昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
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「タワー・オブ・テラー」をオエ、やたら強い日差しを再び浴びる事になる。
シー先輩達にとってはいくつか取るべき行動があるらしいが、ここは昼ご飯を食べる事で決定。
どうも「タワー・オブ・テラー」に隣接するこの建物がブッフェになっているらしく、ここで食うとのこと。
昼少し前だったので、混む前に並ぶ。
そんなことも考慮した「タワー・オブ・テラー」チョイスだったのだ。
それでも少し列ができたので並んでいると、何やらディズニー風の音楽が流れてきた。
近くでショーが行われているらしい。
我々は残酷にもシー先輩を列に残し、それを覗いてみた。
それはチップとデールがメキシコ風味の聞いた衣装で踊っているショー。
やはり仕草である。
仕草がかわいい。
そのショーのストーリーはよくわからないが、料理を模した登場人物がめまぐるしく現れる。
なんだか楽しそう。
それにしてもこの熱い中を、どういう身体能力を持って踊り、着ぐるみを着、歌うのだろうか。
すごいことである。
同じ日差しのなか、ただ見ているだけのこちらのほうが熱さでだれてしまう。
遠目で見ていたそのショーも終わり、ブッフェの列へと戻る事にする。
熱さにやられながらも帰路にたった僕の目には、ブッフェとそれに隣接している「タワー・オブ・テラー」が見えた。
タワーのてっぺん付近は不自然な形で大きく壁が削られ、穴があいている。
どうやら「タワー・オブ・テラー」の落下装置で見たシー全景は、あそこからのものなのだ。
なあ、今からすごいこと言っていいか。
あそこのタワー、見えるか。
あそこ、たっかいとこあるやろ。
実はな。
俺、さっきあそこにいてん。
ブッフェはまだ順番待ちだ。
月: 2012年6月
俺、さっきあそこにいてん その5
昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
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落下装置に乗り込むと、座席にくくり付けられた僕たちが前面のモニタに映し出される。
「行きはこんなに楽しそうだが、帰りはどうかな?」
そんなことを感じさせる雰囲気は非常によくできているが、どうだろう。
行きもぜんぜん楽しくないので、僕は行きも帰りも同じだ。
唯一、帽子を落としたらめんどくさそうなことになりそうだと、帽子だけは落とさないように注意することにする。
「タワー・オブ・テラー」の落下装置が、これから落下確定なのにもかかわらず急上昇する。
真っ暗な中を、落ちる準備のための上昇。
なかなか哲学的だか、これから僕は落ちる。
上昇の度がぐぐっと落ちたとき、少し明るくなる。
落下装置の前に、ディズニーシーの全景に近い風景が見えた。
それは恐ろしく高いところに今いるということを無理矢理再認識させる。
それに当たり前の恐怖を覚えた僕は、しかし同時に「これが最後に見た風景だったらおもろいな」と妙な事も考えていた。
余命いくばくもない病床のおじいさん。
彼が余力を尽くして言うのである。
「ああ、ディズニーシーの全景が見える」
これで家族は、今おじいさんが亡くなるのだということに気づき、涙する。
と同時になかなかのセンスの持ち主であるおじいさんのことを、寝ずの番のときに話しまくるのである。
そんな不遜な考えをタワーのてっぺんに置いて、装置は景気よく落下した。
あの、臓器すべてがふんわーする感じ。
僕はそれが嫌いなのだった。
そもそも落下時も制御されているのだろうが、その度が落ちてきたときの安心感はかなりのものだった。
心地よい減速。
そして上昇。
どうも今回の「タワー・オブ・テラー」は、2回楽しいバージョンであるらしい。
いや、いつもそうなのか。
あるいは3回のときもあるのか。
どちらにせよ、僕は大声で「えーもういいよー」と情けなく叫んでしまった。
そしてディズニーシーの全景。
またここまで戻ってきたのと、ちょっとおもろい気分になる。
そんな不遜な考えもタワーのてっぺんに置いて、装置は再度、景気よく落下した。
昼飯前だというのに、僕はへとへとになってしまった。
しかし怖いながらもアトラクションとしては非常に完成度の高いものなのだろうということは想像に難くなかった。
へとへとながらもそんな事を感じながら出口に向かうと、人だかりがある。
どうも、落下時の表情を撮影しているらしく、その映像、それがよければ写真購入ができる仕組みらしい。
シーマスターがあの落下の中、どうしたことが両手を大きく挙げてカメラ目線。
良すぎる被写体になっていた。
どうかしている。
僕は、帽子を押さえながら歪んだ笑みを見せていた。
俺、さっきあそこにいてん その4
昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
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「タワー・オブ・テラー」の内部は列なすことを飽きさせないようにするためか、よくできた石像のオブジェやきらきらひかる財宝的なものが散財していた。
しかし妙に長いためか、僕はいつアトラクション執行が行われるのかが分からなくて不安だ。
その不安が、シー先生との会話のなかで増大することになる。
