視覚的に小麦粉をまぶした体

女子に「花にくわしいのっていいね」とも言われれば、つね日頃ポケット草花図鑑を持ち歩き、花びらを食べ、根の形を見るために穴を掘る。
香りをかぎ、立て札をみ、植えた人に聞く。
そうして種類を見極めたくもなるが、それほどはやりたくない。
ただ、知ってる花がたまたまあった、というくらいだ。
そんな僕から見ても、そのキンギョソウはとにかくぷりぷりしていなかった。
遠くにあるからだろうか。
運転中に赤信号で止まった交差点の、向かい歩道に植わっている植物。
花をつけているのだが、何の花かがわからない。
「あれ、キンギョソウじゃない?」
僕らが思っていた事を助手席の者が発する。
しかし後部座席から「ちょっとぷりぷりしていないんじゃない?」の声。
僕もそうだと答える。
結局、その花が何かは分からなかったが、ひとつ言えるのは「ぷりぷりしていなくちゃキンギョソウじゃない」ということ。

コースターは濡れに濡れ。

【なんとなく意味ありそうな1文で、テキトーな文章を締めてみるコーナー】
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僕が経験した、一番大きな怪我は頭をうったやつなんだよ。
ほら、昔は結構危険な遊具が公園にあったりしたでしょ?。
高さがあったり、指をはさんだり。
よく遊んでいたのが、10、いや15mくらいの柱が立っていて、その先端からロープが垂れているやつ。
柱の近くに1、いや3mくらいの土手があって、垂れているロープを持って登る。
そしてそこから柱を回るように蹴りだすんだ。
柱を中心にくるりと回る事ができて、楽しかったよ。
でも、蹴りだす力が弱いと、回り切る前に自身が柱にぶつかっちゃうんだ。
経験が必要だったんだよ、その遊びは。
僕の怪我って言うのも、柱に頭をぶつけたときのものなんだ。
ほら、ここちょっと触ってみ。
いやいいから、ほらここ。
ちょっとがたがたってなってんでしょ。
それ、それだよ。
ずいぶんと血が出て、救急車で運ばれたんだ。
一時、命の危険があったっていうくらいなんだから。
あそこまでの怪我は、その柱周辺では僕が一番だったんじゃないかな。
結局、その遊具はそうやって頭をうつ子供が多かったから「あたまブレイカー」って呼ばれちゃって、最後にはロープの垂れている方が柱に付けられちゃって。
そびえ立つ柱に、稼働性のないロープが付属されいてるという、よくわからないものになっちゃったんだ。
え?。
「あたまブレイカー」っておもしろい?。
いやそれ、いま僕が考えたことなんだよ。
おもしろいでしょ?。
そんな僕はよく「ムードブレイカー」なんてよく言われるんだけどねうひゃひゃ。
まあ、星がなくなったことを星空の下で知るのは、ほんとうよりすこし遅いってことだよ。

親への介入

全然関係ないけど「生みの親より育ての親」って、もちろん意味はそうでないんだろうけど、ここでの「親」って「母親」になるような気がする。
「生みの親」ってところがね、どうしても。
これだけに着目すると、父というものは、実は親でないと言える。
寂しい。
たしか、三千里探されるに値しているのは母だしな。
なあ、父よ。
・・・なあ、父よ。
寂しさをバネにして、それにどうしても親たりえたいか。
産雄性単為生殖上等か。
後者はよくわからないが、とにかく親たりえたいのなら、冒頭のようなことわざを新たに開発、親としての父を示せたりするといいかもしんない。
「父の背中より他人の背中」
冒頭の「生みの親より・・・」の父バージョン。
かなり寂しい。
いちおう親というものはね、というきっかけにはなりそうだが、一方で「生み」という最高レベル生命の神秘に父が対抗できるものは「背中」くらいだということが分かった。
なお、見た目似たものに「父の背中より新潮文庫」や「父の背中よりガイアの夜明け」などがあり、これらは親観点とすると全然親になれてない。
「父の子は父」
「かえるの子はかえる」という親っぷりがなかなかのことわざを持ち出してみた。
親どうこうもあるが、それよりも子は父のことが嫌いになるだろうことが心配。
「父の心子知らず」
それをどうにかしようという今回。
「父の居ぬ間に洗濯」
完全に加齢臭問題が背景にあり、親の権利獲得にはほど遠い。
「鉄道員(ぽっぽや)(父)」
男親としての感じはいいのだが、かっこが多い上、「ぽっぽや」が「ぱっぱや」だったらすごく面白そうな事が今分かってしまったため、威厳の点で親としては難しい。
「父の目がテン!」
理想の父親ランキングにたいてい入るらしい所ジョージ氏にあやかってみた。
もちろん親のどうこうのことは考えておらず、聞いても「へえ」としか言えないような「父の目がテン!」。
いいんじゃないでしょうか。
類似に「父のまもるもせめるも」「父が笑ってコラえて」があり、前者は忌野清志郎の「パパの歌」、後者は日曜日の父像そのものである。
意外にも、これらが親としての父を考える上で結構いいモデルとなりそうなことが分かった。
よかった。

