幻想動物生態・忍者

完全憶測で、いるんだかいないんだかよくわからん生物を紹介する。
◆忍者
和名:
にんじゃ
生息地:
茨城県鉾田市
その知名度は非常に高いが、現実に存在している生物であるかどうかは不明であった。
「木のてっぺんに立っていた」「池から竹の筒が出ていた」などの目撃情報がある一方、「黒装束はごみ袋を見間違えたものである」という反対意見も根強く、多くの議論がなされた。
しかし2010年2月、一組の忍者が公共の場に姿をあらわし、現存する生物であることが確認されたのである。
彼らは言葉を解し、開口一番次のように語った。
「わたしたちは にんじゃじゃ ありません」
忍者であると確信していた関係者を驚かせるには十分だった。
なにせ彼らはあまりに忍者の風貌であったため、誰しも深く考えることなく、彼らを忍者であると認識していた。
質問についても、彼らの主張は一貫して非忍者的だった。
「これは しゅりけんでは ありません うろことりです」
「のうぜいを おこたっては いません」
「それが かんじき? きっこうしばり でしょう?」
黒装束をまとった彼らにどんな質問をしても、このようなありさまだった。
「だってあなたたち、黒装束着てるじゃないですか」
「これが じもとで スパークしています」
この期待を裏切る結果に、忍者への注目度は目に見えて下がった。
一部「川の近くで彼らを驚かせたら、水面を走って逃げた」との報告もあったが、後に誤報であることが確認されている。
ここで騒動はある局面を迎えた。
彼らが、東急ハンズで折り紙を大量に購入する姿が目撃されたのを最後に、完全に姿を消してしまったのである。
ここまでわずか数日の出来事であり、なぜ姿を消さねばならなかったのか。
そもそも彼らは忍者だったのか、なぜ姿を表したのかなど、現在調査が行われていることはニュースで知られていることだろう。
一説によると忍者のふるさとにて何か事件が起きたのではないかと推測されている。
しかし一方では、どうもごみ袋と間違われることだけはかんべんならなかったのではないか、忍者の注目度を下げるのが目的ではなかったのかとも考えられている。

送り仮名

誠に勝手ながら、人に送り仮名がついていたら面白いような気がしてまいりました。
なんだかんだいって、僕らの頭の片隅にはいつも「古今亭 志ん生」の「ん」って気になる、があり、それについて考えていたら、送り仮名みたいなものなのかも、と思われたのです。
「勝 新太郎う」
そうでもなかった。
それほど面白くなかった。
勝氏には例になってもらった上に面白くないわけで、2重のおわびである。
「泉谷 しげるん」
かわいくなった。
ぷるぷるしている感じになった。
もしかしたら本当にしげるんなのかもしれないので、ぜひ戸籍を調べてみてはどうだろうか。
「泉谷 しげるん生」
よくばった。
悪く、よくばった。
2重といわず、おわびである。
「東尾 理子デスパレートな妻たちよく見る」
送り仮名じゃなくなった。
なんかデスパレートな妻たちが使いたくなっちゃった。
おわびしたいところだが、この場合まずはどちらにすればいいのか。
「渡辺いっけい)」
かっこ閉じちゃった。
どこから始まってるのかも気になるが、確実にかっこ閉じる直前が渡辺いっけいになっちゃった。
ここばかりは、いっけいにしんがりを勤めてもらうことにする。
結論
芸能人ぜんぜん思いつかね

ジョガーへの道

ジョギングをはじめたのが2ヶ月くらい前で、なんか忙しくて止めたのが半月前くらい。
そのあと自慢げにジョギングをしていることを話したら「たいがいみんなしてるよ」と言われたのが10日くらい前だ。
悪い人なんか、誰もいない。
コースは決まってないのだが、行くのは河川敷にある神社、そこを経由して田畑そして帰りたくなったら家へ向かう。
そんなジョギングだ。
夜の神社は清潔感がある一方、灯りがないので怖い。
そんななかを走ると防犯なのか突然ライトアップされることもありさらに増す、例の恐怖ってやつが、さ。
妙な言い回しとともに神社の階段を下りると、いくつかの桜が植わっているところに出る。
神社の何かなのか、ちょうちんの飾られた鳥居みたいなものもあり、なかなか風情がある。
こないだの風の強い日、舞う花びらがきれいだったこともありさらに増す、例の風情ってやつが、さ。
その桜ゾーンを越えるとブレアウィッチみたいな森を抜く道に出る。
ブレアウィッチ見たことないけど、なんとなくこんななんじゃないかって思ってる。
森を抜けると田畑だ。
天気のいい日は、ここから見上げる星空がいい感じだ。
言い換えると、幾つもの星達が見下す僕がいい感じだ。
言い変えると、みたいになっちゃった。
この辺に来る頃に、本来はうんちゃらーずハイみたいなものが来ていて欲しいものだが、いまだそれらしきものはない。
なぜなのか。
何か、期待しすぎているのだろうか。
どうにもそこには、疲れしかない。
田んぼの真ん中で息を荒げる人が、夜いちゃダメな気もする。
しかもここで帰りたいと思っても、ここが中間地点なことに気づいたりで、さらに増す、例の疲れってやつが、さ。

