シーク音

「お前は何かおもしろいことを考えるとき、頭のところからシーク音がなっていそうだ」
なんとなく光栄である。
ただ、結構まえに言われた事であり、今後はちょっと古くなってくるのかなシーク音というのも、という気もする。
この流れでいくと、考えるときにどんな音が頭から出ていたら「あの人は真剣に考えているんだな」と思われるのか。
それでいいかもしれない。
そんなことを考えて夜中の1時。
いいかもしれない。
オルゴール、流れていいかもしれない。
考えだすとオルゴールの何かの曲が流れ出し、考えをやめると止まる。
電話のおしゃれな呼び出し音みたいで、いいかもしれない。
でも実は、その人は脳の手術をしたことがあって、そのときの医療ミスでオルゴールを脳内に残したまま縫合されてしまったのかもしれない。
「あたまのなかのオルゴール」って、なんかノスタルジックでいいかもしれない。
てんぷらの揚げる音というのも、いいかもしれない。
あの、ぎりぎり体中を平手で叩きまくっているような音が考え事をしているとき、周りの人には聞こえるのだ。
不思議の国のアリスでいなかったっけ。
「考えごとをするとき、頭からてんぷらを揚げる音がするおじさん」。
ただ、てんぷらの音では「真剣に考えている」というのはどうもつながらない。
せいぜい「てんぷらのことを真剣に考えている」だろう。
てんぷらのことを真剣に考えているときに、てんぷらを揚げる音がしちゃったら、いわゆる「サトラレ」だ。
「サトラレ」って見た事ないから、これといってないんだけどね。
今宵も、頭からはからりとも音がしないんだけどね。

熱い紅茶をどうぞ。

アンケート7
「バームクーヘンの真ん中がありませんが、あれはどのように再利用されていると思いますか」
1位:品質確認のため、製造者が味見
2位:製造過程上、真ん中などない
3位:来訪者に対するふるまい
4位:冬に木の枝に刺しておくことによる、鳥のえさ
5位:細かく砕いて生地に混ぜ込んで再利用
6位:お昼ごはん
7位:結果として伊達巻き
A「このような結果が出ました。」
B「うーん。意外にも味見が堂々の1位だね」
A「そうですね。ちなみに上位3位までで全体の約90%を占めています。」
B「うん。じゃ、次をみてみよう。」
「バームクーヘンが食用以外で利用されるとしたら、どのような用途が考えられますか」
1位:エリザベスカラー
2位:公園の遊具
3位:サンドペーパーに擦りあて、その減りで目の粗さを定量的に判定する
4位:いい香りのする、円座クッション
5位:「おかしのくるま」におけるタイヤ
6位:つぶして楽しむ
7位:くぬぎに詰めて集まってくる虫を捕る
A「食べた方がいいですね。」
B「そうだね。」
註:
アンケート「幻の原住民をどうぞ。」
アンケート「居酒屋をどうぞ。」
アンケート「お手をどうぞ。」
アンケート「首輪をどうぞ。」
アンケート「おはしをどうぞ。」
アンケート「TSUBAKIをどうぞ。」

有名

「うなぎの極厚かばやきで有名な呉服店」
こう言われたとき、何を考えればいいのだろうか。
「呉服店でうなぎを出すのだろうか」
「なぜうなぎを出すようになったのか、その経緯はどうなっているのだろう」
「うなぎで有名なんだったら、呉服店ではなくうなぎ屋をやればいいじゃないか」
もっともである。
しかしこれらは、どちらかというと「呉服屋でうなぎを出すな」という思想に根付いたものである。
そんな否定的な観点からものを見るのはよくない。
「呉服店でよかった。ブティックじゃないだけいい」
こういう考え方の方がいい。
「うなぎの極厚かばやきで有名なブティック」
こうなると、もちろん「うなぎの蒲焼きが有名でよかった。マネキンの稼働部つなぎ目を隠そうとしないことで有名じゃないだけましだ」となる。
「マネキンの稼働部つなぎ目を隠そうとしないことで有名なブティック」
うかつなブティックだが、大丈夫だ。
こう考えればいい。
「ブティックでよかった。プロモデラーだったらたいへんだった」
するとこうなる。
「マネキンの稼働部つなぎ目を隠そうとしないことで有名なプロモデラー」
たいがいのプロモデラーのことであり、これがたいへんなんだとしたら、つなぎ目を隠さない事なんて対した事ではないのだ。

