フットサル

フットサルというスポーツは非常に疲れる。
狭いながらも楽しくないフィールドを、終始ボールを追っかけているような状態が何分も続く。
そんな僕を見たある人は、それを「犬」と形容した。
確かに、河原でボール遊びしている犬は終始ボールを追っかけている。
休憩時間、へとへとになりながらも、「もしかしたら定石のようなものがあるのではないか」と考えるようになった。
他の人は、動きつつも僕ほど疲れてはいないようだった。
これは身体能力の差か、あるいは待つ戦法など、知っておくべき何かがあるのかもと思った。
このときの僕を形容するとなると「定石を知らない犬」となるだろうか。
これは、考えようによっては妙にハードボイルドな雰囲気をかもし出す。
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「あいつに関わると、ろくな事はないぜ」
「何せ、あいつは定石を知らない犬だからな」
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だが、もう少し情報を付加すると、こうなってしまう。
「定石を知らない河原でボール遊びしている犬」
これは完全に河原でボール遊びをしている犬であって、ハードボイルドではない。

午前4時まで死神受付中。

気分がすぐれず眠れない夜は、椅子が気を使って僕の尻の下に滑り込み、机に突っ伏す先に眼鏡がスタンばり、結果本を読んだりする。
という快適な家ではないため、あちいと口にしながらクーラーをつけ、麦茶を飲んだりする。
最近、暑い。
屋根が近い事もあってか、断続的に暑い。
地獄だ。
「あつっ」と瞬発力のある暑さでないため、何か僕でジャムを作っているのではないか。
そんな気すらしてくる。
ジャムは地獄の食い物だったのか。
枕のシーツをねじるとラードが採取できそうなくらい、脂汗的なものを噴出している気がする。
目を開けると、掛けざらしのコートがぼんやりと目に入る。
今この場に死神というものがいるのなら、ちょうどあんな感じだろう。
多分死神は暑さなんて分からないだろうから、あんな格好でこの部屋にとどまれるのだ。
この暑さなら、死神は似合う。
しかしいるのは午前4時までにしてほしい。
今日は7時起きだ。
僕は、3時間は寝ないと一日中眠いのだ。

リモコン

エアコンのリモコンには「ここが主電源」「ここが温度上げる」など、ボタンの説明が日本語で表記されている。
しかし僕の部屋のものはその表記のパーツがごそりとはずれてしまい、どこかへ。
結果、このリモコンとの思い出だけで、ボタンを操作している。
確か、ここが電源。
ここはタイマーだったか。
とりあえず押して液晶の表示が時間っぽくなったら、当たりだな。
手探りではあるが。
一方、ボタンのデザインは重要だ。
日本語による案内がなく手探りとはいえ、これは「主電源」、これは「何か、上げるような感じの三角」と、形で用途が分かるデザインというのは素晴らしい。
ユニバーサルである。
ということで、タイムボカンなどの漫画で出てくる「どくろの形の自爆ボタン」は、僕らが思っているよりもよほど洗練されている。
ただ、どんなに確証があっても、手探りで「どくろの形」のボタンは押したくないね。

シーラカンス

シーラカンス発見に至る話が好きだ。
名前は忘れてしまったが、どこぞの学芸員が漁で偶然に引き上げられたシーラカンスを見て保存し、その詳細を専門家に連絡。
化石としてシーラカンスを知っていた専門家は「化石でしか知られてないのに、生きてんの!?」とびっくりしたというのが、まとめた話。
確かシーラカンスの学名には、その「どこぞの学芸員」の名前が入っているはずだ。
この話の好きな点は、専門家、そりゃあびっくりしたよねというところである。
失われて久しいと思われていたものが、実はいました。
結構いましたというのだから。
これは言い換えると、ずいぶん前になくしたハンコが引き出しの奥から出てきました。
しかも20本くらい出てきました、というようなもので、何か脱税の予感。
あるいはゆっくりと消えていくテーブルの上のコップに、何度目かのVTRで気づきました。
しかもテーブルクロスの柄も変わっていました、というようなもので、何かアハ体験。
ともかくびっくりしたのだろうと思うと、つかまってしまったシーラカンスも浮かばれると思う。
深海に住んでるだけに。
な?
な?

太る

うちには猫が大量にいるのだが、だいたいが太っていて困る。
腹がたるんでいる雑種もいれば、なんか体がパンパンになったマンチカンもいる。
体がパンパンになったマンチカンは、もう歩いているハムみたいなもので、「保存食」という言葉がぴったりだ。
どちらにせよ、痩せさせなければ。
僕はなぞなぞが好きで、小さい頃にはよく本なんかを見ていた。
今となっては古典的だが、僕が感心したものの中に、こんなものがある。
「トイレを使うと痩せてしまうものは?」
正解はトイレットペーパーなのだが、確かにそうだ。
どんどん使われてしまうから痩せるばかりだ。
僕はその消費の仕組みを深く考えさせられた気がした。
となると気になるのが「トイレを使うと太るものは?」というもので、一体なんだろう。
強いて言えば「健康管理のため、トイレのたびに記録している排便、排尿量記録帳」だろうか。
そしてさらに気になるのが「トイレットペーパーが太るとき」で、これもありうるのだろうか。
強いて言えば「芯にあたりはずれが書いているメーカーのもので、あたりはずれを確認したので巻き戻そうとしたら、周りの他のトイレットペーパーも巻き込みつつ巻き戻した」だろうか。
だろうか、ってのも何なんですけど。

