俺の屍を飛び越えてゆけ。

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2012年カレンダーの回想です。
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圧倒的な結果を目の当たりにしても、人はまだあきらめない、あるいは何か違う事で代替しようとする。
例えば、育てていた花の上に、飼い犬がおすわりしてしまったとき。
押し花は避けられない状況だとしても、あなたは犬をどかすのではないか。
「何おすわりしてんねん!!」
あるいは楽しみにしていたシュークリーム。
子供に使って食べられてしまった。
あなたは子供をこう叱るのではないか。
「何舌なめずりしてんねん!!」
例がよかったかどうかは分からないが、9月で気に入っているのは23日。
「跳び箱が自爆スイッチなのは仕方がない。せめて飛び越せる奴で押してくれ。」
「何自爆スイッチの上でどっこいしょってなってんねん!!」
飛び越せない奴の場合。
そう叫びたくなる事必死だ。
それはガス漏れした部屋でタバコを吸おうとするような、お葬式でマナーモードを解除しておくような、電車内でたくあんを背負うような。
無頓着もいいところの雰囲気。
叫びたくもなる。
しかしそもそも叫べるかは、また別の問題。
爆発しちゃうから。
ただ、とにかく無頓着すぎるのだ。
それならばまだ、飛び越せる奴の方がいいというのも分かる。
ところがやはり自爆するのは変わらない。
だから、飛び越すだの飛び越さないだのは、ただの一種のこだわり程度のもの、とも言えなくない。
飛び越せたかどうかも分からないわけだから。
「跳び箱は自爆スイッチだが、その先のマットはその爆発動作を解除する」
これならより、飛び越せる奴で押してくれと言えるのだが。

夢なら崖を、見下ろすことも。

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2012年カレンダーの回想です。
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「思い出深い夢」というものはありませんでしょうか。
僕にはいくつかあって、多面体のなかにいたり、夕暮れ時の田んぼを歩いたり、階段のすごく長いデパートにいたり、ヘビに追いかけられたり。
いろいろあります。
カレンダー8月のなかで「これは夢で見たいなあ」というものを挙げるとすれば、27日。
「40代くらいの男性が駅前でひっくり返って「ライ麦畑でつかまえてー!!」と、だだをこねています。」になるでしょうか。
当たり前のごとく、あくまで「夢でみたい」という感じです。
実際は見たくありません。
彼がだだをこねている理由はいくつか考えられます。
口にしている作品が多くの若者に影響を与えたものですから。
しかしここは、それを見ている人に沸々とわき起こるある感情に着目したいところです。
すなわち「なら、ここじゃないよ」です。
だだをこねている男性。
「ライ麦畑でつかまえてー!!。ライ麦ー!!」
それを見ていた駅員さん、周りの人はこう考えざるを得ません。
「ここじゃないところに行くべきなのに・・・」
「ライ麦畑へ行くべきなのに・・・」
しかし男性がだだをこねるのも無理ないかもしれません。
それは「ライ麦畑でつかまえてもらう」ことが難しいからです。
まず、日本に「ライ麦畑」はあるのでしょうか。
僕はよくわかりません。
そもそも「ライ麦」とは何なのでしょうか。
僕はよくわかりません。
そしてそのよくわからない「ライ麦畑」には、人はいるのでしょうか。
男性の手を強くにぎって、つかまえてくれる人が。
などという触れ方はもう、だいぶ恥ずかしい「ライ麦畑でつかまえて」。
夢の中ということなら、せめて男性の近くで転びそうになることもできそうなものなのですが。

