ここどこ

人間の面白さとは、移動距離に比例する。
そんなことを書いた本があったように思う。
異論はないが、その質にも注目したいところ。
人生の総移動距離の大半がルーチンな行動によるものだったら、それを随時加算してもよいか。
よくない。
見飽きた風景のなかの通勤通学は、それほど濃厚でない。
それを目指すなら、けっこう神経を澄まし続ける必要がある。
一方で「総移動距離の大半を反復横跳びに費やしました」だと、これはかなり面白い。
彼の通った学校の体育館は床を補修している。
ところでそうなると、ルーチンじゃない行動というのはどうすればいいのだろうか。
旅行してみる。
いつもとは違う駅で降りてみる。
電柱に番号をふってみる。
いずれも新鮮さというものがひとつのキーワードになっている。
しかし、僕はこれらがルーチンじゃないとは、どうしても思えない。
旅行してみる。
どこに旅行したかは、たいがいの人は分かってしまっているのだ。
新鮮じゃない。
いつもとは違う駅で降りてみる。
これもしかり。
電柱に番号をふってみる。
思うに、既にふられている。
空港についたとたんに全身剛毛になるとか、駅から出ると無重力とか、電柱のかわりに中学生が電線を持っているとか、そんな非日常は得られない。
「ここどこ?」という気分すら味わえないだろう。
せいぜい「ウズベキスタンだけれど、これからどうしようか」ぐらいだ。
「何かは分かっちゃってる」のであり、それは新鮮さは薄く。
こんなときは、久しぶりなRPGを一本引っ張りだすのがいいかもしれない。
少々のデータロード後、すぐさま「ここどこ?」を体感できる。
どこにラスボスがいるのか。
そもそもどうやったらそこまで行けるのか。
ストーリー上、ここはどこだ。
飛空挺、どこ。
ゲームの定石も覚えてないから、かなりちぐはぐな行動しかできないはずだ。
それは面白いか。
もちろん面白くないのである。

折り紙

折り紙の本が、すべて文章で構成されていたらどうだろう。
図解なら明快な「折り鶴」も、文章ではわかりずらく、読み解く意思も薄れていくだろう。
どこをどのくらい折るかでも、もう読み疲れてしまうだろうから。
ということで「文章のみの折り紙の本」で重要なのは、ひとときの休息を与えてくれるだろう「コラム」。
折り紙に関するコラム。
それはおそらく数十ページ毎ごとに現れ、メンタルローテーションでへばった読者をやさしくいたわってくれるはずだ。
「折り紙の歴史」
これは外せない。
折り紙はエジプトで誕生した。
ミイラをどのように包むかを純化、作法として確立したダプト氏が発案者とされます。
包ませたら一番と名高い氏は晩年、「ダプト式低露出法」を発明。
これがほぼ「かぶとむし」の折り方であるため、折り紙通は「かぶとむし」を「ダプト」と呼んだりします。
あなたもこの本を読んで、かぶとむしのことをダプトと呼べるようになりましょう。
こんなコラム。
「折り紙発!! 事件あらかると」
メモ帳に折り紙を折った跡!!
妻の知らなかった折れスジから、浮気が発覚!!
夫、折り合いをつけるため、妻に折れた!!
世界最古の折り紙の本が、折られちゃった大事件!!
科学分野だけじゃない折り紙の発想!!
折り鶴をほぐしてまた折り鶴を作ることによる、秀逸ひまつぶし1選!!
こんなコラムも。
そして文章のみの折り紙本に色を付ける、抱腹絶倒折り紙話。
合コンで、伝えたいことをメモに書いて、それを「せみ」で。
昔のトイレットペーパー風に、折り紙を置くことでトイレタイムも充実する。
遊んだ折り目のせいで、カルテ開示に踏み出せない。
紙飛行機にした離婚届が、すっと窓口へ。
どう開けようとしてもお札が破けてしまうような、祝儀袋の包み方。
迷惑だなコラム。
しかも気になるのは、そもそも折り紙に抱腹絶倒を求めているのかという点だ。
図があったって、そうそう折り紙で抱腹絶倒にはならない。
「たのしいおりがみ」
もくじ
1 いのち の折り方
2 まえばり の折り方
3 ひつぎ の折り方
4 はるさめ の折り方
5 てにもつ の折り方
このくらいで、ちょい気になるくらいだ。

