あけて、しまうのだろう

「物語の中で、首がなかったり、顔を傷つけられた死体が登場したら、その死体は十中八九、死んだと思われている人とは違う人のだネ。」
どこかなにか、はるかかなたにて、横溝正史氏がそんなことを言っていた気がする。
そんな扱いらしい。物語の、首のない死体。
読者はそこから「これで得するヤツは・・・」と考え、多変数の方程式を解くように試行錯誤、推理していくのだ。
この、死体と同じような感じのものに「箱」がある。
「物語の中で、箱が登場したら、その箱は開けられてしまうよネ。」
これは誰かが言った、というのは知らないが、誰もがそう思っていることである。
物語において「箱」とは、どうしても開けられてしまうもの。
その中身は
「希望」
「封印されていた悪魔」
「お母さんの思い出の櫛」
「からっぽ」
「老化する煙」
「宝物」
「がらくた」
「2重底になっていて、お菓子の下に小判」
「バネのついたピエロ」
などであるが、とにかく開けられてしまうのである。
ところで、人間とはさもしいもの。
物語のキーとなっていた「箱」の中身が判明してしまうと、なんとなく「うーん」となってしまう。
「うーん、もっと意外性のある、かつ感慨深いものが入っていると思っていたんだけどなぁ。」
ギリシア神話に出てくる「パンドラの箱」は開けられてしまう箱のひとつ。
その結果、中に入っていた災害などが外にもれてしまい、慌ててフタをしたが、箱にはもう希望(絶望という話も)しか残っていなかった、という話だ。
古代ギリシアでは「そうさ、俺たちには希望が残ってるじゃないか」と喜び、あの、布みたいな服を脱いでぐるぐる頭上で回したかもしれないが、現代では少々ハズい感じである。
今では「希望」も感じているはずだ。
「うわー、あの時俺も逃げてれば良かったよ・・・。」
ちなみにこの「うーん」な点、冒頭の「死体」ではそんなことは起きない。
「実はあの時死んでいたのは、サユリではなくてユミだったのです!!」
推理の正否はあれど、心地よい意外性を与えてくれるはずだ。
ところが「箱」ではそうもいかない。
何でも入れられるので「自由度」が高すぎる。
その中から読者が好むものを入れるのは、なかなか大変だろう。
ということで、物語のキーとして「箱」が登場するが、結局開けられることがない、というパターンの話も数多い。
しかしこれはこれで「うーん」となってしまうから、困ったものだ。
今のところ、物語で「箱」が登場したら、その顛末は今のところ2パターン(開ける、開けない)しかない。
そしてそれはどうも「うーん」となってしまうことが多いようだ。
たまには「うーん」もいいけど、ずっと「うーん」はいやだな・・・。
次回、ゆるりと考えてみる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です