もの、かたる。

なにか、すごい背景がありそうなセリフを考えてみました。
「もっと減らしとく?、お湯。」
「そんなふうに大理石の灰皿を持っちゃ、誤解もされるよ」
「今夜はミッドナイトの方が空いておりますが。」
「そういう論点で話し合っているわけじゃ、なくなくない?。」
「今日も、「あて先のない手紙」だけだ。」
「背広の後ろの切れ込み、それだけだったんです。」
「心配するな。どんな結婚式でも、リボンのついたナイフを持っているだけで忍び込めるはずだ。」
「ふふっ。J-WALK。」
「明日は僕の、バタフライ・デイ。」
「養命酒。養命酒だと言われていたんです!!。」
「なーんてね。本当は、ひとっ飛びでした。」

愛想笑い

「愛想笑い」は、いつ誕生したのだろうか。
わかることは、「笑い」よりも後に誕生したであろう事と、やられたらむなくそ悪いということだけだ。
・・・
おそらく、かなり昔、人々は「とりあえず笑っとけ!!」みたいな文化を持っていたに違いない。
最初は些細なことだった。
少しの失敗をはぐらかすべく、微笑んでみただけだった。
しかし、「笑うこと」が、思いのほか相手の心を和ます効力を持つみたいと思われたため、何かあったときは「笑っとく」というふうになった。
人々は笑い、「テレタビーズ」みたいな世界を築いていたのだ。
ところがある日、「とりあえず笑っといた」妻の不倫相手を石斧で切りつける男が現れた。
彼は、太陽が微笑むような世界に一石を投じた問題児であると同時に、テレタビーズよりは現代社会に近いゾーンに足を踏み入れたパイオニアでもあったわけだ。
しかし、笑っていた人々はただ事ではない。
「笑ったのに切られた。」
「笑っていたのに・・・。」
「切られた人は笑い方が足りなかったんだ。」
しかし一方で、
「笑いは全ての免罪符とはなりえない。」
「笑われて、腹の立つときもあった。」
「笑いたくもないのに、笑うと、無理があるよな。」
といった懐疑派も現れた。
「笑っとく」ことで全てを丸く収まっていた世界に、変化が生じた。
保守派と懐疑派の亀裂は深まる一方だった。
道を歩けば、すぐに保守派と懐疑派が寄ってきて「笑いなさい」、「お前は笑うのか?」みたいなことを言われる。
懐疑派色の強い部落では、本当に笑うときには挙手をし、これこれこういう理由で笑うのだ、と宣誓しなければならなかった。
すごく大変だった。
なので、このような事態を打破するべく、各地の長が呼ばれ、協議が開かれ、その結果「愛想笑い」ができた。
かなりゆるく笑うが、笑わないわけではない。
この、中間的な笑いを生み出すことで、両派に妥協してもらうことにしたのだ。
「愛想笑い」は、そんな歴史的背景をへて誕生し、現在のような「エヘヘ」地位を得た。
生まれはどうであれ、まぁ必要だよね、「エヘヘ」は。
たぶん、これからも「エヘヘ」って言うんだよな、僕は。
なんとなく「愛想笑い」終わり。
※ちなみに、「愛想笑い」を生み出すという妥協案は、かなりうまくいったに違いない。
両派とも、愛想笑いが嫌いだからである。

学級会

子供の頃、誰しもが必ず口にしたことといえば、
「百万円落ちてたらどうする?。」
である。
言った覚えのない人も、ただ忘れているだけだ。
とにかく、百万円である。
百万円というのは、単にキリのいい数字と言うだけでなく、子供たちにとっては何かしらの限界点を突破した値であり、敬うに値する。
大人が、宝くじが当たったときを考えるように、子供たちはこの話題になったとき、百万円の人生設計を立てるのだ。
さて、今の百万円の価値を考えてみよう。
残念なことに近頃の子供は、お札よりも価値の高いものを知ってしまっている。
彼らは、このように思う。
クレジットカードや通帳は、百万円よりも手ごろかつ、価値がありそうだ。
小切手や株券は、ただ一枚の紙なのに、百万円より価値があるだろう。
そんなことを考えると、近頃の子供たちは、「百万円」が落ちていることよりも「お財布」が落ちていることの方がメリットがある、と考えているかもしれない。
お財布には、現金は少量だが、それを補ってあまりあるカード類があるかもしれないからだ。
上記の例は、子供たちから「百万円」への畏敬の念を奪い去るには十分だ。
しかし、考えてもみてほしい。
「百万円」が落ちているのは、奇跡だ。
それに対して、「お財布」が落ちているのも奇跡で、その中にお金を自由に引き出せるカードがたくさん入っているのも、奇跡だ。
(そう、カードは単純にお金を引き出せるわけではない!!)
以前も論じたが、一回で済む奇跡を、わざわざ二回に分ける意味があるのだろうか。
私は、「落ちているのは百万円の方がいい」と断言する。
先生「で、交番に届けるという意見の人は、いないのかなー?。」

