先々日、哀愁という言葉を使っていて気づくことがあった。
ということで、何かを失ったことに対する哀愁は、僕らが思っている以上に哀愁を感じなくてはいけないものなんである。
結論を先に書いてみた。
これで「んだんだ」となってくれれば、僕も結論を先に書いた意味があったというものだ。
ちなみにこちら、流れ。
①いつか書いたかもしれないけど、確か人類というのは地球に誕生した生物の平均的な「種の寿命」をけっこう超して、現在に至っているという説がある。
②種の寿命を超している現在の人は、いうなれば人類下降線上にいると言える。
③ものが失われたことに対する哀愁というのは、一般的に後世では認識されないものである。
例えば洗濯板。その存在となくなった時期はわかっているが、「なくなったがそれを懐かしくいとおしむ時期」というのはなく、認識されないはずである。
まだ今はあったとしても、さらに時間が経てば、それは「あったこととなくなったこと」のみの認識となる。
④人類下降線上にいるものが後世に伝わらない悲しみを持つ。これが「何かを失ったことに対する哀愁」であり、その実態はほぼないに等しい。
⑤結論にいたる。
いたっちゃったよ。
投稿者: nimbus7942
田村8
タロットの絵柄に被害者が模される、猟奇的な連続強盗事件が発生。
これを「タロットの絵柄が変われば事件は起こらなかったはず」と読んだ金田少年は一路、タロットカードが生まれたあたりの時代へ!!。
=====
「あのーすいません。大アルカナの絵を描いている人ってどなたですか」
「あそこでコーヒー飲んでる人だよ」
さっそく金田少年はその男に事情を説明し、絵柄を変えてはもらえないだろうかと相談した。
「ひどい事件なんです。太陽を模した事件では被害者が日時計の中央に拘束されていたし、星を模した事件では被害者の周りにまきびしがちりばめられていたり」
「まきびしが何なのかはわかりませんが、絵柄を変えるくらいならいいですよ」
と、金田少年は男の前に置かれていた、描き途中らしきタロットカードを見て驚いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。この田村というのは何ですか」
「え、田村ですよ田村」
「ちょっと見せてください。・・・ジャスティスがないじゃないですか。正義」
「何ですか正義がないって。風刺ですか」
「そうじゃなくて、正義の変わりに田村なんですよ」
「何ですか正義の変わりに田村って。田村の擁護ですか」
「いやそうじゃなくて」
「いや言い過ぎではないですよ。正義の変わりに田村ってのは。ええ」
「どういうことですか」
「いや田村のやつ、本当にすごいですから、やっぱり」
「だから大アルカナのひとつに入れたんですよ」
「本当に田村が大アルカナなんですか」
「みんなと話したんですよ。やっぱり田村は入れておきたいよねって。もう8対2くらいで田村でしたよ」
「いいえ正義にしてください、正義に」
「そんなに怒らなくても。まあいいですよ。仕方ないですね」
このとき、金田少年は歴史の改ざんをしてしまったかもしれないことに罪悪感を感じていない訳ではなかった。
しかし後世ずっと正義が田村であることへの不信感。
そして結局どこかで田村が正義に変わっているだろうことを考え、強気に要求したのだ。
しかしそんなことを忘れてしまうくらいの絵柄が、大アルカナの中にあるのを気づいた。
「まだです。まだあります。これなんですか」
「吊された男」
「吊された男?。ああこれですか、鬼六です」
「ちょっと待って、言いたいことたくさんあるから」
「まず、事件です。事件のことがありますので、被害者の傷は小さくしたいのです」
「はい」
「そして絵柄、ね。これ和服の女の人が大変なことになってるから」
「はい」
「そして鬼六ね。これ全部まとめて絶対絵柄変えて。そして名前も吊された男にして」
「結構絵を描くの大変だったんですけどね」
そののんきな言い訳に、金田少年は怒鳴らずにはいられなかった。
「花と蛇知ってんなら、まきびし知ってんだろ!!」
寝かせ時
「それは今寝かせ時でしょう」と言われるものがある。
「へぇボタン」
ちょっとこういうのは苦手だが、がんばって例を出してみた。
「へぇ」と発するボタン。
それは一時期、堤防のフナムシ並みに大量に見かけられた商品だ。
しかし今、それを自慢げに取り出しボタンを押して具合を伺うという勇気を持ちあわせている人はあまりいないだろう。
それはもはや「流行遅れ」という言葉だけでは片付けられない、「寝かせ時に入っている」という雰囲気を出していることが原因としてあるだろう。
寝かせ時とは何か。
何のためにあるのか。
それは細かく分けると4種類あるだろう。
