書いた僕でも「なんじゃこりゃ」

みんな憂うつ 雨の日を
一人喜ぶ 木下さん
折りたたみ傘を 用意した
たった一人の 稀有なヤツ
木下さんの イヤリング
よく見てみたら キーホルダー
なんだかカンに 障るけど
そんな彼女は 元チェキ娘
おまえは皆から 好かれていると
自分で言っちゃう 純情派
そんなおまえが 気になる日々を
ビフォーアフターで 過ごしたよ
お前を探しに 地平線
チャレンジしたんだ 天城越え
まだまだ続くよ 水平線
ついに出ました あえぎ声
見つけた手のひら 生命線
今日も変わらず K点越え
科学の先生 言ってたよ
おまえの血の色 淡い青
俺は生来 貧血人
分けられないのよ ヘモシアニン
そんな俺でも 覚えているよ
いつかの ときめきメモリアル
夜更けに紡いだ 言葉を秘めて
あの木の下で 会いましょう
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これとは違いますが、こんな感じのものを書いたノートを人目につくテーブルに置いて、どういう反応があるかを確認しようとしたところ、ノート自体が無くなりました。
そのときの内容は、かなり忘れちゃったんで、いつか紹介!!。

月見草

1.キミは燦然とかがやく太陽のような存在だね!!。
2.君は闇夜にひかる月のような存在ですね。
あなたならどっちを言われたらうれしいでしょうか?。
両方、存在とかのある要素が秀でてますよ、というのを言っているんだと思います。
1は元気そうだけど、何か風情がない。
2は儚い美しさ炸裂だけど、何か暗い。月なんかは自分で光ってないもんね。
とりあえず、僕はどっちも言われたことがないんですが、どっちがより褒めてるんでしょうか。
もちろん言う人、言われる人、そのシチュエーションはあんまり考えないことにして、なんですが。
これは重要で、例えば悲劇を演じる役者さんは太陽だと言われると毎日ろうそくの灯りで暮らし始めるだろうし、楽天イーグルス野村監督に「闇夜にひかる月のような存在だ。」と言われたら、その人は「おまえもな」と言いたくなるでしょう。
こういうのを抜きにするとどうなのかなぁ。
ひとつ確信があることは、「太陽のような存在」がうれしい人はさみしがり屋さんで、「月のような存在」がうれしい人は、やっぱりさみしがり屋さんだということです。
褒められて、それにうまいこと慣れてる人は、オトナです。
だから、「すぐにカッとなる」ことに対しての
1.鍋のような存在だね。
2.やかんのような存在だね。
3.なべやかんのような存在だね。
では、オトナは3で心揺さぶられるはず。
慣れてないもんね。

点と線分から生まれるもの

4年前から、僕は同棲している。
相方のマキコは24歳になった。
仕事からアパートに帰る。
いつものように、来客用のスリッパがダイエットスリッパだ。
これでケンカしたことがあったが、結局は僕の方がおれた。
彼女なりに相手に気を使った結果であるらしかったからだ。
今日の夕飯もフィレオフィッシュ。マクドナルドだ。
これでケンカしたことがあったが、結局は僕の方がおれた。
手を抜いたかもしれないけど、健康も配慮したらしいからだ。
パソコンのキーボードにはサランラップがかぶさっている。
これでケンカしたことがあったが、結局は僕の方がおれた。
見栄えは壊滅的だけど、モノを大事にする気持ちがとれたからだ。
彼女は喋るとき、語尾に「だにゃー」を付ける。
これでケンカしたことがあったが、結局は僕の方がおれた。
基本的にハズいけど、僕も赤ちゃん言葉になることがあるからだ。
先生「それであなたは彼女に不満があると言うんですね?。」
-「はい、このようにケンカも多いですし。」
先生「とりあえず次の方。」

