もしかしたら、もう「原文ママ」は触れるだけでやけどをしてしまう。
そんな危険なものになってしまったのかもしれない。
しかしそれは今まで多くの人の心に何かしらの影響を与え続けていたことの裏返しに他ならない。
読書中、唐突に現れる原文ママ。
「原文ママって、なに?」
僕はずいぶん長い間、なんとなく「もともとの文章があって、間違いがあったとしてもそのまま書いてますよ」を意味するものだとは認識していた。
しかしその曖昧なイメージを吹き飛ばすのが、やはり「ママ」だ。
なぜカタカナなんだ。
「原文のまま」でいいじゃないか。
なぜ出版社はかたくなに「原文ママ」をつらぬくんだ。
「今風にアレンジしました」でいいじゃないか。
なぜ変だったり、卑猥な文章に味があるとか、そういう発想になるんだ。
わざわざ変だった文章をさらすことないじゃないか。
なぜ人々は争いをやめないのだろうか。
多少のことは許し合えばいいじゃないか。
なぜ大便をするとき、それより前に小便が出てしまうんだ。
小便は次回のトイレタイムまで取っておきたいこともあるじゃないか。
(原文ママ)
なぜパパじゃなくて、ママなんだ。
「原文パパ」がいたっていいじゃないか。
(勇気)