ハーベスト

昨日、かっぱが尻子玉を手に入れる機会は減った。
それは川で泳ぐ人が昔よりも少ないだろうから。
そんなことを示唆した。
全くその通りで、今この瞬間にも「あ、もう川で泳ぐのやめよ」と決心した人が誕生しているであろう。
川で泳ぐことは気持ちいいが、最高の気持ちよさではなくなってきているのだ。
となると、かっぱたちはどうやって尻子玉を手に入れているのだろうか。
もちろん、実はもう手に入れることは困難で、尻子玉は人間界における「サイの角」や「象牙」のような扱いになっているかもしれない。
しかし、方法がないわけではないと思う。
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かっぱが尻子玉を手に入れる方法
①人間ドックで医師に扮装
人間ドックで相談できる医師に化ける。
そこで「ちょっと肛門付近に違和感がある」と訴える患者についてのみ診察を行い、その過程で尻子玉を手に入れる。
この方法で優れているのは、数が稼げる点である。
②トイレに待機
主に和式便所にて待機し、用を足そうとした人間の尻子玉を狩る。
このときのかっぱは、おそらくまた別の名前の妖怪扱いになるだろう。
ちなみに洋式は難易度高いが、皿が乾くことに注意しなくて済む。
③養殖
カラス貝の中に尻子玉の核を入れ、頃合いを見て貝の中を見ると直径1cm弱の尻子玉ができている。
人のぬくもりはないが、やはり数が稼げ、手に入れるためのリスクも少ない。
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だから言ったろう?。
尻子玉は出オチだって。

尻子玉バーゲン

ということで、誰もが一度は思い馳せたことがあるだろう「尻子玉」についてだ。
カッパが泳いでいる人から抜き取るという、あれだ。
しかしながら、正直なところ「尻子玉」は出オチだ。
響きや感じの雰囲気は大変よいが、それ以上のものはない。
だから、そこからは自分でイメージするしかない。
まずは尻子玉についてまとめてみよう。
カッパが尻から手に入れるものらしい。
抜かれると人は死んでしまったり、あほになってしまうらしい。
これくらいしか分からない。
故に、ここがスタート地点だ。
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「尻子玉数え歌」
いろは いちばん 飛び込むことにゃ
ミタマ あらわに お人好し
つかんで ねじって ひねくりまわせば
ミタマ あらわに おでむかえ
アラ ホッケサヨイ ホッケサヨイ
いろは ろくでも ないやつにゃ
ミタマ なくして 涙する
無理に ねじって ひねくりまわせば
ミタマ はじけて おしゃかだよ
アラ ホッケサヨイ ホッケサヨイ
いろは はずかし ミタマなし
さがして なくして ベンベする
おやじに ねだって ミタマを手に入れりゃ
ミタマ くされて 元禄二年
アラ ホッケサヨイ ホッケサヨイ
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とりあえず、かっぱ界に伝えられていると思われる歌を考えてみた。
ちなみにミタマとはかっぱ界での尻子玉。
ベンベとはかっぱ特有の何かで、何かよく分からないことをすること。
元禄二年とあるのは、かっぱ界で何か歴史的なことが起きたのだと思われる。
要は「茶摘み」の歌と同じ要領で、茶摘みのときに口ずさむ感じ。
かっぱはこの歌を歌いながら、茶を摘む感覚で尻子玉を抜くのだろう。
しかし、この歌も滅ぶ寸前だろう。
なにせ川で泳ぐ人ってのが昔より少ないだろうから。