そして彼女は、湯を沸かし始めた。

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2012年カレンダーの回想です。
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7月27日は「気になる人に、麦茶と称してめんつゆを飲ませる事で恋愛感情を形成しようとしました。」ということで、いわゆる吊り橋理論。
以前も触れた事がある。
それにしても、今思うと季節的にも「めんつゆ」がいい具合で、我ながら何だかちゃんと考えていたんじゃないかと感心する。
しかし、どうだろうという点もある。
それはまさに「吊り橋理論」のところで、もし「麦茶とめんつゆのくだり」にそれを求めるなら、飲む前に既にそれが麦茶ではなくめんつゆだということを知られていなくてはならないのではないかという疑問だ。
確実にめんつゆだとわかっているのに、それを麦茶として飲まなくてはならない。
どきどき。
そんな相手を見て、どきどき。
これなら何だかそういうことにもなりますか、と思う。
しかし麦茶と思い込んでいてのめんつゆだと、「どきどき」よりも早くに「ぶわっは」が来てしまうだろう。
片方、すなわちいたずらを主催した者は「どきどき」だろうが、被害者は何せ吐くのである。
こうなると「ぶわっは」は生理的認知要因としてはどうなのだろうかという点が不明だ。
正直心理学的なものはない気もする。
緊張でも、興奮でもなさそう。
しかし人間というものは、何がキーとなって感情が芽生えるか、わからないところもあるだろう。
だから飲ませたまえ、めんつゆを。
いや、このさい「めんつゆ」でも「麦茶」でもいい。
自分もそれが何か、わからないようにして、二人で飲んでしまえ。
そうすれば何かの共有にはなるだろう。
「ぶわっは!!。好き!!」
「なら、まずは君の艶めいたくちびるから流れ出る茶色の液体の名前を教えておくれ。」
こうなるこうなる!!。

言い勝ち。

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2012年カレンダーの回想です。
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「ゆとり」という言葉はいかに便利なものであるかを、「ゆとり教育」は示した。
すなわち、友人同士での会話で、相手への返答として「それってゆとりじゃね?」と言っておけば、あとは相手が自らの経験則から「ゆとり」というものを適切にカテゴリ分け。
たいがいおもろいこと言ったことになる。
今年流行の「ステマ」も既にこの部類に入っており、完全に同様の使い方ができるだろう。
何となく話題がなくなったときにでも試してみるといい。
「ちょっとトイレ行ってくるから待っといて」
「それってゆとりじゃね?」

「いいじゃんよ待ってくれてもよー」

なれあいの形成
「数学の池田って、いっつも靴のかかと踏んでんだよ」
「それってゆとりじゃね?」

「あ、そうか。そうかもね」

友人関係の向上
「帰り、マクド寄ってこうぜ」
「それってゆとりじゃね?」

「そう?。じゃあ帰るか」

夕ご飯をちゃんと食べる
おもろいばかりでなく、有用なことが発生するようだ、「ゆとり」使用。
それにしても「斜体」はいい。
そこに注目させることができるのがいい。
「何をお前が斜体になることがあるのか」
そんな気分にさせてくれる。
この話でポイントとなりそうなのは「相手が行う適切なカテゴリ分け」だろう。
すなわち、こちらが発した言葉のちゃんと意図を組んで読み取ってくれるか、だ。
例えば上記の「ゆとり」。
友人同士の会話なら問題ない。
厳格な教育者老人同士の話なら別かもしれないが、普通は「話題を好転させるための、汎用性の高いキーワード」として汲んでくれる。
したがって、どう間違っても「ゆとり世代への批判」にはなりえない。
言葉が持つ抽象的なイメージを使っているだけで、そこからはそれに実体を与える事を相手に期待している。
そしてどんな実体を相手が作るのか、信用しているのである。
僕はこの、webシステムというかクラウド的というか。
「とりあえず投げたから、あとはそっちでいい具合にしておいて」というのが、大好きだ。
以前書いた「かすみうまっ」。
これは「仙人は霞を食べている」という、ちょっと仙人をばかにしている逸話?を元にしているわけだが、このことを会話の相手が知っていようが知っていまいが、それはいい。
正直、生きていく上で致命的に知らなくていい。
仙人を目指す人だって「結果的に食ってました」と気づくわけだから、結局は知らなくていい。
大隠は朝市に隠るという言葉もあるから、結局食わないという方向性の仙人もあり得る。
ただ、期待しているのだ。
「かすみうまっ」が相手のカテゴリ分けを通り抜け、全く新しい「かすみうまっ」になって帰ってくることを。
「かすみうまっ」
「あそこ、なんかみんな並んでる!!」
「かすみうまっ」
「そう言うよね。でも、6:4でパシフィックじゃない?」
「かすみうまっ」
「えっ、カマドウマ?」
こういう回答って、サイコーだ。
そしてもし「かすみうまっ」で、相手が恐ろしく卑劣悪辣なカテゴリにそれを区分してしまった場合、その理由を聞いて納得してから、間髪を入れずに謝る用意がある。
6月17日。
ゆとり教育が、敗者復活の場を奪いました。
一方で我々は「ゆとり」という、友人間で汎用性の高い言葉を得ました。

