるだけ早めに明石のタコを生きたまま送り込みたい。
どのくらい保つかわからない水槽内で鎮座するタコを想像し、我々は火星を見上げる楽しみが増えるから。