アスパラガス

いつごろか書いたような気もするのだが、検索で引っかからないため今回挙げさせていただくアスパラガスについて。
「アスパラガス」とは何か。
こう尋ねられたら、僕は自信を持って「先端です」と答えり。
お、なんかいいんじゃないだろうか「答えり」。
厳か感が増す。
まあそれはいいのだが、とにかくアスパラガスは「先端」である。
あそこが一番うまいんだ。
このことはほぼみんなに当てはまると思っていた。
みんな先端のやわこいところが好きで、茎?のところは「先端を収穫する上でどうしても生じるものだから、カタいけど仕方ないか」という感じで食べているのである。
ところがそうでもないらしい。
茎派がけっこう多いのである。
現在の統計上、先端:茎が6:4くらい。
アスパラガスということで、スパゲティが好物な女の子の意見が得やすそうだが、そこは統計。
ちゃんと野郎にも聞いている。
ともかく先端よりも茎がいいなんて、ちょっと意外に思っている。
そして食い分けが成立していることに感心している。
ポッキーの両端から食べていくという往年のラブゲームがあるが、見た事ない。
しかしもしあったとしても、その端には差異がある。
すなわちチョコレートがおいしい端と、手で持たれてしかもチョコない端。
どちらがいいかは言うまでもなく、自分が残念な手持ちの方だった場合は相手がミポリンとかゴクミとかのレベルでなくてはバランスが取れず、さすがに「ミポリン」だったのか「ミホリン」だったのかすら思い出せぬ。
もちろん、自分がチョコレート部分の方だったとしても、ポッキー両端食べの相手がぜんぜん知らないひとだったら、いやだ。
となると自分はチョコレート側で、しかも相手がミポリンだったらどうだという気にもなるが、そこはミポリンの心情をないがしろにするわけにもいかずもうしわけなく、えいポッキー両端食べなんてやめてしまえと解けないレイトン教授の何作目かのDSを布団の上にやさしく叩きつけり。

黒ひげ

黒ひげ危機一発について気になる事ができた。
「なぜ剣を刺すと飛び上がるのか」
僕が思いつくのは「剣が刺さってびっくりした」くらいだ。
海賊家業においては、何か失敗すると樽の中に頭だけ出して詰められ、剣をさされたりそのまま海に投げ込まれたりするという、残念な法的処理がなされることでもあったのだろうか。
そもそも樽の中にいる黒ひげが、いったいどういう状況なのかがいまいちわからないのである。
<黒ひげが樽に入っている理由>
樽を風呂桶として使用した、入浴中
自分の表皮についている細菌を利用した新しい醗酵食品の開発
海賊特有の寝床
樽の中が低反発素材で満たされており、入るとマッサージ効果
水の満たされた樽の底に小銭を落としてしまった
ともかく、黒ひげは樽の中。
そして剣の登場だ。
剣を刺すとなぜ飛び上がるのか。
冒頭にも書いたように、「剣が刺さってびっくりした」が有力のような気がする。
なにせ剣が刺さると驚くものだし、あの瞬発的な飛び上がりは何か緊急性のあるものを想像させるから。
しかし考えてみてほしい。
剣が刺さっているとき、絶対飛び上がってはいけない。
飛び上がる事によって、刺さっている箇所から下方にさらなる切創が生じてしまう。
傷口がひどく広範囲になってしまうのである。
たまたま「刺さるところ」が足先だったらいいのだが、胸や肩などだと、飛び上がる事によって致命傷にもなりかねない。
現在、正式ルールは「飛び出させたほうが負け」なのだそうだ。
そう考えると「傷をより負わせたほうが負け」となり、そこはどうも結構海賊っぽくないのである。
※ウィキペディアによると「樽の中で縛られた仲間を助けるため、剣を刺してロープを切り、助ける」とある。
刺される剣の位置を見て、黒ひげが樽の中でくねくねと体を動かすさまを想像するとかわいいし、ロープが切られたときの喜び跳躍というのもかわいい。
しかしルールに則ると「助ける」と負けということになり、よくわからん。

よみがな

「どぜう(どぢやう)」「てふてふ」などである。
例の「おもしろ読み」の余地のある彼ら。
どういったことがあってか分からぬが、これらはそれぞれ「どじょう」「ちょうちょう」と読ねばならないとのこと。
なんでだ。
それはさておき気になるのは「本当に「どぜう」と読んでもらいたいとき」はどうすればいいのか、だ。
例えばこんな文があったとしよう。
「幼少から現在に至るまで、人は一度くらいは「どぜう」を「どぜう」と読んでしまって恥ずかしい思いをするものだ」
「しかしその恥ずかしい経験は「どぜう」を「どじょう」と読むためには必要なのである」
「しず子は思い切ってまことに聞いてみた。「レディガガって、シーハルクみたいなもの?」」
最後のは関係ないが、とにかくこの文面に出てきた「どぜう」は読み方としては全て「どじょう」となるわけであるが内容上、「どぜう」と読みたいところもあるわけである。
「@」はどうだろう。
※以下、どぜう発音してほしいところにて採用してみる。
「幼少から現在に至るまで、人は一度くらいは「どぜう」を「@どぜう」と読んでしまって恥ずかしい思いをするものだ」
@のところは「そのまま読み」で、結果「@どぜう」と読むわけ。
しかし文章ならいいが、日常的な会話にてどうしても「@どぜう」と発音しなければならないときは難しい。
「アットどぜう」っていうのもなんだし。
かといってそのまま「@どぜう」と発音してしまうと、相手が「どじょうね」と判断してしまうため、結果「@どぜう」という読みは置換されてしまうのだ。
会話中の場合、どうするか。
そんなことを考えていると、どうも日本人は今後絶対に「@どぜう」「@てふてふ」なる何かを生み出してはいけないんだろうな、と思えてきた。