予備

「007」が何を表しているのかというと、どうやら「スパイは1000人弱まで」ということなのだろう。
調べていないので恐縮なのだが、「000」は別格の人につけられるだろうから、実質999人。
この考えは、10人目である。
10人目で、正しいかどうか分かる。
「0010」。
これが困る。
「00」は接頭語のようなものだったのか。
そう考えられても仕方がない10人目だ。
接頭語だとしたら。
それは数あるもののなかでも最初のほうになりました。
いわばエリートです。
そう思わせる効果があるのではないだろうか。
最終的に7人までしかスパイになれないとして、そのなかでの「007」。
本来は末っ子なのだが、「00」のおかげで、かなり初期に就職した手練である感がお手軽に演出できているのである。
しかし、やはり数が多くなると、その感じも薄れる。
「007942」
7942は管理者ハンドルネームの一部であるが、それにしてもここまでくると手練感は薄れる。
むしろ100000を待たずして、これ以上増えませんという感じの方が出ている。
もしくは何かの管理番号である。
これではいけない。
少々かっこわるくなることを覚悟しても、「00」を接頭語として考えるのはやめるべきだ。
ということで、こうなりました。
「スパイ794.2」
端数である。
端数はいけない。

つかみとる。

最近感銘を受けたもの。
「すなぎもつかみどり」
それは朝刊に入っていた一枚のペットショップのチラシ。
そのでかいペットショップで開催されるらしいイベントの一つが「すなぎもつかみどり」。
「ペットたちの大好物のすなぎもをたくさんとろう!!」みたいなことが書いてあった。
それにしてもなかなかいいでしょ?。
すなぎもつかみどり。
闘鶏の技か何かにあるんじゃないだろうか。
これよりもいいのは、なかなか思いつかない。
「関係なしくずし」
お、適当に考えた割にはいいのが出た。
「みんなはやとちり」
学園ドラマの第5話くらい。
「セルライト揉みしだき」
揉みしだいて、セルライトをたくさんとろう!!。

サイドカー

僕はサイドカーを見たことが、数えるほどしかないと思う。
最後に見たのは、いつだっただろう。
サイドカーというと、まず考えてしまうのが「走行中に本体から外れてしまった場合」のことだ。
エンジンはついていないと思うのだが、そんな事故のことを考えてしまうと、せめてブレーキでもついていれば。
しかしブレーキがあると、そのことが「走行中に本体から外れてしまった場合」を引き起こしそうだ。
そうとまで行かなくとも、ブレーキをかけたとき、サイドカーを内側として本体が弧を描いたり。
ところで、サイドカーを見た訳でもないのに、唐突に僕が思いついたのは「サイドカーに何が積んであったらよいか」だった。
そして同時に「とれたてのカブたくさん」「朝市」というキーワードも出てきた。
そうか。
朝市に搬入できるか、むずかしいところだったのか。
次に思いついたのが「闇米」だ。
そうか。
すぐ逃げられるのか。
次は「洗濯物」だ。
そうか。
コインランドリーに持っていくのか。
それとも乾きが早いのか。
オカモチもいいし、スイカも映える。
仮面ライダーが乗っていたら、ああサイクロン号修理してるから、これでベルトのやつ回すんや、と感慨深くなるだろう。
サイドカーは、もっと需要があってもいいと思った。

7942の「再測定」

この文庫本は、読むのめんどくさそうだなあ。

20mm
歯磨き粉は少なくても、一度でこのくらい使わないといけない。

10mm
わき水も、このくらいいきおいよく噴き出てくれたら天然噴水って言えるだろう。

300mm
チーズかまぼこは、このくらいの間隔で大粒のチーズが見え隠れしているやつがいい。

5mm
このくらいの差なら、同じ身長だと言い張ることができる。

15mm
席をゆずるには、遠い。

350cm + 40代後半
この大きさではいくらオオクワだと言っても、もはやコクワだ。

40mm
初めて手を握ろうと手を探ったとき、一番緊張するところ。

10mmのち融合
7942の「測定」

あれと呼ばれたオブジェクト

使う頻度の高かった言葉はその歴史の中で、より簡潔に短くなっていったに違いない。
例えば、かに。
おそらく海辺に昔からいておいしい彼らを、我々の祖先がほっておいたはずはない。
昨日捕まえた「波とともに足音なく近づくえもの」がうまかったよ。
当初はこんな名前だっただろう。
要は、説明なのである。
現在我々が認識している名前という概念がなかったため結局、汎用的にかにを示す何かが、なかった。
それゆえにミニ説明なのである。
しかし、人類がかにに触れてから、そこそこの期間はこの長い名前だったが、問題が出てきた。
もちろん「長くない?」ということである。
その、今まで重視されていなかった「名前の長さ」が問題になったのは、おそらく「おい、あそこの「波とともに足音なく近づくえもの」を捕まえろ!!」と言っているあいだに「波とともに足音なく近づくえもの」が逃げてしまったというシーンである。
我々の祖先はこのとき「何かがまずかったせいで、波とともに足音なく近づくえものがとれなかった」ことを猛省し、同時に時間という概念を取得しただろう。
時間がかかればかかるほど、何か起きてしまうのである。
この場合、時間がかかったために、「波とともに足音なく近づくえもの」は遠く遠くに行ってしまった。
足音どうこうなんて関係がなく、波の動きも関係なかった。
ただ、このへんで「じゃあみんなが認識できる言葉で、あいつを表現しよう」という運動に発展したかどうかとなると、少し怪しい。
とりあえず「波とともに足音なく近づくえもの」自体を早く言うことで解決しようとしただろう。
「足音なく近づくえもの」
「足音ないえもの」
「あしおとえもの」
「あえ」
「あれ」の誕生。
「あれ」は「かに」よりもちょい早めの誕生なのである。

