違和感

長い間生き続けていると、体のいろいろな箇所に、ときどき違和感が発生することが多くなってきた。
「肩に違和感がある」
よくある。
寝違えたのだろうか。
あるいはソニータイマーのようなものが人間には備わっているのだろうか。
ただ、よくあることとは言え、野球選手ならこれで休んでしまうくらい重要な事であるから、我々も注意しなくてはならない。
さて、この「違和感」というものについていつも困ってしまうのが「人の言う違和感が、どれほどの違和感か分からない」という点だ。
もちろん他の事柄でも、この「他人と共有できないところ」を持つ表現は数多い。
しかし、例えば「痛い」という表現だと、こう考えられないだろうか。
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友人「肩いってー」

「どのくらい痛いかは分からないが、それを訴えてしまうくらい、緊急性があるのだろう」
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程度は分からないがとりあえず痛いらしいことがわかる。
一方、違和感はどうか。
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友人「肩回すと、なんかへん」

「どのくらい変なのかは分からないが、それを訴えてしまうくらい、変なのだろう」
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「痛い」という表現の明快さに比べて、「違和感」はかなり蒙昧なものしか受け取れない。
従って
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友人「肩回すと、なんかへん」

「ちょっと、肩にコンパスの針の方が刺さってるよ!!」
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というのが、人によってはありえる。
また、
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友人「肩回すと、なんかへん」

「肩のところに値札シールがついてるよ」
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もありえる。
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友人「肩回すと、なんかへん」

「なんか分からないけど、お前が肩回すたびに前の席の青木がため息ついてるんだけど」
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どういう関連性があるのかはさておき、これも「違和感」の蒙昧さのなせる技。
他人の言う「違和感」というのは、思っている以上に違和だったり、違和でなかったりするのである。

僕はやじるし(→)が好きだ。
→も↑も↓も←もかなりいい。
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風が吹く

桶屋が儲かる
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もう理由などは関係なく、有無を言わさない連続性がいい。
この場合、ことわざの本来の意味は消え失せ、「そりゃあ風が吹けば桶屋は儲かるよね」という気分にさせてくれる。
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八兵衛←うっかり
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これもいい。
説明はいらないし、今八兵衛というキーワードがさっと思い浮かんだ事で、よく思い浮かんだなということ、僕らの心の中には思っていたよりも深く、八兵衛が入り込んでいたんだということ。
そして「はちべえ」ではなく「はちべい」なんだな、ということが分かった。
そして当然、こういうのも可能だ。
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ご隠居←おせっかい
お銀←お色気
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いっぽう、これは少し違和感がある。
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うっかり→八兵衛
おせっかい→ご隠居
お色気→お銀
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おそらくこの違和感は数学で言う必要条件、十分条件的なやつで、「八兵衛←うっかり」が「八兵衛枠のなかでのうっかり」というニュアンス。
「八兵衛のなかでは、かなりうっかりの比重が高い」というのが通説であるため、違和感がない。
一方、「うっかり→八兵衛」は「確かに八兵衛はうっかりだが、うっかりとくれば、全て八兵衛なのだろうか」と疑問が残る。
「うっかり」の全てを八兵衛に任せてよいのだろうか。
確か会社の金田さんはすぐに捺印を忘れるっけ。
などと疑問は深まるばかりで、やじるしも使い方には気をつけないといけないことがよく分かった今日である。

オチなし

雲泥の差

「雲泥の差」というのも「月とスッポン」というのも、「たで食う虫も好きずき」換算によっては真逆の意味になるから、注意したい。
泥よりも雲のほうが好きな人は多いだろう。
しかし人によっては泥大好き。
泥がないと土曜日が始まらない、という人がいないとは限らないのである。
確か、大元の意味は「泥→地」「雲→天」ということで、天と地ほどの差、だった気がする。
天が好きなお年寄りは多そうだが、地上でまだまだがんばりたい、というお年寄りも多い。
そういうことだ。
なぜお年寄りを持ち出したのかは内緒にしておくが、この注意点は「ただ、距離が離れている」という解釈で解決できる気もする。
とにかく、「雲と泥」「天と地」くらいに、距離が離れている。
ただ、どっちがどっちにあるのかはわからない。
そういう考え方。
「川越シェフのスイーツと、30%引きシールの貼られたコンビニスイーツは、雲泥の差だ」
川越シェフのスイーツが好きな人も入れば、30%引きシールの貼られたコンビニスイーツが好きな人もいる。
賞味期限の関係から、ときどき川越シェフ監修スイーツに30%引きシールが貼られていたりしてわけがわからなくなるが、ともかくこれらには何か絶対的な「距離」があるのだ。
そういうことだけ、どちらが優れているなどは考慮しない、という考え方なら、もう少し油断しながらでもこの言葉は使用できるようになるだろう。
「月とスッポン」も同じだ。
ただ、距離が離れているだけなのだ。
となると、この言葉を最初に作った人は「月にはスッポンが生息していない」ことがわかっていたわけで、その点、えらい。