話によると、「タワー・オブ・テラー」のアトラクション、すなわち高いところから落ちる罰ゲームというのはいくつかバージョンがあるらしい。
よく覚えていないが、1回落ちるだけのときと、なぜか2回落ちるときもある。
あるいは他にもあったか。
とにかく、憤りを覚えるサービス内容である。
何を2回落ちる事があるのだろうか。
ばかにしてんのか。
そうこうしているうちに、「ああこれからですか」という感じの場になってきた。
妙な気を起こしてか。
知人達は僕を落下装置の端っこを勧める。
覚悟を決めて装置に乗り込むと、他グループの女の子だろうか。
このアトラクションに、いかに乗りたくなかったか。
今でもいやでしかたがないのか。
そういったことをつらつらと口にしている。
もしグループ内でのか弱いキャラを獲得しようとしているのだとしても、気持ちはわかる。
よくみてみると、落下装置は結構老朽化している感じだ。
それが老館に即してのものなのか、本気のものなのかが分からない。
俺、さっきあそこにいてん その3
昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
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「タワー・オブ・テラー」に入ると、そりゃあ薄暗いですよねと納得の雰囲気。
仕事のためなのか仕事に疲れているのか。
暗い感じの女性キャストが、この禍々しい感じの建物について説明をし始めた。
簡潔にそれをまとめると、「これからお前ら呪われて落ちるから、覚悟しておいて」だった。
もう少しまとめないと、「この建物の所有者は「呪いの人形」の呪いを信じなかったために失踪中だ。その失踪の原因になったことを、お前らやっちゃうんだろうけどやるなよな」。
全然まとめないと、「建物の歴史と呪いの人形の説明。所有者は失踪中」ということだった。
入る前は薄っぺらい建物だななどと思っていたが、雰囲気が抜群である。
キャストの説明中には置かれていたはずの「呪いの人形」が呪いの言葉を残し消失するという食いつきやすい事象にも、まんまと食いつく。
早くも「所有者不明の老館に訪れた一観光客」になりきってしまった。
すぐにも残念な呪い執行が行われるものかと、説明を聞いた部屋の床の安全性を足で踏みつけて確認していたりしていたが、案外ここからが長いようだ。
これまた雰囲気抜群のタワー地下室?に列をなす。
ここは失踪したという所有者が手に入れた財宝の貯蔵庫なのだろうか。
インディージョーンズやハムナプトラで見かけたような風景が、薄暗い明かりの中茶色に光る。
俺、さっきあそこにいてん その2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
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今回のディズニーシー初訪問では、幸運にも「センター・オブ・ジ・アース」「レイジングスピリッツ」には乗らなかった。
他のアトラクションがどういうものか分からずとも、これだけは分かる。
何せ、シーの多くの場所から「センター・オブ・ジ・アース」のメインイベントがちょい見えするのである。
すなわち、シー中央には火山を模した施設がある。
そこの火口付近から、ジェットコースター的なものが悲鳴と伴ってちょい見えする。
先日書いたように、僕は絶叫マシーンというものが嫌いだ。
このアトラクションの提供が生命保険会社というのも、逆に事の重大性を思い出させる。
「えっ、なんだかんだ言って単なる遊具だと思っていたけど、生命保険とか関係あるの?」
「レイジングスピリッツ」に至っては一回転すらするらしい。
と、様々な理由もあり。
何となく乗りたそうなシー幹事長に対して、僕は「宗教的な理由で一回転することができない」などと言い訳をして、結果的には乗らずに済んだ。
「汝、みだりに一回転してはならない」
書かれていないだけで、実際は禁じていることが多いと思う。
しかしこれは回避できなかった「タワー・オブ・テラー」。
その建物は、高い割には妙に薄っぺらい印象。
ファストパスのおかげで並ばずに施設内に入る事ができたが、今回ほどファストパスのありがたみが恨めしい事もないのである。
俺、さっきあそこにいてん その1
昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
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先日「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」の建物はそれほど「アラビアアラビア」していないという旨のことを書いたが、その理由が「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」から出て少し歩いたとき、分かった。
隣の建物がとんでもなく「アラビアアラビア」しているのである。
ここは一体何なのだろうか。
その疑問を解決することなく、シーマニアはずんずん歩いて行く。
それにしてもここはめまぐるしく風景が変わって面白い。
吊り橋と遺跡を見てきたと思ったらアラビア。
少し向こうには印象派の絵画のようなオブジェクトが見え隠れしている。
遺跡を対岸にして歩いて行くと、レトロというにはあまりにも整列を強制させるホームが目立ちすぎる駅に到着した。
