病気の話

若いうちから訓練し、初老を迎えるころには是非獲得していたい。
「病気の話」
それは人といるとき、「なんとなく余った時間」を、誰を傷つけることなく埋めることができるという点で、他の話題に比べて群を抜いて有効だ。
その有効性に触れた話も多い。
「俺花粉症まじ死ぬから」
先日、ちょうど僕が横を通り抜けた男子高校生の発言である。
後ろから「まじ数値やばい」。
数値やばいらしい。
しかし「病気の話」としては、なかなかいい。
「花粉症は、生命に関わる病気に対してどうしても話題の抑揚がないから、ちょっとよくないのではないか」
そういった向きもあるが、その一般性や数値がやばいことなどを付加しているところなど。
彼は今後も「なんとなく余った時間」をもてあそんだりはしないだろう。
定義にもよるだろうが、そもそも人はなんらか病気を患っている。
話題の一つにでもなるのならと、自ら挙手しての発言も、ありなのかもしれない。
まじ死ぬから。
そう話す彼の表情は、まじ晴れやかだ。

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