「かっとばせよ かっとばせよ レフトスタンドへ」というような旨の野球応援歌があったような気がする。
明け方、頭の中に流れてきた。
いつ聞いたんだかはわからないが、だいぶん昔であることには間違いない。
ただ、メロディは昔聞いた風な感じだったのだが、肝心の内容がこんなだった。
「アンニョハセヨ アンニョハセヨ レフトスタンドへ」
三波春夫が野球場でコンサートでも開いたんだろう。
明け方。
それにしても野球の応援歌というものは、なんというか即物的でいい。
基本的には「打て!!」だから。
となると気になるのがピッチャーに対する応援歌はあるのかという点だが、実はそれほど気にならないので各自調べてもらいたい。
おそらくは野茂投手の例のアレくらいしかないのではないだろうか。
そうでもない?。
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何となく考えた応援歌
やってきました 重戦車
ピッチャー震えて ナックルボール
とどめだ 打球はスペースデブリ
ふるうバットは 海を割る
十戒待たずに コールド勝ちだ
アンニョハセヨ アンニョハセヨ レフトスタンドへ
とんがってはいても、あいさつは忘れたくないよね、ほんと。
月: 2011年6月
明日の予定
「夕食がトンカツだということは、あなたは私を励まそうとしているんですね」
「そうです。勝つ、ですから」
「そうなると、その付け添えがアスパラガスのソテーであることは何か意味があるんですか」
「そうです。明日がパラダイス、ですから」
「その積極性が、魅力的ですね」
「ありがとうございます」
「あ、あなた。今私に微笑みましたね。それは何か意味があるんですか」
「あなたの「勝つ」だとか「明日がパラダイス」とかに、私を巻き込もうとするのはやめてくれませんか」
「・・・」
例のパラドクス。
もう43年も前にもなるか。
僕は不思議な体験をした。
といってもせいぜい1秒くらいの間。
どこからともなく「ある時間を告げる声」を聞いた。
それだけ。
ただ、気になるのはその内容「2034年11月2日16時4分」ではなく、どちらかというとその声が自分のようだったということだった。
そして今、2034年11月2日16時。
あのときの体験の全貌がわかった。
あの声は過去へ飛んだ、僕自身の声だったのだ。
実験段階のタイムマシンに乗って過去へ行く。
時刻を入力して過去への移動中の今、そのことに偶然気づいた。
それまで、あの不思議な体験のことなんて思い出さなかった。
偶然に、実験の時刻として「あのとき」を選んだのだ。
僕は告げたんだ。
過去の自分に、タイムマシンに乗り込んだときの未来の時間を。
理由はひとつだろう。
「お前はその時間に、ここに戻ってくるんだぞ」だ。
本当はそう言いたかったんだろうが、タイムマシンの性能なのか、事故でもあったのか。
時刻しか告げられなかった。
そして僕が今何より感動しているのは、あの体験のことを「偶然」思い出したことだ。
どうも僕はこのタイムトラベルで、過去の自分に今の時間を教えることになる。
そのことをタイムマシンに乗り込む前に思い出してしまっていたら、未来の自分には申し訳ないが、作為的に時間をずらしてしまったかもしれない。
それが、タイムトラベル中の今、思い出した。
もう行き先の変更はできない。
これほど過去の自分に告げることが明確なことなんてないだろう。
思い出した偶然と言うべきことが見つかったこと。
あの日の不思議さが、タイムトラベルの醍醐味であることに気づけたこと。
これらは、僕を強く感動させた。
タイムトラベラーがトラベル真っ最中に、時間を止めたいなんて思うとはね。
卒業文集 15番
卒業文集
15番 宋
みんな卒業おめでとう、そしてありがとう!!。
そうです。
宋です。
王朝だからって威厳ぶるようなことはしたくなかったんで、ずいぶんおちゃらけた私を、みんなは体よく無視してくれましたね。
なんたって踏まれてましたから。
ってそれ宋じゃなくて床だよ!!。
なんとなく宋に比べて、床は木が右側から出られそうだよ!!。
ぼんよよよーん。
さて、こうして私が南と北の双子だということはみんな知っているでしょうか。
双子だったんです。
だからいつも競っちゃって競っちゃって。
でもいつも北のほうが先なんですよ。
って双子の件は宋じゃなくて宗だよ!!。
宗兄弟への持って行き方、無理がたたってるよ!!。
そしてこの手のだじゃれって、どれほどパソコンの変換機能に頼ってんだよ!!。
ぼんよよよーん。
さて、宗とくれば私の思い出すのが「ぼくらの七日間戦争」の「宗田理」。
王朝として気になるのは、やっぱり「七日間」ってとこです。
へえ七日間でね、という感じです。
みなさんとは七日間どころではなく三年間戦争をしてきたわけですが(おいおい)、それも卒業です。
12チャンネルで「宋時代の磁器です」なんて言葉を聞いたときは、私のことを思い出してください。
Q
掃除機でキーボードのQを吸ってしまった。
「Qを吸う」となると、何となく「ウルトラQ」という昔のテレビ番組オープニングを思い出す。
あれは怖かった。
なんか粘性の高そうな液体表面が渦巻いていて、しかもなんなんだタイトル「ウルトラQ」って。
実は番組自体を見たことはなく、そのオープニングを何か別の番組で見ただけなのだが、とにかくおぞましかった。
そしてキーボードのQが吸われる事件。
ウルトラQほどではないにしても、Qらしきカラカラした音が掃除機本体へ入っていくのはなかなかおぞましかった。
しかし普通なら、ここからQを探す旅のことでも書くのだろうが、例え手元にミクロ化装置があったとしても。
あるいは掃除機本体をぱかりと開ける労力があったとしても。
