自分の部屋あたりで、手を体にぴたりとつけ、すこし走ってみよう。
?まず気づくのが、走りにくいことだ。
かなり走りにくい。
※手を振る、そんな些細な動作に思いのほか重要な要素が含まれていることを実感させる。
?次に気づくのが、なんか楽しげな走り方になってしまうこと。
ひょこひょこ、うきうきした雰囲気が出る。
一方、ポケットに手をつっこんで走っているようでもあり、「なんか俺、怒ってんのかな?」「俺、いきがってんのかな?」な感じにもなる。
これはそんなに重要じゃない。
?最後になるが、「転んだときどうしよう」というのが心配になる。
とっさの時に手が出せず、路面キスの可能性が生じるわけだ。
以上のことを踏まえ、何らかの方法でそれらを克服。
街に出てみよう。
?周りを怖がらせる。
結局、この「手を振らずに走る」というのは「周りを怖がらせる」ことに収束する。
人間、ひとりでは生きていけないらしいから。
?が、思いのほか周りの人には怖い風に見えるのである。
その上?なので、その怖さは長続きするし、こちらとしては恐怖を与え続けることになってしまう。
ましてや?が実際に起きてしまったときの?なんて、怖いにもほどがある。
もちろん?だし。
よって、????より※なわけである。
カテゴリー: 雑文
波紋
冷えた水の入ったコップをテーブルに置くと、垂れた水がわっかとなって残る。
「テーブルに無数の波紋をうった」
なんかありそうなセンテンスができました。
なんか待ち人来てませんが、出ている。
しかしざんねん。
一般的に「濡れたコップを色んな位置に置く」人はあまりいないと思う。
濡れが広範囲になることを恐れ、意図せずに同じ位置に置くでしょう、濡れコップ。
だから「無数」というのは、かなり意図的。
「無数に波紋をうった」というのは、人を待つことというよりは「無数に波紋をうつ」こと自体が目的なんである。
ということで人を待つ憂いを表現するというのなら「テーブルに波紋をうった」の方がまし。
どうやらテーブルにコップを置いたようである。
ソゴの世界
以前、何かが引き金となって「ききプリングルス」のようなものがあり、思いのほかサワークリーム味は出会いでつまづいてんな、ってことがわかった。
それはさておき、そこで起きたやりとりで、傷ついたことがあった。
僕もよく知らなかったのだが、「プリングルス」はなんだかたくさん種類が出ている。
まあそれが「ききプリングルス」の意義であるとも言えそうなわけだが、そこで僕はこんなことをみんなに聞いてみた。
「この味は需要ないだろう、っていうのは何かな」
何気ない、しかし問われれば誰しも何かひとネタくらい出そうな疑問である。
ところがみんな、疲れているのか、興味がないのか。
あまり意見は出なかった。
「なっとう」など、かなり保守的な意見がぽろり。
もっとすごいことを言っても良い気がするのだが、みんなそれほど僕に心を許していないのだろうか。
一方の僕は、僕が図鑑に載るのなら「こういうことを考えるのが大好きなページ」に掲載されそうなくらい、質はともかく大好きである。
言い出しっぺであることもふまえ、僕の出した答えは「カルビー味」であった。
なんとなく「っぽい」回答ではないだろうか。
あまり突飛ではない、しかしまとまってないわけでもない。
そんなにイカンことには、なってないと思うのだが。
すぐに「それだったらカルビー買うよね」となる算段だったのだが、以外にも応答は「タン塩味もいやですよね」だった。
カルビと間違われてしまった。
仕方がないので、なんとなくその場はカルビ決着になったわけだが、ちょっとショックだった。
そのテーマで「カルビ味」って言ったことになっちゃった・・・。
みんな、それほど僕に心を許していないのだろうか。
説明の悪寒
「それ、オブジェだよ」
焼き肉店で余っていた小皿に対して、僕が言ったものである。
眠かった僕なりに最前を尽くした「面白いごと」なのだが、要は「小皿をオブジェとして扱う度量の焼き肉店」であるとか、飲食店としては少々前衛的だな、みたいなことをくみ取ってもらいたかった訳だ。
しかし焼き肉店は、焼き肉を食べるところであって、冗句の質をどうこうする場所ではない。
腹を満たすために、この場に来ている。
だから、何のリアクションもないまま、何事もなかったかのように肉焼きが進むべきだった。
事実そうなろうとしていたのだが、その場にいた者がひとつ「オブジェ」とつぶやいた。
あ、またつぶやいた。
