中学生というのはどんな時代であっても、「そこそこ社会性を持ち合わせた人々が一堂に会する」、はじめての環境ではないだろうか。
故にここで奇妙な知識や習性を獲得してしまうと、客観的にはそれが間違っていると感じていても、それに固執してしまう。
そんな困ったことが起きやすいところでもある。
僕は中学2年生のとき、インテリな友人から「どんな固有名詞にでも「(某)なにがし」を付ければ特定を免れる」ということを聞いた。
何だその免罪符みたいな発想は。
そう思いながらも、これを「もちろんみんな分かっているが、体裁上は隠してますよということにしたい」というものも含有していると考えればまあ面白いかな、と今でもよく使ってしまう。
「池田某さんって「端的にいうと」ってのが口癖だよね。ぜんぜん端的じゃないけど」
「某鈴木さんのカバンから、大量の生米が押収された」
このような場合、教室や職場に池田さんや鈴木さんが一人しかいなかったとしても、あくまで「池田姓の誰か」「鈴木姓の誰か」、もしかしたらただ、「誰か」なのである。
便利である。
明日にでも試してみるといいよ。