【あらすじ】
墓参りに、福島に来たのである。
墓参りが終わったのである。
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お昼ごはんに、おいしい親子丼が食べられる店によるのである。
混んでいるのである。
そば屋にするのである。
グラタンも提供するそば屋なのである。
親子丼がないのである。
今、気持ちは親子丼なのである。
うどんを注文したのである。
食べ終わる間際、混じっていたそばの小片から、そば屋であることを思い出したのである。
伯父にお土産を催促するのである。
さつまいものお菓子をゲットしたのである。
五色沼に行きたいのである。
カーナビがないのである。
自殺行為なのである。
ICまで送ってもらうのである。
5時間の車旅行である。
雨量である。
豪雨が容赦なく車体を叩きつけるのである。
周りの車が湖面を走っているかのようである。
6時間半の車旅行である。
カテゴリー: 雑文
北へ。
福島への墓参りである。
5時間の車旅行である。
途中でなぜか高速を降りてしまったのである。
カーナビがないのである。
「なぜか」と言っている以上、降りたところもどこだかわからないのである。
あと10分、外環方向を示した青看板がなかったら、帰る所存である。
6時間半の車旅行である。
追い越し車線を「ミサイルに追われています」という事情がありそうなくらいにスピードを出した車が走っていくのである。
車くらいの質量を持つ物体が、そんな速さで走ったら危険である。
エスカレーターの乗り口付近で、でんぐり返しに興じるくらい危険である。
墓地全体が、お花畑である。
福島の人は、どうやらお盆を大切にしているのである。
伯父が家の墓をあばき始めたのである。
祖母が持っていた、親戚の骨を入れてあげたいらしいのである。
いきなり墓をあばいてよいのか、心配なのである。
何かしらの経由が必要なのでは、と思うのである。
何かしら経由で入手したスコップで完全にオープンになった墓に、ざっくばらんに骨をまいたのである。
アナーキーな納骨である。
寺の人にスコップを返し、墓をあとにしたのである。
プールサイドを走らない人
エスカレーターで僕の後ろにいた子供がもらす。
放尿ではない。
会話だ。
「今、どこのテレビもオリンピックばっかりだから。」
血は混じっていない。
ため息混じりだ。
やっぱりそうだ。
変わってない。
多くの子供たちにとってオリンピックとは、日頃やってるテレビ番組を軒並みつぶし、父親に、強固にチャンネル権を固執させ、同じような内容のニュースを闊歩させる、どうもつまらないものである。
ちょっと、言いすぎだろうか。
ただ、幼少よりそう思うことの多かった僕は、そんなイケズな考えが不幸にも現在進行形である。
確かに見ていて盛り上がるところがあるし、どんなすごいことをやるんだ、という気にもなる。
すごいぜ出場、と素直に感じる。
でも、各ニュースでわざわざ、冒頭に結果報告をせんでも、とも思う。
出場選手も、そんなに報告されては、ちょっといやなんではないだろうか。
どうも、オリンピックに対する力、特に視聴する力の入れ具合が、僕には足らないのである。
運動が苦手だから、あまりそういうのに近づかなかったせいかもしれない。
そんな気質のせいか。
どうでもいいところが気になる。
水泳の予選かなにか。
ダイナミックな泳ぎ方をする、各レーンの選手達。
とんでもなく速い。
でも、プールサイドの審査員らしい人が、そんな選手と並行している。
のんびり歩いているのだ。
それは、当たり前だ。
水中では、陸上で歩くくらいのスピードを出すことも、すごい大変な事なはず。
でも、わざわざ並行することはないと思うぞ、審査の人。
「すごく速く泳いでいるが、陸の人は歩いている」。
競技って、そういうことじゃないんだろうが、とにかく単純に歩く審査員が気になったの。
今回の内容をまとめると、僕は案外オリンピック番組を見ている、ということになる。
次回、なんとなく「オリンピックでこれやったら確実に怒られる」を挙げてみる予定。
昨今の流れ、性質上、だいぶゆるめです。
ゆかた2
