ガム

ガムが得意かというとそうでもなく、どちらかというと苦手だ。
ときどき、えずいてしまう。
ここでえづくと書くと「餌付く」となり、どんだけガム好きなんだってなるけど、とにかく得意ではないのである。
さて、今回重要なのが、どれほどの人が「ガムが得意」なんだという点だ。
ガム、得意ですか?。
「ガム?。けっこうやるクチでね。かれこれ20年」
ガム、なくなってるだろうそれ。
いや、そういうことではなく、そもそもガムに得意も不得意もないというのが一般的。
しかし実際は、炭酸が苦手の人がいるように、ガムを苦手がる人はいる。
気づいてないだけで、結構多いのではないだろうか。
なんとなくだけど。
ちなみに「ガムは苦手。歯の詰め物が取れそうで」というのは、ガムが苦手なのではない。
歯の詰め物が取れるのが苦手な人だ。
注意されたい。

遠隔操作

例えば駐車場にて、自分の停車車両に隣接した停車車両の持ち主が帰ってきたとする。
そのとき、近頃の車であればリモコンで鍵を開けるはずだ。
そのとき、隠れていた僕もリモコン操作をしたら、どうなるか。
隣接車両の持ち主からしてみれば、自分のリモコン動作で、自分の車はともかく、なぜか隣の車両の鍵も開いたぞ!?、って感じになりそうだ。
その後も彼がリモコンを動作させるたびにこちらもそれに合わせて鍵を開閉させれば。
いやないたずらになりそうだ。
ターゲットはどのような動きをするだろう。
「うちのと隣の車、たまたまリモコンの電波が同じ種類なんだ!!・・・」
そんな風に思うだろう。
そして僕の予想では、リモコンの相手車両側を手もしくは体で遮りつつ自分の車の鍵を開閉させる行動を取る。
「あれー、遮ってもだめだよぅ・・・」
そんなことを言う。
そして何食わぬ顔で登場した僕に、こういうのだ。
「いやーすいません、なんだかおたくの鍵の電波とおんなじらしくて」
となれば、ここでネタばらしをしなくてはならないのが、こちら側の最低限のマナーだ。
ここで「いやー、うちの車、よくあるんですよ」とか広げてはだめだ。
永遠にネタばらしを行う機会を失うから。

モスバーガーについて

今週のいつぞややっていた番組で、「モスバーガーのソースをどうするか、社長さんが教えます」みたいなことがやっていた。
モスバーガーのソースは、そのおいしさもさることながら、やたら包装紙内にこぼれ、飲み会で動けなくなるほどに飲んでしまった同級生並みに残されてしまうものであることが知られているのである。
正直そのとき、しまったと思った。
近々そのことを書こうと思っていたのだ。
やっときゃよかった・・・。
でもその番組をちらりと見たのだが、僕の書こうとしていたこととは別の方法を社長さんはやっていた。
なんか、包装紙ごと、食んでいた。
そのあと何か別の方法をしたのかは分からないが、このとき僕は「社長さん、そらないでしょう!?」と言いたくなった。
僕はモスバーガー(正確にはモスチーズバーガー)を買うとき、必ずポテトも注文する。
そして、包装紙に残ったソースをポテトにつけながら食べている。
こうするとあまり汚れないし、ポテトもおいしい。
実際にそうしている人も多いだろう。
僕はてっきりそれを社長さんがしてくれると思ったのである。
でも、食んでいた。
もぐもぐ。
もちろん放送で、僕の見たあとに「実はポテトを利用した方法もありましてね・・・」だったらいいのだ。
でも、それでも僕は包装紙を食む社長さんしか得ていない。
包装紙を食む社長。
会社を愛していることは間違いないのだが。

目と口、ともに ?

ぬっぺらぼうの怖さを考えたものは多い。
髪の毛の有無を指摘した人物もいるが、大体の意見はまとまっているのではないだろうか。
「何をしてくるのかわからないから、怖い」
これである。
これは怖い。
目は主に、何かの情報を得るための使用されている。
口は主に、何かの情報を誰かに伝えるために使用されている。
そう。
彼らは目がないから、
目がない

