昨日からの続き。
【あらすじ】
「鴨が葱を背負ってくる」
それほど魅力を感じない。
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つまるところ、もっと例えるのにいいものがあるでしょう?、ということなのかもしれない。
考えてみる。
牛の飼料にコショウが配合されている。
もちがきな粉の砂場で遊んでいる。
みかんが冷凍庫に入りたがっている。
ラッパーが向かっている商店街にアップテンポな曲が流れている。
母の日に里見浩太朗が公民館に来る。
とりあえずこんな感じだ。
あと、なんだかんだいっても「何かいいこと+宝くじ当たる」みたいにすればたいがいうまく行きそうな気がする。
「さやいんげんのすじがきれいに取れて、宝くじが当たる」みたいな。
一方、せっかくなので「泣きっ面にハチ」的なのも考えてみる。
雪で滑って尻モチをつき、写メ撮られ。
疑似餌な上に釣り針。
カバンの中でリップクリームのふたがはずれ、カイロが破れ。
加害者に、睡眠薬と間違えられて毒薬を飲まされ。
落としたケータイがレールの上に乗り、電車。
とりあえずこんな感じだ。
ちなみに、ラッパーがアップテンポな曲に対してどう出るものなのか、知りません。
投稿者: nimbus7942
カモネギ
いいことが重なる事、いいことがさらにいい事を引き起こすさまなどを「鴨が葱を背負ってくる」というらしい。
鴨が葱を背負ってくるのは、大変助かる。
しかし、そこからどうするのか、という気がして仕方がならない。
「あーあそこに、葱背負った鴨がいるね」
「ほんとほんと」
「あれ、今目の前通った鴨、何か背負ってなかった?」
おそらく、このことわざを作った人は、上記のようなシチュエーションではない。
もう少し根源的な内容を託したはずなのだ。
すなわち食欲であり、鍋やそばを想像していた。
しかし現在、鴨が葱を背負っていたくらいでは、それを捕らえて食べてしまおう、という人はあまりいないと思う。
今よりも食事事情が厳しかっただろう、なんか昔。
そのころにはこのことわざを聞いただけでよだれほとばしる世間だったかも知れない。
あるいは、僕が思っている以上に鴨と葱の鍋は愛されていたのかも知れない。
ともかく、僕にしてみれば「鴨が葱を背負ってくる」というのはちょっと、「踏切の警戒標識がいまだ汽車」というのに似て、ちょっと違和感を感じる。
扇風機
扇風機の目の前で「あー」という、例のやつがある。
あれを思い出してみると、どうも「あー」の細切れが扇風機の後ろから出ているような気がして、「あー」がかわいそうになってきた。
やはり、「あー」というのはひとつながりだから細切れにされてしまうわけで、「ああああああああああ」と扇風機の羽根にうまく当たらないように「あ」を連続して言えれば、それは扇風機の後ろからは「あ」がたくさん出てくるだけのことで、ある意味、にっこり笑った金太郎あめ。
「あー」の細切れは本来繋がった、切断するべきではなかった箇所だろうから、「ここでは切ってくれるな」と苦渋の表情の金太郎あめ、と言えるだろう。
ところで、「途中で表情の変わる金太郎あめ」というのはできるのだろうか。
以前、太巻きで途中からがらりと絵柄が変わるものを見た事がある。
あれと同じ手法を用いれば、可能な気がする。
金太郎
↓
まさかり
↓
くま
こんな変遷がいいだろうか。
でも、僕は以下の方が好きだ。
金太郎
↓
くま
↓
太巻き
もっぱら太巻きに収束したという、「力つきた」感じが好きだ。
ところで、そもそも金太郎は何をした人物なのか、知らない事に気付いた。
例えば桃太郎は、鬼退治をした。
金太郎は何か。
くまと相撲を取っていたはずだ。
まさかりを持っていたはずだ。
マタギか何かだったのだろうか。
それにしても、「マタギか何か」と、マタギと並べて言えるような「何か」はあるのだろうか。
疑問は尽きる事がなくて、大変よろしい。
かすみ
目の前にある、飲んだら体に悪そうな発色の目薬にはこう書いている。
「目のかすみ」
これまで全く「目のかすみ」について気にしてこなかったが、果たして僕は「目のかすみ」状態にあるのかどうか、不安になってきた。
別に、「目のかすみ」状態でないときにこの目薬を使用すると目玉が破裂する、などということはないだろう。
僕が心配なのは「僕の目のかすみは、ちゃんとみんなの目のかすみと同じ症状なのだろうか」という点。
結局、当人でなければ分からないのである。
「目がかすむ」というのが、人によってはぼんやり見える事。
ある人は霧がかかったように白いフィルタがかかる事。
像が歪んで見えにくくなる事。
目にゴミが入ったときの事。
また、目よりも優れた器官が突然人間に備わったため、目があまり必要なくなった事。
「いやーポッサ肢(※)がすごく便利過ぎて、目がかすむわー」
どうなんだ。
俺はちゃんとした目のかすみなのだろうか。
とりあえず「ドラえもん、おばあちゃんのやつ」を読んで心の汗を出し、目を見えにくくしてみることにする。
