髪が伸びてきた。

髪が伸びてきた。
かなりうっとおしいことになっている。
しかし髪を切りに行くのがめんどうくさい。
どうすればいいんだ。
もちろん、いつかは切りに行かねばならない。
昔「僕の髪が肩まで伸びて 君と同じになったら 結婚しよう」みたいな歌があった。
偏見が多分に含まれるが、男がそこまで伸ばすのは相応に長髪が似合う者でなければならないと思う。
そしてそんなにたくさんはいない、その者。
だから僕はこの歌を聴くたびに「女の子のほうは、相手の髪が肩まで伸びたら別れようと言うんじゃないか」と思ってしまうのだ。
逆に「僕の髪が床まで伸びて?」とかだと、それはもう何らかの強い意志が感じられ、願掛けみたいなことになっているだろうから、むしろいい。
どちらにせよ、いつかは切らねばならない。
美容室に電話してみる。
「早くて19時になっちゃいます」
よく言われる「夜に爪を切る事を戒めたのは、暗い中で爪を切る事で怪我をしてしまうからだ」というのが本当ならば、「19時に髪を切る」というのは自殺行為なのだろうか。
以前書いたかもしれないが、散髪中の人はきわめて無防備である。
美容師さん由来の殺意はもちろん、頸動脈を狙うねずみにすら勝てないだろう。
「じゃあ今度にしますわ」
延命。

押し引き

内外から同時にドアを開けようとする動作。
そこで押す力と引く力が等しくなり、「んっんっ」とドアを押し引きする彼らを「ドア越しのダンス」と呼ぼうか。
ガラスなどの「すけすけ部分」がないと向こう側に誰かいるのかもわからず、そもそもタイミングとして同時に開けようとするなんてことはあまり考えない。
しかも片方は「押す引く」を間違っていなくてはならず、「ドア越しのダンス」の難易度は高い。
このダンスの一番美しい終わり方は何だろうか。
ドアの開かないことを不思議に思ったお互いが鍵穴をのぞき、目が合う。
そんな終わり方だったら、僕ならすぐドアを押して相手の目にドアノブ直撃を食らわせて、そのあと終わり方を考えたやつの尻を蹴る。
ドアを引く側だったらすぐ引いて、のぞいたやつを叩く。
そうじゃないだろうが。
そして向こう側が見える鍵穴って、なんだよ。
お互いドアノブを回しすぎてノブがひきちぎれる。
これはなかなかいい。
ドアノブ跡の穴からお互いのぞきこむのも、これなら許せそうだ。
ドアが2つに裂けるのもいい。
なんか防犯にも今後役立てられそうだし、防火構造ですとも言えそうだ。
ドアが裂けてビルくずれるという展開もしみじみして良い。
ドアの開かないことに不信感を持ち、同時に鍵の修理屋さんを呼ぶのもファンタジー。
このとき、どうしてもドア内側にたまたまドアの修理屋さんがいたりすると、願ったりかなったりだ。
両側から修理にかかる修理屋さん。
そして片方が鍵を掛ける動作をするとき、もう片方が開ける動作をしてしまったりするのだ。
なんかすごい。
そのままダンスフロアで踊る二人の映像が流れるのもいい。
腑に落ちないなりに「ああそういうことですか」と妙に納得してしまったりするだろう。
「ああドアがなくなって、隔たりのなくなった二人はやっとダンスが踊れるようになりましたか」と。
二人はドアを開けるのをやめて去るが、ドアノブは両側ともべったべたというのもありだし、必死でドアを押し合う二人の彫像ができてもいい。
「ドアを押し引きするとどちらにも開かない事を、最初に証明した二人」
誰も試した事なかったんである。

順番

まな板の上ではぶたにくを最後に切る。
これについて何か書こうと思っていたのだ。
例えば豆腐ようとぶたにくがあったとすると、果たして本当に豆腐ようが先でいいのか。
あるいは何らかの理由でまな板を切る必要に迫られたとき。
ここは先にぶたにくでもいいのではないだろうか。
しかしそんなことどうこうの前に「まな板の上ではぶたにくを最後に切る」自体が面白くなってきた。
「まな板の上ではぶたにくを最後に切るのじゃ」と言う。
「魔法のほこらへゆくには、海沿いを南に進むのじゃ」
「そしてまな板の上ではぶたにくを最後に切るのじゃ」
または「まな板の上にはぶたにくを最後にすりこむ」と言う。
「漂白剤で殺菌しておいて」
「そしてまな板の上にはぶたにくを最後にすりこむんでおいて」
「まな板の上ではぶたにくを最後に切るのだ?」というのもある。
「まな板の上ではぶたにくを最後に切るのだ?」
「そして世界を闇と恐怖に包み込むのだ?」
とりあえずどうってないことも面白くする、言い方のうまい人になりたい。
今年の目標。

