もなか

このあいだ(2014年7月)、テレビを見ていると「キャプテン翼もなか」というのがやっていた。
おそらくキャプテン翼に何かしらゆかりのある場所なのだろう。
もなかに「キャプテン翼」のキャラクターが焼印されていた。
こういった商品を目にする度にどうしても考えてしまうのは「もう少し何かできないか」である。
仕方ないのだ。
生産性を損ねる訳にもいかないだろうから、形を翼君にする訳にもいかないのだろう。
そもそも「もなか」では翼君のシャープな髪型や手足先などを表現するのにも限界がある。
ただ、焼印かー、と考えてしまう。
要は、翼君のかわりにサザエさんが焼印されたら、そのもなかは「サザエさんもなか」に変わってしまうのである。
少し、節操なさを感じてしまう。
僕が危惧するのは、この流れが許容されてしまうとなると、もっと節操ない「もなか」が出てくるのではないかという点だ。
=====
あだち充 出身地名物
「かずやもなか」
「たつやもなか」
=====
これはかなり節操ない。
ゆるゆるである。
しかし現在、これほどではないにしても似たような方法で節操ない事になっている例は多いのではないだろうか。
恐ろしい事である。
現在、おそらく「かずやもなか」「たつやもなか」はないと考えている。
今後作るのは結構な事なのだが、せめて「かずやもなか」には享年を印字するという「もう少し何かできないか」に対する姿勢を見てみたい、と考える者である。

フットサル

フットサルというスポーツは非常に疲れる。
狭いながらも楽しくないフィールドを、終始ボールを追っかけているような状態が何分も続く。
そんな僕を見たある人は、それを「犬」と形容した。
確かに、河原でボール遊びしている犬は終始ボールを追っかけている。
休憩時間、へとへとになりながらも、「もしかしたら定石のようなものがあるのではないか」と考えるようになった。
他の人は、動きつつも僕ほど疲れてはいないようだった。
これは身体能力の差か、あるいは待つ戦法など、知っておくべき何かがあるのかもと思った。
このときの僕を形容するとなると「定石を知らない犬」となるだろうか。
これは、考えようによっては妙にハードボイルドな雰囲気をかもし出す。
=====
「あいつに関わると、ろくな事はないぜ」
「何せ、あいつは定石を知らない犬だからな」
=====
だが、もう少し情報を付加すると、こうなってしまう。
「定石を知らない河原でボール遊びしている犬」
これは完全に河原でボール遊びをしている犬であって、ハードボイルドではない。

かめに陸地を作る。

飼っているかめがときどき、陸に上がって甲羅干ししているのを見かけたことがある。
なので、ちゃんとした陸地を水槽内に作ることにした。
といっても陸地としてはちゃんとしていると言っていいのか。
100円均一で購入したカゴと人工芝をくくり付け、「上は人工芝で、下はそのままシェルターになっている」ようなものである。
こちらの「黄色のポップなシェルターに身を隠してくれるか」という心配をよそに、カゴの中に入ったり陸に上がったりと気に入ってもらえたようす。
それにしても、カメは何を考えているのか全然わからない。
人が寄れば、じたばたするだけだ。
=====
前足を前に出すと1。
後ろに下げると0。
=====
この連続を2進数から文字コードとして解読するとお経になっている。
じたばたも、そんな事があるかも知れない。
やや「足を前に出したあとは高確率で後ろに下げるのではないか」という気になる点もあるが、やってみなくては分からない。
やりませんが。

スイカバー

チョコレートは溶けてるっぽい状態が一番おいしいと考えているため、本当に「スイカバー、種を表現したチョコ」には閉口する。
何を考えているのか、と思う。
オリジナルであるスイカだって、種は捨てる部分じゃないか。
種無しでいいじゃないか種無しで。
怒りの収まらない僕は、近くの湖までドライブすることにした。
スイカバーを志村けんが食べたらどうなるのかな。
種の部分は食べる方?飛び散る方?。
未熟な種を表現するためにホワイトチョコも入れたらいいのに。
スイカバーを集めて球状にできないかな。
湖について、ダムや貯水の事を教えてくれる小さな博物館を歩いていると、怒りは疑問へと変わっていく。
鮎の産卵を紹介したコーナーでその疑問は一つになった。
「なぜ生物は生き、子孫を残し続けていくのか」
答えはともかく、なんとなく「種はないと困るな」と帰路につく。
コルヒチン処理で染色体異常のスイカが少しかわいそうな気がするし、一方で遺伝子操作されたコーディネーターはむしろ種できちゃったみたいと、遺伝子と種の関係は複雑すぎて、帰路また怒りが湧いてくる。
そういうことで僕は、少しだけ遠回りして帰る事にしたのである。

午前4時まで死神受付中。

気分がすぐれず眠れない夜は、椅子が気を使って僕の尻の下に滑り込み、机に突っ伏す先に眼鏡がスタンばり、結果本を読んだりする。
という快適な家ではないため、あちいと口にしながらクーラーをつけ、麦茶を飲んだりする。
最近、暑い。
屋根が近い事もあってか、断続的に暑い。
地獄だ。
「あつっ」と瞬発力のある暑さでないため、何か僕でジャムを作っているのではないか。
そんな気すらしてくる。
ジャムは地獄の食い物だったのか。
枕のシーツをねじるとラードが採取できそうなくらい、脂汗的なものを噴出している気がする。
目を開けると、掛けざらしのコートがぼんやりと目に入る。
今この場に死神というものがいるのなら、ちょうどあんな感じだろう。
多分死神は暑さなんて分からないだろうから、あんな格好でこの部屋にとどまれるのだ。
この暑さなら、死神は似合う。
しかしいるのは午前4時までにしてほしい。
今日は7時起きだ。
僕は、3時間は寝ないと一日中眠いのだ。