※ポッサ肢
人間に突然備わった、目よりも広範囲の可視域の器官。
鼻の毛穴に埋まっていて、毛穴すっきりパックでよく取れる。
ヒートウェイブ
今は2014年8月で、こうも暑いとおかしくなってしまい、いろいろとうまくいかない。
夜、自分の家の鍵穴に100円硬貨を入れようとすることはよくあるのだが、この間はついに5円硬貨でやってしまった。
もうほんと、うまくいっていない。
座席
つくばエクスプレスに乗る機会があるのだが、何か座席が垂直な気がする。
座っている人がみんなシャンとしているように見える。
それはいいのだが、ちょっと居心地が悪い気がする。
なぜなのか。
ただ、考えてみるとあまりに居心地いい風に作ると眠たくなる。
眠るのは仕方がない一方、恐ろしく睡眠を促すようなものでも、寝てない人に寄っかかったりして困る。
また、眠らないにしても、居心地いい風過ぎるのも困る。
人は居心地いいと、緩んでしまう。
一般的に人は緩むと、あくびを隠さない、あぐらをかく、みかんの皮をむく。
あるいは大きな声で喋る、財布の中身をばーっと出す、口を半開きにして中空をうつろな目で見る。
あまり人としてはよくない。
そう考えるとつくばエクスプレスの座席は、より人を乗せたいと思っているのかも知れない。
引き潮
リステリンを10分ほど口に含んでからそれを吐き捨て、麦茶を飲む。
すると、麦茶の味が変に感じた。
詳細は不明だが、おそらくリステリンの強度により口内が変化。
味の弱いものはその余韻に負けてしまうのだろう。
僕は麦茶が飲みたかったのだが、余韻に負けた麦茶は形容しがたい、腐ったのかと勘違いしてしまいそうなくらい、いままで飲んだ事のない何かになってしまった。
リステリンが引くまで、待つべきなのだろうか。
それとも強い麦茶を探しにコンビニまで行くべきなのだろうか。
確か、釣瓶がCMに出ている麦茶はカフェインゼロだった。
おそらくだが、強い麦茶はカフェインがたくさん入っているだろう。
ベリベリカフェイン。
見た事がない。
スポーツ飲料っぽい「DA・KA・RA」という銘柄の仲間として「やさしい麦茶」というのも販売されていた。
もうこれは強くない。
せめて「DA・KA・RA」が「KA・RA・DA」だったら、何か強そうな気もするのだが、惜しい。
こんなアナグラムを許容するのなら、可愛らしいCMの幼女も「ムギちゃん」ではなく「ギムちゃん」と変換されてしまい、何だか税務署の萌えキャラの様相。
「義務ちゃん」は何となく「義務じゃん」のように考えられ、それは「納税、義務じゃん。ちゃんとしなよ」冷たくあしらわれているようで、ある意味強い。
と、そうこうしているうちに、リステリンは引いてゆくのでありました。
スパイは老人に限る
スパイは老人に限る。
「なんでです?」
今のスパイには身体能力なんていらないのよ。
技術とコミュ力。これだけあれば。
「でもほら、なんかもう悟っちゃってるから、国際情勢とか重視しないんじゃ?」
「残りの人生を楽しむ、なんて考えもあるし」
いや、逆だよ。
愛国心もあるし、むしろ最後は一花咲かせたい、誰かの役に立ちたいなんてあるし。
線香の煙越しの遺影からは、それほど意識の強いような印象は受けない。
「どちらにせよ、もうあのファイルのコードは分からなくなってしまいましたね」
「彼にしか分からない」
そうだね。
でも、老人は死を恐れない。
一番安心して任せられる人材だったよ。
それに、うん。
こうして挨拶に来たのは間違ってはなかったようだよ?
ほら。
「位牌長っ!!」
星座占い
朝の星座占いを見る度に、13番目の星座があればな、と思う。
それは昔あったへびつかい座のことではない。
「ファービー座」とか、実際にはない星座でいい。
そしていつも13位。
最下位を陣取ってもらうのである。
人々の業を全て引き止めてくれるだろうファービー。
たぶん電池足らない。
出迎え
深夜に帰ってくると、ねこがすごい勢いで玄関まで出迎えてくれる。
うれしい反面、一目僕の顔を見るとなんだか落ち着き、Uターンしていく。
あれは一体なんなんだ。
思いつくのが「知らない人来た!!」説で、うちのねこどもはほぼ全員人見知りが激しい。
来客があると、僕らも知らないような隙間や影、異次元へ身を隠す。
どうも彼らなりの「ここは安全だ」という場所があるらしいのである。
であるからして、夜中に誰かが入ってくるとなると一大事である。
斥候が来ても不思議ではない。
そう考えると、身内であると認識して去っていく彼彼女を見て「身内と認識してくれたな」と喜ばしい一方、せっかくだから出迎えてくれよと文句もいいたくなる。
しかし、出迎えてくれるのは彼らではなく、彼らがいつぞやか催した廊下の嘔吐物だけである。
妙にカリカリ臭う廊下を慎重に通過し、居間にたどり着くと、いくらかのねこがひっくり返っている。
それを見るといつも思う。
俺は深夜に、どこに来てしまったのだろう。