心、寄り道をする。

A:これは小さい頃からの癖なので、どうしようもないんですけどね。
A:自分の考えがコントロールできない、っていうか。
B:というと?
A:自分の考えに逆らって、勝手に最悪を想像してしまうんです。
A:例えば歩道で小学生がこちらに向かって歩いてくる。
B:ええ。
A:すると、その子が転んで車道へ出てしまう事を想像してしまうんです。
A:もちろんそんなことはない、と考えるんですけど、別のところではその事態がどんどん悪い方向に向かっていく。
A:最後には、自分の上着をどうかけてあげるか、まで行き着いてしまうんです。
B:それはなんだか大変ですね。
A:混雑している駅のホームで、電車の警笛が聞こえてきたら、もう大変です。そんなことにはならないって思うのに、一方では最後の言葉は何にしようか、なんて考えてしまう。
B:心配性なんですかね。
A:だけならいいんですが。
B:ちなみに今はどうですか。
A:今はだいじょうぶです。特に何も悪い発想は出てきていません。
A:けど、何かきっかけができてしまったら、わからない。何か心配になってしまうかもしれません。
B:たとえば?
A:えー、たとえば、今カーテンを閉める音が聞こえたら、最終的には動物病院で泣いている感じになります。
B:けっこうなドラマが展開されるんですね。
A:勝手に想像してしまい、しかもそれが最悪の出来事に行き着いてしまうんですから、つらいです。
A:もし香水のかおりがしてきたら、たぶん「宇宙人め、生体実験ばかりするな!!」で終わりますね。
B:じゃあ、今わたしがあなたに対して拳銃を向けたら、どうですかね。
A:さっき考えていた「最後の言葉」を、別の言葉に考え直すと思います。
B:電車で来たんですね。

スクーター

家に、ほとんど乗っていないスクーターがある。
レトロな雰囲気のもので、なかなか高価だったもの。
しかし乗らない。
そもそも使用するほど、遠くて線路が行き届いてないところへ行く事がないわけだが、同時に怖かったというのがある。
一度乗ってみたら、怖かった。
それは「特に何もせず、グリップをぐりりとやるだけで走る」ことへの違和感だった。
車はどうか。
車はすごく大きくて規模もでかいことが見て取れるので、「まあアクセルを踏めば進むくらいのシステムは携えているのだろう」と思える。
しかしどうだスクーターは。
ほぼ自転車じゃあないか。
しかしぐりりとするだけで、すーっと進む。
やたら進む。
少しの労力ですいすい進む事が、信用ならない。
なんかあるんじゃないのかと疑う。
アクション映画では、たいていの車はエンジンをかけたときに爆発する。
スクーターのグリップに手をかけるとき、そんなことを思い出す。
爆発はいやだ。
死んでしまうし、周りにも迷惑がかかる。
タイヤから刃が出るのだろうか。
グリップのぐりり度合いによって刃の出方が変わるのである。
意味はわからないが、とりあえずそれはもはや交通手段としてのスクーターはどこにもなくなってしまい、ただ刃が出入りする仕組みの、何かだ。
しかしスクーターは何かの仕組みに落ち着く事なく、ちゃんと進むのだった。
その素直さが、また怖く。

レメゲトン・プルソン

古の悪魔達は、今はまた別の力を獲得した、かも。
その、別の力とは!!。
※「レメゲトン」カテゴリのスタンスについて
【プルソンさんのソロモン時代】
ライオンの頭を持つ男性の姿をしていて、手にヘビを持って、熊に乗って現れる。
子供の姿で登場することもあるという。
隠された財宝を見つけ出すほかに、過去と未来のことを召還者に教授する。
【現在のプルソンさん(予想)】
ヘビそのものが現在のプルソンである。
プルソンに言わせてみると、現在の姿とソロモン時代の姿は全く変わっていないという。
そのことが示すのは「ライオン男の手に持たれていたヘビがプルソン本体で、ライオン男と熊はたまたま」ということである。
プルソンは続ける。
「なんか知らんが、たまたまライオン男に捕まっていたとき、召還されてしまったから、これですよ」
プルソンは、ライオン男に持たれている印象の流布が、気に食わないのだ。
「しかもそいつが、なぜか熊にまたがるんだもの。もうわけが分からない」
プルソンにとって、ライオン男も熊もなじみではないのである。
「そもそも、そんなにライオン男がいないでしょう」
「それに、そんなやつにまたがらせる熊もよく分からない」
「もう本当に、わけが分からない」
本来の姿というべきか。
プルソンは特に何の展開も発生せずに、熊にまたがったライオン男から解放され、現在に至る。
「そりゃあ誰だってライオン男のほうに目がいきますでしょうよ」
「それにしても、何もなしにただ自分を放して去っていったのも、困りますよ」
「自分を放して去るとき、すっごいゆっさゆっさなってました」
「熊は乗りにくいのか、すごくゆっさゆっさしなくちゃ乗れないみたいなんですよ、彼」
「そんなんだったら、熊なんかに乗らなきゃいいのに、って思ってましたけど、今はちょっと懐かしさもありますね」
「ただ本当に、わけが分からなかったけど」
能力はもちろん、脱皮した皮を財布の中に入れておくとお金のたまる事で、現代では特に召還しなくても春先、勝手に目の前に現れたりする。
ただし悪魔なので、ヘビだからといってもいじめたりするといけない。
プルソンをいじめると、どんなに財布の中にヘビの皮を入れておいても、全てかわはぎに変わってしまうため、結果的にお金が貯まらなくなってしまう。
財布にかわはぎが入っていると外食ばかりしてしまうという効果もプルソンは発揮しているため、お金はたまらないし太るしと、かなり悪魔的な仕返しとなり、注意。
「ヘビをいじめると下腹が育つ」
現代版プルソン研究家、談。