辞書をまくらに。

今日もですが、とにかく書くことがありません。
その上、眠たいです。
なので、辞書をランダムに引いてみる事にしました。
そして、計五回で五単語挙げてみます。
1回目「捕鯨」
2回目「総出」
3回目「秘め事」
4回目「夢遊病」
5回目「干し芋」
ちょっとだけズルしましたが、結構ちゃんとやりました。
では、これを使って文を作るあなたのためのお手伝いをしたいと思います。
「捕鯨」
いきなりいいのが来ました。
リンクさせやすい単語としては「総出」が一番っぽいかも。
「家族総出で捕鯨」って、いいでしょ?。
また、ドラえもんなどでみられる擬態語(歌声?)「ホゲ?ッ!!」への転用も可能性があると思います。
「総出」
これもいいですね。ほぼ全部に使えます。
「干し芋総出」って、東南アジアあたりにおける最高のもてなしって感じがします。
「秘め事」
これは何でも面白くなりそうだなぁ・・・。最近のアキバは「秘め事総出」感があります。
「夢遊病」
これで、今回イチオシの「夢遊病者が総出で捕鯨」が出来上がります。
夢遊病で総出ってそれ、夢遊病じゃないよ・・・など、多くのツッコミが期待できます。
また、この出来事事態が「秘め事」だしね。
「干し芋」
これ、ムズいです・・・。
「干し芋セブン」
「時計仕掛けの干し芋」
「干し芋1000mg配合!!」・・・。
ムズいです。
まぁ、オススメは「ふぞろいの干し芋たち」です。
映像が出る人は楽しんでみてください。
さて、このように一時ではありますが、脚光をあびた単語たち。
とりあえずライトを当てたので、後は皆さんにまかせます。
おやすみなさい。
・・・。
101回目「プロポーズ」

それは許されない感情にも似た

「言葉」というのは、コミュニケーションツールとしては危険なものかも知れません。
「聞き違い」「空耳」というものがあるからです。
例は「タモリ倶楽部」を見ればよいでしょう。
また、それの上を行く問題として「イントネーション」があります。
字では同じで、イントネーション頼りに区別するというのも、結構危険な気がします。
昔、「ボキャブラ天国」という番組がありまして、タレメガネさんが司会をしていました。
歌の1フレーズくらいをうまいこと変える番組です。
その番組で何かの歌のフレーズ、
「さよならと書いた手紙」というのが
「さよなら、都会、たてがみ」と変えられていました。
当時、このフレーズを用いたネタでは
「さよならと書いた毛ガニ」
というものが既にウケていた上、そもそもこのネタ自体がいまいちだったため、微妙な空気に。
僕には最近、どうしても「違うのにそう聞こえてしまう歌」ができてしまいました。
それはこころの歌として僕の12chで特番が組まれる「JUDY AND MARY」の「ガールフレンド」という歌。
「新しい歌できたよ。青い果実にも似た。」というフレーズです。
ここが、どうしても「青い果実ニモ煮た。」となってしまいます。
ディズニーごめん。
マーリンごめん。
木梨さんごめん。
僕の頭の中ではニモ煮られちゃったよ!!。
しかも、青い果実と共に。
ちょっとクセがあるんじゃないかとかすら考えちゃうよ!!。
煮られてなんかいない、煮られてなんかいない。
願いもむなしく、何回もそう聞こえてしまう。
僕は海水浴で、人懐っこいクマノミと遊んだことがあるのでなおさら悲しい。
僕はどうしてもそう聞こえてしまうので、煮た煮られてないを繰り返しながら生きていくしかありません。
皆さんは「ファインディング ニモ」を見るとき、ちゃんとニモが煮られていないことを確認してください。
確認し続けてください。
よろしくお願いいたします。

ジムノペディア

高円寺では毎年、夏にお祭りがあります。
「東京高円寺阿波おどり」。
駅前すぐの道路で行われ、これを見るために当日はかなりの混雑を見せます。
阿波踊りを「ちゃんと」見ていない人はぜひ。
ありゃーいい。
地域や年齢特定の人だけやる見るってのはもったいない全米No1です。
僕のある先輩が阿波踊りのファンでなかったり、高円寺の阿波踊り祭りに誘われなかったら、僕の人生はテトリスのないゲームボーイみたいなものだったでしょう。
僕も詳しくはありませんが、「阿波踊り連盟」みたいなものが各地域に存在していて、愛好家が日々練習に励んでいるようです。
とにかく、大勢の人が阿波踊りをしているだけでも迫力があります。
また、うまく踊れる人はとにかくカッコいい。
そこらにいそうなおっちゃんが何とも言えないステップを踏む。
おーい。ここに人間国宝候補がいるぞ!!。
そして何よりも、全員の動きがすごく統制されています。
動きに強弱やテンポ変化のある連盟も結構あるのですが、その統制具合がいいと、感動的ですらあります。
「心が揺さぶられる」という言葉がありますが、時としてそれは比喩とはなりません。
踊りの抑揚が物理的に心をつかむ。直に伝わってくる感じ。
プロレス好きな人は知っているかもしれないけど、「ストマッククロー」という技があります。
何か、お腹の上からダイレクトに胃袋を締め上げるらしいです。
ある意味祭りにふさわしくない技ですが、印象的にはこのたとえがぴったりかと。
祭りのあと、僕の手元に大量の餅があったら確実に全員に配っていたでしょう。
とにかく楽しいものですが、帰りの駅はだいぶ混むため、肉体的に疲れます。
そして、感化された人たちによる「ふしぎなおどり」が大流行するためか、精神的にも疲れます。
けど、見とけ。

