昨日から。
【あらすじ】
禁句って、なんだか面白いね。
=====
本日は「禁物」。
これも昨日の「禁句」と同様、そうとされた人物像を明るみにする。
「彼女の前で食事の話は禁物だ」
ダイエット中なのである。
「彼にナポリタンを出すことは禁物だ」
汚してしまったのだろう。
そでで口を拭いてしまったのだろう。
だから彼にナポリタンは禁物。
そして、そで口の赤い彼の人間性が、いくらかわかる。
「彼の前で組み体操をするのは禁物だ」
入りたがるのだろう。
上に登りたがるのだろう。
だから彼に組み体操関連のことはめんどくさい。
「あの人の後ろに立つことは禁物だ」
ゴルゴである。
「あの人に後ろに立たれることは禁物だ」
やはりゴルゴではないだろうか。
「あの人に前に立たれることは禁物だ」
これもゴルゴである。
ここまでくれば「ゴルゴの人間像は殺し屋です」と言えそうである。
殺し屋、人間像なのだろうか。
カテゴリー: 疑問結論など
タブー
「あの人に、○○は禁句よ」
そんなことを耳にすることが、ときどきある。
このとき、「何が彼にとって禁句であるか」ということが、彼の人間性をおおまかに決定づけると考えて、ほぼ間違いない。
例えば「あの人に、死ねは禁句よ」というものがあったとする。
そりゃ当たり前だとも言えるが、このことによって「彼は人間」ということが、ほぼ決定づけられるだろう。
「あの人に、その牛乳瓶の底から何が見えるのは禁句よ」
この場合、あの人はキテレツ大百科の勉三さんであることが、ほぼ決定づけられるだろう。
しかし一般的には、上記の○○に入るものが容姿に関するものばかりではないため、その点は観察力、創造性などが必要となる。
「あの人に、左利きは禁句よ」
「あの人に、電影少女は禁句よ」
「あの人に、執行猶予中は禁句よ」
「あの人に、中はジューシーは禁句よ」
「あの人に、十一時方向に敵影は禁句よ」
こうなると彼にはかなり「何かがある」のであり、それを考慮して、あなたは「禁句よ」というアドバイスを得たのである。
それなりの能力がないと、あなたは相手に失礼をかます。
「あの人に、お経は禁句よ」
「あの人に、回復呪文は禁句よ」
これはわかりやすい。
彼にはかなり「何かがあった」のである。
早口言葉2
昨日から。
【あらすじ】
早口言葉に内容を問うことはできるのか。
・バスガス大爆発→悲しかった。
・生麦生米生卵→悲しかった。
・坊主が屏風に上手に坊主の絵を書いた→そうですか。
=====
昨日は有名どころの早口言葉をいくつか挙げ、その内容を考えてはみたが、正直内容は悲しいだけだった。
今日は逆に、内容重視で攻めてみる。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
平家物語である。
これを早口言葉にできれば、「早口言葉でありつつ、平家物語の出だしも覚えてます」となり、早口と内容をそこそこ両立した言葉ができるはずである。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり!!」
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり!!」
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり!!」
どうだろう。
平家物語の面目、まるつぶれではないだろうか。
「諸行無常の響き」、ぜったい無さそうではないだろうか。
こう叫びながら下校する小学生がいたらすごくセンスあると思うが、早口×内容の観点からすると、ちょっとだめだろう。
他をあたってみる。
「ひとよひとよにひとみごろ ひとなみにおごれや」
2、3の平方根の覚え方である。
これを早口言葉にできれば、「早口言葉でありつつ、平方根も覚えてます」となり、早口と内容をそこそこ両立した言葉ができるはずである。
「ひとよひとよにひとみごろ ひとなみにおごれや!!」
「ひとよひとよにひとみごろ ひとなみにおごれや!!」