祭への心の準備ができていない人間にとって、浴衣を着た女性が駅にいることは「どこかで祭か花火大会が行われる」可能性があることを思わせ、それは困ったことである。
すなわち「祭がある」→「駅混む」ということであり、それは「駅混む」→「夜のコミケ体験」となり、大変なのである。
さきほど、駅でずいぶん多くの浴衣美人が魚の目をして歩いているのを見かけた。
こうもタイプしているが、僕の頭には「今日は祭、ありませんように」でいっぱいなのである。
それにしても、毎年浴衣について書いている気がするが、それはただ浴衣を見かけたからなので、それは短絡的と言わざるを得ないなぁ。
再会
このあいだ、久しぶりな人たちと久しぶりに飲み会が行われた。
僕が、大きな古時計のように動かず、夏のように何も言えなかった飲み会である。
さてその帰り際、「nimbusさんのまっくろくろすけのモノマネが云々」と言われた。
そう、僕はとなりのトトロに登場するウニ様のキャラ「まっくろくろすけ=すすわたり」のモノマネを披露し、幾人かの目をつぶしたことがある。
彼女は、それを覚えていてくれたのだ。
しかし僕は困惑した。
その日、彼女との初めての会話がそんなだったので、もはや「nimbus=まっくろくろすけのモノマネ」であることは疑う余地がない。
僕はまっくろくろすけであり、まっくろくろすけは「わーにゃ」と言うこと、すすであること、空を飛ぶことくらいしか知られていない。
残念ながら僕はすすではなく、空も飛べないので、またしてもモノマネをせねばならないのか、と困ってしまったのである。
もちろん、路上で披露するシロモノではない。
内容もひどいが、何よりもモノマネ中、僕はバナナマンの、ゾウのひざこぞうみたいな方の感じになってしまうのだ。
ということで、彼女には申し訳なかったが、僕はモノマネをすることもなく「そんな時代もあったね」と、そのとき話した。
自らのアイデンティティを放棄したわけだ。
そして「1ヶ月に1度くらいの頻度で「となりのトトロ」を放送すれば、日本の犯罪率は低下するのではないだろうか」という持論をといた。
おゆうぎ
蚊にどこそこを刺された。
顔や指の関節など、この題目では、人々はその内容に事欠くことはない。
この話が生かされるような場面がある限り、蚊はなかなかに有用な生物だ、と言える。
確かに、刺されたときは腹が立つだろうが。
先ほど、耳の後ろあたりを刺された。
気になる。
しょうがないので、カリカリとかく。
すると、メガネのテンプルにその指が触れ、メガネが上下に動く。
くまだまさしの出来上がりである。
「どうだいみんな、おゆうぎだろう?。」
この話が生かされないような場面である限り、蚊はなかなかに憤りを感じさせる生物である。
天使シール
「あの、風に揺られている木の葉が落ちたとき、僕の命も尽きるんだね。」
「息子よ。どうやらその話は誤って伝わっている部分もあるらしいぞ。」
「え、そうなの?。」
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「じゃあ、ある日本家庭の、あるタンスに貼られているビックリマンシールが剥がれ落ちたとき、僕の命も尽きるんだね。」
「これでお前も、サグラダ・ファミリア完成の瞬間が拝めるな。」
逆ネタリウム
プラネタリウムが、ちょうど逆さまになったような感じの、そんなアトラクションはないだろうか。
暗闇のなか、ふと足元を見ると、瞬く星が。
それとも、上空から見下ろした夜景が。
投影しようが表示しようがどうでもいいが、そんな感じのがあったら結構楽しいのではないか。
星空を見下げて見る、というのもあんましないし。
単に足元がぼうっと明るいというのもなにやら神秘的で、知らない中年に声をかけてしまうくらい、テンションのあがるものである。
ちなみに、せっかくの逆押しなのだから、その形状はちゃんとプラネタリウムのドームをさかさにした、くぼち状であるに越したことはない。
平面だと、そこらの地上の星とあまりかわらないし。
そして、これを普通のプラネタリウムと連携することで、全天周囲モニターな感じを味わうことができるかもしれない。
ただ、この逆ネタリウム。
プラネタリウムではそれほど邪魔にならないようなものが、この逆ネタリウムでは致命的に、邪魔となるだろう。