リンケージ、野菜スティック。

都心のほうに「バーニャカウダー」が「ただ」の店があった気がする。
お通しのような感じだったか。
僕はニンニクが苦手なのだが、確かにそこへ行って野菜スティック片手にそれ食った時、うまかった。
ただ、僕がより気に入ったのはその「バーニャカウダー」という語感で、何か「日本人には容易く覚えられないぞ!」という意気込みを感じさせる。
要は忘れる。
今日もこのブログを書くときに「あれ、こないだ食った野菜スティックに付ける何かを食べたのに、名前が出てこない」となった。
ちょっと「バーニャカウダー」には失礼なのかもしれないが、一方で彼女にも非がある。
日常生活において、その出現頻度が少ないのだ。
もっと会話に出てきてくれれば覚えられるのに。
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「バーニャカウダー、今日は早いじゃん」
「バーニャカウダー、乗り継ぎ超うまく行った」
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「おはよう」を「バーニャカウダー」に変えてみた。
これなら、その頻度はいままでと雲泥の差になるだろう。
しかし「おはよう」に比べて「バーニャカウダー」は文字がおよそ2倍長い。
日本の挨拶が2倍、かかってしまう事になる。
まあ、ドイツもグーテンモルゲンでがんばっていることだから、ここは「バーニャカウダー」の知名度アップのためにも日本はがんばりたいところ。
だが、一方でこうなってしまうのはどうしたものだろう。
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都心のほうに「おはよう」が「ただ」の店があった気がする。
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失う事でそのありがたさが分かるものって、あるよね。

リンケージ、にんじん。

にんじんというと、僕にとっては小説でも米菓子でも田原俊彦でもなく、「なんか子供の頃は嫌いだったけど、今は食べてる」という印象。
なぜ子供の頃嫌いだったか。
「大人になったときにちゃんとにんじんの嫌いなところを思い出せるようにしておこう」と考えていなかったため、あくまで推測になってしまうが、たぶんちょっと甘い。
にんじんは煮ると少し甘くなる。
あれがいやだった気がする。
野菜のくせに、なぜ甘くなるんだ。
幼少の頃の僕はそれが許せなかった。
だから僕は、にんじんを料理の中から除外したり、寒空の下吊して放っておいたりは、まあしなかったが、よくその衝動を抑える事ができたと感心する。
寒空の下吊して放っておくとむしろ甘みが増したりするような気もするから、賢明でもあった。
ところが今では案外おいしいと思っている。
火が通っていても野菜スティックでもおいしい。
あんなに憎んでいたのに。
僕も甘くなったものである。

リンケージ、1/3。

これまた以前書いた事で恐縮なのだが、「らんま1/3」というのはやはり色々考えさせられて面白い。
普通の男の子で1/3。
水をかけられて女の子、1/3。
あとの1/3はどうしたの!?、と気になる。
「らんま」も心配だろう。
あくまで憶測だが、おそらくこの「らんま」の体重は2/3くらいの状態なのではないか。
「1/3」について何か考えようとしたときぱっと思いついたのは、上記の「らんま」か何かの歌にあった、気持ちが「1/3も伝わらない」こと、あとは多くの人が休みだということくらいか。
このなかで「1/3も伝わらない」というのをクローズアップしてみると、これはたいがい「はじめてのおつかい」で見かける事ができると思う。
たいがい欠けているという印象、注文が。
「ジャガイモとにんじんとカレールー」の注文。
これが、子供がおつかいから帰ってくると「ジャガイモとカレールー」や「にんじんとカレールー」。
一番視聴者の受けがいいと思われる「ジャガイモとにんじん」のように、1/3欠けてしまうらしいのだ。
あの独特のナレーションでも言ってくれていそうだ。
「せめてカレールーが欠けなければ、カレーができなのに、ね」と。
ちなみに「はじめてのおつかい」のくだりから「と思う」「らしい」とふわふわした感じで書いているのは、僕があまり「はじめてのおつかい」を好いておらず、見た事がないからである。

リンケージ、スイカ。

スイカとくれば普通思い出されるのが「かぶとむしにスイカを与えると腹をこわす」というやつで、以前も書いたことがある。
別に虫だからと、けなす訳ではないのだが、驚きなのはやはり「かぶとむしにも、こわれる腹があるんだ」という点だ。
多くの人間にとって、虫に高度な腹が必要なのかどうかは分からず、こわれるくらいならなくてもいいんじゃない?という気にもなる。
というのは、昆虫食があまり浸透していない日本人特有かもしれない。
小学校のときに習った、「昆虫は頭と胸と腹で構成される」というのを信じるなら、少なくとも腹は1/3。
昆虫を食べる文化を持つ地域にとって、味にかなり影響を与えるであろう腹は、あってもらわなくては困るくらいだろう。
夏の短い期間しか会えない織姫と彦星のような間柄だからだろうか。
かぶとむし自身の腹に対する意見はよくわからないが、まああってもらわなくてはならないだろう、腹。
ということで、人間、かぶとむし双方が欲している腹は、かぶとむしにあって本当に良かった。
となると次に気になるのが「スイカで腹をこわしたかぶとむしを食べると、どれほどスイカの味がするのか」ということで、それは一見「スイカピューレの入ったチョコレート」に見えなくもない。
しかし、そんな話題をトリに持ってこようとする性質は、昆虫食があまり浸透していない日本人特有かもしれない。