「ひとよひとよにひとみごろ ひとなみにおごれや!!」
どうだろう。
語呂悪すぎではないだろうか。
「おごれや!!」など、怒っているようになっていないだろうか。
テスト前にこう連呼する中学生がいたらすごくセンスあると思うが、ちょっと怖いよとたしなめるだろう。
最後。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
日本国憲法 第9条第1項である。
話題になることの多いこれを早口言葉にできれば、「早口言葉でありつつ、平和主義の考え方に明るい」となり、早口と内容をそこそこ両立した言葉ができるはずである。
が、もうお分かりであろう。
これは早口にはなりえない文字数と内容なのである。
それでも無理に早口言葉にしようとしたとき、それはもはや早口言葉ではなく、暗記法の一つになり代わるのであって、同時になんとなくミスター梅介方面のにおいを出してしまうのである。
結論
早口言葉とその内容の両立はむずい。
追記
「合いの手早口言葉」で遊んでみよう。
「生麦生米生卵!!」→「お菓子を食べればいいじゃなーい!!」
「生麦生米生卵!!」→「お菓子を食べればいいじゃなーい!!」
「生麦生米生卵!!」→「お菓子を食べればいいじゃなーい!!」
こんな感じ。
トリコロール2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
2人のあらくれものがやみくもに「だんご3兄弟」を描いたところ、両者とも上から順に「普通の顔」「いばった顔」「困った顔」の表情を描いた。
なぜ同じ表情を、同じ順番に描いたのだろうかの今回。
ちなみに個人的な意見としては「だんご3兄弟」
長男・・・イーグル
次男・・・シャーク
三男・・・パンサー
です。
=====
全然わからない。
この内容でまたぐ意味があったのか、全然わからない。
でも考えてみよう。
そこで思いついたのが「3兄弟にリアリティを持たせたかった」説だ。
サイコロを3回転がしたとき、すべて1が出たとしたら、気持ち悪い。
鉛かなんか入ってるんじゃないかと邪推したりする。
その確率は他の組み合わせと同じだと分かっていても、数あるもののなかから同じものが3つ連続で来たら、どうも自然な出来事ではないと感じてしまうのだ。
それです。
3兄弟の、例の?。
あの、表情がどうこう?、っていうの?。
最初に「普通の顔」を描いてしまったら、次はなんだか違う表情の方が自然な気がする。
むしろ違う表情だった。
あんなに売れたんだ、同じ表情であるはずがない。
ということで「普通の顔」以外を描いてしまうのではないか。
そんな感じ。
そしてそれが三男を描く際にも発生、結果「普通の顔」「いばった顔」「困った顔」となったのです。
あさましい。
自分の絵に自信がないため、ありもしなかった表情でリアリティを無理くり作り出そうとするなんて。
だんご3兄弟であさましさが露呈するなんて考えもしなかったぞ。
しかし、ここでまた疑問が。
「数ある表情の中から、なぜいばった顔、困った顔がチョイスされたのか」
心情としては、この疑問の中に「いばった顔」「困った顔」の順番に対する解答がありそうな気がする。
すなわち、「いばった顔」のあとは、それに「困ってる顔」だろ、ということ。
しかし表情というものは、いばり困り以外にもたくさんある。
はちきれんばかりの笑顔があれば、はにかんだ表情というものもある。
沈痛な面持ちというのもあれば、ディスプレイに油がべたりとついたケータイを返されたときの表情というのもある。
そのなかで、「いばった顔」「困った顔」なのである。
正直なところ、なぜそれを複数の人間が「だんご3兄弟」にあてがったのか、もう本当にわからない。
ただ、「だんごにはちきれんばかりの笑顔」は絶対描かないことだけは断言したい。
ケーキは大丈夫だが、だんごにはちきれんばかりの笑顔は似合わないのだ。
同様に「はにかんだ表情」も、だんごにはどうかと思う。
