俺が出しました。2

昨日から。
【あらすじ】
サッカーの試合で場外にボールが出たとき、近くにいた両チームの選手達が一斉に手を挙げるのだが、これには「俺が出しました」の主張と「俺のボールだ」の主張、二通りが考えられた。
=====
あらすじのように、あの挙手には二通りの意味があると捉えることができる。
しかし、結局このような話は机上の空論なのである。
すなわち、サッカー選手を介在していない。
だから分からない。
全くこちらが予想だにしなかった、第三の意味があるかもしれないのだ、あの挙手に。
1.ボールが場外に出てしまった案件に対し、関係者は挙手をするようにルールで定められている。
2.ボールが場外に出たため、少しの間ゲームが中断する。そのあいだに脇を外気にさらすことでヒートアップした身体をクールダウンさせている。
3.花王がスポンサーであるため、クールダウンを兼ねて8x4の宣伝を行っている。
4.「主審、主審!!。おれ、春日部です!!」
5.手を挙げることで体を大きく見せることができ、主審を威嚇。
6.手を挙げることで、ちゃんと働いていることを監督にアピール。
7.「主審、主審!!。おれ、春日部です!!」
8.「見てくれてました!?。さっきのプレイ!!」
9.「それもこれも主審が正確なジャッジをしてくれているからですよ!!」
10.「あーここで、春日部にイエローカードですねえ・・・」
11.「主審に何か言ったんでしょうか」

俺が出しました。

サッカーの試合を見ていると、ときどきボールが場外へ出てしまうことがある。
そのとき、近くにいた両チームの選手達が一斉に手を挙げるのだが、僕はあれを「自分が出しましたと、審判に申告、主張している」と思っていた。
紳士のスポーツというわけである。
しかし人にたずねてみると、あれは「自分チームのボールである」という主張なのだそうだ。
このとき、僕は「なんだかなぁ」と思った。
ボールを出した選手は、自分が出したことを認識しているはずだ。
それなのに場外へボールが出るたびに、特にどちらが出したのかが分かりづらいシーンで、とにかく両チームの選手とも、手を挙げるのだ。
どちらかが、うそをついている可能性がある。
しかし、考えてみれば選手というもの。
勝ち負けにこだわらなくてどうするといった面があるため、誰が出そうが手を挙げて自チームのボールであることを主張するのはなんら不思議ではないのだった。
サッカーに疎い僕にその人は、ゴールが決まったとき、付近の相手選手が手を挙げるのも、とりあえずオフサイドを主張するという、これと似た考えによるものではないかと教えてくれた。
さて、今回の話で何かしらポイントがあるとすれば、この話が閉じていることだろう。
要は、僕と人、二人だけの中の話である。
こういう場合、僕にはまだ「選手たちの考えも、僕の思っていたことと人の思っていたこと、二通りの考え方があるんじゃないか」と思う猶予がある。
ボールの出たとき、テレビ画面にチームAの選手とチームBの選手が、挙手した状態で映し出される。
このとき、チームA選手は「すいません、俺が出しました」と挙手し、チームB選手は「うちのボールです」と挙手。
こういったことが起きているのではないだろうか。
と、こう書くと、このボール出事件はなんら問題なく解決するはずである。
チームAが出したと言い、チームBのボールでゲームが再開する。
しかし残念ながら、そういったシーンは見たことがない。
あまりサッカーの試合を見ないので、見てないところではそういったことが起きているのかもしれないが。
悲しいことである。
せっかくそんな紳士チームAがいるのである。
だから、こういうときは「かけ声」が有用だろう。
野球で高い打球すなわちフライを仕留めようとする野手。
彼らのあいだでもてはやされているのが「オーライ」だろう。
それを使ってみよう。
ボールの出たとき、テレビ画面にチームAの選手とチームBの選手が、挙手した状態で映し出される。
チームA選手「オーライ、オーライ」
チームB選手「オーライ?。ユア オーライ?。ノー。ノーオーライ」
ということで、まずはオーライの定義が必要そうである。
次回
閉じた宇宙が閉じたまま。