①時代錯誤の落差を楽しむための助走
②懐古の楽しみ
③会話のイニシアチブをとるためのツール
④もう思い出したくないもの
びっくりした。
どうにか4種類出るものである。
①と②はわかりやすい。
「うはーそれずいぶん昔のやつじゃん!!」と飲み会などで楽しむのが①。
それに比べて②は哀愁が漂う。
「ああそんな時代がありましたね」「昔、人間はそんなものを作っていたんですね」。
③はいわゆる「俺は昔のあんなことも覚えてるぞ」を主張するためのもので、寝かしたことはできれば自分しか知らない状態でなければならない。
そして、ここぞというときまで、誰にも触れられたくない。
私感だが、「へぇボタン」には、ここぞというときは結構あると思う。
そして④。
寝かせておいて、そのまま起こさなくてもよさそうなものが世の中にはあるということだ。
これをある人は失敗とするだろうし、ある人は不可侵の神聖な思い出とするだろう。
しかしどちらにせよ、④はどこかにあるらしい埋蔵金だとか、未見の古酒を彷彿とさせる。
M資金に関する事件を鑑みても、何気にみんな大好きなのは④なのかもしれない。
21
先日が野球の応援歌の話題だった影響を受けてか、「江夏の21球」というのを思い出した。
確かノンフィクションだったが、読んでない。
ということで内容が分からないので、「江夏の21球」が今、ライトノベルとして登場したとき、タイトルはどんなだろうかを考えてみる。
「アンダースロー探偵団 本日営業中」
「君にだけスイッチヒッター」
「あまなつバックスクリーン」
「まさひろの受けバット、ひろしの受けボール」
「ハートへの1000本ノック 393本目」
あれ、ライトノベルってどんなんだっけ。
いかんせん、読んだことこちらもないので。
そして僕、まだこんなんだっけ。
いかんせん、疲れておりますので。
あいさつ。
「かっとばせよ かっとばせよ レフトスタンドへ」というような旨の野球応援歌があったような気がする。
明け方、頭の中に流れてきた。
いつ聞いたんだかはわからないが、だいぶん昔であることには間違いない。
ただ、メロディは昔聞いた風な感じだったのだが、肝心の内容がこんなだった。
「アンニョハセヨ アンニョハセヨ レフトスタンドへ」
三波春夫が野球場でコンサートでも開いたんだろう。
明け方。
それにしても野球の応援歌というものは、なんというか即物的でいい。
基本的には「打て!!」だから。
となると気になるのがピッチャーに対する応援歌はあるのかという点だが、実はそれほど気にならないので各自調べてもらいたい。
おそらくは野茂投手の例のアレくらいしかないのではないだろうか。
そうでもない?。
=====
何となく考えた応援歌
やってきました 重戦車
ピッチャー震えて ナックルボール
とどめだ 打球はスペースデブリ
ふるうバットは 海を割る
十戒待たずに コールド勝ちだ
アンニョハセヨ アンニョハセヨ レフトスタンドへ
とんがってはいても、あいさつは忘れたくないよね、ほんと。
明日の予定
「夕食がトンカツだということは、あなたは私を励まそうとしているんですね」
「そうです。勝つ、ですから」
「そうなると、その付け添えがアスパラガスのソテーであることは何か意味があるんですか」
「そうです。明日がパラダイス、ですから」
「その積極性が、魅力的ですね」
「ありがとうございます」
「あ、あなた。今私に微笑みましたね。それは何か意味があるんですか」
「あなたの「勝つ」だとか「明日がパラダイス」とかに、私を巻き込もうとするのはやめてくれませんか」
「・・・」
例のパラドクス。
もう43年も前にもなるか。
僕は不思議な体験をした。
といってもせいぜい1秒くらいの間。
どこからともなく「ある時間を告げる声」を聞いた。
それだけ。
ただ、気になるのはその内容「2034年11月2日16時4分」ではなく、どちらかというとその声が自分のようだったということだった。
そして今、2034年11月2日16時。
あのときの体験の全貌がわかった。
あの声は過去へ飛んだ、僕自身の声だったのだ。
実験段階のタイムマシンに乗って過去へ行く。
時刻を入力して過去への移動中の今、そのことに偶然気づいた。
それまで、あの不思議な体験のことなんて思い出さなかった。
偶然に、実験の時刻として「あのとき」を選んだのだ。
僕は告げたんだ。
過去の自分に、タイムマシンに乗り込んだときの未来の時間を。
理由はひとつだろう。
「お前はその時間に、ここに戻ってくるんだぞ」だ。
本当はそう言いたかったんだろうが、タイムマシンの性能なのか、事故でもあったのか。
時刻しか告げられなかった。
そして僕が今何より感動しているのは、あの体験のことを「偶然」思い出したことだ。