これは、日本のソウルスイーツ(?)としてのだんごの、唯一の個性なのではないか。
「ケーキだー」と喜ぶ子供達。
対して「だんごだー」というのは、ちょっと想像しにくい。
例えば、だんごは怒られてふてくされている子供に合う。
「だんごでも食え」
こんなである。
このとき、与える側がケーキを選択したとすると、それは「ケーキあげるから、機嫌直しなさい。もう悪いことだってわかったんでしょ?」を意味している。
一方の「だんごでも食え」。
つっけんどんである。
背後にあふれる愛情があるのだろうが、それは一見ちらりとも見えない。
そんな雰囲気に、だんごはよく合う気がする。
その暗いイメージは、のりの黒か、あんこの黒か、こげの黒か、ずんだの濃緑か、みたらしの茶か、ごまの黒か。
・・・暗いの多っ!!。
ケーキに比べて、暗いの多っ!!。
とにかくだんごは暗いイメージが強い。
ともなると、だんごに対しての「普通でいばって困り」選択は、ひどく正常なのかもしれない。
トリコロール
先日、何らかの事情があり、だんご3兄弟を描くにいたりました。
流行っているころですら、それほど注目していなかったそれを、何の資料を参考にすることなく描くのは難しいと思われます。
しかし、出来上がったそれは「だんご3兄弟です」と近くに書いてあればそう認識できる。
どうにかそういったものを描くことができました。
なんとなく気を良くした私は、近くにいたものに「だんご3兄弟を描いてみせよ」と要求してみました。
すると、やはり「だんご3兄弟なんだろうな」という絵を、その人は完成させました。
このとき私は、その絵と私の絵に奇妙な共通点を見出したのです。
だんごの3つ刺さった串、だんごにはそれぞれ顔がある。
それは共通点として当たり前だと思ったのですが、問題はその表情。
だんご上から「普通の顔」「いばった顔」「困った顔」の順。
その表情の順が、同じだったのです。
この事実を考えるにあたって、私はまず「だんご3兄弟の歌」を思い出そうとしました。
確かそれは、3つのだんごそれぞれに性格があることを示唆するフレーズがあったように思ったのです。
しかし思い出せませんでした。
今でも思い出せません。
そんなものが私達のだんご3兄弟に与える情報は、ほぼ皆無でしょう。
次に考えたのが「だんご3兄弟の絵がそうなっているのではないか」ということです。
あまり注目しなかったにしても、何回か私達の目に「だんご3兄弟」は触れているはずです。
結局、そもそもそれが「普通の顔」「いばった顔」「困った顔」なのであって、それが今回の表情同様事件に影響しているのではないだろうか、ということです。
違いました。
調べてみると、「だんご3兄弟」はみんな、微妙な表情です。
やや笑みを浮かべているようですが、基本的には自宅風呂場の表情でした。
彼らの表情に「普通の顔」「いばった顔」「困った顔」の抑揚なぞなかったのです。
私の思いついた仮説は正解ではなく、この問題は暗礁に乗り上げました。
「だんご3兄弟を描いたとき、その表情はなぜ上から「普通の顔」「いばった顔」「困った顔」なのか」
次回、少なくとも解決だけはしません。
条件
既成概念というものが何かを邪魔していることは、この世の中、少なからずありそうである。
例えば幽霊。
いきなり例が最悪で、かつ幽霊に概念ともなると、方向性によってはその存在有無にまで話が発展しそうだが、まあ大丈夫だろう。
「幽霊」。
何の意図も持ち合わせいないとしても「女性の幽霊」は十中八九「色白で髪の長い美人」である。
着衣その他差異はあるが、「女性の幽霊」の話題では「色白で髪の長い美人」を想像してほぼ間違いではないのである。
一方「男性の幽霊」はそこそこブレる。
たいていは「落ち武者」であるが、たまに「サラリーマン風」も出現、多様な霊環境を形成しているようだ。
さて、今回は「女性の霊」の方で考えてみる。
ここで既成概念の与える影響としてはこんなことが考えられないだろうか。
「女性の幽霊は色白で髪の長い美人という既成概念があり、それが様々な心霊体験もしくは勘違いを矯正してしまっているのではないか」
