せっかく指輪を買ったのに。
それはネット上で、サイズのことも考えなかったためか、やたら大きかった。
12星座を刻印したそれは、へびつかい座のことをぼやりと思い浮かばせながら、親指ですらするりと抜けていく。
仕方がないので麻ひもを通して首飾りにしていた。
それを3年くらい。
適当なので着脱を可能にしておらず、その間やんわりと胸元を演出している。
で、着脱不可という構造のため、その手のネックレスが邪魔なときは、ぶちぎるより他ない。
そもそも麻ひもはほぐれてちぎれやすく、またほぐれた感じのが首元をくすぐり、大変なのである。
昨年レントゲンの必要性に迫られた僕は、上記のように首飾りを瀕死兵士のようにぶちぎり、看護士さんの恐縮を買った。
そんなぶちぎれ感満載の首飾りが先日机上にて見つかったので、こいつを治すことにしたのだった。
僕のよく行くそこは、何やらビーズの入ったビンがたくさん並んでいる。
しかしビーズのことは皆目見当もつかない。
いつものように麻ひもを1mだけ買っていこうと思ったが、たまには別のひももいいのではないかと、他のものを探してみることに。
麻ひものほかに、革ひも、金属のチェーンなどがあった。
麻ひも1mを買って店をあとにするとき、どうもこの店では麻ひも1mしか買っていないな、と思った。
そして毎回、首飾りに麻ひも1mもいらないな、とも思った。
でも、残ったひものことは考えなかった。
引き出しを開けたら入っているのがわかっているから。
だから、僕がこの店にわざわざ訪れるのは、おそらく革ひもと金属のチェーンにあるはずなのだ。
でも、なんでまた麻ひも1m買ったかね・・・。
カテゴリー: 雑文
いいぞ調査員
ハンマー投げで少々注目されすぎているのが「あれハンマーじゃなくね?」ということ、ではなくて投てき時の叫びだろう。
今までそれに触れたメディアをいくつか見てきた。
「なぜ投てき後、叫ぶのか」
調査に乗り出した政府は、ある驚くべき結論に達した。
「あれは一見叫んでいるようで、実は喋っています」
「海外の選手も同様でした」
なんと喋っているのか。
「神様、風の神様、です」
ナウシカですか。
「どの風の神様を指しているのかは、不明です」
調査結果が出たとき、どう思ったか。
「ナウシカかな、と思いました」
ハンマー投げを最初に見たとき、どう思ったか。
「うははあれハンマーじゃねえよ、と思いました」
向こう岸にトラとヤギとキャベツを運ぶには、船を何回往復させるか。
「命ある限り石を川に沈め続けよう、と思いました」
今日の会見のことを親御さんに話したとき、どうなりましたか。
「ビデオの使い方を聞かれました」
投てき後の叫びで、ハンマーの飛距離は伸びると思うか。
「どの風の神様を指しているかで、変わります」
ナウシカの風の神様にお願いすることで、ハンマーの飛距離は伸びると思うか。
「伸びないですね」
なぜですか。
「うははハンマーってお前、どれのことだよ」
かわはぎ
キャットフードコーナーに差し掛かるところで、こんなものを見つけた。
「かわはぎ」
犬猫に与えるらしいおやつだった。
よく見ると、酔っ払いおっちゃんが一生懸命噛んでいそうな、立派なかわはぎだ。
飼い犬猫はいいものを喰っている。
それにしても堂々と「かわはぎ」と書かれたパッケージ。
その字の左上に付加されていた、何か遠くを見つめる犬猫のイメージ画像もあいまって。
「ああ犬猫にとっては、かわはぎは思い馳せるものなんだな」と感心してしまった。
しかし「かわはぎ」は、何か隙を突かれてしまい、面白い。
そんなに堂々と「かわはぎ」と書かれてしまっては「そうだよねかわはぎだよね、ごめんなさい」と意味もなく謝ってしまいそうだ。
かなりバイオレンスなネーミングなのに。
ちょっと、かわはぎおもろかったななどと言いながら進むと、次は同じシリーズの「いわし」があった。