傾斜1度の覚悟

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2012年カレンダーの回想です。
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5月14日は「爆破スイッチが平地から、なだらかに設置されています。」となっている。
世の中にはバリアフリーにしてはいけないものもあるという、良い例である。
と捉える事もできるが、これを思いついたときのイメージは「緩慢な崩壊」だった。
これは以前から、ちょこちょこ触れてはいるのだ。
いつ触れたのかは思い出せないけど。
でも思い出せなくても分かる。
僕らは直接的で目の前にある崩壊には抵抗があるし、打ち勝とうと努力できる。
しかし、鍾乳石が少しずつできていくような、岩が少しずつ風化して砂になるような、雨水が岩を穿つような、かわいい店員さんがレジに来るタイミングを計ろうと少しずつラーメンをすするような。
生傷がしみるので少しずつ風呂に入るような、シロアリが大きな蟻塚を作るような、頭髪に少しずつ白髪がまざるような。
懐石料理に金粉を少しのせるような、歯の再石灰化のような、ミルフィーユのような地層ができていくような。
3歩あるいて2歩さがるような、アマラとカマラが言葉を覚えるような、ディスガイアのレベル上げのような。
三十三間堂を紙やすりで仕立てていくような、吐息でトンネルを掘って脱獄するような、エアーズロックを削り節にするような。
オレンジジュースがオレンジとオレンジじゃない部分に分離する瞬間を見守るような、世界中の書物を集めて復元して図書館を作るような、サグラダファミリアが一般住宅として流行りだすような。
自動小銃の分解する手順を覚えるような、百人一首決定戦で和歌を読む人が次の歌を読むまでのあいだのような、エクセルがフリーズして、いるようないないような。
今日人類が初めて木星に着いたような、賽銭をためて宇宙旅行をもくろむような、いつのまにか少女は。
そしていまのような。
あれ、なんでしたっけ。
そうです。
アマラとカマラです。
正直、彼らのことを思い出すなんて思いもよりませんでした。
もう、全然忘れていました。
ちなみにアマラとカマラは、ドリランドの隠しキャラです。
すいませんうそです。
ドリランドやったことありません。
ドリランドはビックリマンチョコのシールみたいな絵だなあと思いました。
ビックリマンは集めていた事があります。
集めていたやつはもうどこかに行ってしまいました。
もう今回の話をどう収束すればいいのかわかりません。
もう寝たいのです。
外は雪が降っています。
僕らは直接的で目の前にある崩壊には抵抗があるけど、打ち勝とうと努力できないときもあるのかもしれません。