「ショートボブで普通の人の霊」を見ても、闇夜で蠢く森三中を見ても、既成概念のせいで「色白で髪の長い美人」になってしまう。
それ以外の霊、事例もあるのだろうが、それは「女性の幽霊=色白で髪の長い美人」の先入観の前では、アメ横の雑踏の中に落とされてしまったビードロのおもちゃのように、はかない。
ひどい話である。
髪の短い霊の、髪を短くした意味を損なわせ、森三中のアイデンティティを奪う。
これが既成概念というやつか。
そしてビードロのくだり、いらないか。
なお、今回の話題が幽霊である以上、その姿については生前のことも視野に入れなければならないだろう。
例えば、この既成概念が生まれた背景として、こんな事実がそこにはあるやもしれない。
「色白で髪の長い美人しか幽霊になれない」
これが事実だったとき、「色白で髪の長い美人(存命中)」は喜んでいいのだろうか。
また、こういった考え方もできるだろう。
「女性は死ぬと、あの世で「色白で髪の長い美人」っぽく仕上げられる」
誰の趣向かは知らないが、そんなことも考えられる。
そして、この趣向にどうしてもそぐわなかった人が「高速で追いかけてくる老婆」や「鞠をつく幼女」など、マイナーシーンを飾る女性幽霊の座を獲得できるのかも知れない。
して、この方向を進めていくと、もちろん男性側はこうなる。
「落ち武者しか幽霊になれない」
「男性は死ぬと、あの世で「落ち武者」っぽく仕上げられる」
「サラリーマンしか幽霊になれない」
「男性は死ぬと、あの世で「サラリーマン」っぽく仕上げられる」
あまりに腑に落ちず、これは死ねないね。
手持ちぶさた その2
昨日から。
【あらすじ】
手持ちぶさたな人にこれを与えておけば、両者安心、みな家族。
ぷちぷちとかは、なんとなく除外。
=====
手持ちぶさたな人には、適切な道具を与えなくてはならない。
例えば、誤って切符を渡してしまった場合、彼はあなたと会話しながらそれを折り、裂き、改札口で、きみのことを待つ。
裂かれた切符を駅員に赤面しながら説明するきみを。
ということで、手持ちぶさたな人にはこれを渡してみては?、という今回。
◆使用済み鉄板とコテ
彼はあなたと何気ない話をしながら、ずっとシャコシャコし続けることだろう。
そのおかげで鉄板はきれいになり、それは気持ちいいことだ。
お店の人も大助かりだし。
◆コロコロ掃除用具
前回の「ほうき」とかぶる面が多々あるが、コロコロのお手軽さがうれしい。
その行動範囲も広くないため、例えば部屋の中での会話中などで相手の「禁断症状」が認められたら与えてみるといい。
彼は三日ぶりに蜜を与えれたカブトムシのようにコロコロに吸い付き、ころころするだろう。
床の毛も取れる。
また、彼は「手持ちぶさた」なので、テープを綺麗に切ってはがしてくれるだろう。
◆針の入っていないホッチキス
あなたが彼の「手持ちぶさた」なことを理解している限りは、有効なツールである。
逆に言うと、それがないとちょっとカチャカチャ音が気に障るので注意だ。
また、誤って針の入ったものを与えてしまうと、彼は意味もなく閉じた針が大量生産されることをおそれ、カチャカチャしない。
そうなると、そのおそれと手持ちぶさた未消化が彼を野獣化、がうがう言い出すので注意だ。
余談だが「美女と野獣」でせっかく人間に戻れた彼、ディズニーランドでは再び野獣として登場し、人気なのだそうだ。
えらいと言えるが、人間の姿で登場、「誰?」と感じになってしまうからのしぶしぶ野獣化、との意見も。
◆チョロQ
手持ちぶさたな人にチョロQを与えると、おもしろい。
彼はかならずコースを作るだろうし、チョロQのおしりに10円をはさもうとするだろう。
車体をひっくり返してタイヤ部分を指でなぞるだろうし、分解すらしだすかもしれない。
アナスイは手持ちぶさたなのである。
◆こま
何気にかなり面白いのではないかと考える、手持ちぶさたな人にこまを渡す。
彼はこまを回すだろうし、回っているそれに息を吹きかけたり、ティッシュを乗せたりのミニ実験をしだすだろう。
