昔から自分は肩が凝らない人間だと思っていた。
じぶん、肩が、こらないにんげんじゃないですか。
しかし、僕の肩を勝手に触ってきた人から「初めての公園デビューのときくらい、ガチガチである」との感想が得られた。
凝っていたのに、それに気付かなかったのだろうか。
ということで、自覚はいまいちだがサロンパスみたいなのをして寝てみた。
するとどうだろう朝。
肩に貼った、サロンパスみたいなのがなくなっている。
探してみると、一枚はごみばこ。もう一枚は封筒などを入れておく壁掛けのポケットに入っていた。
夜の僕がどのような経緯で2枚のサロンパスを別々の場所に放置したのかは謎であるが、そもそも何故はがしてしまったのだろうか。
何物も近づけない、誇り高き精神を寝るときだけ持っていたのだろうか、僕。
サロンパス2枚分の圧迫感に我慢しきれなくなったのだろうか。
実は夜のみ、肺呼吸と合わせて皮膚呼吸も行う両生類体質であったため、息苦しくなったのだろうか。
それぞれが捨てがたい話であるので、これらを効率よくまとめてみたところ「なんか気持ち悪くて、しかもかゆい」となった。
これなら、はがしてしまうよね。
カテゴリー: 雑文
止血
ぷっぷっぷっぷっ、プッチモニ!!。
明け方、枕にして寝てしまい血が通わなくなった状態の腕を、寝ぼけながらもぶらぶら持ち上げて遊ぶことのある、7942 with 羞恥心で?す。
近頃、素晴らしく寒いよね。
いやだよね、素晴らしい寒さ。
でも、寒いことでいいこともあるんだ。
・先生「何で遅刻したんだ!!」
生徒「すいません。まつげが凍って、起きられませんでした」
生徒「すいません。霜柱を踏破してました」
生徒「すいません。ひなたぼっこで体温を上げていました」
ね?。
本当の遅刻の理由が「買いたいおにぎりがコンビニに届くまで待ってた」とかでも、こんな理由なら先生も納得だ。
また、寒いと
・ファスナーのすべり
・CD、DVDなどの回転の速さ
・踏み切りの開閉スピード
などもより良く、早くなるということが、その筋の研究により明らかになったんだ。
ということで、今日は首が痛い。
寝違えたようだ。
血が通わなくなっているので、じゃあね!!。
ゆるゼラチナスキューブ
4コマまんがとは、すごいものだ。
何がすごいかって、確実に4コマ目に落とさなくてはならないところが、だ。
もしかしたら「私の知っている4コマまんがは、落ちてなくてしかも面白いよ!!。」という人がいるかもしれない。
しかしそれでも、あらゆる4コマまんがは、はなっているはず。
日々、ありがちな出来事を書いたもの。
そのまんがの、いくつか前のおもしろ出来事をかぶせたもの。
一見不条理きわまりないが、何故かドミノが倒れていくように4コマ目にたどり着くもの。
それは、はなっている。
「この4コマ目なんだけど、どう?」と。
そんな中、ここ5年くらい前から、いわゆる「ゆるい」4コマまんが増えてきているようだ。
ちかごろ意識して買ってみている。
もちろんそれが「ゆるさ」が売りの4コマまんがなのかは、いまいちわからないのだが・・・。
・・・それはそれは、ゆるい。
ゼラチンの分量を間違えたゼリーのように。
カレーの王子さまのように。
おばちゃんのストッキングのように。
去年の冬にも着たパーカーのように。
やわらかい壁にあてがってしまった、ねじのように。
衝撃のゆるさである。
本を手に、ちょっと、声に出てしまっている。
「なぁおい、もうちょっと、なんか、なんかだろう!?。」
「そんなに意識してゆるくなくたって、いいじゃないか!!。」
「どういうつもりだ。そんなにゆるくて!!」
ちなみに、僕がいけないのは「意識して買ってみている」ところ。
要は、短期間にいくつもまんがを読んだがゆえに「ゆるさ」の許容摂取量をオーバーしてしまったのだ。
たまになら、いいのだろう。
とにかく、これ以上本棚にゆるいものがあふれるようなら、下痢止めが必要になる。
あけて、しまうのだろう・2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
物語で登場する「箱」は、開くか開かないかの2パターンだ。
読者によっては「うーん、中身そんなん?」と思っちゃうけど、しょうがないか・・・。
箱。
なんかいい感じのものが、入って、もしくは入ってない、かねぇ・・・。
・パンドラが箱を開けると、あらゆる災いが飛び出た。あわてて閉めたが、もう箱の中にはピレパラアースしか残っていなかった。
・お母さんが大事にしていた箱。亡くなる直前に渡してくれた。そっと蓋を開けると、一対のハンドグリッパーが・・・。
・悪魔が封印されているという禁断の箱。封を解き、開けてみようと思ったが、すでに蓋のところにモーラーの入りきらなかった部分が、出ていた。
・・・。
「うーん」となりました。
こんなのだったら、むしろ全然関係ないほうがいいや。
・パンドラが箱を開けると、抜け毛が減りました。
・お母さんが大事にしていた箱、を非破壊検査に回そうと思っていたけど、なくしちゃってた。
・悪魔が封印されているという禁断の箱、だと思っていた箱は、だまし絵だった。
まだこっちの方が、「うーん」率が少なくていいや。
「なにー」率は高いけど。
当ブログっぽく、ゆるく終わり。