打ち付け先の確認。

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2012年カレンダーの回想です。
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思っている事を的確に伝える能力は重要だが、なかなかうまくいかない。
あるいはおろそかにしてしまう事が多い。
そう考えると、4月23日の「あなたを恨んでいる人が、丑三つ時にわら人形を五寸釘で、あなたの額に打ち付けようとしています。」は、ぱっと見のありきたりな感じ以上のものを持っている。
しかし、それを「呪い殺したいという気持ちを、的確に伝えている」と勘違いしてはいけない。
これだって、的確に伝わっているとは言いがたいのだ。
「わら人形が、あいだにいる」
的確でない理由だ。
もちろん、ここでの的確は「相手の額に直接五寸釘を打ち付けること」だろう。
もう、的確直接もいいところである。
しかし上記の行動では、わら人形があいだにいる。
わら人形経由での思い、とでもなるだろうか。
そして見た目がいくない。
ちょっとギャグすぎるし、打ち付けられた側も鼻がかゆくなりそうだ。
しかも恨んでいる人は、そのあと打ち付けたわら人形に、相手の生えてる髪の毛を一生懸命入れ込もうとしたりするだろうから、いくない。
そもそも4月23日のネタには、いいところはない。
例えば「木の後ろに隠れていた彼が「ここだよ!!」と出てきたちょうどその時、彼女がその木に彼のわら人形を打ち付けようとしていた」なんて奇跡が起これば、いいだろうか。
そして木に打ち付けるか彼に打ち付けるか、一瞬迷ったりする。
それがいいのだろうか。
いや、いくない。
「呪い」にいいことなんかないはずだ。
僕だって、自分の事どうこうで、穴は一つたりとも掘りたくはない。
思っている事をどうにかしてでも、的確に伝えるほうを選ぶ。

五毒の皿

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2012年カレンダーの回想です。
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五毒というものを知ったのは、何かのホラー漫画だったと思う。
それは中国に伝わる呪術らしく、その漫画では壷にたくさんの気持ち悪い系の生き物を入れて戦わせ、最後に生き残ったやつを生け贄だか何だかにして儀式を行う。
それで相手を呪うという感じだった。
これが本来の方法かどうかはわからないが。
今回、その「気持ちの悪い系の生き物」のことを調べてみると、それは「サソリ、ヘビ、ムカデ、ヤモリ、ヒキガエル」らしかった。
確かにそれ系。
しかし、彼らにとっては結局殺されてしまうようなので、とても迷惑である。
ヤモリにいたっては毒を持っていない気もするし。
ただ、そのインパクトは絶大で、子供だった僕はこの漫画を二度とは見なかった。
3月25日には「これからサソリ、ヘビ、ムカデ、ヤモリ、ヒキガエルを一緒に入れて生き残ったやつを、ぽいってします。」と書いてある。
一見、呪物として効果的な彼をぽいってしてしまうのはある意味「もったいない」ような気もする。
しかしそれは「必要なくなりました」と呪いに頼らない、人間としてあるべき姿を表現しているようにも見える。
その一方で、自然にそれを放つという点では、むしろ何でも呪いまくりたいという、よくないものを感じる事もできる。
25日に7942さんがどういう心境だったか。
落ち込んでいたのならおそらく後者だろうし、楽しい気分だったら前者なのだろう。
それにしても「呪いに頼らない」というフレーズはいい。
当たり前のような気もするが、よく考えてみると「呪いに頼るシーン」というものが人にはありそうな気がする。
フィギュアスケートやマラソンで、「がんばれ」という気持ちの一方で「転ばないかな」という妙に残酷なことを思ってしまったりするのは、誰しも経験しているだろう。
それを鑑みると、例えば「私たち徳市ハウジンググループは、呪いに頼らない会社です」というコピーは、精神の鍛錬が新人教育で行き届いていることを示している、よいコピーなのかもしれない。
徳市ハウジンググループ。
あったらごめんね。

栄養爆弾

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2012年カレンダーの回想です。
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2月1日は「お互いの穴を埋め合ったドーナツ達が、ねじりドーナツの祖先となりました。」となっている。
これは結構いい。
2つであること、穴を欠点と見立てるだけて、メンタルローテーションを駆使するもなく、なんかいいイメージになる。
逆に言うと、それ以上のものは思いつかなかったのだが。
ドーナツに関してはときどき触れているが、とにかくあれは油である。
すごくおいしいが、ちょっとでも多く食べ過ぎると太ってしまう気がする。
ふトリガーである。
このブログで書いたかどうか覚えていないが、僕は最近、夜に甘いものを食べてしまっている。
ローソンなどのコンビニで、よくできてるデザートが豊富になってきたからだろうか。
それらを「栄養の暴力」「栄養爆弾」と忌々しく思いながらも、食べてしまう。
ドーナツも同じ「栄養爆弾」の仲間なのだが、少しだけ他の爆弾とは違うところがある。
それは「穴がある分、ちょい栄養少ない気がする」という点だ。
そうなると、どうやら2月1日は、すごく栄養爆弾なのです。