もちろんあなたの話はちゃんと聞いているが、こまの方が面白くなってしまうかもしれない。
その会話の締めに「まあ、何事も回るこまみたいなものだよ」ときたら、そいつを殴りに行こうか。
◆紙とペン
最有用ツールだ。
単なる線でもいいし、円でもいい。何かを書く行動が「手持ち」を「ぶさた」させない。
また、下手すると何かすばらしいものが誕生したりするので、その点が観測者でもあるあなたの、数少ない楽しみのひとつとなるだろう。
まあ、そうとまではいかなくても、ちょうどこの文章くらいのことを書いてくれるかもしれない。
かもしれないんだったら!!。
手持ちぶさた その1
CMでは松平健がやっているためイメージが変容してしまったかも知れないが、レレレのおじさんは奇妙である。
まず耳。
前に書いたかもしれないが、あの妙な長さ。
あとはシュレックとじょうごくらいしかいないんじゃないかという耳だ。
じょうごは耳ではないが、とにかく外耳特異すぎ。
そして何よりもその行動。
彼の行動、それはほうきであたりを掃く、これだけである。
確かに頭頂部とあごを、これまた特異なフィンガーサインではさむという点もよくわからないが、とにかくいつも掃いているのである。
「ある薬物の中毒者にほうきを持たせると、一日中そこらを掃いている」
比喩なのか本当なのか。
そう書かれた本もあり、それを考慮しなかったとしても、やはり妙なほうき掃きっぷりだ。
本題。
こんなことを書かずとも、要は「手持ちぶさたな人」に何を与えればよいのか。
それが本筋でした。
おじさん、関係なかった。
上記の例なら、ほうきを与えれば彼は落ち着き、あたりもきれい。
そんな感じを次回。
10円玉
電車内に設置されているモニタに、雑学的なクイズが出題されることがある。
「花を見るとさわやかな気持ちになりますね。ところで花びんの花を長持ちさせるためには、あるものを花びんの中に入れておくと効果があります。それは何でしょう」
10円玉だそうだ。
僕としては「花びんの中の10円玉」と「さわやか」がどうしても結びつかない。
「霊験あらたかな池に投入されている小銭」
厳かな感じもするにはするが、少なくとも「さわやか」ではない。
どうも人間には「水のたまっている場所に小銭を投入する」癖があるようで、何もまつられているようでなくとも、やや珍しい石のくぼみの水たまりにも小銭が入っていたりする。
どんなものにでも神が宿るという、八百万な考え方だろうか。
悪いことではないが、「水に小銭」というシーンで、このことが与える印象、影響はでかい。
今回の「花びんに10円玉」も例外ではなく、「花を生かす」「さわやか」どうこうよりもまず、「何?、なんかまつられてんの?」のイメージが先行し、混乱を招く。
そして「花を生かす」事実を知ったとしても、今度は「花の生気と10円玉」の関係、比較にまた、苦しむのである。
首の長さ
進化論には様々な説が存在しており、細かいものをあわせると結構な数になる。
さて、ある説では、進化を正しい方向で論ずるにはキリンの首と足に着目せよとある。
キリンはその首の長さが注目されがちであるがい、同様に足も長い。
そしてその長さはほぼ同じなのである。
このことが導き出す結論、それが「首でも足でも両方でがんばりました」である。
これは猿など、他のところでがんばっている種を除いた全ての生物にみられる傾向。
現在、その長さが極端に異なる生物がいないのは、あんまり片方だけがんばるのはいけないことを示唆しているものと考えられており、それにそぐわない生物は今後絶滅する可能性が高いという。
本能によりこのことを察知しているのか、例外とされている人間のなかには、現在一生懸命、首を長くしようとするものも確認されている。
「座ったり、足を折り曲げることなく川の水を飲むから、首の長さは足の長さと一見同じくらいなんだと思っていました」
この考察について、この説は「今日まで、川や水溜りが宙に浮いていたことはない」という結論も合わせて導き出している。