ちなみに、今回書いてて思ったのは、物語で「箱」が出てきたら、作者はその扱いについて、かなり明確なターゲットを持っていそう、ということ。
何を入れるのか、もしくは入れないのか。一挙両得はムズいからなぁ。
ということで、僕は「箱」を開けたら抜け毛が減りました、と書く作者を、本屋でよく探しているのだ。
あけて、しまうのだろう
「物語の中で、首がなかったり、顔を傷つけられた死体が登場したら、その死体は十中八九、死んだと思われている人とは違う人のだネ。」
どこかなにか、はるかかなたにて、横溝正史氏がそんなことを言っていた気がする。
そんな扱いらしい。物語の、首のない死体。
読者はそこから「これで得するヤツは・・・」と考え、多変数の方程式を解くように試行錯誤、推理していくのだ。
この、死体と同じような感じのものに「箱」がある。
「物語の中で、箱が登場したら、その箱は開けられてしまうよネ。」
これは誰かが言った、というのは知らないが、誰もがそう思っていることである。
物語において「箱」とは、どうしても開けられてしまうもの。
その中身は
「希望」
「封印されていた悪魔」
「お母さんの思い出の櫛」
「からっぽ」
「老化する煙」
「宝物」
「がらくた」
「2重底になっていて、お菓子の下に小判」
「バネのついたピエロ」
などであるが、とにかく開けられてしまうのである。
ところで、人間とはさもしいもの。
物語のキーとなっていた「箱」の中身が判明してしまうと、なんとなく「うーん」となってしまう。
「うーん、もっと意外性のある、かつ感慨深いものが入っていると思っていたんだけどなぁ。」
ギリシア神話に出てくる「パンドラの箱」は開けられてしまう箱のひとつ。
その結果、中に入っていた災害などが外にもれてしまい、慌ててフタをしたが、箱にはもう希望(絶望という話も)しか残っていなかった、という話だ。
古代ギリシアでは「そうさ、俺たちには希望が残ってるじゃないか」と喜び、あの、布みたいな服を脱いでぐるぐる頭上で回したかもしれないが、現代では少々ハズい感じである。
今では「希望」も感じているはずだ。
「うわー、あの時俺も逃げてれば良かったよ・・・。」
ちなみにこの「うーん」な点、冒頭の「死体」ではそんなことは起きない。
「実はあの時死んでいたのは、サユリではなくてユミだったのです!!」
推理の正否はあれど、心地よい意外性を与えてくれるはずだ。
ところが「箱」ではそうもいかない。
何でも入れられるので「自由度」が高すぎる。
その中から読者が好むものを入れるのは、なかなか大変だろう。
ということで、物語のキーとして「箱」が登場するが、結局開けられることがない、というパターンの話も数多い。
しかしこれはこれで「うーん」となってしまうから、困ったものだ。
今のところ、物語で「箱」が登場したら、その顛末は今のところ2パターン(開ける、開けない)しかない。
そしてそれはどうも「うーん」となってしまうことが多いようだ。
たまには「うーん」もいいけど、ずっと「うーん」はいやだな・・・。
次回、ゆるりと考えてみる。
おおみそか
来年も、よい年でありますように。
神だのみ
こないだ行った神社には、「核戦争を無くそう」みたいな石碑があった。
「え、それも!?。それは、そっちでやっといてよ。」
そう言われそうである。
追記
現在ネタについて、ほぼ神だのみ状態。
カバー
文庫本よりは大きく、ハードカバーよりは小さい。
そんな大きさの本を買ってしまった。
このような大きさの本に既製のブックカバーをあてがうのは、難しい。
事実、僕の持っているカバーは役に立たず。
無理に役立たせようとすると、ぱっつんぱっつんになってしまう。
なぜ、そんな規格外のサイズにしてしまったのだろう。
見栄だろうか。
文庫本を作成する過程で、予定していたページ数が少しだけオーバーしてしまったためだろうか。
ブックカバー業界の陰謀だろうか。
反ブックカバー業界の陰謀だろうか。
まぁ、いいのだが。
ところで、この微妙なサイズの本に対する不信感の度合いは、そのまま本屋店員さんのする、紙カバーにおける重要性のそれに変わる。
店員さんは気付いているはずだ。
「あ、この本、微妙にでかい。」
本屋大賞の審査項目に、紙カバーのかけやすさとかは入っていないのだろうか。
入っていたとしたら、微妙な大きさは、プラスなのか、マイナスなのか。
まぁ、いいのだが。
熟れどき
にわとりに「半熟卵」のことを話したら、それは激怒するのではないだろうか。
もちろん自分達の子供である「卵」に対しての、人間の残虐非道な行動についてもそうであるが、何よりもそのネーミングに腹立てるのではないかと思う。
半熟。
あれを半熟とするならば、完全に茹であげてしまったものは「完熟」だろう。
明らかに人間サイドの都合のみ、考慮された名前だ。
また、茹であげたものが「完熟」であるなら、必然的に手を加えていないものは「未熟」となる。
「コッコーコ、ククク(なんで他人の親に、我が子をそんなふうに言われなくちゃいけないのよ!!)」
とさかが真っ赤だ。
旅行4
空港、搭乗口付近ロビーでの待ち時間は、暇だ。
唯一の売店では、本棚コーナーの最上段が官能小説一色で、もはやそこだけフランス領である。
僕らは上空でも、三大欲のいくらかを満たすことはできるわけだ。
上下左右。
忙しいものである。