これに乗って次の目的地に向かうらしい。
ホームには大きな絵があり、1960年代の少年誌に書かれているような近未来の都市が描かれている。
何かのアトラクションのことのようだ。
列車を待つ間それを見ていると、シー教官が隠れミッキーのことを教えてくれた。
確かにその絵の一部に、偶然とは思えない形の3つの円が。
待ち時間を退屈させない意味もあるのだろうか。
大したシーである。
隠れミッキーのくだりもあったためか、さほど待たずに列車が来た。
2両編成のかわいらしい列車である。
地上から少し高いところを通るその列車は車窓がなく、座席も両サイドではなく中央にある。
だから眺めがいいのがわかるし、開放感もある。
中央線もこうすればいいのに。
対向車線を走る列車から、男の子が手を振ってくれた。
この「知らない人が手を振ってくれる」は、このあとも度々訪れる、シーならでは光景。
ここでは普通のことなのだろう。
中央線もこうだったら、僕だって日常生活で手を振る。
相手はわからないだろうが。
そんな「マチのほっとステーション」が起きたりもしながら、列車は到着する。
「タワー・オブ・テラー」。
ああなんかこれから起こること分かるわ。
そんな出で立ち。
出会いは快晴の下で その4
昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
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「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」はサイコーだったが、このくだりのタイトル名は、アトラクション終了、施設を出たときに訪れた。
すなわち、運命的な出会い。
キャストの方がかぶっている帽子である。
多少本ブログでもとりあげることなのだが、僕はサムネイルの絵がかぶっているような帽子が大好きで「かぶっていない状態で知り合いに会うと、まずそのことを指摘されるくらい」、たいがいかぶっている。
こないだ調べてみたところ、この帽子は「イスラム帽子」という名称で示されることが多い。
イスラム帽子は毛糸を編んだような感じで、よくニット帽と同じ並びで販売されている。
あまり店頭では見かけない気がするため、販売しているところをみるとうれしくなってしまうのだが、一方で少し残念に思う。
それは、僕が「この形状の帽子で、布製のヤツ」を探しているから。
僕がいつもかぶっているのも毛糸を編んだようなやつなのだが、それは妥協なのである。
布製のやつは、ないね。
「イスラム帽子」という名称であることがわかったので、それでググっても、欲しいイメージのは今のところ見つからない。
僕にしてみれば、かぶっていればねぐせがもれなくとれるあの形状の帽子を、なぜみんなかぶらないのかが全然分からない。
つばで日差しが遮れないのを除けば、機能性富過ぎなのに。
そんな「布製のイスラム帽子」。
それを「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」で入り口に立っていた女性のキャストさんがかぶっていたのである。
「ちょっと待ってくれ」
先を急ぐシープロ達を抑え、僕はどれほどあの帽子を探し続けてきたのか。
キャストの方がかぶっているものは白ベースに妙なじぐざぐの模様が施されているが、あれもシンプルで非常にいい。
あの帽子は機能性に富んでいる。
その辺を見繕って彼らに説明した。
いくらか僕の帽子に対するめんどくさいこだわりを知っている彼らは、あーそうという感じだったが、僕の「布製のイスラム帽子」に対する思いはピークに達していた。
おそらくシー内の店舗で売られているはずだ。
そう思い、これから行くであろうさまざまな施設でも注意して帽子を見よう。
そうしてそこをあとにした。
結果的には、その帽子は売られておらず、シーの帽子はいずれも何らかの動物的な耳が付加されていた。
キャストの制服の一部ということで、おそらくセキュリティ的な理由もあるのだろう。
そうだとすると、余計に手に入らないものということになる。
その形状の帽子は他のアトラクション施設のキャストさんもかぶっていた。
見た限り3種類。
どれもシンプルでよかった。
売られていないのはざんねんだが、仕方がない。
ともかく、この日ほど「ぱこっとかぶる帽子」というセンテンスを口にした日はないだろう。
出会いは快晴の下で その3
昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
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「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」は、シンドバットの話の名場面を4頭身状の動く人形たちで再現したものを順々に見て行くという、「提供:日通」がよく似合うアトラクションだった。
正直なところ、シンドバットがどういった冒険をしたのか、僕は全然知らなかった。
しかし人形達の動きがとてもよく、単に目をうばわれた状態でボートは進む。
結果的にディズニーシーで特に好きだったアトラクションのひとつとなった。
航海は基本的に夜間行われた。
最初は確か町だ。
多くの人形がまばたきすらしながら歌い踊る。
そう、とにかくこのアトラクションはみんな歌っている。