開始3分の女。

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2012年カレンダーの回想です。
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僕が日頃より気を付けていることに「俗っぽい感覚を忘れない事」がある。
こう言うと、あたかもお前は特別なんか、悟り人なんかという感じもなるが実は、僕はかなり俗っぽい。
よって「俗っぽい上に、俗っぽい感覚を忘れないようにしている」という、俗のエリートなんである。
カレンダーの1月1日。
以前のカレンダーを見てみると、「ビッグベン」や「あけましておめでとうゴライアス」とある。
ひどく恐ろしいことになっている。
しかし、恐ろしいなりに「ビッグベン」と堂々と書かれている事にある種の勇気を感じるし、「ゴライアス」は語感がいい。
「あけましておめでとうゴライアス」
「ゴライアス」は「ゴライアスガエル」やラピュタに出てきた「ゴリアテ」のことで、基本大きいものに付く。
だから、何かすごくおめでとうな感じがする。
今年もそっと言ってみたが、ほぼ「ございます」なので気づかれなかったのがざんねんだが。
今年は「前にいる階段を上る女の子のために、「お前のスカートの中は見ようとしてないよ」オーラの発散が必要です。」となっている。
これもすでに「恐ろしい事」になっているが、これを記した背景というものも、一応ある。
それは「開始3分の女」というイメージが面白かったという点。
近頃は、おしゃれ以上に露出の激しい女の子をよく見かけるようになった。
そういう人を最初に見たときから「アダルト動画の開始3分の女」というイメージが、どうにも取れない。
ネガティブイメージで、失礼である。
しかし多少なりとも要点を突いているようにも思う。
女の子から見ても、いないだろうか。
「お前の両そでを掴んでずるーんしたら、お前むき身になんねんぞ?」という人が。
そんな「開始3分の女」が駅の階段を上ってみ?、という話。
男は困っちゃうんだ、本当。
そんな気持ちを、元旦にあててみました。
もちろん「開始3分の女」がいてくれて楽しくない、というのは皆無なのだが。

カレンダーについて

今年の正月は、何をやってたのか全然覚えていない。
寝ていたような気もするし、歩いたり新聞受けのなかを覗いたりしたような気もする。
毎年カレンダーとしてよく分からない集合体を書いているが、これも昨年と同様ずいぶん遅れてしまった。
でも、これに時間を割くのはいやだったので、空いた時間にちょこっと考えるというのを繰り返していたら、それは遅れる。
本当は1日1個考えてれば楽できたのに。
ツイッターで1日1個をメモっておこうと思ったけど、どうも肌に合わないみたいだった。
誰しも経験があることだと思うのですが、あることをずっと考えてると、その方針が妙にぶれて、よくわからない事になる。
これも一種のゲシュタルト崩壊なのか。
思いついた最初は「これはちょっと・・・」というのも、集中していくと「なんかおもろいかも」となっていく。
結果、全体的に「これはちょっと・・・」が多くなってしまった。
それでも、誰しも一度は思った事あることから結構いいことまでが、366日を埋めてると思う。
今回のカレンダーは前にやった「イベントビューア」形式にする予定だったことを思い出した。
「情報」
「軽度のエラー」
「警告」
「致命的なエラー」
これが3ヶ月ずつ。
何気に年末の方が「これちょっとうがった考え方されたら、失礼な事言ってる風になるな」が多いのは、「致命的なエラー」扱いの名残。
どの項目も一応書いたなりの「背景」がある。
明日からはいくつかをピックアップしてみる。
さあ、カレンダーも終わった事だし、餅をたくさん食うか!!。