グループ単位

昨日ゲームの話になったのでもうひとつ。
僕はRPGに関して、ひとつだけ確信している事がある。
「RPGは1グループまとめて攻撃できる手段をはじめて獲得した瞬間が一番面白い」
ドラゴンクエストならギラとかだ。
ギラ覚えた瞬間が一番楽しい。爽快だ。
メタルスライムを倒しただとか、おおばさみを買うお金が貯まったとかもかなりだが、ギラには勝てない。
ファイナルファンタジーはどうだろう。
昔のはいつ何時でも、火の魔法を複数指定できたりした。
いつでもできちゃう点だけだと、ギラの喜びには届かないかも。
でも爽快。
将棋も、1グループまとめて取るなんてことができればいいのに。
昔書いたかもしれないけど、僕は将棋や麻雀のルールを全然知らない。
定石を勉強する時点で、左のひざをつき、右のひざをつき。
左手の手のひらをつき、右手のてのひらをつく。
そして勉強しなくてよくなるまで、じっとしている。
そんな感じ。
でも素人でも一発逆転ができるような「1グループまとめて」ができるというのなら、やる気が出るかもしれない。
麻雀はきれいに絵柄がそろえばいいと聞く。
ときどき、1グループ分の絵柄を他の人から取っていいとか新ルールができないだろうか。
将棋は王将を取ればいいが、その前にいる他のやつが邪魔だ。
1グループという単位を考えると、歩を一網打尽にする魔法を桂馬とかが唱えていい季節とかできないだろうか。
もちろん、「1グループまとめて」は回復手段としても存在するだろう。
将棋のそれは、味方陣営の歩が全部ひっくり返る。
たしか、将棋はひっくり返ると強くなるのだそうだ。
麻雀のそれは、みんなで海水浴とかに行く。
たしか、麻雀は一度やりだすと廃人になるのだそうだ。

NHKで、20時から。

そこでおすすめなのが「コーヒーカップでページを抑えながら本を読む」ということで、それはいいにおいがするし、本も読める。
また結果として、コーヒーのにおいを嗅ぐために本を顔に近づけるかたちになる。
すると変だったりエロかったりする挿絵のある本でも周りにはそれが見えなくなるため、周囲を気にする事なく読める訳だ。
僕が小さい頃、ファミコンソフトの「忍者龍剣伝」というゲームがあり、僕はそれを「なんかくるくる回る技を、敵ぎりぎりにあてることで倒す」という方法でクリアしたんだった。
するとそのエンディング。
たしかキスシーンがあるんだ。
その頃の僕は「和紙でくるまれていた」と形容されるほど無垢だったから、それが恥ずかしくてせっかくクリアしてもすぐリセットした。
でも、無垢ではない今でもリセットする理由はある。
忍者のキスシーンってのがおもしろくて仕方がないから。
顔を覆う布があるのなら、キスはなんだかよく分からないものになってしまうし、ことのあともべたべたで息苦しい。
また、それを外したとなるとキスの相手に顔がばれる訳だから口封じが必要だ。
相手はまだ顔見た事ないんだろう。
なんとなく、プラトニック。
忍者のキスシーンというのはそんなことを考えさせ、思いのほかスリリングなんだということがわかる。
そしてそんなことばかり考えていたから、さきほどから僕は大人の階段を2段またぎで降り続けている始末。
でも大丈夫。
たとえ「小説版 忍者龍剣伝」が出たとして、それを読まないと大人になれないのだとしても、そのキスシーンの挿絵はコーヒーのかおりにまぎらわして隠せるはず。
「小説版 忍者龍剣伝」自体に耐えられるかは分からないけど。

