「父さんな・・・、このあいだ、ジョブチェンジしたんだ・・・。」
何とも泣ける感じの出だしですが、だいじょうぶ。
このお父さんはFF?なのです。
「ファイナルファンタジー?」はキャラクタの能力を「ジョブチェンジ」することで変え、ファンタジーな世界を空駆け巡る名作です。
ずいぶん前にファミコンで出ましたが、最近、DSで出ました。
DSで出るのは良かったんですが、「キャラクタに名前がついてる」という仕様がどうにもイカンと感じ、買ってませんでした。
今はそうでもないけれど、昔のゲームは主人公にどのような名前をつけるかで一生を左右するような気がしたものです。
途中で変えられなかったり。
いきなり序盤の序盤で時間がかかるわけ。
そんなして思い入れある名前をつけるわけだから、名前によっては人に貸せません。
また、普通にメタルスライムを探し続けるルーチンワークでも、自分が冒険している気にも、少しは名前のおかげでなれたりするわけです。
全く、小説か何かと等価。
そこにきて、今回のFF3は名前がついている。
昔だったら「すくえあ」「すくえもん」とかだったのに・・・。
アイデンティティ炸裂し過ぎである。
ということで買ってなかったんですが、まぁ買っちゃって、面白いなコレ、と。
なにやら無線LANでいろいろできます。
「どうぶつの森」が売れるわけだ・・・。
ほんとは上で、「懐かしさも手伝って・・・」と書きたかったけど、ほぼ覚えていないので、それを抜きに面白いと言えます。
あー、呪文唱えてー。
ちなみに、僕はあれこれ考えた挙句、名前を変えませんでした。
ちょっと他人行儀気味です。
今日はサンダースピアを買ってあげました。
カテゴリー: 疑問結論など
2度おいしい。
10年ほど前に読んだ本が、文庫本になっていました。
さっそく買って、読んでみる。
あれ?、こんな内容だっけか?・・・。
・・・
全部読み終わりました。
覚えていたくだりは、
「若い娘とキャッキャ」
というフレーズだけでした・・・。
言いたいことは、最後の一行。
昨日はわかんないと言いすぎたので、今日は素直に感じたことを書きます。
二科展が行われた東京美術館では、作品がB2?F2くらいにわたって展示されていました。
絵が展示されているところは、通路のところどころがくびれてちょっとした小部屋が連なったような感じで、その通路の壁に多くの作品が。
感じたのは、その数の多さ。
それは壮大で面白いものでしたが、同時に多くの絵の中では埋もれてしまうような絵もありました。
多数の展示に強い画法とかあるんでしょうか?。
それでも歩いているだけで何だか楽しい。
そしてまた気付きました。
作品名と名前の入った名札、じゃま。
作品名はいいとしても、名前は要らないんじゃないかと思った。
・・・やっぱり、いるよね。
そうだよね変な事言ったごめん・・・。
こうして絵を見ていると、作品の意図みたいなものが分かるときがあります。
昨日も書いたように、芸術は分からないのですが、「明らかにコレは意識してる」といったものに出会います。
そしてまた気付きました。
少なくとも僕は何かを絵から感じる前に、そのような意図が分かってしまった(ように思えた)ら、もう恥ずかしくて絵が見れません。
「意図まるだしやん!!」とか思っちゃったりします。
芸術と意図は相反するものなのかもしれません。
・・・僕だめだね。
そうだよね変な事言ったごめん・・・。
会場を階段で行き来していたら、疲れました。
でも、また気付きました。
作品には申し訳ないのですが、その美術館の備品がなんとも面白く見えてきたんです。
何だか分からないけど壁の高いところに吊るされた鎖。
いつもは見慣れた非常灯の緑の人。
等間隔に並んだコンセント。
作品に負けないくらいの存在感がありました。
なにか感じようとすれば、なんでもそんな風に感じることができるのかもしれません。
しかし、上記のメランコリニスタな気分は、おばちゃん連隊により真空パックされてしまいました。
おばちゃん伍長が言いました。
「これ、これ。工藤静香の絵だわよ!!。」
群がるおばちゃんレギオン。