このとき、僕らはなんとなくわかっていた。
「なんか分からんけど、今は4文字のがいい」
いわしの棚を探してみると、あった。
「きびなご」
僕らは「か?わ?は?ぎ?」「き?び?な?ご?」と言いながら、よりちゃんと探した。
「ぶたみみ」
かなりいいのが見つかった。
このへんまでくれば、あとは商品がなくとも「ぶたばな」は想像できるし、そもそももうモノを見ることさえ必要ない。
なんとなく4文字のものを発想して、勝手に面白がれる、自己完結型に推移できるのだ。
「かわはぎ」「きびなご」「ぶたみみ」「みねうち」。
「かわはぎ」「きびなご」「みねらる」「しずおか」。
「かわはぎ」「ふりつけ」「うずまさ」「いりのい」。
「みねらる」に思い馳せる犬猫を想像して、たまらなくなった。
閑居して
予定をしていなかった休日をもてあまそうとしていた僕は、降り出した雨を前に、ああもてあますんだなと覚悟した。
仕方がないのでPCをつけた。
何か書こうかと考えたけれど、何も思いつかない。
それではといろいろなサイトを眺めてみることにした。
かれこれ小一時間。
たいそう面白かったのだが、それが逆にブログ更新の意欲を損ねた。
「なんやみんなおもろいこと書いてんやん・・・」
QUEENが流れてきた。
冷蔵庫にたいやきがあることを思い出した。
僕は、たいやきはあんこがあまり入ってないほうがおいしいと思う。
あんこはとにかく甘いのだ。
だから「しっぽの先まであんこが入ってる」という褒め言葉が分からない。
しっぽの先まであんこが入っていたら、いったいどの部分であんこ休みを取ればいいんだ。
冷蔵庫のたいやきは、僕の意見を知ってか知らずか、あんこみちみちだ。
「そういえば「かぶとむしの幼虫をあんこで育てて、動くまんじゅうにしよう」という試みがあったな・・・」
都はるみは流れてこなかった。
デジカメを買ったのにな。
まだほとんど遊んでない。
メディアを取り出してPCに取り込んでみる。
猫と近所の神社。
そして「よく分からない部屋の隅」の写真だ。
なんで「よく分からない部屋の隅」を撮ったんだろう。
見慣れているよ。
試し撮りなら、例えば何かを撮り、その背景をぼかせば案外いい感じになるのに。
振り返ればそのままある景色が、今モニタに表示されている。
「前に「映画マトリックスで、仮想現実空間でデータをローディングする人のまね」を思いついたけど、まだ価値あるかな・・・」
東京事変が流れてきた。
こないだ見た何かの漫画のバナーに、気になるのがあった。
男前がかわいい女子に「お前は牛そっくりだな」みたいなことを言っている。
実際漫画を読んでみないことには、何が起きているのか分からないセリフではあるが。
胸が大きいことを揶揄したのだろう。
それを聞いてか、彼女には「えぇー」みたいなふきだしがついていた。
・・・そこは絶対「もぉー」の方がいいんじゃないだろうか。
漫画の展開上、そこでそういうのはいらなかったのだろうか。
正直ワンツー過ぎてしまうきらいがあったのだろうか。
しかしバナーで、一こまくらいしかないんだから、「お前牛みたい→もー」くらいは、むしろ礼儀じゃないか。
そうでもないのか。
俺今、めんどくさいことになってんのか。
と、これが休日をもてあますということ。
またQUEENが流れてきた。
病気の話
若いうちから訓練し、初老を迎えるころには是非獲得していたい。
「病気の話」
それは人といるとき、「なんとなく余った時間」を、誰を傷つけることなく埋めることができるという点で、他の話題に比べて群を抜いて有効だ。
その有効性に触れた話も多い。
「俺花粉症まじ死ぬから」
先日、ちょうど僕が横を通り抜けた男子高校生の発言である。
後ろから「まじ数値やばい」。
数値やばいらしい。
しかし「病気の話」としては、なかなかいい。