戦車

先日、必要があって「ガールズアンドパンツァー」のプラモデルを調べていた。
これは、男の子の好きな戦車と女子の組み合わせという、素晴らしい属性を備えたアニメである。
「ガールズアンドパンツァーズ」でないところを見ると、もしかしたら戦車はちゃんと全員に供給されていないのではないかと少し心配になるが、とにかく面白いだろう。
プラモデルの箱にも女子が描かれていた。
ただ、僕も大人になったのだろう。
以前だったら、この組み合わせのところは、こうの方が素晴らしいと思っていたはずだ。
「戦車とロボ」
男の子の好きな戦車とロボの組み合わせ。
まあトランスフォーマーなのだが。
もっと以前になると「戦車と巨人」とか「戦車と大鵬」、「戦車と卵焼き」とかになっていただろう。
戦車を中心に、巨人軍がポーズをとっているのだろう。
あるいは大鵬が戦車に対しててっぽうを行っているだろう。
どちらにせよ、野球と戦車と大鵬、どちらも「大砲」という言葉に共通点が見出され、大変良い。
また、「戦車と卵焼き」は何か海軍カレー的なものを彷彿とさせる。
もうさっきから、「陸軍卵焼き」のB級グルメ大会参加時のコラージュ写真が頭をよぎって仕方がない。
ほんと、仕方がない。

体温計

ちょっと体調が悪かった。
喉がすごく痛かったり、ぼーっとしたり、全然変換決定しようと思ってなかったところでエンターキーを押してしまったり。
とりあえずかぜ薬飲んで寝ようとしたら、その夜中に自分の熱で目が覚めた。
自分の熱で目覚めるとは色気もへったくれもなく、いろいろと傾向が良くない。
熱っぽいので体温計を探すが、見当たらない。
発見しても電池切れだったりする。
以前、飼い猫の体温を測るために使用していた体温計は、と探しはじめと同時に躊躇する。
確かあれは、猫のお尻に突っ込んでいたものだ。
時に人の脇、口内、時に猫のお尻など、体温計というものは肉圧され続けるものなのだなあと考えた訳ではないが、なんとなくあれはいやだ。
かろうじて発見できたのが水銀を用いたアナログなもので、測ってみると39度もあり、これは目覚めてしかたないなとため息をついた。
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水銀の体温計で体温計が割れてしまうシチュエーション考察
①保健室で片思いの子が隣にいることに気づいた時
②口にくわえて計測中におでんのたまごなどを強制的に食わされる
③気圧がすごく低い場所での計測
④炎の魔人的なものが体温計を爪楊枝がわりにしようと持った時
⑤体温計の彼女が悪者に誘拐され、「昔のマンガみたく体温計がリミット限界で割れるシーンを見せてくれたら温度計ちゃんを返してやる」と言われた時
⑥ずっと液体窒素の中に入られたのち、いきなり人の脇に挟めたため、速度の加減がわからなかった時
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頭痛もひどいので、とても寝られたものではない。
汗もかくくらい熱いが、一方で寒くもある。
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デジタル体温計で表示部分が壊れてしまうシチュエーション考察
(※体温計最大計測値を42度とした場合)
①保健室で片思いの子が隣にいることに気づいたため、体温計なりの演出として表示部分に「ハート」を表示しようとがんばった時
②外気温が43度
③説明書に載っているやってはいけない事をだいたいやった時
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まあ、薬飲んだら良くなったんでいいんですけど。
最後に、デジタル体温計を首に刺して相手を殺す、必殺仕事人みたいなことを考えた時、相手が死ぬと同時に「ピピピ」と鳴ると面白いと思いました。

リンケージ、ぶつかる。

運動神経が鈍ってきたからか、人が光子のように振る舞う都心部駅構内で、僕は何度かボディアタックをかましてしまったことがある。
故意ではなく、あたるつもりでもないため、双方にダメージはない、あるいは低いと思う。
どちらかというと「避けられると思っていた自分の誤算」のほうが痛い。
僕は一般的に「ドッヂボールで最後まで残るタイプ」だったから、そういうのは得意なはずなのだ。
しかしあたる。
相手がこちらの動きを察知し、妙に避けようとしてくれたときも、それを素早く判断し、みかわしきゃくで華麗に避けていたのに。
どちらにせよ、今後は避ける能力に加えて謝る能力も伸ばしていかなければならぬ。

リンケージ、大理石。

大理石だったかどうかはいきなり分からないのだが、コールドストーンというアイス屋さんは冷やした石板の上でアイスやトッピングのナッツ、ケーキなどをこねくり回しておいしくするという、ある意味錬金術のようなことをしでかす。
アイスとケーキと多少の空気と歌声の混じったそれは、確かにおいしい。
だが、このアイスを食べるとき、そのおいしさが全てを網羅したおいしさではないことの気づく。
コンビニで売っている100円のアイスもおいしいのだ。
こうなると僕のアイスに対するおいしさの閾値が低いのではという気もするが、一方で同意見だと言う人も多いのではないか。
「ガリガリ君はガリガリ部分よりもそれをコーティングしているサクサク箇所の方がおいしい」
これじゃなくて「こねくり回した方と100円の方のアイスは、おいしさの方向が違う」という点。
「雪見だいふくの、餅部分を甘くした開発陣には頭の下がる思いだ」
これじゃなくて、おいしさというのは拮抗しなくても両立できる事もあるのだという点。
「pinoは、量的にはざんねんな気がする」
これじゃなくて、正直コールドストーンのアイスをまだ食べた事がないかもしれない点。