はなはだ迷惑。
しかし、僕が許せなかったのは自分自身でした。
「工藤静香」という言葉を聴いてしまったがために、その絵だけは「工藤静香」フィルタのかかった目で見てしまったのです。
僕の「工藤静香」である部分がそうさせてしまったのでしょうか?。
それともその絵が「工藤静香」をかもしたのでしょうか?。
絵は「工藤静香」でした。
このような先入観は、あまり面白くありません。
そして、もしかしたら今でもフィルタがかかっているかもとか考えてしまいます。
皆さん。
美術館はお静香に。
無言の道標
一日中部屋に引きこもって、グミにまち針を刺したり引っこ抜いたりしていると気分が滅入ってきます。
そんな気分を解消するため、僕は土曜日にはとにかく行動するようにしました。
よって、僕のカレンダーの土曜日欄にはフラグがおっ立ってます。
先週は、おそらく一生縁がないと思っていた場所、美術館に潜入しました。
中学三年間、僕の人物画はどんな人を描いても同一人物で、必ず左を見、瞳孔のひらいた目で空虚を見ていました。
もちろん、画法とか構図とか分かりません。
しかし、とにかく1?2時間ばかり、自分をどこかにぶち込みたかったわけです。
とにかく上野に行ってみました。
その時は、何だか聞いたことのある「二科展」というものがやっているようでした。
げーじつが理解できないとはいえ、そんな場所に行く僕は何ともいえない気分。
途中、足間が紐でつながったズボンをはいた黒ずくめの青年がいました。
彼の今日のテーマはアーミッシュだろう。
その質素さを黒ずくめの服として、現代文明に頼らないとする規律を、まるで拘束具のようなズボンで表しているのだろう。
とか、どうにもヘンな感じ方をする一方
「まず転ぶだろう。」
「誰かに蹴り上げられても、防御できるじゃん」
とかも考えてしまう。
もちろん、両方げーじつ的な感じはしないので、ここからみても僕の辞書に芸術という文字はないでしょう。
たぶんカ行ない。
カ行のない僕でしたが、どうにか上野に到着。
上野の美術館に自分をぶち込むことに成功しました。
二科展。
僕の思っていた美術館のような、点々と絵があるという感じではなく、結構ところせましといった感じで展示してありました。
今回は、そういう会だったのかもしれません。
え、内容?
あの場所で僕ほど「わっかんねーなぁ」を連呼していた人はいないでしょう。
ただ、牛が好きな絵描きさんは結構多いように感じました。
あと、二科展では油絵以外にも彫刻やポスターデザイン、写真などのカテゴリもあるようで、展示品はかなりの数がありました。
そして、その数とほぼ同数の「わっかんねーなぁ」が生まれました。
なんだかんだ言って3時間ほどうろちょろしましたが、わかんないなりに面白い時間を過ごすことができました。
もうすぐ秋だし、行ってみれ。
そう。
わかんないから面白いとも言えそうです。
わかんないから色々経験とかを総動員するしね。
ちなみにこの日の「わっかんねーなぁ」は、上野駅近くにあった、美術館への行きかたを示した看板の前から始まりました。
ヒノキ舞台はカタパルト
こないだ、空港に行ってきました。
親戚の見送りです。
日曜日の午前中なのに、羽田空港の待合ロビーはわんさかでした。
そこで思ったこと。
モテたい女性は空港ロビーを闊歩することを提案する。
広いロビーをゆったり歩けば、
人振り返る、Can Camガール。
えっ。
「キャンキャン」って「Can Cam」って書くんだ・・・。
とにかく、思いのほかかっこよく見えるのでやってみるといいヨ。
と、今日はかなりの適当さ。
そのわけは、今帰ってきたばかりだからなのでありました。
だが、真理としての重要性と、それを語る時間は必ずしも比例しない。
エビちゃんになっとけ。
ちなみに空港を闊歩していた父親はヨウカン入りの紙袋をぶら下げていたので、だいぶ「チョイ親戚に優しいオヤジ」でした。
ダンスはうまく踊れない
ずいぶん前だが、このブログで私の発見を発表したことがある。
今回はもう1年ほど前から気付いており、その後も調査して確実と思われる発見を載せたいと思う。