責めていると取られても仕方のない行為ではないか。
いや、責めていた。
僕はすぐに、今のはちょっとした粗相であること、すごく眠いこと、よく考えれば案外味があっておもしろいよ、などを伝え、まあ今日に至る。
ということで、これ全部まるごとまとめて「説明の悪寒」ってやつだ。
大反省。
足を向けて眠れない
別に宗教的な何かの理由でなくとも、そういうものがある、人がいるというのは、ある意味恵まれていると言えそうだ。
西川きよし。
彼はその性格ゆえにあらゆる人に感謝の気持ちを持つ。
結果、立ちながら眠っているという。
もちろんうそだが、そんな逸話が彼にはありそうだ。
西川きよし。
彼は交通事故の憂き目に合いそうになったとき、たまたま通りかかった「日本からみて地球の裏側あたりに存在する国の人の顔立ち」の人に、助けてもらった。
または地底人に、地熱の活用法を教わった。
さらには日本から地球を挟んで向かいのどこぞ惑星人から、手紙をもらった。
結果、逆立ちしながら眠っているという。
もちろんうそだが、そんな逸話が彼にはありそうだ。
西川きよし。
彼は夜空に光るスペースシャトルに搭乗している誰かの、メールをみた。
またはどこぞの宇宙人に、なぜか地熱の活用法を教わった。
西川きよしが、ぐいんぐいん回る。
満点2
昨日から。
【あらすじ】
いろいろな「○○満点」を考えてみて、発表してみる。
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●ウインク満点
難しいところである。
目をつむっているところを換算した結果、満点だったのだろうか。
それともあいているとき?。
もちろんウインクを「片目を閉じて、それをあける」という一連の動作であると定義付けされていれば上記の問題は解決するが、また別の問題も生じたりする。
「ウインクは数なのか、質なのか」である。
どちらが有意なのかがわからなければ、「あの人ウインク満点だったネ」などとは言えない。
数なのであれば「ウインクと目にごみが入ったときの動作の境界線」が気になるところ。
一方、質なのであれば、模範はどういったものなのか、興味をひく。
●おちゃらけ満点
あまりいい意味ではないのではないか。
たいしておちゃらけていないのにそう言われたら、腹がたつに違いない。
しかしおもしろい人という属性を所得する意味では、これを目指すのも一興である。
ただ注意しなければならないのが「おちゃらけに抑揚をつける」ことだろう。
絶えずおちゃらけていた場合、それはある日から「いたって普通」になってしまう。
ここぞというときにおちゃらけて、そのときどきの「おちゃらけ満点」を手にしたいところである。
よって「おちゃらけ満点」は、なんとなくパッシブスキルにはなりえない。
なお、今考えた「ここぞというときおちゃらけ」を列挙しておく。
・親の死に目に、喪服で現れる。
・お盆にトナカイの電飾を。
・銀行に紙袋をかむって登場。
・運転免許の実地試験にてハンドルが抜ける。
・死んで鼻に綿を入れられるが、いくらでも入る感じを出す。
●ブルペン満点
おそらくブルペンエースのことであり、少々心外。
●余韻満点
なんだかひどく、保守的。
●スコアボード満点
両チームともうんざり。
●つゆっ気満点
チャーハンだとしたら、困る。
●中古満点
いいことなのだろうが、せめてリサイクル満点でいきたいところ。
●満点球児・好児
これで赤点球児・好児や及第点球児・好児もいることが示唆できた。
●茶褐色満点
誰にも染められることのないほどの茶褐色。
●火垂るの墓満点
ごめんなさいもうかんべんしてください涙もつきました、な感じ。
●鬼満点
いろいろ意味がとれそうだが、ここでは鬼がうまくて節分にひっぱりだこの人。
以上、おちゃらけ満点、を目指したものでした。
満点
既成概念を極力取り除くと「安さ爆発」というのもなかなかだ。
しかし今回は「○○満点」という言い回しについて考えてみる。
満点だそうだ、○○。
確かに95点程度のことをウリにするくらいなら、そこはちゃんと満点をめざしてほしいところではある。
だが一方、他のところはだいじょうぶ?という気にもさせる。
「迫力満点」
こういったフレコミの映画があるとき、私たちにはもはや「迫力」について言及することは、ほぼない。
あるとすれば「どういった方向の迫力」を確認するくらいである。
・何かのすれすれを人が通過します
・町がたいへんなことになります
・せまりくる映像です
・肝心なところでも映像の切り替えがありません