リモコン

エアコンのリモコンには「ここが主電源」「ここが温度上げる」など、ボタンの説明が日本語で表記されている。
しかし僕の部屋のものはその表記のパーツがごそりとはずれてしまい、どこかへ。
結果、このリモコンとの思い出だけで、ボタンを操作している。
確か、ここが電源。
ここはタイマーだったか。
とりあえず押して液晶の表示が時間っぽくなったら、当たりだな。
手探りではあるが。
一方、ボタンのデザインは重要だ。
日本語による案内がなく手探りとはいえ、これは「主電源」、これは「何か、上げるような感じの三角」と、形で用途が分かるデザインというのは素晴らしい。
ユニバーサルである。
ということで、タイムボカンなどの漫画で出てくる「どくろの形の自爆ボタン」は、僕らが思っているよりもよほど洗練されている。
ただ、どんなに確証があっても、手探りで「どくろの形」のボタンは押したくないね。

二人三脚

なかなかな値段であることを除くと、ピザは素晴らしい食い物である。
そして、その素晴らしさが一番良く伝わるのが「ピザの広告」であることは想像に難くない。
あの、多くのピザが一堂に会した鮮やかさは何だろう。
うちの地域における選挙での、公営の掲示板との差は一体なんだ。
いや、そもそも比べていいのかは分からない。
それに公営掲示板の方も、部分部分には「エビマヨ」くらいのお腹いっぱい感を出す候補者がいるときもある。
しかし、ピザの広告ほどのパーフェクト感はない。
候補者ポスターの下部に「2000円」とか「ハーフ&ハーフ」などの文字もない。
こういった情報量等の点も含めると、ずいぶん公営掲示板の方は足らないものが多い。
この際、「ハーフ&ハーフ」の仕組みくらいは付加してもらいたい。
得意分野がある候補者2人を「ハーフ&ハーフ」制度を利用して採用し、それぞれの分野でがんばってもらうのである。
適当な流れだった割には案外面白いかも。
ただ、二人三脚というのは普通、それぞれが走るのよりも遅いんですよね。

試食

ちょっとしたズボンなどを買うと、何やら後ろのポッケにふくらみがある。
さてはあのカリスマ店員さんが俺にほの字で、恋文でも入れ込んだかと手にしてみると、覚せい剤が入っていそうな透明パックにズボンの生地の一片。
あれを、僕は「このズボン、こんな生地使ってます」という、いわば「試食」みたいなものなのだと思っていた。
メーカーさんが店に提示するもの。
だから、「何だ試食のやつを店員さんが取り忘れる」なんて思っていたのだが、実はあれ、どうやら「衣類に穴が空いてしまったときの修復のもの」らしい。
なんだ、用途を書いた紙を一緒に入れてくれていればいいのに。
「穴が空いたときにお使いください」と。
「わたし、あのカリスマ店員なんですけど、あなたにほの字です」と。

麻雀

麻雀が致命的にわからない。
ルールも分からないし、覚えようともしない。
かなり頭を使うゲームだと聞く。
多分面白いだろう。
しかし興味が湧かない。
なんとも保守的である。
だから僕は、友達が麻雀をやっているとき、一人で遊ばなくてはならないのであろう。
=====
・麻雀の牌を人の形に並べて楽しむ
・スマホをいじる
・みんなの牌を見回り、何でも知っていることで気分を高揚させる
=====
・麻雀の牌を人の形に並べて楽しむ
麻雀の牌を人の形に並べて、はじいたりして楽しむ方法。
これはやはり、人の頭の部分を何にするか、という点が難しい。
一般的には「棒が3つあるやつ」で、人の顔に見える。
ただ、僕としては「鳥」がいいと思う。
・スマホをいじる
スマホでニュースを見たり、ズーキーパーをやったりする方法。
・みんなの牌を見回り、何でも知っていることで気分を高揚させる
もちろん役が分からないので、「数が揃っている」「北がたくさんある」といったことを見て楽しむ方法。
おそらく、友達からは帰るよう促されるだろう。

目目連

漫画を読んでいて「眼科」の看板がやたら背景として出てきたら、それは「ああつげ義春が好きですか」となる。
それか登場人物全員目を患っている。
もしかしたら登場人物の目が30個ほどある世界かも知れない。
モンスターズインクに出てなかったか「眼科の看板」。
あるいは看板に妖怪目目連が宿っている可能性もある。
「目目連」というのは「障子の格子紙ひとつひとつに目がついている」ような風貌で、たいそう気持ち悪い。
考えた人は趣味が悪い。
気丈な人が「目目連」の目をひとつひとつ取って、眼科医に売り払ったという話もあるらしいが、この話を考えた人も趣味が悪い。
と、今気づいた。
「壁に耳あり障子に目あり」って、完全に「目目連」のことじゃないか。
このことわざも趣味が悪い。
考えてみると、モンスターズインクに出てくる目のたくさんあるモンスターも、ぎろりと全ての目が同じ方向を向く時、気持ち悪い。
ピクサーも趣味が悪い。
憶測で大変申し訳ないのだが、つげ義春は趣味が悪そうなので今回、趣味が悪くないものは何もない。
「目目連」が障子にたくさんの目がついているものだから、「壁に耳あり障子に目あり」を考えると、壁には耳がたくさんついている。
ほら、これもなかなかの趣味の悪さ。
ただ、なんとなく前衛的な芸術に見えなくもない。
ダイソンの掃除機のコマーシャルとかに使えばいいと思う。