レオパレス21は賃貸マンションの紹介みたいなことをやっている会社。
結構頻繁にCMをやっているので知っている方も多いと思う。
知らない方はここから先は読まないでも人生に支障をきたしません(ちなみに知ってても同様)。
CMは藤原紀香を起用しており、彼女が色々な部屋を渡り歩くような構成。
レオパレス21のおかげでよいマンションを借りられたのであろう。
渡り歩く先には日々が楽しくてしょうがないといった趣の若者が楽しそうにしている。
彼ら若者の一人がポイントである。
確か藤原紀香が2番目に訪れる部屋では男の子が椅子に座りながら音楽を聴いている。
彼は藤原紀香が訪れたことも手伝ってか、そこからノリノリとなってしまうのだが、そのさまが尋常ではないように見えるのである。
このCMをみる度に彼に注目しているのだが、何度見てもヘンだ。
発見:レオパレス21、CM男の子の踊りは何だかヘンだ。
実際やってみたが、座りながらリズムに乗るということがいかに難しいことなのかを深々と考えさせられる。
とにかく、これほど興味をひく動きをする人には数年に1回くらいしか出会わない。それを電波に乗せているのである。いいのだろうか。
・・・
もちろん私はリズムとかダンスに明るくない。「芸能人社交ダンス部」くらししか思いつかない。
なので、「何言ってんの?、あれはイギリスで大流行している「アームチェア・ダンス」って言うんだよ。」と言われると信じる。
見抜くことはできないだろう。
隣人と一緒に時速60km
都心の方では比較的多いんですが、電車と電車が並行して走るということが起きます。
経験した方のどれほどがそうであるかは分かりませんが、僕はあれが嫌いです。
何故かと言うと並行先の電車の人と目が合ったとき、どんな顔をすればいいのか、分からないから。この一文をタイプするのに何回も間違えたので、その緊張の度合いが分かるというもの。
あれは一種の強制お見合いのような状態で、何とも気まずい感じです。
僕がこの前お見合ったのは、すごいタンクトップの男性でした。
背中はほぼ紐で、友達からは「肩甲骨のTバック」と呼ばれているであろう男性は、プイと後ろを向いてしまったがためにここでこんなことを書かれてしまうのです。
また、一期一会という言葉があるように人間、一つ一つの出会いを大切にしたいもの。
電車の並行は人の持つ「一期一会パワー」を何とも味気なく浪費させる悪しき装置でもあります。
しかし、一目見て「あいつとは合いそうだ」というような出会いもないとは言い切れません。こういう方が「一期一会」なのかな・・・。
そんな人と並行して走る電車間で出会ったら、とりあえずドアに隠れてから「耳を引っ張られる人」をやってみてはどうでしょうか?。
後日、偶然にも駅で出会う二人。
がっちりと握手を交わす姿が僕には見えます。
グレイプニル
最近、あまり心霊番組がやらないので悲しい。
僕はどちらかというと「霊がいなくてもいいけど、いたほうが面白いだろう派」で、不思議な心霊写真などを見てはビビッたりするが、かなり些細な現象を大きく取り扱ってしまう場面などでは「うーん。だめだ。」となる。
事故現場などで「死んだ人が怨霊となっています」と言う霊能者を見て「万人に証明できないことなのに何でそんな事言うん?。関係者はそれを聞いてどう思うか考えてんのか?。」と思うが、一方では奇妙な出来事などに興味をひかれている。
こんな僕ですが、こわい体験がある。
たぶん霊とかじゃないんですが。
それは休みの日。
その頃の僕は、昼間に寝転がりながら心霊系のビデオを見ることが幸せだった。
その日も撮り貯めていた「奇跡体験アンビリバボー」の心霊写真特集を流しながらうとうとしていた。
もう何度も見ているので見なくてもだいじょうぶ。
いつもと同じ雰囲気。
ところが来たね、かなしばり。
目だけ動く。
たぶん寝てしまったんだろうけど、それに気付かないくらいすぐ来た。
僕はこのちょっと前に、かなしばりで腸が飛び出るくらい怖い思いをしていたので、このかなしばりにはかなりビビッた。