覚えられなう

ひどい話なのだが、僕はどうも「一度覚えられなかった人については、ずっと覚えられない」らしく、Twitterだと「覚えられなう」とでも言うだろうか。
ともかくそんなで、とりあえず「覚えられなう」なんてもう二度と使わないから!!。
先日、へんな串に刺さった肉を食べに行ったのだが、僕はそこで「以前会った事あるはずの人物」のことを、まんまと思い出せなかった。
全然違う人だと思っていた。
ところが話しているうちにどうも「以前会った事あるはずの人物」であることが判明。
全然違う人だと認識していた僕はそのことに驚き、「まあ大きくなって」などと醜態をさらしたわけだ。
ただ、この癖?でとにかく心配なのが、「どこぞの会ったところで話した事を、次に会ったときも同じ風に話していないか」ということ。
これは非常に恥ずかしい気分になる。
まったく同じでも恥ずかしいが、少し抑揚や内容が違っていたりしてもいやだ。
なんや、おまえは時と場合によって同じ話を変えるのかい。
そんなことがあったりしたら恥ずかしいことこの上ない。
ただ今、ある話内容を変更せざるを得ない、あるいは変更したほうがいいということもあるんじゃないかという気もしてきた。
例えば「ウルトラマンセブンのウルトラアイみたいなメガネをかけてきた人の話」をする場合。
話し相手が「ウルトラマンセブンのウルトラアイ」について知識がないと判断されていれば、そこは「シャアのお面」と言い換えたほうがいいはずである。
もちろんこの例では「ウルトラマンセブン世代とガンダム世代はそれほど離れていないから、この言い換えはおかしい」という意見も出よう。
そのときは「シャア」の部分を、その人の世代に合ったガンダム作品から選ぶ事のできる「シャア枠の人」に変えるだけでよく、そう考えると「ウルトラマンセブンのウルトラアイ」の説明はどんな世代にも通じるということで、本当によかった。
まあ今回何が言いたいかというと、なんか同じ話することあるかもしれないけどごめんね、ということ。

様相

今年の花粉

とうとう目がかゆくなってきた。
すごく花粉が多いよという今年の、花粉症だ。
かくほどにかゆさが増す事は、もう十分にわかっている。
しかし今年はやっぱり花粉量が多いのか。
眠っている間に、無意識のうちに目をかいてしまっているようなのだった。
診療所の医者に言われてしまった。
「かくと、もっとかゆくなるんだけどね」
わかっている。
わかっているよ。
寝ているうちにかいちゃっているんだよ。
目をこするとレモンのかおりが出るんだよ。
こすりでかゆさを超越する挑戦なんだよ。
鼻水もひどい。
「鼻をすすると、もっとすすりたくなるんだけどね」
これは言われてないや。

ふきこぼれるまえに。

なんか分からないが「ラブホテル 差し水」っていうのが思い浮かんだ。
当方ラブホテルのやっかいになったことがなくその点残念なのだが、なかなかいいホテル名だ。
もちろんラブホテルの用途と、差し水の用途の差異がおもしろい。
しかしその差異には、「差し水」の家庭的な部分も存分に入っているだろう。
しかしこれはどうだろう。
「ラブホテル びっくり水」
これはちょっとありえちゃうよなあ。
何かが。

冬がはじまっていたよ

今年はなんだか寒い。
そのせいか、よくわからんタイミングで関東にも雪が降ったりした。
珍しい雪を持ってきたのに。
ちょっと前のニュースなのでいつ頃か忘れてしまったが、どこかあまり雪になじみのない地方の話。
子供たちのためにか、雪を輸送してきた人がいたのだ。
しかし、その場所ではちょうど季節外れの雪が舞っていた。
輸送してこなくとも、雪が見れてしまったわけである。
なんとなく決まりの悪そうなその人。
ただ、その人を紹介するテロップはよかった。
「雪を持ってきた人」
雪を持ってきた人。
槇原敬之とか松任谷由実のシングルで、なかっただろうか「雪を持ってきた人」。
その人は残念がっていたが、十分神秘的ではあった。