どこから情報を得ているのか分からない
また、どう情報を得ているのかがわからないから、どう思っているのかも分からない
口がない

どのように相手にものを伝えるのかがわからない
よって、何をしてくるのかが分からない
だから怖い。
また、「目は口ほどに・・・」などというから、それが他の機能も果たすこともありそうだが、それも今の解析からそれほど遠ざかるものではない。
とにかく入出力の経緯が分からないから怖いのである。
ぬっぺらぼうと遭遇した人は、まず普通の人に会ったときにするであろうことをするだろう。
目を見る。
ありゃこいつ。
目、目がねぇ!!。
口は!?。
あー、口もねぇ。
まあ鼻はいいか。
ということで、こ、こいつ。
何考えて、これから何しでかすか、全然分からねぇ!!。
こういう経緯を経て、怖いにたどり着く。
とここでもう一度考えてみると、そもそもぬっぺらぼうというものは何も考えないから、そして何もしないから目や口がないのだ、とも言え、その風貌の奇妙さに対して何気に無害な、なんだかそこにいるだけのもの、という風にも捉えられそうだが、先日のタクティクスを鑑みると、そうとも取れない。
なおさらわけが分からず、怖さは増すばかりだ。
よって、なんだかんだ言ってやはり会いたくない存在であることは間違いなさそうである。
まあ、人によっては「何を食べているかが分からない怖い」「眼鏡をかけていたらシュールで怖い」とかいう意見もありそうだが、そういう意見は大事にしていきたいところだし、本人たちにもどうにかしてインプットしたいところ。

目と口、ともに ?

「ぬっぺらぼう」にいわゆるということもないが、いわゆる「ぬっぺらぼう」についてのおおよその話の流れとして、以下のようなものがよく知られている。
=====
その夜、私が早足で家へ帰ろうとしていると、電柱に向かってかがみこみ、すすり泣いている女の子がいました。
気になったので声をかけてみると、けなげにも女の子は「どうもしないんです。気づかっていただいてごめんなさい」と言いました。
泣いていることが気になるし、曖昧な好意も持ってしまった私は、やさしく泣いている理由を問いました。
すると彼女は、こういいながらゆっくりとこちらを振り向いたのです。
「さっき、こんな顔の人を見ちゃって」
その顔は小さな毛穴ばかりで埋められた、目も鼻も、口もない、無貌そのものだったのです。
幸運にも気を失わずに済んだ私は、しかし何か大声を出しながら、その場から逃げ出しました。
一刻も早く、それから遠ざかりたかったのだと思います。
どれほど走ったでしょうか。
赤いライトが点滅する、深夜の工事現場まで私は走ってきていました。
ライトを振る作業員の背中が見えます。
息も絶え絶えの私は、助けを求めるかのように彼の肩に触れ、さっきの出来事を吐き出しました。
「すいません、今、へんなもの見ちゃって。休ませてくれませんか?」
するとその作業員は、やさしくこう言いながら、こちらを振り向いたのです。
「そりゃ大変でしたね。で、そのへんなものって、こんな顔した人のことじゃないですか」
私はついに気を失ってしまい、介抱してくれた人の家で起きたのは、それから3時間もあとのことでした。
それからというもの、私は背を向けている人に声をかけるのが恐ろしくなってしまったのです。
=====
ながっ。
でもこんな感じ。
2段構造なのである。
ところで、僕はぬっぺらぼうに知り合いがいないので、ここから憶測になるのだが、ぬっぺらぼう側から見て、この2段構造はどういった意味を持つのだろうか。
?一度安心させておいてから再度同じ目にあわせることで、その恐ろしさから抜け出せないというさらなる恐ろしさを生み出させる目的。恐ろしさを劇的に倍増させること。
辞書にぬっぺらぼうの話を掲載するとしたら、その内容は上記のようなものになるのではないか。
多くの人がそう思っているだろうし、僕もそのひとりだ。
だが一方、こういった視点もあるだろう。
?一度安心させておいてから再度同じ目にあわせることで、その恐ろしさから抜け出せないというさらなる恐ろしさを生み出させる目的、を演出したことへの賛美。正当な評価を受けること。
このような2段構造は多くの怖い話、そして面白い話で見られるものである。
その演出を複数のスタッフを使用して実現したその労力、実績を認めてもらいたいのでは、とは考えられないだろうか。
僕は基本的に怖いものが苦手なので、できないだろう。
しかしもしこういった場面に遭遇できて、少なからず今回の話を思い出すことができたなら。
2回目のシーンで、僕はこうやってみたい。
=====
するとその作業員は、やさしくこう言いながら、こちらを振り向いたのです。
「そりゃ大変でしたね。で、そのへんなものって、こんな顔した人のことじゃないですか」
「うまいッ!!。うまこわいッ!!」
そういって私は彼の顔を叩きました。
「この流れはうまいよ!!。さっきのひとんとこからここまでの距離。そしてここのスタッフの適度な数。すごいよ。これは後世に残る名演出だよ!!」
=====
もしぬっぺらぼうたちの考えが?だとしたら、これは泣けるほどうれしいことだろう。
そして、それによって僕は彼らの目、うまくいけば鼻も、どこにあるのかを知ることが出来るかもしれない。
もちろん目鼻自体がないから、涙も流せないかもしれないけど。
なんせ、僕はぬっぺらぼうに知り合いがいないので。