ともだおれ

母親を連れて買い物に出たのだが、車の助手席に乗っている女性が誰なのか、分からなくなった。
いや、女性なのだろうか?。
かろうじて、ヒトという概念は損なわれていないようだ。
そのヒトは親しげに「今日の夕飯は何にしようか?」と私に話しかけた。
最近、どうも調子がおかしい。
さっき、何故自分の母親をうまく認識できなかったのだろう。
もちろん、すぐに「ヒト」は「母親」の全てを取り戻し、完璧な「母親」となった。
新聞などを読んでいると、ふと、読み慣れたはずの漢字が分からない。
いや、分からないというよりも「お前、そんな形だったっけ?」という気持ちになる。
人間というものはモノを捉えようとするとき、その部品に加えて、その全体像も把握するらしい。
だから、パーツは同じでも場所が違えば違うものとして認識することができる。
しかし今、私の中では全体を構成していた部品たちの自己主張が強くなってきたようだ。
芸術に携わる仕事ならば有益だったかもしれない。
だが、字を書くことが仕事の私にとって、原稿の文字達が躍りだすような現状は耐え難いのだ。
7942「って、お向かいの鈴木さんが言ってたよ。」
母「まぁ、怖いわねぇ。」
7942「あ、あれ?。ど、ドナタデスカ?」
母「よしちょっと鈴木呼んでこい」

唯一、盛り上がる権利を持つ家族

木曜日、21時。
お母さん「みんなーっ!!。始まるわよー。降りてらっしゃーい。」
男の子・女の子「わーい!!。」
お父さん「そうか、もうか。」
おじいちゃん「さて、いくか。」
おばあちゃん「今日は、どっちですかねぇ。」
女の子「今日はどっちかな?。どっちかな?。」
男の子「うわっ、あれ。食べれたらうまそー!!。」
おじいちゃん「たぶんあれはメインディッシュだな。」
お母さん「まぁ、あれはダシにしか使わないんですって。すごいわ。」
お父さん「あっちも食べられたらうまそうだが、こっちも食べられたらうまそうだ。」
男の子「今日は絶対三宅さんの方だよ!!。食べれたらうまそー!!。けど、どっちだ、どっちだ!?。」
お母さん「落ち着きなさい。」
お父さん「こういうときはにおいが重要なんだ。関口さんの方だな!!」
おばあちゃん「どきどきしますねぇ。」
?今夜のご注文はどっち!?。
・・・
一同「ふう。」
お母さん「みんな、ちゃんと降りてくる前に冷凍睡眠カプセルのスイッチ入れてきた?。」
女の子「はーい!!」
おばあちゃん「どの未来で、テレビから料理が取り出せるようになるんですかねぇ。」
おじいちゃん「もう少しの辛抱だ、ばあさん。そうしたらこの生活も終わりだよ。」
お母さん「じゃあみんな、一週間後。」
お父さん「最後に、いくぞ。」
お父さん「グルメのために!!」
一同「グルメのために!!」