赤釣り

マッカチンというのはアメリカザリガニのことらしいのだが、そう言うとは全然知らなかった。
赤いからだろうか。
それはさておき、アメリカザリガニにはそれほど思い入れはない。
あいつらは持とうとすると威嚇するし、しっぽでびん!!とやるからびっくりする。
「モノレールねこ」という文庫本にはザリガニの話があったが、それが僕のザリガニ更新履歴の最新だ。
ただ、ザリガニ釣りに興じたことがある。
そこは家から車で1時間ほどの場所。
池というにはあまりに汚い。
大量のゴミとヘドロを含有した水たまりのようなもので、「悪い霊がいます」と言われれば霊など信じていなくてもそうなんだと納得できる、そんなところだった。
そこにザリガニが生息していることを父親が見いだし、僕と釣り竿とさきいかを連れてきたのである。
僕は結構幼かったが、その頃はもう「どんな小さい水たまりでも必ず観察する」くらいの水生昆虫ファンであったから、その池には心が躍った。
たとえ臭くて水生昆虫はいないことがわかっていたとしても、だ。
そこではさほど苦労することもなく、ザリガニが釣れた。
雑食で動かない物を摂食することが多いのだろうが、今食べようとしたエサが動き出すことに、彼らはなんら不信感を得ないようだ。
掴んださきいかが動き、水中を抜けて宙を舞っているにもかかわらず、そのはさみを離さないのである。
もちろんこれは、さきいかが宙を舞う不思議さ、ありえなさなどよりもこの池の摂食事情が根底にあるわけで、なんらザリガニの無能さを示すものでは決してない。
そして、さきいかと共にぶらぶらしている彼らを見て僕が思っていたのは、そのどん欲さでも赤さでもなく、ただ大きいかどうかだけだった。
ザリガニをほどほどに釣り上げ帰ろうとしたとき、何やら立て札があることに気づいた。
内容を見てみると市が用意したこの池の歴史のようなもので、昔カッパがいて尻子玉を抜きに抜きまくっていたということが書かれていた。
霊じゃなくてカッパがいた。

幾何学絶景

散歩をしていると、ある公園に気になるものがあった。
それは一般的に「ジャングルジム」と呼ばれる、パイプが立方体に組まれた幾何学な遊具。
登ったり降りたりする。
僕はこれが昔から嫌いだった。
というのも、あれはとにかく、内部に入ると頭をパイプにぶつけるのだ。
なんとなく自分のせいのような気もするが、とにかく嫌いだった。
そんなジャングルジムに、地上から頂上付近へ丸太がかかっていた。
そこを伝えば直接頂上に行ける構図だ。
僕はいままで、ジャングルジムの楽しさは登ることだと思っていた。
例えばすべり台は、登ったあとに楽しみが待っている。
しかしジャングルジムは、登ったあとに明確な楽しみはないように思う。
付近にのぼり棒のようなものがあれば、それをつーっと降りて楽しいかもしれないが、普通ジャングルジムはそんな付属品はない。
孤高だ。
だから登ること、どのパイプを足場にして、あるいは手にして登っていくかが楽しい点だと思っていたのである。
しかし今見たジャングルジムでは、その登りがショートカット可能なのである。
僕は子供たちがどのような使い方をするのか見ようと思った。
丸太を登って頂上に行くのか。
あるいはジャングルジムから登って、丸太で降りるのか。
一番いいのは「丸太で登って丸太で降りる」で、これはもうジャングルジムからの絶景を楽しむ子供であるとしか考えられず、手近な絶景をたしなむ彼に喝采でも贈りたい気分にもなりそうだ。
しかし子供たちは、また違ったジャングルジムの可能性を示してくれた。
近寄らないのである。

ホームランゾーン

あまりに広大な「ストライクじゃないゾーン」を避けている点で、ストライクを取るということは奇跡的である。
同様に、ホームランはあまりに簡単である。
それは「ホームランゾーン」ともいうべき範囲が、一塁ベースと三塁ベースの間に、無限に存在しているからであって、一見ファウルでも、その「ファウルゾーン」も実は「ホームランゾーン」なのである。
野球としてもファウルよりもホームランの方が人気が高いと思われるため、ホームランの方が優先される。
打球をホームランにすることができないのは、野手の捕球範囲にしか打球を飛ばすことができないという、ただバッターの力量が足らなかっただけである。
それさえ解決できれば、脅威の打率を誇る打者が乱立、それは言い換えればホームランというのが簡単であるということになる。
ただ、ここで僕が野球に詳しくないので何なのだが、例えば現在、野手が場外ホームランをたまたまノーバウンドで捕球できた場合、アウトになるのだろうかという点が気になる。
バッターが、地球を一周してしまうような打球をセンターに向けて放ったとき、一人の野手が全然あさっての方向を見て構えたとする。
その数十時間後、奇跡的に球場内あるいは球場周辺に飛んできた打球を野手が捕ったとき、どうなるのだろうか。
打球の威力によりはじけてしまうのだろうか。
それともどうにか捕球、後ろへずささささーとなるのだろうか。
え、そんな打球を放つ打者なんていない?。
大丈夫。
アラレちゃんあたりで見たことがある。

