痣は痛むか

仕事を終え、帰宅する。
電車は混んでるけど、その人の数の割には、静か。
みんな誰とも視線を合わせないように、それをもてあましてる。
みんな誰とも接触を持たないように、肌が緊張している。
そしてみんな、遠い昔のことを考えているみたいな顔をしている。
どうやら、電車の中は何か、忘れてきたものを思い出そうとしている人で、いっぱいだ。
かすかに残った思い出。
着色しなくちゃ、忘れてしまう。
遠い昔、誰かと約束を交わしたような気がする。
私は、その約束をちゃんと果たしたかな。
思い出が思い出せなくなったら、どんなに悲しいだろう。
忘れちゃいけないことを忘れたら、どんなに悲しいだろう。
でも、忘れてしまった。
だから、そのものはないのに、悲しさだけが残留する。
思い出そうとして得られるのは、その思い出がいかに忘れちゃいけないものだったかを示す、悲しさだけなんだ。
忘れちゃいけないことまで、人は忘れる。
僕も?。
忘れられる?。
いや、まだ大丈夫だ。
まだ悲しくないし、なによりも、この痣が痛む。
まだ、忘れるわけにはいかないことを、この痣は示しているんだ。
ということで僕は、ガンシューティングゲーム「ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド4」を遊んだあと、なぜか足にたくさん痣ができていたという謎現象を、忘れずブログに書くことができたのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です