自画自賛

大抵の人の人生において、それほど頻度のない「自画像を描く」こと。
人が「真の自画自賛」を得るタイミングは、まさにこのときにしかない。
「ちょっと今日の料理は、自分で言うのもなんだけど、すごいできだから!!」
「今日の話はうまくかけた。案外しびれるオチがついた!!」
「私っていつもかわいい着こなしができちゃってるのよね」
これらもいわゆる「自画自賛」ではあるが、「真」ではない。
「自画」が無いから。
ということで、これはどうだろう。
「あの橋を描いてみたんだけどさ、ちょっとヤバくね?。この手すりのところなんか」
「さっき描いた私の自画像、写真並みに描けてない?」
実はこれも「自画自賛」どまり。
僕の思う「真の自画自賛」は、以下のようなものである。
「自画像描いたんですけど、完璧に描けました」
「でも、鼻の高さを低くく描いちゃっているんですけど」
この二言目が発せられた瞬間がそう。
その、完璧であるとされた自画像を、既に超越している自分。
それを示唆するこの発言こそ、「真の自画自賛」だと思うのです。
と、こんな旨のことがメモに書かれていました。
書いた覚え、いまいちないんですけどねぇ。
追記
なお、鼻の高さどうこうが賛の対象になりうるかどうかは、アヤシイところであります。

「さんハイ」の力について

今、「さんハイ」の力を試してみたい。
道行く人を呼び止め、相手の目を見ながらゆっくりと「さん、ハイ!!」と言ったとき、相手はどうするだろうか。
もちろん、ここで論じている「さんハイ」は、「いち、にのさん、ハイ!!」を省略したものであり、その手振りなどはみなさんご承知のことだろう。
「さんハイ」と言われたとき、人は何かを促されている。
それは何なのか。
その人の過去が暴かれるのだ。
「さんハイ」と言われたとき、人のとる行動
僕の予想
1.「え、なんですかいきなり」
2.「大地讃頌」のうまくいかないところを歌う
3.「はい?」
「え、なんですかいきなり」にはかなわないかもしれないけど、「はい?」には勝ってもらいたい「大地讃頌のうまくいかないところ」。
そのくらい強いはずだ讃頌。
とにかく、このトップ3で7割は占めてしまうだろう。
あとはマイノリティなやつ。
・威嚇するニホンザルのものまねをする
・あえいうえおあお
・「だますのなら、最後までだましてほしかった。」
「いえ。それでもたいした贅沢になるわよね、ディー。」
「カンタロスの運河に、聖なる子供たちが集まったとき。」
「黒の王妃が永久に階段を下りてゆくわ。」
「さあ、私を殺しにいらっしゃい!!」
さすがマイノリティ。
ぜんぜん浮かばね。

調査

俺にとっての国勢調査イメージ
1.最近、日本には元気が足りないと感じますか?
・はい
・いいえ
・その他
2.チャンスがあればこう、ガッと行きますか?
・はい
・いいえ
・その他
3.この調査票を持ってきた国勢調査員は、元気でしたか?
・はい
・いいえ
・その他
4.ガーデニングに興味がありますか?
・はい
・いいえ
・その他
5.子供は好きですか?
・はい
・いいえ
・その他
6.知り合いが結婚したとき、なんとなくメランコリーですか?
・はい
・いいえ
・その他
7.Aさんが「日本を変えよう」というコピーを作りました。どう思いますか?
・大変よい
・よくない
・その他
8.タイムマシンがあったとすると、どの時代に行きたいですか?
・明治時代
・バブル時代
・未来
・その他
9.いくらまでの飲み会なら、参加しますか?
・2000円
・3000円
・参加しない
10.土日のような、連続した休みがないとしたら、どう思いますか?
・外出したくなくなる
・その他
どうもありがとうございました。
この調査結果は、統計以外の目的には使用されません。