過剰なコードが畳を掃く。

探しているものといえば「掃除機のコードに巻き付いている赤いテープ」で、これがないとコードを掃除機から引っこ抜いてしまう事になる。
この赤い、ものによっては黄色いテープはコードの終着を示している訳だが、本来ならばこのテープを見るほどにコード長が必要なシーンは、実はあまりない。
「おれの家はこのテープを見るくらい、コードを伸ばす必要があるぞ」
こういう殿方もおられるであろうが、よくみてほしい。
そのコードは余って掃除機に踏まれていないだろうか。
コンセントを身近な位置に移動すれば、そんなにコードを出さなくてもよかったのではないだろうか。
これらが当てはまるのなら、それはコード長に余剰があるわけで、テープを見るくらいコードを伸ばす必要はない。
これらが当てはまらないのなら、住んでるところ広そうだから、お前のレベルは殿だ。
よかったな殿。
ただ、最近の掃除機はコードがないらしいぞ。

天使のくだり

こんなことを考えながら川を見てみると、いつもとは違った川が見えてくるかもしれませんね。
そう言って先生は教科書を閉じた。
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
ぼくは最後の行をくり返しつぶやきながら、下校中、いつもの川沿い。
ガードレールから身を乗り出して水面を見ると、魚もいないのに下からつついたような波紋がふたつ、広がった。
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
ふと、僕の目の前を白い羽毛が落ちていく。
風のないその日に、羽毛は周りに空気がないかのようにすっと、緩やかに流れる川へと落ちた。
波紋がひとつ。
この波紋は、誰の、何のための練習なんだろう。
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
はもんは、てんしが地に降り立つためのれんしゅう
はもんは、てんしが地に降り立つためのれんしゅう
僕は天使のくだりを想像させた羽毛がどう用意されていたのかを調べるため、上を見上げた。
そこには小さいくす玉のようなものがあり、それのついているポールが近所の2階から伸びている。
おそらく2階ではポールについているレバーを引くおばさんがいるのだろう。
情操教育も大変だ。
ふと、見上げたくす玉に貼り紙のしてあるのが見えた。
私は今年56歳になります。
母は昔から働き詰めで、86になる今でもその精神は失われておりません。
いつもは私がこのポールを支えるのですが、今日は突き指をしてしまったため、やめておこうかと思いました。
しかし86歳になる母が替わってやると言って聞きません。
本当に聞かないんですから。
ここで貼り紙は終わっている。
よく見るとくす玉が小刻みに震えている。
情操教育も大変だ。
水面に目を戻すと、さっきの羽毛を魚がえさだと勘違いしてつついている。
この波紋は、ふたりの、何のための練習なんだろう。

頼んでないのよ人形神

閉店時間であることを知らずに、最上階に近いところで本を物色していた。
すると、よくある閉店間際音楽が流れてきた。
というか、ずっと流れていたようだ。
なんとなく他人行儀になったスタッフを見ても、ああ閉店なんやなと感づいた僕はエスカレータを降りようとした。
するとエスカレータ付近でおじぎをする店員さんが。
各階、去りゆくお客さんに対しおじぎをするルールのようだ、このデパートは。
降りゆくフロアをのぞいてみると、女の人が立っている。
ということで各フロアのおじぎさん模様。
6階
男性スタッフ
5階
女性スタッフ
4階
女性スタッフ
3階
女性スタッフ
2階
女性マネキン
1階
女性スタッフ
本日マネキンに対しておじぎをしてしまった回数
1回