「花粉症は、生命に関わる病気に対してどうしても話題の抑揚がないから、ちょっとよくないのではないか」
そういった向きもあるが、その一般性や数値がやばいことなどを付加しているところなど。
彼は今後も「なんとなく余った時間」をもてあそんだりはしないだろう。
定義にもよるだろうが、そもそも人はなんらか病気を患っている。
話題の一つにでもなるのならと、自ら挙手しての発言も、ありなのかもしれない。
まじ死ぬから。
そう話す彼の表情は、まじ晴れやかだ。
帰ってまいりました。
「恥ずかしながら?」とは横井庄一であるが、今では「よく生きてたね」でだいたい統一されるだろう感情も、当時は「おめおめと?」的なものを感じる人も少しはいたかもしれないし、むしろ横井氏の態度からそういったものが呼び起こされたりした人もいただろう。
人は、ふわふわしている。
さて、今回ポイントとしたいのは、日本男児の心意気ではなく日本特異な風土でもなく、愛国心の是非やたいがいの批評でもない。
教育のありかたでもなければありがちな戦争論でも、資本主義の歴史についてでもない。
何気にうまいな、ということでもないし、環境問題についてでもなく。
サバイバル術でもないし、もちろん個人に対する異論反論でもなく、そもそも論ですらない。
?????
「これなら恥ずかしながらってつけても変じゃないね」
1.「恥ずかしながら、ルービックキューブのシールを剥がしてしまいました」
2.「恥ずかしながら、カレーをぐちゃぐちゃに混ぜてから召し上がっていました」
3.「恥ずかしながら、日本語がよくわからなくなってまいりました」
4.「恥ずかしながら、気持ち良くなってきました」
5.「恥ずかしながら、家で戻している切り干し大根が気になってきています」
6.「恥ずかしながら、風に揺れるビニールぶくろに大声を上げてしまいました」
7.「恥ずかしながら、屁をするときにお尻を軽く上げるのを見られてしまいました」
8.「恥ずかしながら、ありもしないお酒を得意げに注文してしまいました」
9.「恥ずかしながら、ちょうちょう結びができなくなってしまいました」
10.「恥ずかしながら、これが卒業アルバムです」
11.「恥ずかしながら、焚き火のなかの焼き芋が楽しみになってきました」
12.「恥ずかしながら、足の裏に髪の毛がいっぱいついていました」
13.「恥ずかしながら、小さな花が咲いているのを見つけました」
14.「恥ずかしながら、みんなの力を分けていただきたく存じます」
15.「恥ずかしながら、これが10倍界王拳です」
これなら、帰ってくることは全然恥ずかしくないよな。
ぽろりの話
「ぽろり」というと、何かしらのおもしろ派生までを考慮したりしてしまって、たいていは水泳大会のことであると思われがちだ。
しかし、例えば世の中の男性の幾人かは、ズボンの中で「ぽろり」になっていることが、季節問わずあるとか。
困ったものである。
ただ、このように複数の「ぽろり」がある以上、それを水泳大会に限定しては少々もったいない。
もうすぐそんな季節だ卒業式。
そこでの「ぽろり」とくれば涙だ。
数年過ごした学び舎を去る悲しさは誰しもが経験しなくてはならないことであるが、それでも泣けるもの。
それをこの「ぽろり」は涙を、さらには哀愁をも含ませて、よく表現している。
ちなみにそれが涙ではなく、水泳大会の「ぽろり」と同義だとしたら、どんな卒業式か知れたものではない。
一方、会話のなかに存在する「ぽろり」は、いわゆる「本音」。
本音がぽろりと、という按配である。
さて、その本音であるが。
それが「ぽろり」という言葉で表現される以上、本音は隠し続けていなくてはならないものだ。
しかし、それが「ぽろり」としてしまったことは「そういったものを心の奥底にしまっていましたが、今回は出ちゃいました」感を表現しており、なにやら危うく面倒な人間関係が生じるのを意味している。