いけないところのはなし

「髪型を変えたのに、誰も気づいてくれない」
その人はそういって、うつむいた。
このとき、気付いていようがいまいが、「いや、気づいていたよ、ほんと」という旨の発言を行う人は、人が心から笑っている顔をまじまじと見てしまった人である。
この発言にはそれ以降いろいろなオモシロ事柄に派生していくための要素がすでに用意されているのである。
「気づいていたよ。かれこれ半年」
「気づいていたことを気づかれないようにするのが、大変だったよ」
「わかってたよ。だって、部屋内の空気の流れがいつもと違うもの」
「気づいていたよ、ほんと。ひぐらしのなく頃から」
「そりゃ気づいていたよ。むしろ君を見るたび、前の髪型を思い出して、頭の中でイメージをとっかえひっかえしていたんだ」
一方、「ごめん、気づいてなかった」という人は、なんというか、強い。
誠実面インプレッションが強い。
「ごめん、気づかなかった。そのお詫びといってはなんだけど、一緒にお昼、どう?」
僕的には、王手である。
さわやかチェックメイトである。
「ごめん、気づかなかった。実は今日、つぶれたアゲハの幼虫見ちゃって。あの鮮やかな終令、ってやつ?。あれがどうしても忘れられなくて、気づかなかったのかな。一緒にお昼、どう?」
「気づかなかった。もう、本当に気づかなかった。でも、こうやって気づかないあいだにも、太陽は輝き続けて、風はふき、ヌーの大群が川を渡っているんだよね。一緒にお昼、どう?」
こうなるとめんどくさそうだが。
そんなシーンのとき。
僕は「もちろん気づいていましたよ。えへへ」と言った。
このへんに僕のいけないところがあるわけだ。

かたつむり

でんでん むしむし かたつむり
おまえの あたまは どこにある
つのだせ やりだせ めだまだせ
なぜ「むし」の部分を繰り返すのかは不明だが、よく知られた歌である。
この歌で気になるところは、やはり「やり」部分で、実際気になられている方も多そうである。
これについては諸説あるのかないのかいまいち分からないので、各自調べていただきたいのだが、もちろん当ブログでは正答に興味はない。
ここでは「かたつむりの歌に出てくる、やりだせとは」について、諸説紛々の中の正答っぽいものから、一番縁遠そうなやつを見たい。
1.歌の作者が、よくゾイドで遊んでいた
?ゾイドらない人のためのゾイド講座?
ゾイド:なんだか地球上の生物の形をした機械兵器みたいなやつで、プラモデルがある
ゾイドの中に、たぶんかたつむり型の兵器もいたのである。
作者は幼少よりゾイドをたしなんでおり、その武装の一つに「でんでんむスピア」とか「かたつむランス」があったのであろう。
それを出せとかたつむりに言っているのである。
2.歌の作者が、かたつむりを「小さいトロイの木馬」か何かと思っていた
あの渦巻く殻から、槍を持った兵士が出てくると思っているのである。
命令口調で槍を出すように言っているところをみると、そこに潜んでいることは既に見破っているぞということを兵士達に気付かせ、その士気を下げようとする意図もありそうである。
3.交尾をせがんでいる
この歌でいう「やりだせ」は、いわゆる「槍出せ」ではなく、イメージ的には「ヤリだせ」ということなのであり、作者の性錯綜がうかがわれ、こんなこと書いている僕自身も滅入る。
ところで、かたつむりは雌雄同体である。
作者がそのことを知っていたとするなら、かたつむりの交尾を強要しようとする作者の錯綜は、もう大変なことになっていそうである。
ところで僕は、もうかたつむりの身も、殻も触れなくなってしまいました。
だから、基本的に何も出してくれなくて、登場もしてくれない方がよいです。
かたつむり、終わり。

いい加減

ゆうこりんのCMを流し続けるカーセブンに対し「いい加減にしろ」という意見が某市議会の場で出たというが、今回はこの「いい加減」というものがどういった按配なのかを考える。
上記の例では、人によっては
「ゆうこりんこそ、いい加減のところのものだ」
「ゆうこりんの脇こそ、いい加減のところのものだ」
という意見もあり、それ以外も多種多様であろうため、一概に「いい加減」ポイントがどこであるかは特定できない。
しかし、「出会うたびに校長のスキンヘッドをぱしぱし叩く生徒」に対して発せられた「いい加減にしろ」については、ある程度特定できる。
「校長のスキンヘッドをぱしぱし叩く行為」を「いい加減」にしてみると、たぶんこんくらいで落ち着く。
「スキンヘッドを叩かない」
「スキンヘッドをやさしくなでる」
「育毛用ブラシでやさしく叩く」
校長の頭を真っ赤にしたときに「いい加減にしろ」と言われたら、次の日からはこれらをすればいい。
むろん、それもやられたくないとする先生側としたら、注意するときの文句は「何もするな」にしなくてはならない。
一般的に「いい加減にしろ」というのは、すごく抑制的な感じのする言葉として認識されているが、考えようによっては「いい具合に調整してみろ」という風に取ることもでき、その点このやり取りはフリーシナリオシステムなのである。