どうも僕はこのタイムトラベルで、過去の自分に今の時間を教えることになる。
そのことをタイムマシンに乗り込む前に思い出してしまっていたら、未来の自分には申し訳ないが、作為的に時間をずらしてしまったかもしれない。
それが、タイムトラベル中の今、思い出した。
もう行き先の変更はできない。
これほど過去の自分に告げることが明確なことなんてないだろう。
思い出した偶然と言うべきことが見つかったこと。
あの日の不思議さが、タイムトラベルの醍醐味であることに気づけたこと。
これらは、僕を強く感動させた。
タイムトラベラーがトラベル真っ最中に、時間を止めたいなんて思うとはね。
卒業文集 15番
卒業文集
15番 宋
みんな卒業おめでとう、そしてありがとう!!。
そうです。
宋です。
王朝だからって威厳ぶるようなことはしたくなかったんで、ずいぶんおちゃらけた私を、みんなは体よく無視してくれましたね。
なんたって踏まれてましたから。
ってそれ宋じゃなくて床だよ!!。
なんとなく宋に比べて、床は木が右側から出られそうだよ!!。
ぼんよよよーん。
さて、こうして私が南と北の双子だということはみんな知っているでしょうか。
双子だったんです。
だからいつも競っちゃって競っちゃって。
でもいつも北のほうが先なんですよ。
って双子の件は宋じゃなくて宗だよ!!。
宗兄弟への持って行き方、無理がたたってるよ!!。
そしてこの手のだじゃれって、どれほどパソコンの変換機能に頼ってんだよ!!。
ぼんよよよーん。
さて、宗とくれば私の思い出すのが「ぼくらの七日間戦争」の「宗田理」。
王朝として気になるのは、やっぱり「七日間」ってとこです。
へえ七日間でね、という感じです。
みなさんとは七日間どころではなく三年間戦争をしてきたわけですが(おいおい)、それも卒業です。
12チャンネルで「宋時代の磁器です」なんて言葉を聞いたときは、私のことを思い出してください。
Q
掃除機でキーボードのQを吸ってしまった。
「Qを吸う」となると、何となく「ウルトラQ」という昔のテレビ番組オープニングを思い出す。
あれは怖かった。
なんか粘性の高そうな液体表面が渦巻いていて、しかもなんなんだタイトル「ウルトラQ」って。
実は番組自体を見たことはなく、そのオープニングを何か別の番組で見ただけなのだが、とにかくおぞましかった。
そしてキーボードのQが吸われる事件。
ウルトラQほどではないにしても、Qらしきカラカラした音が掃除機本体へ入っていくのはなかなかおぞましかった。
しかし普通なら、ここからQを探す旅のことでも書くのだろうが、例え手元にミクロ化装置があったとしても。
あるいは掃除機本体をぱかりと開ける労力があったとしても。
もういいやの心境。
Qはもういい。
多分いらないよ。
確かに余り使わない気がする。
せいぜいパスワードに使っていたりするときくらいじゃないだろうか、日本人のQ使用量。
それに、もしQを入力したい場面が訪れたって、「きゅー」とうてばそれは現れる。
あるいはどこかのサイトにあるQを持ってきてもいい。
キーボードの左端が少し寂しいことになっている。
しかし上に挙げた理由のように、Qのボタンはいらない。
ないことに全然疑問を感じない。
激励の本質
「早くお前も、名乗るだけで改札を通れるような人間になれよ」
これが激励に属するものかどうかはわからないが、そんな感じの「励まし方」というものがある。
政治家は通れるんだっけか。
長島さんはそんな逸話を持っていたっけか。
両方いまいち思い出せないが、まあこういうのは職業別にありそうだ。
「早くお前も、名刺からだしが取れるような料理人になれよ」
身近に料理人の親戚、友人はいないだろうか。
和食がいい。
その人のこう言ったら、どうなんだろう。
励ませているのだろうか。
「早くお前も、翼の先端から煙を出していいようなパイロットになれよ」
身近にパイロットの親戚、友人はいないだろうか。
むしろ旅客機パイロットがいい。
映画やフェスティバルで、戦闘機の翼の先から煙が出ているのを見たことがある。
あれはかっこいいので、本来絶対行ってはだめそうな旅客機パイロットがあれをやれるくらい。
そのくらいになれよと励ましているのだ。
「早くお前も、他のサラリーマンが思わず振り向くようなサラリーマンになれよ」
この流れでは、職に一般的な特色のない職業は難しい。
サラリーマンがそうだ。
だから、他のサラリーマンの憧れになるような、を表現してみた。
しかし問題は、「思わず振り向く」のが「憧れ」に直結しなさそうなところ。
ちなみに、こういうのもいけるはず。
「早くお前も、10件の電話に一斉に対応できるようなサラリーマンになれよ」
現代版聖徳太子だったのか、憧れのサラリーマンは。