スプラッシュ青春

最近知人がハマってしまい、その結果AKB48の曲を聴くことが多い。
こう書くと「人に頼まれてサンタフェ買いにきました」的な、実はおまいなんだろという雰囲気も出るが、幼少よりアイドルにあまり注目できていなかったためか、今更その生き方を変える事もできないわけで、今のところいい曲があればそれを聴く程度の姿勢。
何かしらアイドルに感化されたかというと、あるとすれば街中で見かける女子がみなAKB48に属しているように感じられ、そしてほぼ例外なくかわいく見える症状くらい。
ひとつ、すごく楽しくなった曲がある。
確か冒頭の歌詞で「コーラを振ったあと、それを相手に渡す」旨の内容だった。
何か青春。
しかし気になるのは、このフレーズを10秒くらいかけて歌っていること。
正直「コーラ振った」くらいのところで、それを気になる相手へのいたずらに使用する事が分かってしまうため、そのひとくくりを10秒かけて歌うのはどうなんだ、と思った。
ひとフレーズを歌い終わったとき、「ほらやっぱりいたずらに使ったー」という気持ちになるのだ。
しかしよく考えてみると、当たり前のことに時間を費やす意外性、成り立たせる難しさへの挑戦というか、そういったものを感じるようになった。
あるいはなるべくしてなることの美しさ。
そして他の行動を際立たせる効果。
「コーラを振ったのち、それを静置。君に会いにゆく」
一見何をやっているんだという気にもなるが、前に「コーラを振ったあと、それを相手に渡し」ているため、こういう行動を取る事もあるか。
会いにいく前に緊張していたんだねと感慨深くもなりえる。
「コーラを振ったのち、後ろの座席にバラの花束をたくさん積みこむ作業に取りかかる」
コーラのことは全く無視してしまったわけだが、これも以前、相手に渡したという事実がある限り、いろいろ考えたくなる行動に昇華する。
「東京タワーをキャンドルに見立てるため、喫茶店の席をいそがしそうに変えていく」
もはやコーラがなくなってしまったが、これですら以前の経験から、「振ったコーラ」のことを思い出さずにはいられない。
「今ではこうやって東京タワーをキャンドルに見立てようとしているが、以前は振ったコーラを相手に渡すルーチンワークもやっていたっけ」と。
こうなると、我々はいつ何時も「振ったコーラ」のことを思い出してしまうことに。
そしてそれは、まさに何か青春そのものらしいで、ある症状をもたらしてしまうわけである。

還元則 その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
ポイントカードが苦手。
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ポイントカードを持っているのに探す手間が申し訳ない、めんどうくさいという人間がいる。
そういう者たちにとって「持っていないと嘘をつく」のはけっこう日常茶飯事。
以前、こんなことがあった。
ツタヤでレンタルビデオを借りた後、同じフロアにある本屋コーナーにて本を購入するとき。
そこで「カード持ってない」と嘘をついた。
この短時間でカードのありかを忘れた訳ではないが、あまりに「カードありません」を頻繁に使用していたため、何となくそう言ってしまったわけだ。
店員は怪訝な顔をした。
今なら理由が分かる。
僕はレンタルしたビデオを例の発色の良い青パッケージに入れて所持していたため、それがまさにカードなくしてはレンタルできないものなのである。
それを持っているのに「カードない」とはこれいかに。
店員はそう思ったんだろう。
こんなこともあった。
ビックカメラで、レジにて財布からお金を取り出すシーン。
店員にはカードが見えたのだろう。
僕はそれに気づかないまま「カードありません」とやったところ、いや今ありましたよとの指摘。
この財布のどこかにあるのは知っている僕だったが、すでに嘘をついている建前上、その嘘を貫き通す責任があった。
いやないですよ。
「いまその隙間にありましたよ」
見間違いですよ。
前のお客さんの残像ですよ。
おたくのお店と同系列の病院の診察券ですよ。
お前のコンタクトレンズにそういう模様が入ってるんですよ。
KARAのプロマイドですよ。
秘密クラブ「ハーフ&ハーフ」の会員カードですよ。
もちろんそんなことは言わず嘘もつらぬかず、時間をかけてカードを渡す僕。
ポイントで全ての清算を済ます事ができた僕。
結構ちゃんとポイントカード使えてる僕。