・死屍累々
迫力の方向性はいろいろある。
どういったものであるかを確認しきれれば「迫力確認満点」である。
しかし他の面はどうかとなると、その情報がない。
「私は映画、たとえばホラー映画を見るとき、どれだけ「振り返ったら怖いやつがいました」シーンがあるかが気になります」
こういった人は、どちらかというと「迫力」よりも「驚き」が重要なのであって、その点「迫力は及第点」でいいはずで、それよりはよほど「驚き満点」の方が重要である。
しかもそれは「振り返ったら怖いのがいる」の驚きであって、「音響効果による驚き」でも「想像を絶するラストへの驚き」でもない。
「この売店では1億円の宝くじが3回も出ました」
この事象で本当に重要なことは「この売店で買って当たらなかった人とくじの数」であるように、彼にとっては「この映画での振り向きギャー数」が重要なのだ。
当然「迫力」の採点は意味をなさない。
話がずれた。
まあ、色々な満点があるよね、という話ということでして。
次回、いろいろな「○○満点」を考えてみて、発表してみる。
ぼらけ
朝ぼらけの「ぼらけ」が何か、気にならないはずがないでしょう?。
Yahooの辞書で調べてみた。
「夜明け方。あけぼのより少し明るくなったころをいうか。」
ちょっと不安になる言い方。
とにかく「朝ぼらけ」は明け方らしい。
それは「夜の終わり」とも「朝のはじまり」とも取れるとき。
「ぼらけ」とはそんな曖昧なところを示すものなのだろうか。
ドッヂボールぼらけ
ドッヂボールだと思っていたら「なかあて」でした。
いすとりぼらけ
厳密にルール決めしていたのに、同時に座ったりとかなり、ふわふわする。
モンハンぼらけ
ゴッドイーターあたりが怪しいか。
そうでもないか。
ぼらぼらけ
出世魚として有名らしい。
課長補佐みたいなものか。
38度線ぼらけ
ある意味当たってんじゃないか。
生きぼらけ
生きるとは何か。死とは何か。
とかを電車の中で考えたりするが、座れたときは寝る。
トイレットペーパーぼらけ
流せるのか流せないのかが分かれ目。
・・・何気に境界線なんてもののあるほうが珍しいような気もしてまいりました。
度数
あの、めがねをかけている人々間にときおりみられる「度数自慢」は一体なにを意味しているのだろうか。
というのは他にまかせるとして、ここではもう少しのんびりしてみる。
「ちょっとめがね貸してみ?」
めがねの度数について議論がなされたとき、このような展開に発展することがある。
異性間であればほぼ告白と同義となるこの行為も、そうでない場合もしくは「異性間友人を維持してます」の場合では「お前はそれほど度数が気になるのか」と少々いぶかしい感じになる。
しかし一方では度の合わないレンズを着装することで湾曲した世界を楽しむだけの行為であるともいえ、めがね達の間における新手のコミュニケーションなのかもしれない。
さて、めがね貸し借りな内容の今回。
とりあえず僕が思いついたのは、以下だ。
?
「めがね貸して」「思ったよりよく見える」
「カード貸して」「思ったよりよくおろせる」
?
女の子が「めがね貸して」と言ったのに、めがねチェーンを付けていたばかりに!!
?
「めがね貸して」と借りためがねをかけてみたら、像が逆さまになりました。
なかなか夢広がるやつ、ありそうではあるが、かなうものはあるだろうか。
うどん
最近近くにできたうどん屋さんに行ってきた。
チェーン店らしいそこは、うどん湯で場を囲むように列をなし、うどんとともに気に入ったトッピングを拾っていくシステム。
おいしそうな揚げ物が陳列されていて、なんだか楽しい感じがする。
さて、湯で時間を待つ間をもてあました僕らはなんともなくあたりを眺めていた。
湯気で曇ったガラスのドアに、それはあった。
うどん
指で、そう書かれていた。
うどん屋さんで、「うどん」という落書きだ。
正直、並大抵のセンスではないと思った。
美しすぎだ。
「うどん屋でうどんって」
「どれだけうどんに焦がれてんの」
「知ってる。知ってるよ」
いくつもの返しが思いついた。
さっそく僕らはこの落書きに対抗しようとした。
うどんの絵と、オリジナル店マーク。
遠く「うどん」の美しさにはおよばなかった。
くやしかった。
とりあえず写真を撮り、茹で上がったうどんとトッピングを選ぶ。
さつまいもの天ぷらがおいしい。
「あーもううどん屋にうどんの落書き美しいな!!」
すぐ思い出した。
でも、その日はずっといい気分だった。