何かが起こりそうだよストーリー プレリュード

ヒロユキが12歳の頃、そのいとこのヨシミは、コップを洗うのがめんどくさいから、コップに口を付けずに水を飲んでいたっけ。
サトシはそう思った。
ヨシミの同級生のカズヒロは「昆虫マット」を座布団みたいなものと思っていたし、カズヒロと苗字が同じなタカヤは、そろばんをはじくより床に叩きつける方が早かった。
ガムテープの軸を両腕に装着するのが趣味だったトモミはタカヤのことを知らなかったが、カーディガンをガーディアンと勘違いしていたし、その弟のツバサはこの間、ピンク色が好きになった。
そんなツバサと音域が一緒だったハムドがドラゴンボールGTにはまっていた頃、学校の一緒だったシンジは小銭入れの重さから合計金額を当てることが、ナミは一度あけた封筒を未開封の状態に戻すのが得意だった。
ナミの開封済み封筒をハサミで丁寧に開けていたハルゾウは「なんだか、肌が流木みたいになってきた」と言っていたが、その将棋友達のゲンジは、基本的に無傷だった。
ゲンジの精神的母親のオサヨは気の強い女性で、分量を量らずにカレーのルーを入れていたけど、それを愛おしく見ていたヘイハチはリンスを愛用していた。
この二人は転校生さながら中身が入れ替わっちゃって。
オサヨなんてゲンジに何度もヘッドバッドしてみたけど、映像的にぎりぎりだった。
その時代、ショウジは野球の審判をしていてアウトのとき、腕をビシっと止めるのと、振り下ろすのどちらがかっこいいのかを悩んでいたらしいが、ピッチャーをやってたトモキは、自分のいる場所がちょっと小高いことが恥ずかしくてしょうがなかった。
そんな僕らが、今度おそろいのTシャツを着ることになりました。
よろしくお願いします。

何かが起こりそうだよストーリー
何かが起こりそうだよストーリー リターンズ

船頭多くして

ゴールデンウィークに立てた、唯一のイベントは「モノレールに乗る」ことでした。
有言実行。
なかなかよかった。
静かで、眺めもいい。
車両もきれい。
速度がゆっくりめだから、急いでない分には心地よい。
また乗ろっと。
初モノレール乗車でわかったことは、先頭車両の最前列は、子供たちのものであるということでした。

耐える

生徒「先生、何で国語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?。」
先生「しりとりで「る」ばかりを返されても、5ターンは耐えられるようにするためだ。」
追記
しりとりで「る」が出されたとき、「流布」とか「流刑地」とか出たら、しりとりをやめるいい機会だと思う。

頭痛に10まんボルト

「ピカチュウは、頬に電気を貯めておける」
そんなことを教えてくれたのは「ポケットモンスター」のカートリッジと初代ゲームボーイだった。
「バファリンの子供用はオレンジ味で、よく隠れて食べたなぁ。」
そんなことを考えたのは、バファリンのCMで、錠剤がおいしそうに溶けていくシーンを思い出したからだ。
「フリスクを上唇と歯茎の間部分の左右奥に追いやってみると、なんとなくピカチュウが放電するときはこんな感じなのかなぁ。」
そんなことを考えたのは、実際にやったときだった。
さて、いつピカチュウとバファリンがつながる時が来るのかなぁ。
楽しみだ。

酸味の五月

このあいだ食べた酢豚は、覇気が感じられなかった。
酢豚としては、あまりに酸味がぬるいのだ。
もう、「ぬる豚」だった。
「お前のそういうところが、ぬる豚だって言うんだよ!!。」
・・・なかなか貫通力あるなぁ。
とにかく「豚のケチャップ煮」とかにしておけば、このようにブログなんぞにかかれずに済むのだ。
それにしても酸味の少ない酢豚は、ざんねんだった。
酢豚を欲する人の95%(5%はパイナップル)は、あの酸味を欲しているのだ。
店側も考えて酢を入れてほしい。
困ったものだ。

もはや「くれよん」

最近行くようになった喫茶店は、雑多である。
でも、コーヒーがおいしいので「雑多も味あるんじゃね?。」みたいな感じだ。
ふと、喫茶店によくある「雑誌置き場コーナー」に目をやる。
表紙いっぱいに松本人志の顔。いつかのAERAらしい。
ところが、他の店でも時折見られる、本に店名を書くことを、この店でもやっていた。
松本人志の鼻筋に、大きく縦書きで「くれよん」とあった。
・・・肖像権、ここまではフォローできないだろう。
追記
店名は仮名。
でも、本当の名前も「くれよん」に勝るとも劣らない感じでした。

パエリアに最適

「ふっくら炊きたてカヒミ・カリィ」
なかなかいいな。
本当はカレンダーのときに使おうと思ったけど、なんとなくやめました。
ただの駄洒落ではありますが、口に出してみると、ちょっといい。
また、カヒミ・カリィを知らない人との会話に、ひっそりと入れてみよう。
こちらが意図している、「カヒミ・カリィ = 米の種類」であるという勘違いを刷り込むのは、たやすい。
「カヒミカリ(こう言う)はお茶漬けが合うね。」
「あのお店は魚沼産のカヒミカリを無料でおかわりできるんだって。」
「日本人に生まれてよかった。カヒミカリとお新香があるから。」
また、高度なテクニックとして炊き立てのお米に対して用いられる「立ってる」を使うのはどうか。
「カヒミカリが立ってる。」
カヒミ・カリィを知っている人と、あなたによって「カヒミカリ」を刷り込まれてきた人。
「どこ!?」と、カヒミ・カリィを探す人を不思議そうに見る「カヒミカリ」派。
この二人の意識を融合すると、「湯気の中に立つ、カヒミ・カリィ」となり、神秘である。