本カバーについて。

一昔前は「本カバー」というのはどこに売っているものかいまいち分からず、かといって本屋にあったかというとあまり記憶がない。
間違いない。
けっこうちゃんと本カバーを探し続けてきた僕が言うのだから。
たぶん。
しかし昨今、いろんな場所で本カバーを見かける事ができ、本も一安心といったところか。
本カバーがある事で、本屋でわざわざ紙のカバーを付けてもらう必要もなく、表紙を裏っ返すこともいらない。
まことに本カバーである。
ところでこの本カバー。
その機能は極めてシンプルだ。
それは本をカバーする事。
それで何を読んでいるのか周りに知られなくて済むし、汚れもつかない。
例えば、これに「ボールペンをさすことのできる輪っか」が内側についていたらどうなるか。
それはもう本カバーではないし、それがかぶせられた本はもう本ではない。
多機能なにか、だ。
例えば、これに「まち針をさすためのふわふわしたクッションのようなもの」がついてたりしたら、多機能にもほどがある。
このように、本カバーはシンプルでなくてはならないわけだが、唯一あったらいいのは本を買ったときについてくることのある帯を収納できるポッケだ。
これはいいし、既にあるだろう。
ここには帯はもちろん、購入したときのレシートを入れておいても面白い。
まあ、本カバーは多くの本を渡りある事になるだろうから、ポッケが膨らむ前には整理が必要だろうが。
ただ、このようにシンプルであるが故に、最近の電子書籍ブームには柔軟ではいられないのが本カバーのつらいところだ。
ここばかりはまち針の件が悔やまれる。
「でも、kindleだとまち針しまうところないじゃん?」
こういうのがないのである、本カバーには。

難解

「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画には「エニグマ」という登場人物がいて、その人は「恐怖した相手を紙の中に閉じ込める」ことができる。
劇中にて主人公のしぐさを観察。
恐怖したときの「くせ」を見せた時、見事に紙の中に閉じ込める事に成功していた。
本当にそんな能力があったら、まあ便利な事は便利なのかもとぼんやりしていると、気になるセリフがあった。
どうも「物」も閉じ込める事ができるらしく、例えばラーメンをファイルすることができるというのだ。
おそらく「物」を閉じ込めるときは「恐怖のしぐさ」なんてものは考えないでいいのだろうが、どうだろう。
もし「物」でもそれが必要だった時、例えばの「ラーメン」。
「ラーメン」が見せる「恐怖のしぐさ」とは何だろうか。
そんなことを考えた時、間違いないのは「ラーメンが恐怖のしぐさを見せるとき」が「すすられるとき」以外には考えられないということである。
まあ、確かに茹でられているときも湯切りも怖そうだが、やはり食べられてしまうときが一番怖いに違いない。
見せているはずなのだ、ラーメンは。
すすられるときに恐怖の仕草を。
おそらく「エニグマ」はラーメンをすするふりをして恐怖させ、紙に閉じ込めるのだ。
したがって、ラーメンをすするときに白目むいて下を見ているやつは十中八九エニグマなので、要注意だ。