航海の冒頭で、町のみんなが歌っている。
「何かのエンディングです」
そう言われれば納得のエンディング。
目を凝らすと配管的なものを隠すための角張った出っ張り。
それと暗幕で施された星空がきれい。
高校文化祭お化け屋敷のイメージがさっとよぎる。
町を過ぎると、シンドバットの冒険の名場面、らしきシーンが次々に登場した。
どうやらシンドバットは盗賊団と戦っているらしい。
そして小さい虎がいる。
彼らは名場面のほとんど、虎にいたってはどうも最初のシーンから出ているらしい。
シンドバットは盗賊団と虎の物語だ。
しかも大勢登場する盗賊団ですらおおざっぱな動きではない。
シンドバットは大勢のまばたきする盗賊団と虎の物語だ。
巨大な鳥や盗賊団のやりとりなどを見ながらもどんどん進んで行くと、巨人がドアの向こうにちょい見えするシーンが登場した。
こいつは確か、ボートに乗り込む前のアトラクション概要図で見た。
洞窟の巨人という名前だったか。
建物のなかだからか、洞窟っぽい感じがよく出ている。
歌いながらも何かを言っているシンドバットの話を聞く限り、巨人は閉じ込められており、それを助けようとする図、らしい。
巨人もまばたきしている。
さらに進んで行くと、その巨人が楽器を弾いているシーンが出てきた。
うまいこと助けられたようだ。
シンドバットはいつもどおり歌っている。
ここでシープロがまめ知識として、この「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」はあまり人気がなく、テコ入れがされたらしいこと。
そのさい、小さい虎が導入。
一方で、前Verでは洞窟の巨人が人を食べようとしているシーンがあったらしいこと。
この3つを教えてくれた。
本当だろうか。
巨人はまばたきしている。
航海は、再度町に到着することで終了した。
冒頭に感じたエンディング感は間違っておらず、やはり町で大勢に歌われると、もうエンディング以外の何者でもない。
それを再確認できた。
「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」、超おすすめである。
出会いは快晴の下で その2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
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もっとアラビアを出そうと思えば、できただろう。
そんなたたずまいの建物を前に、これまた僕はどういうアトラクションなのかを知らずにいた。
私たちにとってアラビアは、位置的に近くはないが特徴的なイメージを持ちやすい地域。
それを考慮すると、この建物は非常に謙虚だ。
そんなことよりも、これから安全ベルトが必要な乗り物が搭乗するのかが心配だったが、シープロの雰囲気、言動をつぶさに観察する限り、シンドバットのやつは危険ではなさそうなやつである。
「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」
これだけではよくわからない。
なぜかこのアトラクションはファストパスを手に入れてなくてもすんなり入れるようだ。
というか、列ができていない。
一般的な建物よりも妙に暗い入り口を過ぎると、水の流れる音が聞こえてくる。
「水の流れがない、淀んだところには悪霊がいる」
今のは関係ないが、20人くらい乗れるボートが5m幅の人工川に浮かんでいる。
これに乗ってゆっくりと何かを見るらしい。
そら乗るね。
スタートダッシュだけは早いそれは、暗くて音楽が流れている方へと、自動的に向かっていった。
出会いは快晴の下で その1
昨日からのつづき。
【あらすじ】
5月27日にディズニーシーに行ってきた。
=====
どうやら、引くほどにキャッキャ言っている僕を見て、シー玄人のひとりは次のアトラクションについて心配になったらしい。
「次のところはそれほど面白くないかもしれないけど・・・」
これは僕にもいやというほど経験があるのだが、よく知っているものを誰かに教える時、それが自分のものでないとしても、自分のもののように話してしまう傾向が、玄人であればあるほど見られる。
それほど好きなのだ、その人はディズニーを。
なんだよー。
あなたがプロデュースしたんですかい?とやってみたところ、「いやあまだまだ」。
まだまだだそうである。
そのアトラクションへは結構歩かねばならないとのこと。
「ストームライダー」の建物を出て、シー玄人についていくと、ぼちぼち小さい露店のようなものが販売を開始していることに気づいた。
飲み物やキャラクターの帽子を売っている。
日常生活においてでは、あまりにはしゃぎすぎているキャラクターの帽子だが、なるほど。
ここでならむしろかぶったろうかいという気分にもなる。
シブい団塊世代なおじさんがミッキーの帽子をかぶっていたりすると、違うミッキーしか思い浮かばない。
ということが、ここではないのだろう。
シー玄人はどんどん歩く。
いじらずにはいられないような遺跡風アトラクションがあっても、気にしない。
この遺跡には、あとで来れたりするのだろうか。
もし来れないのなら、僕のなかでは「シーに謎の遺跡風何かがある」という思い出しかできないから、ぜひあとで来てほしい。
そう思いながらも付いていくと、周りががらりと印象を変える。
そのアトラクションは「シンドバット・ストーリーブック」といった。