置換三昧

「いっぱい」の「い」を「お」に置き換えたら・・・な感じのシリーズ。
1.浅野内匠頭の「い」を「お」に置き換えたら
浅野 いにお
2.大江健三郎の「ざ」を「お」に、「け」を「お」に、「ん」を「お」に、「ぶ」を「お」に、「う」を「お」に、「お」を「※」に置き換えたら
怪しげな魅力増す
3.マツコデラックスの「ツ」を「つ」に、「コ」を「縫合」に、「ク」を「触手」に置き換えたら
大手術
4.つのだ☆ひろの・・・

5.枕元のケータイを硯に置き換えたら
寝坊

卒業文集 14番

卒業文集
14番 姓名判断
ご卒業おめでとうございます。
みんなが卒業できることは、だいたい分かっていたのですが、やはりそのときになると感無量です。
僕も一緒に卒業できることを誇りに思います。
僕がどのくらい誇りを持てるのか、それもだいたい分かっていましたが、卒業式のときの校長先生の話は感動的でしたね。
僕も泣いてしまいました。
・校長先生の話の感動ぐあい
・誰が卒業式で泣くか
・体育館内における涙の総量
この辺もだいたい分かっていました。
僕はその人の名前を聞くだけで、だいたい分かってしまうのはみなさんご存知のところです。
だから、みんなが卒業できることは、だいたい分かっていたのです。
ところでこのような占いを信じない人もいました。
宋くんもそうでした。
しかし、実は信じる信じないどころではないのです。
すべての事象は、すべての占いから生じているものなのです。
そしてすべての占いは僕、姓名判断が基となっているのです。
例えば姓名判断にて「左が吉」と出ればそれは正しく、占星術でも手相でもそのような結果が出ます。
ここで速やかに改名します。
すると、その手続きが終わるかどうかの時に、手のしわがぐにゃっぐにゃになります。
そして手続き完了の瞬間、前とは違った手相になるのです。
この変化した手相こそ、改名後における「左が吉」の手相なのです。
同様に、星の位置も変化、移動します。
映画「ディープインパクト」の冒頭にある、安易に改名を行う男のシーンが有名ですね。
まあ上記は全て冗談ですが、名前が変わるというのは究極魔法メテオに負けず劣らずの衝撃、環境の変化をその人に与えるというのは本当です。
このへんまでを、仲人をやる機会があったら話してみたいと思っています。
最後にもう一度、卒業おめでとう!!。

不可読の空

空気が読めない。
それは自分でもわかっていて、気をつけているつもりなのだが。
自分の誕生日を祝うために準備してくれている場に、ひょっこり現れたりするのである。
その瞬間の空気ってのは、あったもんじゃない。
どうにか気づかないふりをするのだが、心の中は済まない気持ちでいっぱいだ。
このあいだもやってしまった。
ある駅のホーム。
「おとうさーん!!」
「おー、元気だったか。見ないうちに大きくなったなー!!」
この二人の、あいだにいちゃった。
察するに、久しぶりの親子の再会なのだろう。
通常なら、お父さんはその娘(想像だと、エリカという名前)をひょいと抱きかかえ、ぐるんぐるん回したくなることだろう。
でも僕がいちゃったので、そんなことができないのだった。
「知らない人を挟んでの感動の再会」は少しへんな気もする。
そんな混んでなかったし。
しかしそのとき、僕は激しく後悔した。
「ああなんでこういうときに、あいだにいちゃうかなー」
僕としては、あいだで息を殺している僕なんかは気にせず、ぐるんぐるん愛情スイングをやってもらって一向にかまわない気持ちだった。
それで1回転につき1回、もしくは2回蹴りを加えられようとも、その感動の再会に水を差すようならば、それをとがめる気も起こらないわ。
そんな僕の懺悔を知ってか知らずか、お父さんとエリカは楽しそうに何か話し込んでいた。
そして僕は少し持ち直した。
彼らのことを「空気読めないな」と感じるほど、僕は空気が読めないわけではないことがわかったから。