こぼれだまシフト その2

昨日からの続きです。
【あらすじ】
「こぼれだま」ってなによ。
=====
「隠し球」が「隠し球」以外の何者でもない点に対して、「こぼれだま」はちょっと気をつけなければならない。
それは一見、たいがいの球技にありそうなところである。
例えば、僕が「こぼれだま」は「サッカー」あってこそ生まれた言葉だと先日記載したが、そのサッカーについて。
一般的にサッカーでの「こぼれだま」は、敵味方がこんがらがってしまったときに、追っていたボールが両チーム意図せぬ方向へ転がっていく。
調べていないがそういう感じのことだろう。
球技において球というのは、得点に絡む重要なものであるから、両チームが意図しない状態というのは、もう「球が球の仕事をしていない」ようなものである。
さて、サッカーをこう、45分とか見てみよう。
このとき、我々は球が「仕事をしている時間」と「仕事をしていない時間」を明確に分ける事ができるだろうか。
要は、どこからどこまでが「こぼれだま」で、どこからどこまでが「芸術的なパス」なのか。
難しいのではないだろうか。
しかし、サッカーにおいてこうも明確に切り分けられない「こぼれだま」であるが、やはり「サッカーが生まれたあとにこぼれだまが生まれた」と僕は考えたい。
ラグビーを見てみよう。
あれはよく知らないが、なんとなくサッカーっぽい規模のスタジアムで、サッカーっぽく大人数で球を抱いたり追いかけたりするスポーツだったと思う。
僕は、ラグビーについては、球は100パーセント「仕事をしている」と断言する。
それは、あの球の形状を見れば分かる。
あっちいき、こっちいき。
そもそも「両チームの意図しない状態」を維持しようとしているのだ。
だから、「球の仕事をしていない」ことが仕事のようなもので、あいつはとにかく全力で仕事をしている。
土曜日も仕事してる感じだ。
で、サッカー以外でのこぼれだまをこう思い出そうとしてみると、ほらやっぱり爆笑問題が思い出されちゃうので、終わりに。

こぼれだまシフト その1

僕が最近、これは確実だなと思えるようになってきたことは「こぼれだま」という言葉は「サッカー」が生まれたあとの言葉であるということだ。
あの、「こぼれだまを誰某がシュート!!」という、あれである。
当たり前なことではあるが、結構意識していないと忘れがちな感じもする。
意識が必要である。
そして同時に、「こぼれだま」の定義はなかなか難しいのではないかという点についても気になってきた。
例えば野球の「隠し球」。
これも「こぼれだま」と同様、「野球」が生まれたあとの言葉であろう。
それはそうだ。
もし、「野球」が生まれる前から「隠し球」というものがあったとしたら、それはどんなものか。
想像すらつかない。
いや、うそである。
想像つかない訳ではないが、想像した多くが、語るにはあまりに爆笑問題の二人に足を向けて眠られないことであり、申し訳ない。
まあそれは置いておいて、「隠し球」はわかりやすい。
まず、人類の半分がね。
ああ、置けていない。
それはひからびて引っ付いたみそ汁のわかめのように、僕の心にへばりついてしまった。
それでも涙をこらえてそれを置き、「隠し球」がいかに定義しやすいかというと。
それは「隠し球の行為」以外に「隠し球」と言えるものがない、というところだ。
野球選手、主に守っている方のチームの誰かが、おもむろに球を隠すのである。
これ以外、「隠し球」に相当する行為は、日本では知られていない。
すなわち、今日あなたがすること全ては「隠し球」ではないとほぼ断言できる。
かなり突飛な事をしてくれてもかまわない。
それも「隠し球」ではないから。
そういう点でも、我々は「隠し球」を「隠し球」以外のものに勘違いする事はない。
ところが「こぼれだま」である。
っていうか、長くね、これ。
次回。

支度の色気

僕が思うに、人間というのは他人の「支度」に色気を感じずにはいられない生き物であるように思う。
例えば恋人と出かける時、相手がてきぱきと髪を整えたり服の乱れを直したりする。
時間のかかることにいらだちながらも、みるみるまとまっていく変化に心動かされるのだ。
他意はなく、象徴的なイメージなので気を悪くしないでほしいのだが、例えば「義眼を入れる仕草」。
あれは確か球状ではなかったと記憶するが、何かのエッセイでそのやりとりを呼んだ時、妙にそれが気になった。
最近のある漫画でもそんな内容のものがあり、やはりそれは色気を感じさせるのだった。
これも一種の「支度の色気」ではないだろうか。
ただ注意したいのは、注目される「支度」があまりにローカルだと困ってしまう可能性がある点。
「朝でかけるとき、かならず羽の先を濡らす彼氏」
必要なのだろう。
羽の先を濡らして玄関を出るのだ。
確かに、羽の先を濡らしていくイメージは、それほど悪くない気もする。
しかしこの場合、どうしても色気よりもまず「羽生えてる!!」が来てしまう。
そこから「まあ生えていることもあるかな」。
「出かける前には羽を濡らす必要があるんだね」。
「あっ、今日も濡らしてるね」
「あれっ、今日は濡らしていかなくていいの?」
この辺でやっと色気。
3ヶ月くらいかかる。
飽きたので終わり。