足元の映像を隠す足の所有者であり、他人の視野も狭めてしまう、自分である。
できあがり
ひとたび飲み会に行ってみると、こういう人の出現を目の当たりにするだろう。
「できあがっている人」である。
「できあがっている人」は大抵他の人より、そのように評される。
自らを「はい、たった今、できあがりました」という人は、あまりいない。
そんな彼氏彼女がなんらかの事情を背景に、あたりを徘徊する。
さて、問題は「できあがっている」という点だ。
人は酔うと「できあがる」ものらしい。
ということは、人は酔っていないとき「できあがっていない」ということになり、その差を言い換えると「完全体に近い」と「完全に近くない、不完全体」の差、ということになるだろう。
どういうことなのだろうか。
例えば、先ほどの彼氏彼女のような人が酔っていないとき、「できあがっていない」からといって勉強、仕事ができなかったりするだろうか。
補助する人が3人くらいいても、逆上がりができないのだろうか。
テーブルの上のものを取ろうとするたびに醤油入れを倒し、カレーが袖に付いたりしてしまうのだろうか。
もういいと思うが、そんなことはない。
どうやら、酔う酔わないの話での「できあがる」は、そういうことではないのだ。
では、何が「できあがる」のだろうか。
少し考えたが、「いらない切手を貼っていって、モナリザを描く」ことはできあがらないな、ということだけ、分かった。
要は、何も考えなかった。
ただ、酔った彼らは、確かに「できあがっている」のである。
問われてみよう。
酔った人を連れた安住アナに「この人はできあがっていますか、それともできあがっていませんか」と。
本日挙げたような意図を考えないようにしても、おそらく全ての人が「できあがっています」と答えるのではないだろうか。
「ああ、この人はできあがっていますよ」と。
酔った人のことを知らなくても。
「この人はさらに一歩、完全体に、さらに一歩、近づいています」と。
言ってしまうだろう。
酔いの先にいつか訪れる完全体が何なのか、わからない。
ただ、今は2つ、確信していることがある。
ひとつは、その完全体が何なのかがわかれば、「できあがる」とは何か、が判明するだろうということ。
もうひとつは、酔った人が完全体になることができたとき、たぶん「まだできあがってないんじゃないの?」と言われるだろうということ。
まとめ役 2
昨日から。
【あらすじ】
サビに、一番言いたいことを入れるのだろう。
では、そこ以外が反旗翻しまくりの場合、そのサビはどれほど歌詞内をまとめられるのか。
◆今回の歌詞で言いたいこと
「愛は永遠じゃないけど、今は、ここにある!!」
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「永遠は いまここに」 歌詞:nimbus7942
<1番>
5月の雨は 6月のよりちょっと甘い
でも舐めるとき 皮膚の塩分により
それを感じられることは あまりに少ない
LOVEマシーン
でも けんだまの玉を 剣先に刺す快感を得るためには
玉を手で静止させることも いとわないのさ
(※)見えないかい ほらここにあるのに
愛は永遠じゃないけど 今 僕らの手の中に
<2番>
寒さにふるえる 孤独な伝説のつるぎ
早く抜いてと くどいくらいの懇願さ
僕が引き抜ける可能性は あまりに少ない
LOVEマシーン
でも まだ可能性のある あの無垢な頃に戻れるのならば
玉を手で回転させることも いとわないのさ
(※)繰り返し
<ラストサビ>
※繰り返し
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どうだろう。
サビは、どうにかこの曲、いや文章をまとめることができただろうか。
僕が見る限り、できていないし、そうしようとも思っていなさそうだし、それが一番賢いし、のような感じだ。
昨日、「サビ以外は間を持たせるくらいでいいから、ハミングでいいのでは」
↓
「でも、さすがにハミングだけじゃマズイから、歌詞入れよう」
ということを書いた。
上記「ハミングじゃマズイ」という感じの懸念を今、一番感じているのは、本件を書いているときの僕である、ということは言うまでもなく。