鼻が鳴る

花粉症の人間であろうとなかろうと、ハナの対処は2つに大別されるだろう。
すなわち「ハナをかむ」と「ハナをすする」だ。
こう書くと「俺は自由行動にさせているぜ」「栄養にしているぜ」などという人もいるかもしれないが、それは少数意見である。
また、たとえそうであったとしても、何気にそれ気持ち悪いでしょ?の感じであるため、ここでは採用しない。
さて、手元にティッシュとごみばこがあるようなら、たいがいは「ハナをかむ」になると思うが、そうでない場合はおのずと「ハナをすする」必要が生じるわけだ。
僕はけっこう「ハナをすする」ことが多い。
それゆえに、この行動でイカンことというものがわかってきた。
「ハナをすするとき、変な音が出る」
これがイカンのである。
そもそも「ハナをすする」というのは、みんな諸手を挙げてよろこぶような行為ではない。
先ほど書いたような、必要な場面もあるという認識も高いだろうが、ずるーという少々えげつない音を立てるわけで。
そんな立場の「ハナすすり」での、高音である。
なにか、鼻孔内内容物の配置がうまい具合になってしまったため、奏でてしまうときがある。
ひどく恥ずかしい。
場合によっては配置が頑固で、少々のすすりではそれを消滅させることができないこともある。
そのときは、配置をくずす脅威のすすりが実現するまで、遠くでフエラムネが鳴っているような、そんなノスタルジックな環境を提供することになってしまう。
ハナをすするときは、「ハナが鳴ってしまう」ことの考慮を忘れずにというのが、今回。
ハナを鳴らすのは、恋人だけに。
今、懸命にまとめようとしております。

お願い山田くん

緊急手抜き企画
「山田くんにはどれほどまでの頼みごとができるか」
=====

おーい山田くん、例のもの持ってきて。

かしこまりました。

山田快諾
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?インターセプト
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おーい山田くん、相手チームのボール奪ってみて。

かしこまりました。

山田快諾
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?かつら剥き
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おーい山田くん、大根を薄く巻物状にむいてみて。

かしこまりました。

山田快諾
=====
?回覧板滞納
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おーい山田くん、回覧板を次の人に回すの、ちょっと待って。

故あってだから、故。

かしこまりました。

山田快諾
=====
?「ここは俺に任せておけ」
=====
おーい山田くん、ここは俺に任せておけ。

かしこまりました。

山田快諾
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?家事全般
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おーい山田くん、お風呂いれてみて。

かしこまりました。

山田快諾
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?やんわりした拒絶
=====
おーい山田くん、さすがに家事全般を君にゆだねるのは、こちらとしてもねぇ。

かしこまりました。

山田快諾
=====
注:
フィクション・グレイシー

手を振らないで、走ってみれば。

自分の部屋あたりで、手を体にぴたりとつけ、すこし走ってみよう。
?まず気づくのが、走りにくいことだ。
かなり走りにくい。
※手を振る、そんな些細な動作に思いのほか重要な要素が含まれていることを実感させる。
?次に気づくのが、なんか楽しげな走り方になってしまうこと。
ひょこひょこ、うきうきした雰囲気が出る。
一方、ポケットに手をつっこんで走っているようでもあり、「なんか俺、怒ってんのかな?」「俺、いきがってんのかな?」な感じにもなる。
これはそんなに重要じゃない。
?最後になるが、「転んだときどうしよう」というのが心配になる。
とっさの時に手が出せず、路面キスの可能性が生じるわけだ。
以上のことを踏まえ、何らかの方法でそれらを克服。
街に出てみよう。
?周りを怖がらせる。
結局、この「手を振らずに走る」というのは「周りを怖がらせる」ことに収束する。
人間、ひとりでは生きていけないらしいから。
?が、思いのほか周りの人には怖い風に見えるのである。
その上?なので、その怖さは長続きするし、こちらとしては恐怖を与え続けることになってしまう。
ましてや?が実際に起きてしまったときの?なんて、怖いにもほどがある。
もちろん?だし。
よって、????より※なわけである。