銀河の赤潮は遠浅の砂浜から。

あさりの酒蒸しを食べているときに気になった。
火を通すと殻が開くのである。
当たり前だが、不思議な点もある。
それは「火を通す→ピンチ→より殻を閉じようとするはず」という考えだ。
これはそう間違っていることを言ってないように思えるのだが、実際は開く。
開いたあさりには見事な貝柱があることを思い出した。
殻と貝柱がはずれてしまう事で、あさりは開いてしまうのだ。
となると、ひとつの事実が判明する。
「あさりの殻は、開くのがデフォルト」
物が開閉するには、一般的には以下のようなしくみが考えられるだろう。
1:開いたり閉じたりを全て能動的に行う
2:基本開いていて、閉じたいときにだけ閉じる
3:基本閉じていて、開けたいときにだけ開ける
勝手ながら、僕はあさりについては3の印象が強かった。
それはその機構、貝柱の構造に特に注目していなかったというものもあるが、何よりも防御。
食事など、防御を捨ててまでも必要なことをやるときだけ開ける方が生存率が高そう、というイメージからだった。
しかし思い出してみると、例えばスーパー。
トレイに入れられているあさり達は、薄く口を開けている。
ものによってはモモヒキのような水管がでろーんとしている。
あれは必要な事ではないだろう。
おそらくあさり自身が弱っていて、しかも殻、デフォルト開くわけだから、ちょい開きしてしまっているのだ。
いわば油断。
そんなやつはつついてやるといい。
店に人に怒られるが。
殻のデフォルトが開くか閉じるか。
どちらにせよ、少しあさりへのイメージが変わった。
開くでも閉じるでも、弱ってきたら致命傷になりえることには違いない。
開くのがデフォルトだったら、弱ってきた事でちょい開きが多発。
あさり本体を捕食者にさらすことになってしまう。
一方で、閉じるのがデフォルトだったとすると、弱ってくるとモモヒキが出せない。
密室での死を迎えることになる。
どうやらあさりは、蠍の火になる素質を十分に持っているんである。

Girl’s Side 3

昨日からの続き
【あらすじ】
ゲームに「Girl’s Side」というのが付いているものがある。
では「Boy’s Side」は何だろう。
=====
これは難しい問題になりそうだ。
僕は席から立ち上がって背筋をのばし、紅茶を入れる事にした。
Boy’s Side.
それは一体何なのだろうか。
テニスの王子様 Boy’s Side
どちらかというと女性向きのものに対して「Boy’s Side」を付加してみた。
どうだろう。
「Girl’s Side」に対して、この「Boy’s Side」の邪悪な感じは。
僕が男であるがゆえの同族嫌悪のようなものなのだろうか。
あるいはアニマのようなものがこれを拒否するのか。
どちらにせよ、シンヤだ。
いや、シンヤというホストが登場する訳ではなく、テレビでやることになったとしても深夜だということだ。
と、ここまでのくくりが「Boy’s Side」の邪悪な感じである。
何なんだこれは。
いまのところ、とは言っても5分も考えていないが、「Boy’s Side」を付加するとたいがいの例はこの「邪悪な感じ」を伴ってしまう。
「ウーロン茶 Boy’s Side」は完全にメタボ対策だし、じゃあかわいらしく「ジャスミン茶 Boy’s Side」だとどうかというと、確実にウラがある。
何をかわいこぶっているのか。
おまえどぶろぐ大好きじゃねえか。
では、かぶせてみるのはどうだろうか。
そもそも男性向きのものに対して付けてみるのだ。
「秋場所 Boy’s Side」
ああだめだ。
なんかだめだ。
それがあーた、あと5回あるんだというのだから。
と、ここまでのくくりが「Boy’s Side」の邪悪な感じを含んだ邪悪な感じである。
こう書いていると、フラクタル構造を思い出した。