一度は使いたい。

2車線の、もう片方側の車線を走る前方のトラックを見て、その人は「もしかしたら家畜を運んでいるトラックかも知れない」と言った。
見てみると、かなり通気の良さそうな荷台だ。
50cmほどの仕切りで囲われている。
僕は言った。
「動物はいないでしょ。あの高さでしか仕切りしてないから、いてもジャンプしちゃうじゃん」。
「まあ、豚ならギリギリ飛び越せないかもしれないけど」。
事実、荷台に家畜はいなかった。
それから10分くらいして、僕はなんとなくこう思った。
「豚を話題としたときだけ、「ギリギリ」という表現を「ブヒブヒ」に変えたらどうだろうか」
そうなると先ほどのは
「まあ、豚ならブヒブヒ飛び越せないかもしれないけど」。
この変更で重要となることを、箇条書きにしてみる。
・どうやって豚の話題をさりげなく行うか
・その中で「ギリギリ」という言葉を使う局面を生み出すこと
・「ギリギリ」を「ブヒブヒ」に変えても、相手は会話の前後からそれが「ギリギリ」と同等の意味を持つものであることが理解できること
・相手との信頼関係
とりあえず信頼関係を除く、3つの点について考えてみる。
例えば生肉の話になったとする。
「ブヒブヒ」を試したい僕としては、若干食い気味で「豚の焼き具合」話を行うに違いない。
「あ、でも豚肉って生でも食べられないよね」
ここで次の重要点「ギリギリ生み出し」が違和感なくできるのは、今のところこのくらいしか思いつかない。
「うちのソテーがさあ、まだ肉が赤いんだよね・・・」
「それでも家族みんな、”ギリギリ”大丈夫だって思ってるんだけど」
・・・足りないのである。
この会話では、ギリギリを使う必要性が足りないのである。
それでもブヒブヒを使ってみよう。
「それでも家族みんな、ブヒブヒ大丈夫だって思ってるんだけど」
どうだろう。
何言ってんだの感じだろう。
結局、ギリギリが使われるかどうかすら怪しいため、そこにギリギリ以外の言葉をあてがっても、よくわからないことになるのである。
その点、冒頭の「豚が飛び越せるかどうかが微妙な仕切り」はこの変更の恩恵を最大限に受ける題材だと思う。
ほら、今ですら「豚が飛び越せるかどうかが微妙な仕切り」とタイプするとき、どれほど「ギリギリ」という言葉を使いたかったことか!!。
どうやら、この試みは「豚がいそうなところにある50cmほどの柵」のようなシーンでのみ、使用できるようだ。
「あれ?、あの柵。あれじゃあ豚でもブヒブヒ飛び越せんじゃね?」
けっこうギリギリ感が出てると思うのだが。
ブヒブヒ。
そのしょうもなさで、案外面白い試みであると自負している。
しかし「豚が通れるかどうか微妙な横穴」や「太ってはいるが、やけにセクシーな女性グループ」などという類似案件はあるものの、いかんせん贅沢すぎる。
残念。
僕はしょうもな会話が必要なシーンでは、絶えずトラックを探すことにする。

あかず の踏切りにて

本日の結論
マルチーズは、電車も喉元をつけば倒せると思っている。
=====
先日、ある踏切で信号待ちをしていた。
ここの踏切は、遮断に踏み切る電車の距離が非常に遠く、すこぶる待たされることでしかし、人の通行自体もそれほどないことから、特に有名とは言えない踏切である。
さて僕の後ろに、僕と同じように信号待ちをするおじいんさんがいることに気づいた。
そのおじいさんは、連れていたマルチーズをあやす姿を見る限り、かなりのマルチーズ好きのようすで、何かを絶えず語りかけていた。
突然、マルチーズがすごく吠えだした。
僕らにはまだわからないが、どうやら電車がこちらに向かっているらしいのだ。
線路の先に向かって、吠えている。
事実、少しすると電車が遠方よりこちらの踏切に向かってくるのが見えた。
すると、マルチーズの吠えは過激さを増し、でもおじいさんは愛おしむようにそれを見る。
そして、電車の先頭車両が踏切にさしかかった瞬間、マルチーズは線路沿いの道路をかけ、電車を追いかけ始めた。
もちろんおじいさんもそれに合わせ、よろよろ走り始めた。
僕は思った。
マルチーズはどうやら電車の先頭車両を、電車の頭であると認識しているようだ。
ただの威嚇なら、通過していく電車に対して吠えるだけだろう。
でも、彼もしくは彼女は電車の先頭車両を明らかにねらっている。
狩猟を行う動物が獲物に対してねらう部位は、まずは相手の動きを効率的に押さえることのできる、呼吸器官系であるというのをどこかで聞いた。
要は鼻であったり、のどであったり。
マルチーズは電車の先頭車両付近にそれがあると認識したのだ。
小さくて白くてふわふわしているヤツなのに、勇敢だ。
ただ、電車はその車両ひとつひとつに動力が付いている構造から、どちらかというと虫っぽいかも、と僕はため息を、特につくこともなくツタヤに向かったのである。
追記
電車は、その車両ひとつひとつに動力が付いている構造、かどうか、ほんとは知りませんので、ごみんなすい。