公式

ここで、DA PUMPをORANGE RANGEの公式に当てはめてみると、ダパンプパンプになります。
パンプダパンプになるのではないですか。
それはパンダコパンダの公式です。
今のは全然関係ないが、公式というのはすごい。
何がすごいかって、とにかく「公式に当てはめてみる」だけで、さも答えが出たかのようになるから。
例えばテスト中、自分の分からない問題について、前の人の解答「6」がちらりと見えたとする。
解答へたどり着くための過程は、見えない。
こうなれば誰しもやるだろう。
問題の中にあるものをとにかく入れてみて、そこからなぜか6が導きだされる公式を。
「地点aからbまでの距離700mと車の速度時速50km、観察者のいる高度20mをマクスウェルウェルの公式に当てはめてみると、りんごは6個となる」
何も書かないよりはいい。
りんごは6個もあるらしいし。

ふん死

いつだったか。
何かの本を読んだときに「ふん死」というやつを知った。
本当の意味はどんななのかは知らないが、なんかすごく怖い。
ふんってなんなんだ。
なんとも破裂感がしてしようがない。
僕がぱっとイメージしたのは、やっとこ仕事を終えて家に帰って、ふーっと息を吐きながら椅子に座る瞬間、爆発する。
それがふん死だ。
基本的に、「ふん死」という言葉の破裂感からは、僕のイメージは逃れられない。
歩いていて突然爆発する。
ふん死だ。
うたい終わってポーズを決めた瞬間に爆発する。
これもふん死だ。
僕はぜったいにふん死したくない。
だからちゃんと調べた。
世の中にはさまざまなふん死のあることがわかった。
そして目をひいたのがyahoo辞書での「野球で、ランナーが惜しいところでアウトになること」というもの。
「本塁突入むなしくふん死する」」
爆発するほうのふん死も、悪くないなと思った。

模索の休日

年末だ。
近所の神社が年明けの準備をし、提灯が照らされるようになった。
日も沈んであたりが真っ暗になったころ、林のなかにその灯りが見えてすごくいい感じだ。
この神社には、除夜の鐘がなるころに自転車で行き、どのくらい人が並んでいるのかを確認するのが年課になっている。
鳥居を抜けて行列を見て「混んでる混んでる」とうなずき、すぐ帰る僕を変な目で見る人もいたが、今年はどうだろうか。
混んでいるだろうか。
神社の近くの水路には10センチくらいの魚がいっぱいいて、その腹がときどききらりと光るのもいい。
しかし今は夜だから、あまりよく見えない。
僕も心のどこかで、あー火竜の逆鱗取りたいなどと思っているため、純粋ではない。
年末年始は休めるのだが、経験上ちょい長休みはむしろ疲れるということを知っている。
せいぜい自転車で1時間くらいうろうろし、一蘭にでも行く感じになりそうだ。
それとも山のほうにでも向かってみるか。
冷えきった空気を吸うのは、肺とその空気との境い目がわかるようで楽しいし。
何か話を考える手もある。
カレンダーも全然できていないし。
でもだらだらしてしまうだろう。
なんたって、僕は火竜の逆鱗が取りたいらしいから。