リンケージ、どじっ娘。

僕の周りには「どじっ娘」属性の人はおらず、そのせいか「どじっこ」とタイプしても「どじっ娘」とは変換されず、「どじっむすめ」と、少しだけガンダムの敵モビルスーツにいそうなタイプをしなくてはならない。
そもそも「どじっ娘」なのか「ドジッ娘」なのか「どじッ娘」なのか「ドジっ娘」なのかがわからないが、僕としてはこのような順番で「よりどじだ」となる。
1:どじっ娘
2:ドジっ娘
3:ドジッ娘
4:どじッ娘
やはり「ひらがな」だ。
ひらがなの曲線はやさしく、心地がいい。
言い換えればちょっと緩いんじゃないかと思わせる。
としたらなぜ「どじッ娘」が4位なのかというと、ちょっとあさはか。
ここに小さいカタカナのツを採用する事で、ひねってみました。
そんな計算を感じさせる。
どじは計算が苦手、あるいは計算するという行為にたどり着かないはずだ。
だから「どじッ娘」はどじじゃない。
娘。
モラトリアムなお年頃の娘だ。
ただ、「常にどじでないことを装っているが、万人がどじと認める娘」がそういうのなら、それはどじが「だだもれ」であり、そのあさはかさはむしろ「スイカに塩をかけると甘みが増す」やつでいうところの「塩」。
より、どじ。
唯一無二のどじ。
唯一どじ。
どじは奥が深い、再帰的なものなのだなあということを認識させてくれる。

リンケージ、ホイップクリーム。

私、どうしても「ずっこけたとき、鼻の頭にホイップクリームが乗っかっている」状態になりたいんです!。
:そう言われても困るなあ。
昔からドジでのろまで。
お前はスチュワーデスか、って言われるくらいなんです。
:君、何歳?。
とにかく、むしろそれを利用してどじっ娘を好きな人の前で演出したい。
一回限りなので、ちゃんと練習が必要だと思って。
:うーん。ホイップクリームを乗せるのはよくわからないけど、ほら。
科捜研の女とか参考にしてみたらどう?
血しぶきの飛び方とかの話とかあるじゃない。
あれで、粘度の違いはあれど液体の飛び方について見識が深められるんじゃないかな。
ありがとうございます!。
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この間はどうもありがとうございます!。
:え、何でしたっけ?。
アドバイスを参考に色々考えたんですけど。
あまり近道はせず、一歩一歩着実に練習していこうと思うんです。
:なんか分かんないけど、前向きでいいね。
で、相談なんですけど、まずは最初に「ずっこけたとき、血しぶきがぴゅーっと上がっている」状態になりたいんです!。
:ずっこけかたによっては苦労しないと思うよ。

リンケージ、ざんねん。

最近、映画の「シュガーラッシュ」や「モンスターズユニバーシティ」を立て続けに見る機会があった。
両方楽しく、何度でも見てしまう。
しかし知人に意見では、もちろんそれらの映画は楽しいが、ひとつざんねんな点もあるのだ、という。
それは、例えば「シュガーラッシュ」では、主人公とヒロインが絞り袋でサインを書くシーン。
そこで、日本語吹き替え版だとちゃんと日本語でサインを書く。
それがざんねんらしい。
※絞り袋
ホイップクリームなどをむにゅーってやってやるやつ。
これは今回挙げているもの以外のディズニー系も、そうかも知れない。
もしかしたら、他の映画でも、日本語吹き替え版と通常版で違うかもしれない。
サインが英語では読みづらかろうという配慮は、悪くはない。
ただ知人は、それに続けて「でも話の前後でそこに何が書かれているかは分かるから」。
「各国の言語の違う国のために、そのシーンは分けましたよ」というのが、ちょっとお世話過ぎる。
そう言うのだ。
僕も気にならなかった訳ではない。
あ、原作ではおそらく英語だったサインが、日本語に置き換えられている、と。
確かに、既に日本語吹き替えされて元のニュアンスが失われている点で、細かいところを気にするのは野暮かも知れない。
しかし、吹き替えでは日本語ならではの意味合いが付加できるかも知れないという期待もできるが、サインにはそういう「余白」はあまりなさそうである。
英語には筆記体というものもあるが、日本語にはそういうの、ないから。
そういえば先ほどの「シュガーラッシュ」の日本語サインは乱れのない、タイプしたとしか思えないゴシック様字体だった。