波紋

冷えた水の入ったコップをテーブルに置くと、垂れた水がわっかとなって残る。
「テーブルに無数の波紋をうった」
なんかありそうなセンテンスができました。
なんか待ち人来てませんが、出ている。
しかしざんねん。
一般的に「濡れたコップを色んな位置に置く」人はあまりいないと思う。
濡れが広範囲になることを恐れ、意図せずに同じ位置に置くでしょう、濡れコップ。
だから「無数」というのは、かなり意図的。
「無数に波紋をうった」というのは、人を待つことというよりは「無数に波紋をうつ」こと自体が目的なんである。
ということで人を待つ憂いを表現するというのなら「テーブルに波紋をうった」の方がまし。
どうやらテーブルにコップを置いたようである。

ソゴの世界

以前、何かが引き金となって「ききプリングルス」のようなものがあり、思いのほかサワークリーム味は出会いでつまづいてんな、ってことがわかった。
それはさておき、そこで起きたやりとりで、傷ついたことがあった。
僕もよく知らなかったのだが、「プリングルス」はなんだかたくさん種類が出ている。
まあそれが「ききプリングルス」の意義であるとも言えそうなわけだが、そこで僕はこんなことをみんなに聞いてみた。
「この味は需要ないだろう、っていうのは何かな」
何気ない、しかし問われれば誰しも何かひとネタくらい出そうな疑問である。
ところがみんな、疲れているのか、興味がないのか。
あまり意見は出なかった。
「なっとう」など、かなり保守的な意見がぽろり。
もっとすごいことを言っても良い気がするのだが、みんなそれほど僕に心を許していないのだろうか。
一方の僕は、僕が図鑑に載るのなら「こういうことを考えるのが大好きなページ」に掲載されそうなくらい、質はともかく大好きである。
言い出しっぺであることもふまえ、僕の出した答えは「カルビー味」であった。
なんとなく「っぽい」回答ではないだろうか。
あまり突飛ではない、しかしまとまってないわけでもない。
そんなにイカンことには、なってないと思うのだが。
すぐに「それだったらカルビー買うよね」となる算段だったのだが、以外にも応答は「タン塩味もいやですよね」だった。
カルビと間違われてしまった。
仕方がないので、なんとなくその場はカルビ決着になったわけだが、ちょっとショックだった。
そのテーマで「カルビ味」って言ったことになっちゃった・・・。
みんな、それほど僕に心を許していないのだろうか。

説明の悪寒

「それ、オブジェだよ」
焼き肉店で余っていた小皿に対して、僕が言ったものである。
眠かった僕なりに最前を尽くした「面白いごと」なのだが、要は「小皿をオブジェとして扱う度量の焼き肉店」であるとか、飲食店としては少々前衛的だな、みたいなことをくみ取ってもらいたかった訳だ。
しかし焼き肉店は、焼き肉を食べるところであって、冗句の質をどうこうする場所ではない。
腹を満たすために、この場に来ている。
だから、何のリアクションもないまま、何事もなかったかのように肉焼きが進むべきだった。
事実そうなろうとしていたのだが、その場にいた者がひとつ「オブジェ」とつぶやいた。
あ、またつぶやいた。
責めていると取られても仕方のない行為ではないか。
いや、責めていた。
僕はすぐに、今のはちょっとした粗相であること、すごく眠いこと、よく考えれば案外味があっておもしろいよ、などを伝え、まあ今日に至る。
ということで、これ全部まるごとまとめて「説明の悪寒」ってやつだ。
大反省。

足を向けて眠れない

別に宗教的な何かの理由でなくとも、そういうものがある、人がいるというのは、ある意味恵まれていると言えそうだ。
西川きよし。
彼はその性格ゆえにあらゆる人に感謝の気持ちを持つ。
結果、立ちながら眠っているという。
もちろんうそだが、そんな逸話が彼にはありそうだ。
西川きよし。
彼は交通事故の憂き目に合いそうになったとき、たまたま通りかかった「日本からみて地球の裏側あたりに存在する国の人の顔立ち」の人に、助けてもらった。
または地底人に、地熱の活用法を教わった。
さらには日本から地球を挟んで向かいのどこぞ惑星人から、手紙をもらった。
結果、逆立ちしながら眠っているという。
もちろんうそだが、そんな逸話が彼にはありそうだ。
西川きよし。
彼は夜空に光るスペースシャトルに搭乗している誰かの、メールをみた。
またはどこぞの宇宙人に、なぜか地熱の活用法を教わった。
西川きよしが、ぐいんぐいん回る。