男子たちも明日はない

先日本ブログに登場したことば、見せパン。
このことばが存在する以上、今までのパンはなんだったのか。
普通に考えると「直パン」か。
それは焼きたての様相。
「生パン」か。
それは生地仕込みの様相。
※ちなみに、このテーマで下(しも)に向かわないようにするのは、精神的に大変で、無理な面もある。
ところで僕はずっと、スカートをはいた女子がどのようにして自転車に乗るのか、疑問だった。
サドルに直接パンツが触れたら絶対気持ち悪いから、何かうまいことやっているのではないかと思っているからだ。
だが、近頃やっと、認めなくてはならないことに気付いた。
たぶん、サドルに直接パンツだろう。
サドル×パン。
海洋堂×角川文庫みたいなものか。
見かけ、スカートごしにサドルに座ってない人は、おそらくサドル直パンだろう。
今度誰かにちゃんと聞いてみることにするが、そうに違いない。
気持ち悪くないのだろうか。
さて、ここで僕の提案がひとつと、解決したある疑問、今日の総括を報告する。
◆提案
サドルに座るとき、小さい座布団みたいなのを敷いてはどうか。
女子は、スカートという文化があるため、ある程度スカスカに慣れているかも知れないが、それでもサドル直パンは気持ち悪いんじゃないだろうか。
そこで小さい座布団(サブトンと命名)。
こいつをサドルにひくのである。
冬も、たぶん暖かいぞ。
◆解決
サドルが盗まれるという事件の原因には、直パン関連もありそうということが分かった。
サドルがなくなる意図が分からなかったけど、直パンのことを考えると、そのなんだ、劣情的な、ほら。
ともかくこれは、被害者は気持ち悪いねぇ。
◆総括
男子はこんなことばっかし考えているのである。
で、ここまで言っといてサドル直パンが違ったら、どうしようか・・・。

注意2

昨日から。
【あらすじ】
落石注意。
それがかもす不安に抗う術。
=====
・標識付近では息を止める。
吐息気流が石にどんな影響を与えるか、わかったもんじゃないのである。
ちなみに僕は、トンネルに入るとその間、息を止める遊びをします。
・標識付近で気配を消す。
「息を止める」と似ているが、さらに安全な気がする。
方法は皆さんの方が詳しいと思うので割愛するが、そう。
例えば誰かの誕生日、サプライズパーティーの準備をしているときにその誰かが来ちゃった。その場の雰囲気が、これと近い。
・車の中で、はしゃがない。
いますね。
はしゃぐ影の見える、前車両。
あの車体の揺れが落石を招く。
かみなりは既に落ちてるかも知れないが。
・石の悪口を言わない。
関係ないけど、ポケモンに石のやつ、いましたね。
・石を誉めない。
寄ってきちゃいます。
・「そこにいるのは分かってるんだぞ」と言ってから通過。
これで躊躇する、誰かが。
・日頃から何でも石に譲る習慣を付けておく。
道端の石を蹴るなどは、持ってのほか。
・雨の日、風の強い日は諦める。
ちゃんとしたことも言う。
でもそれでも、というのがあることも否めない。
・ショートケーキを崩さずに食べる。
いちごが転がり落ちたら、考えた方がいい。
・植林に勤しむ。
いいんじゃないでしょうか。
・もう、タンク。
これで、上でも下でも安心。
・「鬼は外?、福は内?、落石注意?」
新しい標語。
言い放つように、叫ぶこと。
・タイヤをスポンジにしておく。
がたがたするのを防ぐ、のではなく、石を踏んで他方に飛ばしてしまうのを防ぐのである。
と、ここまでの結果から、案外「やわらか戦車」がいい線行きそうであることが判明。
どういったヤツなのか、いまいち知りませんが・・・。
・将棋くずしから距離をおいておく。
彷彿とさせるのである。ほうふつと。
・迷惑にならない程度に、もう崩しておく。
できるところは既にやられているのだろうか。
・「子供が乗ってます」シール(?)みたいな感じの「落石が待ってます」シール。
不安が増しそうだが。
・危険な箇所を調査で洗いだし、速やかに対応する。
ということで今までの狼藉、これで勘弁してください。
終わり。