しかもテレビでは心霊特集が真っ盛り。
なんかわからないけどすごく「分が悪い」って思った。
このタイミング。
かなり「何か起こる」方に分があると考えない方がおかしい。
とりあえず、かなしばりはどこか一箇所でも体を動かすことができれば解除できる、というのは常識だったのでそれに従った。
何か起こる前に。
結局、単なるかなしばりだったのか、不思議現象登場の前に解除成功したのか。
何も起きることなく僕は生還を果たした。間髪入れずにビデオを停止したのは言うまでもない。
あの現象が何だったのかは、分からない。
ただ、僕は今でも不思議現象には目がないのである。
ちなみに今一番怖いのは、この話にオチがないことだ。
甘さと面白さひかえめ。
チョコレートって、あまくておいしい。
何気に名コピー書いちゃいましたが、そのおいしさは折り紙つき。
「甘いものって苦手なんだよねー」と言っている人は結構多いです。
それって、ほぼチョコレートを名指しで批判しているわけですが、だいじょうぶ。
チョコレートは甘かろうが苦かろうがおいしい。
こう書いている僕はバレンタインデーなのにコンビニでチョコレートを買ってしまうくらい。
故に食べるときのこだわりがあります。
それは立て続けに口に入れていくというもの。
100円で売っているようなチョコレート菓子で試していただきたい。
口の中のチョコレートがなくなる前に次チョコを食べていきます。
口内超チョコ優勢。
反撃を許しません。
唾液という名の。
くどさという名の。
自分という名の。
これをやると、歯磨きのときに茶色い水が出ますが、チョコレートがいかにえらいかがわかる気がします。
また、もう一つのえらさが「クッキーとかと合う」ところです。
もう、クッキーの裏にチョコレートがついたやつって、ゆるがないです。もう、すごい。すごい英知です。
もう今、すごい彦摩呂になりたいわ。
誰かが買い物に行くとき、「クッキーにチョコがついたやつ買ってきて」と声をかけるのが僕の口癖でした。
このカップルはすごい。かなりのすごさ。
もう今、すごい恋人ほしいわ。
面白くないと自らを傷つけることも辞さない7942。
「字に偽りあり!!。」
チョコは冷やしちゃダメという持論を掲げるめがねだ。
追記
やる気もネタも枯渇する夏を乗り切りました。
ありがとう、ぼく!!。
世界の合言葉は森
僕が選ぶ衣類は、基本的に「濃い緑」のモノになってしまいます。
ズボン、上着、コート、帽子・・・。
目立たない。特に森で目立たない。
いや、すごく目立つ。都会という名のジャングルではすごく目立つ。
全身緑状態のときに会った友達は僕を見るなり、簡単に言うと「へんだよ」とアドバイスしてくれた。
とにかく、「てきとーに着ても、変なことにはならないだろう」という色と僕は考えているわけですが、確かに全身、色を統一した服でうろついては精神的に病んでいると思われそう。
色ってなかなか大切なものです。
色といって僕が思い出すのは小学生の頃の出来事。
クラスではちょっとした「色占い」みたいなものが流行していました。
好きな色で性格や精神状態を当てるというもの。
冒頭に挙げたように服の色はおとなしめが好きですが、色自体としてはまず嫌いな色はありません。
ただ、群を抜いて「緑と黄色とピンク」が好き。そしてそれは小学生のときも同じ。
好きな色を聞かれた僕は「黄色」と答えました。
すると、その霊験あらたかな女子生徒はこう言いました。
「あー。nimbus君は欲求不満だね。」
・・・「小学生が小学生に向かって欲求不満って・・・」
僕はそう言われてどうしたらよいのか分かりません。
けど、欲求不満という言葉が何とも意味深に感じます。
このとき、僕は大人の階段をのぼり始めたといっても過言じゃあありません。
そんなわけで、色でどれほどそういうことが分かるのか知りませんが、皆さんとりあえず全身黄色は止めておきましょう。全身からにじみ出るオーラで、周りの人の仕事効率が急激に低下します。
ちなみに、僕のような全身緑の心のうちは何なのか、すでに分かってます。
「グリーンジャイアントになりたい」だね。