愛と友情を緻密に描く

長い間生きてきたけど、よくわからないこと、というのは結構あります。
小学生の頃、国語のテストで「そのとき、誰々はどういう気持ちだったでしょうか?。」という問題には困ってしまった人も多いのではないでしょうか?。
ちゃんと何かがわかるんでしょうが、何が分かるのか気になります。
「結婚したときの家庭での立ち振る舞い」が分かるとかだったら多くの人が母校に殺到しそうだし、当時の情操教育のあり方を考えさせられるでしょう。
そのほかにも同じように、ずっと僕を悩ませている言葉があります。
それが「印象主義(印象派)」というやつ。
「印象派絵画の大きな特徴は、光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置いていることである。」
今Wikipediaで調べたら、こうだそうです。な、なるほど・・・。
「写実主義などの細かいタッチと異なり、荒々しい筆致が多く、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴である。」とも。
ちなみにWikiによると、印象主義の画家には愛・地球博のマスコット、モリゾーもいるとのこと。印象主義が身近になりました。
彼もどちらかというと荒々しい感じがするしね。
どうも区分がよく分かりません。印象主義の絵って何かもあもあしてるけど、ある意味細かいなー、みたいな感じもしますし。
そして、絵ですらよく分からないのに、音楽にも印象主義というものがあるらしい。ちなみにみんな大好きドビュッシーはこちら側に属しているそうです。
僕は音符が読めないのでどういうことなのか見当もつかないけれど、たぶんそれまでの定石をうまいこと覆したのか、もしくは譜面の音符が漫画チックに書かれていたかのどちらかに違いない。
とにかく絵画、音楽ではこのような派閥が分けられるらしい。
なんとなく、高木ブーは印象主義だけど、仲本工事は写実主義に違いない。
また、自動車は写実主義だけど、そのハンドルだけがぽつんと置いてあったら、たまらなく印象主義のような気がする。
これ、たぶん捉え方間違ってますね。よう分からんなー!!。
もう寝ますよ。
あ、僕のふとんが印象主義だ。
荒れに荒れている・・・。
追記
今回何故このような悲しい流れの話になったかというと、この間「印象」をさかさまに書くと「象印」になることを発見したからです。

猛進!!、となりのご職業紹介

食品コーナーは、そのスーパーにおける「顔」である、といっても過言ではないだろう。
それだけ人々の心を躍らせ、惑わせ、時には羞恥心を持たせる催しは、そうはない。
あとはコロッケのディナーショーくらいだ。
そんな試食品コーナーに、知られざる人物の影が見え隠れしていることに一体どれほどの消費者が気付いているだろうか。
ミツヨ(49)の朝は、一杯の熱いコーヒーからはじまる。
「最初はいやだったですよ。知り合いに会うんじゃないかって、そればかり考えていました。でも、すぐに面白さを感じるようになりましたね。」
仕事場であるスーパー「フレッシュストア膝栗毛」に着いたミツヨは、開店前の店内をゆっくりと歩く。
「どれだけうまく演じられるか、ですから。この仕事は。」
店が始まると、すぐにミツヨは仕事に取り掛かった。
早くも試食品コーナーでは、ソーセージの焼けたいいにおいがし出した。
ミツヨはそれを少しずつ、食べる。
試食品コーナーでは、最初の一人が入ると成功と言われる。
彼女の仕事はその「最初の一人」を演ずることである。
ミツヨの食べる姿に誘われたのか、ひとりふたりと足を止めるようになった。
スーパーマーケットは消費者がそのニーズを満たしたらすぐに店を去るという場所ではない。何となく同じ場所を何度も通ったり、長い時間買い物をする客もいる。
そうした人たちに意識されてしまうと、逆に違和感をもたれてしまう。うまく店内を回ったりしなくてはいけない、呼吸が重要な業種だ。
新入りのミホには苦い経験がある。
「あの時は本当に参りました。」
前に務めていたスーパーで、あまりに試食品のウケがよくなかったため、ずっと試食品を食べてしまった。
躍起だった。
30分後、彼女は万引きGメンに「試食品を食い続ける女」として捕まってしまったのだ。取り返しの付かない汚点。
「でも、あの時に、この仕事を続けようと思ったんです。」
彼女はプロとして、捕まったときも言い訳せず、店長室までの距離を「試食品を食い続ける女」として歩いたのだった。
「店側から見ればGメンも私も、絶対に知られちゃいけない存在、MIBみたいなものですよね。だから、こういうこともしょうがないとわかっています。店もプロですからね。」
そう言う彼女の目には、すでにつまようじが映っていた。
ミツヨのおかげで、ソーセージは飛ぶように売れた。
「商品がいいからですよ。私は、皆さんのトリガーになっているだけ。」
必殺試食人と呼ばれて久しい彼女は謙遜するきらいがある。
しかし、それも自信の表れではないだろうか。(nim)