注意

ということで「落石注意」についてである。
この指標を見て「何に気をつければいいんだ・・・」といぶかしげる(?)人の話は多い。
もちろんそのとおりでこの事柄。
我々ができることと言えば、どちらかというと「落石が起きた後」のことであり、その点「落石準備」のほうが適切な気もするが、それでは何かショッカーのやりそうな、悪いことをするように聞こえてしまうため、適切じゃありませんでした。
先日「警察24」的な番組で、盗撮被害にあわれた方に対して、男性の私服警官が証拠品を確認してもらっていたのを見てびびったのだが、まあそれはいいとして、そこで気になるのが、彼が被害者にかけるだろう一言である。
「これからは気をつけてください」
これ、冒頭の「落石注意」とは似ていないだろうか。
被害者は何に気をつければいいのだろうか。
あやしい動きを見せる背広男に接近しないようにするのか。
それとも、ミニスカを自粛しろということなのだろうか。
見せパンをヒッキー北風のようにはきまくれというのか。
ただ、私服警官としてもそのくらいしか言えないのである。
「おまえはミニスカに合わないから、着用すな」
犯罪の未然防止の観点と、被害者へのまごころから生まれたことばだとしても、怒られる。
話を戻す。
今回「落石注意」といわれて、何していいか、分からないよ!!。
でも、やれることならやっとくよ!!、を考える。
次回に。
追記
ヒッキー北風さんのことを、すごく調べた。

シャアが来る

開始早々、報告したいことがある。
シャアは来ないのである。
シャアが来るとタイトルにしたものの、来ていない。
来る予定もない。
待ったとしても、来る根拠は全くない。
めんぼくない。
さらに、呼んでもいないし、呼んだら来るかどうかも分からない。
そもそも連絡先が分からない。
いない。
すまない。
残念ながら、僕のところにシャアが来ることはない。
ふとっちょのシャアが来ることもなければ、charも来ない。
もしかしたら「あっ、シャアかも!!」というようなシーンが今後来るかもしれないが、おそらくそれは朝刊などであり、シャアではない。
本当に申し訳ない。
しかし、言い訳になるかもしれないが、僕にも言い分がある。
僕としては、シャアが来ると困るのである。
何故かというと、軍人であるらしいシャアがこちらに来るということは、どうやら殺傷目的と考えて間違いないからであり、そういった人に来られると、大変なのである。
かといって非常に友好的に接近してきても、そのデカメロンな風貌に、困る。
こういった点を考慮すると、シャアが来ないことに越したことはないのである。
また「シャアが来る」という歌があるため、そもそもシャアが来ないことをわざわざ吐露することもなかったのである。
その点を踏まえ、正直な僕を許していただきたい。

こだわり

酒を飲まない人間にとって、ビールへのこだわりを説いた姿勢というのは、時として奇妙だ。
例えばCMで、原料となるホップや水をこだわりぬいたことが、がっつり語られたりする。
もちろん悪いことは何もないのだが、その熱烈な口調を聞いて「ちょっと、落ち着けよ」と言いたくなる気もする。
おいしいかもしれないけど、こだわりぬいたかもしれないけど、とりあえず嗜好品じゃないか、と。
ただ、ビールを飲む人にとっては、そのこだわりがダイレクトに味を左右している要素であるため、彼らとしては、その辺はメーカーさんが自信ある分だけ高らかであればいいさ、という考えのようだ。
ただ、この考えは嗜好品の中でも酒に限ったものと言える。
酒と同様、嗜好品であるタバコについて考えてみよう。
「高級たばこ使用、活性炭フィルタ装着、選び抜かれたわら半紙で包みました。」
どうだろうか。
タバコは健康を害するイメージがかなり高いことも手伝ってか、何言ってんだの傾向がビールのそれとは「だんち」ではないだろうか。
また、ビールを高級にするため、選りすぐりの原料が使用された場合、それでできるのはビールである。
一方、タバコを高級にするため、選りすぐりの原料が使用された場合、それでできるのはヘタすると葉巻になってしまう。
偏見かもしれないが、日本で葉巻というと、ギャグ方面に片足つっこんでいるので、その点でもタバコはいまいち「こだわれない」嗜好品なのだ。
その点、冒頭のビールに代表される酒類は、こだわりを全面に押し出していける嗜好品のようだ。
なんとか天然水を使用することは当たり前のようであるし、製造法からグラスへの注ぎ方まで研究されまくっている。
本題
「こだわり」ってものは、きりがない。
いい水使った。
いい麦芽だ。
でも、まだ「こだわれてしまう」。
きりがないなりに、色々こだわってみよう!!。のコーナー。
次回。