このように「ぽろり」は様々なシーンに存在しているだけでなく、その意味をも明確に示してくれるもの。
これで冒頭の困ったことに何かしらの光明を見出すことができるかもしれない。
「男性のズボンの中には本音がつまっています」
・・・何の治療薬のコピーだ、これは。
追記
ところで今回、内容ちとひどすぎやしないだろうか。
それいけ
「目を逸らさないで!アンパンマン」
どうも「それいけ!アンパンマン」というものの「それいけ!」が気になる。
一般的に「それいけ!」というのは、相手をちょっと子供扱いしているから。
例えば子供とゴムボールで遊んでいて、ボールが子供の頭上を越えていったとき。
僕は言うんじゃないだろうか。
「それいけ!」と。
「いけ!」だとちょっと命令節が強いから、それをやわらげているのだろう「それ」。
だから「それいけ!アンパンマン」というのは、アンパンマンを大人とは見ていないし、何かしら気を使った結果であるとも考えられるのだ。
となると、アンパンマンの気持ちがポイントになってくる。
「いけ!なんて言われなくても行きますよ」
こんな考え方をするのであれば「それいけ!」でいいだろう。
一方「それいけ!って、なんか子供っぽくてばかにされている」と感じているのであれば、あらためなくてはならない。
「それいけ!」
↓
「いけ!」
↓
「ゆけ!」
こんな感じ。
さらに「こんな感じ」を続けてみると、冒頭に加えて
「立ち向かえ!アンパンマン」
「大切な地球を守れ!アンパンマン」
「本当の気持ちは心の中だけで!アンパンマン」
「人命救助に比重を置いて!アンパンマン」
「さりげないがいいね!アンパンマン」
とかなる。
「夜景がきれいだね!アンパンマン」
「また頭焼いてやろうか!アンパンマン」
「吶喊せよ!アンパンマン」
「大きく息を吸って、吐いて!アンパンマン」
「ここから先は入らないで!アンパンマン」
「行かないで!アンパンマン」
とかなる。
黒目がちで信用ならなかった彼だけど、これで親近感がわきました。
おおみそか
来年も、よい年でありますように。
丘の上、微風あり
僕はあんがい譲歩ゆとりが大きいのである。
それはどういうことかというと、例えば。
僕が「からあげクン」を買いに行こうかというとき。
チーズ味を入手しようと思っていても、他の人がノーマルを所望したら、そこはノーマルにする。
そして僕2、相手3で食べたりする。
へたすると食べない。
そのくらい譲歩できるのだ。
気分しだいだけど。
先日、ある場面にてこんなことが話題に上がった。
「だいこんの着ぐるみ」
ひどくなじみのない話題ではあるが、とにかく話題になった。
そのとき、僕は何の躊躇もなく、こうつぶやいてしまったのだ。
「それほぼマンドラゴラやん」
これもひどくなじみのない言葉である。
モノとしては、ファンタジーやゲームに登場する植物で、人型をしたものなのである。
今ではこの発言も、だいぶどうかと思う。
しかし、このとき少々テンションが上がっており、そんなときは自分だけ面白ければいいので口にしてしまった「マンドラゴラ」。
唯一そのことが聞こえたらしい人物がじろりと僕を、「またこいつめんどくさいことを」という目つきでにらんだ。
僕、譲歩しました。
「それほぼ朝鮮人参やん」
今回、僕は反省を持って書いているわけですが、結局は「だいこんの着ぐるみ」をどうこうと転がす必要がなかったのです。
無理に扱わなくてよかった。
譲歩の対象でもなかった。
「だいこんの着ぐるみですか」
「だいこんの着ぐるみですね」
これでよかった。
それを、朝鮮人参云々。
快晴。
身がしまる思いのする外の空気と、透き通った青空。白い息。
それを、朝鮮人参云々。
マンドラゴラを引っこ抜きたい気分である。