もういいやの心境。
Qはもういい。
多分いらないよ。
確かに余り使わない気がする。
せいぜいパスワードに使っていたりするときくらいじゃないだろうか、日本人のQ使用量。
それに、もしQを入力したい場面が訪れたって、「きゅー」とうてばそれは現れる。
あるいはどこかのサイトにあるQを持ってきてもいい。
キーボードの左端が少し寂しいことになっている。
しかし上に挙げた理由のように、Qのボタンはいらない。
ないことに全然疑問を感じない。
激励の本質
「早くお前も、名乗るだけで改札を通れるような人間になれよ」
これが激励に属するものかどうかはわからないが、そんな感じの「励まし方」というものがある。
政治家は通れるんだっけか。
長島さんはそんな逸話を持っていたっけか。
両方いまいち思い出せないが、まあこういうのは職業別にありそうだ。
「早くお前も、名刺からだしが取れるような料理人になれよ」
身近に料理人の親戚、友人はいないだろうか。
和食がいい。
その人のこう言ったら、どうなんだろう。
励ませているのだろうか。
「早くお前も、翼の先端から煙を出していいようなパイロットになれよ」
身近にパイロットの親戚、友人はいないだろうか。
むしろ旅客機パイロットがいい。
映画やフェスティバルで、戦闘機の翼の先から煙が出ているのを見たことがある。
あれはかっこいいので、本来絶対行ってはだめそうな旅客機パイロットがあれをやれるくらい。
そのくらいになれよと励ましているのだ。
「早くお前も、他のサラリーマンが思わず振り向くようなサラリーマンになれよ」
この流れでは、職に一般的な特色のない職業は難しい。
サラリーマンがそうだ。
だから、他のサラリーマンの憧れになるような、を表現してみた。
しかし問題は、「思わず振り向く」のが「憧れ」に直結しなさそうなところ。
ちなみに、こういうのもいけるはず。
「早くお前も、10件の電話に一斉に対応できるようなサラリーマンになれよ」
現代版聖徳太子だったのか、憧れのサラリーマンは。
2132年
近年問題となっている「攻撃性香水」の対抗する新薬について
攻撃性香水とは、従来の香水に「強力な媚薬効果」を持たせたものです。
媚薬は人類のテーマとも目されるほどその研究が盛んなものでしたが、5年前に完璧な媚薬効果を持つ物質が単離され、強力な媚薬が女性側、男性側ともども開発されることとなりました。
しかしその強力さゆえ、ゆきずりの恋が多発、社会問題にまで発展しています。
それを受けて3年前に我が社が開発したのが「対香水性香水」です。
これは「攻撃性香水」の媚薬成分に結合し、その効力を押させる働きを持つ粒子を含んでいます。
よって、香水に惑わされることがなくなります。
この機能により、商品は製造が追いつかなくなるほどの人気商品になっています。
しかし問題が発覚しました。
こちらをごらんください。
我が社3年間の結婚した人の割合です。
4年前までより3から4割、今年に至っては5割低下しています。
ここから推測されることは「対香水性香水」は人間本来が持つフェロモン、あるいは魅力自体すら減損させている可能性です。
そのような効用は商品としてはうたっておりません。
これが現在の問題です。
いかがしましょう。
社長「なんだ。むしろ売り口が増えるじゃないか」
中央
結構文庫本を読むのだが、1ページの文章の配置を中央にしたら面白そうだと考えている。
密度の濃いページはほとんど代わり映えしないだろう。
しかしちょうど物語が終わり際。
そのため1行だけページが変わるときだと、それがさもすごく意味ありげな1文に見えそうだから。
たまたま見つけた文庫本で「1行だけのページ」がなかった。
あんがいこういうのは作家も出版社も気にしているのかもしれない。
「このページ、1行しか書いてないから、その分安くなるでしょ?」
仕方がないのでセンター1行だと面白そうな文を探してみた。
「前から知ってたけど」
そうか、前から知ってたのかーと思いが広がる。
「ってきていて」
それ以上でも以下でもない内容どころか、意味を失ってしまった分。
しかし中央に1行だけだと意味深。
もはや芸術性すら感じる。
それにしても小学校の頃「行の最初に小さい「つ」を持ってこないようにする」という教育を受けたような気がする。
この文庫本はいったいどうなってんだ。
「都度答えた」
これが1行、中央にあるページってすごい。
官能的だ。
そして食いつく。
「都度!!」
「捨てたりしていた」
今では省エネのことを考えずにはいられない。
こんなことしてないで、パソコンも消すか。
全然すっきりしない。
フリスクの出口横の小部屋についてでも書こうと思ったら、すごくいろんな人が気にしているようだ。
ならもういいか。
十分だ。
だから「一般的な日常生活で、ミサンガを編む方法」とかを考えるか。
まず思いつくのが「長い糸を前で交差させてその端を両手で持つ。その状態でラジオ体操をすると、第二終わりには右腕にミサンガができている」とかだ。
すごくいいが、ちょっと動作が足りないかもしれない。
動作が足りないのならもっとラジオ体操をすればいいのだが、度を超えたラジオ体操はもはや主張だから、やりすぎには注意だ。
なんたってその主張はミサンガ関連になるわけだし。
劣化はひどく、自然なこと。
「君んとこのホームページさ、遺伝学のことがくわしくて、すげーレポート書くときに便利なんだけどさ、なんかこう、字が読みにくいんだよね」
「これってブラウザのせいとかだったりするの?。そういうことあるのか知らないけど」
たぶんそこ、テストに出そうな、重要なところだろ。
「そう、そうなんだよ」
どうもそういうのってみんな欲しいから。
コピペのやりすぎでそうなるらしいよ。