違和感

長い間生き続けていると、体のいろいろな箇所に、ときどき違和感が発生することが多くなってきた。
「肩に違和感がある」
よくある。
寝違えたのだろうか。
あるいはソニータイマーのようなものが人間には備わっているのだろうか。
ただ、よくあることとは言え、野球選手ならこれで休んでしまうくらい重要な事であるから、我々も注意しなくてはならない。
さて、この「違和感」というものについていつも困ってしまうのが「人の言う違和感が、どれほどの違和感か分からない」という点だ。
もちろん他の事柄でも、この「他人と共有できないところ」を持つ表現は数多い。
しかし、例えば「痛い」という表現だと、こう考えられないだろうか。
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友人「肩いってー」

「どのくらい痛いかは分からないが、それを訴えてしまうくらい、緊急性があるのだろう」
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程度は分からないがとりあえず痛いらしいことがわかる。
一方、違和感はどうか。
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友人「肩回すと、なんかへん」

「どのくらい変なのかは分からないが、それを訴えてしまうくらい、変なのだろう」
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「痛い」という表現の明快さに比べて、「違和感」はかなり蒙昧なものしか受け取れない。
従って
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友人「肩回すと、なんかへん」

「ちょっと、肩にコンパスの針の方が刺さってるよ!!」
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というのが、人によってはありえる。
また、
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友人「肩回すと、なんかへん」

「肩のところに値札シールがついてるよ」
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もありえる。
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友人「肩回すと、なんかへん」

「なんか分からないけど、お前が肩回すたびに前の席の青木がため息ついてるんだけど」
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どういう関連性があるのかはさておき、これも「違和感」の蒙昧さのなせる技。
他人の言う「違和感」というのは、思っている以上に違和だったり、違和でなかったりするのである。

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