ストライクゾーン

野球におけるストライクゾーンというものについてよくよく考えてみると、それがあまりに奇跡的なことであるかということに気づかされる。
というのも、ストライクゾーンに比べて「ストライクじゃないゾーン」とも言うべきエリアはあまりに広いからである。
ほとんど無尽蔵に存在する「ストライクじゃないゾーン」へ放らず、あの狭い「ストライクゾーン」に投球、そしてキャッチャーミットに収まることが奇跡でないとしたら、何が奇跡だというのかこのやろう。
また、ピッチャーが少しでも「俺は人とは違うんだ」的発想を持っていたら、あまりにストライクゾーンは「ベタ」。
ピッチャーがストライクを取ろうとするのはベタ過ぎる。
そう考えるに違いない。
こうなったとき、彼はストライクを取るまいとするわけだが、このとき、初めて気づくだろう。
この世界の「ストライクじゃないゾーン」の広大さに。
まず、投球するふりをして、そのままボールをマウンドに置いてみる。
これで確かに「ピッチャーの主たる仕事、ストライク取り」を拒否できたわけだが、もちろんこれ以外にも「センターの方へ投げる」「3塁側ベンチへ投げる」「昼食をとる」「投げたとたんにスナイパーにボールを狙撃してもらう」などストライクを拒否する方法は、それを取る方法と比較できないくらい、多い。
そのような誘惑を回避し、今日もどこかのグラウンドでは、ストライクとボールがだいたい同じような比率で投球されているのだろう。

降心の雪 その3

昨日からのつづき
【あらすじ】
福島へ墓参りに行く。
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どうにか墓守も終え、墓地を去ることになった。
あとは飯を食って帰るだけである。
何せ帰りは、また吹雪いた峠を越えなくてはいけないから、多少なりとも早めにチャレンジする必要があるのだ。
全身ずぶぬれだから、もう雪は気にならなくなった。
悠々と車に乗り込む。
さて飯の場所へ行こうかと墓地を離れようとしたとき、ひとりがトイレを所望した。
雪の中に取り残されていた詰め所に言ってみると「うさぎの横にトイレあります」の貼り紙。
干支にちなんだ石像が並んでいるが、そのなかの「うさぎの石像」近くにトイレがあるらしいことがわかった。
「右から3番目の石像の横に隠し扉のスイッチがあります」
なんかRPGみたいだなと思っていたら、車内から悲痛な叫びがあがった。
「雪でどの石像がうさぎなのか、わからない!!」
一体一体雪をどかしながらというのは、外の天候を見てもやりたくない。
仕方がないから詰め所はじめまでもどり、「ねーうしとらうー」と口にしながら石像を数えたのである。
トイレはうさぎ
うさぎはトイレ
そう頭の中で繰り返していた気もする。
あのときほど「うさぎの石像を探す」ことはそうなかっただろう。
童謡「ふるさと」を思い出した。