たぬきについて

僕はたぬきを見た事がある。
家から10分くらい離れたところにある神社に向かう途中、やせたたぬきが僕の自転車の前を横切ったのだ。
ねこくらいの大きさで、横切ったときはまさにねこと見間違いそうになった。
たぬきとねこが話題になると、どうしても避けては通れないのがポコニャンだ。
ドラえもん系列の何かだったと思う。
しかし、何か呼ばわりしているほどであるから、僕はポコニャンの事をあまりよく知らない。
全然知らない。
そもそもポコニャンには何か特殊な能力を持っているのだろうか。
何か持っていないと、ポコニャンのアイデンティティだけでは物語の続かないような気がする。
思うに、たぬきとねこは結構似ている。
同じくらいだ。
そんな両者が混ざったところで、何か20分くらいのドラマが毎度起きるとは考えにくいのだ。
まず、ポコとニャンが混ざる初回が20分。
次にガキ大将がポコニャンをゆずれと20分。
あとはWiiで2時間くらい遊んだら終わりなんじゃないだろうか。
それともキテレツのように、マスコット以外の方が特殊能力を持っている形式か。
しかしこれだって、コロ助という特化キャラがちらちら画面に映ることでアニメの体を成しているわけで、秀才キャラの横をねこが通っても、ああそうですかという感じ。
どうなっているんだポコニャンは。
僕はポコニャンを見た事がない。

ポチ

以前似た事を書いたかもしれないが、「犬のポチ」というのはくどい。
「ポチ」というのは一般的には犬につける名前であることが認識されているから。
それは「魚のハマチ」と言っているようなものである。
と、こうなると以下の反論が生じる事は想像に難くない。
「うちの猫の名はポチだ」
これは「ポチが犬の名前というのは、一般的ではないよ」を示していそうではあるが、その根底にはあくまで「犬はポチ」という思想が確立しており、それに対する反社会的な行動として猫にポチと名付ける。
その流れがありありと見てとれる。
よって、これは犬がポチであることをさらに証明しているほか、完全な反社会的行動でもある。
日本に秘密警察制度がなくて本当に良かった。

シュシュ

シュシュというものがわかってくると「ポニーテールとシュシュ」に見られるような「なんとかとシュシュ」が面白くなってくる。
「おばさんとシュシュ」
おそらく手首に付けている。
「事故現場とシュシュ」
花束の代わりに盛られている。
「掃除機とシュシュ」
確実に詰まる代表としての、名指し。
「冗長なケーブルとシュシュ」
まとめるのに便利で、しかもかわいい。
「開けた砂糖袋とシュシュ」
移す容器がない場合。
「香典袋とシュシュ」
香典袋のリボン?のところがシュシュだったら、たぶん怒られる。
「加害者とシュシュ」だと、どうだろう。
これも「おばさん」のやつと同じ。
やはり手首に付いていてもらいたいところだ。
「NASAとシュシュ」
何か特殊で丈夫。宇宙空間にも耐えられるのだろう。
語呂もいい。
「はげとシュシュ」
一見かなり直接的な冗句だが、よく見ると頭皮をマッサージしている感じが出ていて、いい。
語呂もいい。
僕、シュシュのこと全然分かってないかもしれない。

竹馬

よくわからない店がある。
なんとなく入店意欲を削ぐ。
雑貨屋らしいのだが、そんなたたずまいだ。
喫茶店でも行こうかとそこを横切るとき、前にいた二人の会話がなんとなしに耳に入ってきた。
彼女たちはその店頭にでもあったのだろうか。
「竹馬自転車」なる玩具に対して、こう言っていた。
「竹馬自転車ね、確か・・・」
僕はおどろいた。
「竹馬自転車」というのもよくわからないが、何よりも彼女には何かしらの竹馬自転車知識があることを示す「確か」が非常に気になった。
僕にはそれまで、致命的なまでに竹馬自転車についての知識はなかったのである。
そもそも何なんだ、竹馬自転車。
店先にあるのかもしれないが、竹馬自転車に食いつくのも悔しい。
しかしこれでは何ら好転しない。
今後の僕に、何かしらの形でそれが関わってこないとは言えない訳で、「あのとき竹馬自転車について少しでも知識を入れておけば」ということにもなりかねない。
「竹馬自転車ね、確か・・・」
前の女性はそう言ったのである。
つづきを聞き耳たてて、あとをつければいいか。
「竹馬自転車ね、確か竹馬と自転車のジョイント部分にはマー油を注すのよ」
軽く笑みを浮かべてそんなことが聞こえてきたら、知的な女性として恋をしてしまいそうだ。
いや、そもそも竹馬自転車について何かを知っているってだけですごい。
言ってみたいわー、「竹馬自転車ね、確か・・・」。
と、調べてみたところ、モヤさまで扱われていたらしい。
こ、恋が・・・。