Girl’s Side 2

昨日からの続き
【あらすじ】
ゲームにある「Girl’s Side」の良さそうなところをいろいろな物に付加してみる。
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例えば「電車 Girl’s Side」はどうだろう。
これは鉄道の好きな女の子のための隔月紙だと考えて、間違いない。
一方でJRのいくつかの路線で見られる「女性専用車両」のことであるとも言える。
このように、当たり前ではあるが「Girl’s Side」を付けて困る事はない。
むしろ楽しくなる。
「舞姫 Girl’s Side」
森鴎外の名作の新解釈版、登場である。
とはいえ、内容は「Girl’s Side」と銘打たないものと同様。
文学というものはどちらの視点からでも遜色ない感銘を与えてくれるはずである。
「サーロインステーキ Girl’s Side」
おそらく、肉は赤身で気持ち小ぶり。
そのかわり小鉢が8つ付いてくる感じである。
「ガンダムAGE Girl’s Side」
えっ、その方向転換は功を奏すの?という感じだが、実は一度もガンダムAGEを見た事ないので、みんなはどんどん見てもらいたい。
「スパイ Girl’s Side」
簡単に言うとボンドガールが活躍するものである。
ヘタレな男性スパイと組むはめになったボンドガールが、彼を叱咤激励する。
そんな展開が10分おき。
「たこやき Girl’s Side」
タコのかわりにプチトマトやミニキャベツを入れ、オリーブオイルで焼くに違いない。
あれ、結構本当にいけそうじゃないか。
「にんげんだもの Girl’s Side」
せっかくの人類全般を賛美する言葉なのであるが、あえてGirl’s Sideとしたことで女性の人間らしさを再度考えてみようという運動。
さて、私たちはもうひとつの事柄に目を向けなければならないが、それをここまで先送りにしてきた。
「Boy’s Side」である。
あまり見かけない。
それは実際に必要なかった場合もあり、意図せずとも結果的には「男尊女卑」の一端を示す事例として挙げられる場合もあるやもしれない。
しかし、とりあえずの「Boy’s Side」。
考えてみよう。
例えば「にんげんだもの Boy’s Side」。
おそらく飲み屋なのではないだろうか。
非常に残念ながら「Boy’s Side」という言葉から得られるイメージの程度は低くなりがちである。
くやしいが、ほぼ「R-18」と同義である気がする。
でも考えてみる。
明日。

Girl’s Side 1

Girl’s Sideとと言うと「ときめきメモリアル」というゲームが思い浮かばれる。
もともとは女子との仮想恋愛な内容だったものに対して、男性との仮想恋愛を取り上げているのだろう。
確かに、テレビゲームをたしなむのは男子が多く、そのイメージも強いような気がする。
ゆえの「Girl’s Side」明記なわけだろうが、例えばこれはどうだろう。
「ストリートファイター Girl’s Side」
もちろん普通にストリートファイターをやっている女子もいるだろうが、僕が考えるにそのゲームは彼女達を特別に指したものではない。
・操作性が初心者にもわかりやすい
・操作するためのレバーの玉が少し小さい
・勝利するとMOCO’Sキッチンのレシピが印刷されて出てくる
・登場人物が全てKAT-TUNになっている
・強力なライトが備えられた筐体で、ゲーム中の表情を陰影なく撮影してくれる
・リュウと春麗が!!
・リュウとケンが!!
・ガイルとベガが!!
・亀梨和也と田中聖が!!
このような列挙をすると、あるものは「Girl’s Side」に対するある種の偏見であるかのように捉えられそうだが、大丈夫。
既に存在している「ストリートファイター」も、高レベルな戦いで「リュウと春麗が!!」などと叫びたくなるようなシーンがよくある。
ともかく、本来誰に対しても開かれている事に対して「Girl’s Sideのいいところだけを付加する」というのは面白そうな気がしてきた。
明日。