降心の雪 その2

昨日からのつづき
【あらすじ】
福島へ墓参りに行く。
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禁呪を唱えたかのような雪の峠をやり過ごし、福島最寄りの高速道路出口に到達した。
知人の「こっちはぜんぜん降ってないよ」という信用ならない回答も真実だったようで、晴れてすらいる。
というのが到着15分くらいだった。
瞬く間に福島市に雪が降りはじめ、なじみ薄い私たちはそのアグレシッブさに帰りの心配だ。
しかし住んでいる方はそうでもなく、すいすいと車を走らせる。
その後ろにつきながら、僕らは置いていかれないように必死だった。
後ろについていくと言っていた坊主の車も、いつの間にか僕らを追い越し、地元の力を思い知らされたのである。
目的地である墓地はもう真っ白で、先日来たときに震災で崩れていた墓石も雪に隠れて見えない。
この墓地には干支の石像が並んでいる。
あまりに雪が積もっていて、どこが墓かわからない。
自宅の墓を探すのにはそれを目印にするくらいだった。
以前書いたが、ここでの納骨はまるで畑に肥料を撒くかのように、骨をそのまま墓の中に撒く。
撒いてるこちらが心配になるような納骨だ。
しかも墓をひらく手はずが整っておらず、スタッフの人を呼ぶ前にスコップを発見していた僕がそれをやることになってしまった。
雪の中の墓荒らしといった容貌で、絵本になりそうである。
スタッフに来ていただいたころには墓オープンは済み、雪もひどいのでお礼とともに帰っていただく。
そして坊主のお経が始まった。
雪の日のお経はつらい。
手は雪と墓石の冷たさでかじかみ、靴下はぬれる。
坊主は草履でこちらが目を背けたくなるような薄着だったが、よく見ると草履には謎のクリアプラスチックのカバーが付いており、やはり雪国の適応性はすごいなと関心せざるを得ない。
お経が終わると、もうとにかくこの納骨を早く済ませようと親戚一同一丸となり、墓クローズの担当も自然と決まった。
もちろん僕は雪の中の墓守といった容貌で、やはり絵本になりそうである。

降心の雪 その1

今年は別の用事もあり、福島の墓参りに行ってきた。
東京から車で5時間ほどあれば着くが、福島の知人は不穏なことを口にする。
「道が凍結することはないと思うけど」
それほど凍結の恐ろしさを考えていなかった私たちは一気に戦慄し、慌ててスタッドレスタイヤの車をレンタルすることにしたのである。
朝4時に起床し、5時に出発。
この時間は魑魅魍魎しか起きていないとはいえ、魑魅魍魎も轢いてはならない。
魑魅魍魎を轢いたら魑魅魑魅魍魎魍魎になるから。
人はもちろんのことである。
私見だが、早朝に歩いている人は、少し油断している。
主に道路の横断に、油断している。
安全運転で道路を進む。
特に問題もなく高速道路を進む。
案外サービスエリアの食事コーナーが開店していなかったこと。
途中で買った牛タン串が以上なうまさを見せたこと。
事件と言えばこのくらいだった。
しかし、である。
ある峠にさしかかった辺り。
少し雲行きが怪しくなってきたかなと思ったとたんに雪が降り出す。
最初は雪を喜んでいたが、それも真横に雪が降るようになってくると、徐々に不安になっていく。
「道が凍結することはないと思うけど」
速度規制がなされ、渋滞の先頭を除雪車が並んで走行している姿を確認したとき、凍結よりもひどいんじゃね?とみな思ったのである。

死出の旅路

イノシシについては全然わかんない。
ただ、キバがすごいこと。
近所にイノシシの肉を提供するラーメン屋があること。
野生のイノシシにはダニがいっぱいついているらしいこと。
そしてファイナルファンタジー5で「ワイルドボー」という名称で登場していたこと。
このくらいだ。
この中でも感慨深いのがダニについて。
ある小説、エッセイで、狩られたイノシシから大量のダニが逃げ出すシーンが描かれていたことがある。
それは異様感、あるいは死出の旅を暗喩しているとも言える。
しかし何よりも、大量のダニという点だ。
獣に付くダニというのは、布団や衣類に付くような、目に見えないくらい小さいダニではない。
「木の実?」と思えるくらい大きく、なんかテカってる。
それが大量に、イノシシの死骸から出てくるのである。
「ママ、死んだイノシシから大量の木の実が出てきたよ!!」
聞きようによっては胃の内容物のことを話しているようで、気持ち悪い。
「ママ、死んだイノシシから大量の赤い水が出てきたよ!!」
血というものを子供にどう教えればいいのか、よくわかりません。
「ママ、死んだイノシシからお経が聞こえてきたよ!!」
あーなんかわからないけど、ヌシとかだよたぶん。