画鋲その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
画鋲を落とした。
そのとき、なんか気づいた。
「画鋲を落としたとき、人は2つ、探し物をする」
=====
画鋲を探し出したとき、人はもう一つ、探し物をするんである。
「画鋲の刺さっていた壁の穴」
壁の質にもよる。
頑丈な壁なら、画鋲の刺さっていた穴に再度画鋲を投入することができるだろう。
だから探すのである。
一方で、ちょうど壁のやわい箇所に穴があった場合は、そこに画鋲を刺しても十分な固定感を得られない可能性がある。
壁の穴は増えてしまうが、新規開拓が必要な時期なのである。
ただし、こういう人もいるかもしれない。
「画鋲を探し出した。せっかく画鋲が見つかったのだから、何かピンナップでも貼るか」
この場合の「画鋲をなくしたときの、2つの探し物」は、以下の通り。
画鋲
ピンナップ
先日書いたように「画鋲を落とすシーン」はたいてい既に何か貼られていたものをどうかするときであり、それを差し置いての、いきなりのピンナップ登場はいささか唐突すぎる。
しかしその何かに飽いた上での画鋲落としなのであれば、心機一転、ビールを手にした水着女性のポスターを探そうという気にもなるわけである。
このポスターを貼るとき、前の画鋲のあとを利用するかどうかは、気分次第。
また、こういう探し物もあるだろう。
画鋲
画鋲をまとめているケース
画鋲がお役御免になったとき、私たちは家のどこかに「画鋲をまとめているケース」があったことを思い出す。
しかしこれがなかなか見つからないことは、みんな経験ずみ。
見つからない場合、どうするか。
画鋲だけを、もともとついていた壁の穴に戻してしまうのである。
それは画鋲としてかなり残念な、意味のない状態。
そしてこの意味のない状態が、より「画鋲が落ちたときの存在感」の増幅に一役かっているわけでして。

画鋲その1

カレンダーをはがすとき、それを止めていた画鋲が外れ、床に落ちてしまった。
「画鋲は、落ちたときが一番存在感ある」
今まで気づかなかった。
壁あれば画鋲は当たり前のようにあるわけで、それを注目しようとなんて思わなかった。
あるときは「ああ画鋲がついているな」くらいだったし、またあるときは「はえがいるな」くらいだった。
それが落ちたとたん、とにかく画鋲しか見ないようなモードになるんだもの。
「画鋲が落ちているらしいエリア」
その捜索に労力を割かない人間はいない。
いたとしたら無休ではだし生活をしていて足の皮が大変な事になっている人か、その後そのエリアに人が立ち入る心配がないことが分かっている人。
あるいは痛みを快感に変換できる人だ。
僕は快感コンバートできないし、足の皮は人並み。
たいがい毎日そのエリアに立ち入るから、もう、すぐ画鋲探しを始めた。
「画鋲が落ちているらしいエリア」なんかに寝てられないから。
次回
「画鋲を落としたとき、人は2つ、探し物をする」

帽子

ずいぶん昔から「つばのない帽子」を愛用していたが、最近なんだか「つばってすごく便利なんじゃない?」という気がしてきた。
まず、持つところとしての機能。
つばを持てば帽子をかぶるのも、微調整するのも楽だ。
一方、つばのないやつは両手でぱこっとかぶらなくちゃいけないし微調整も両手だ。
いや、そもそも前後左右がないため、微調整がいらない。
帽子をかぶりたくないとき。
つばのあるものならそこを持てばいい。
それに対して「つばがないやつ」は、くしゃっとして持たなくてはならない。
大人が「何かわからないがくしゃっとした布」を持っていてはならない。
それは完全に「それで汗を拭こうとしたらそれはパンティーで、そこから始まるエトセトラ」の雰囲気そのもので、「それわたしのパンツじゃない!!」だの続き、いわゆるさぶい。
さぶいと言えば、当方インフルエンザA型とか。
どうしよう。

おねがい舞の海 その3

昨日からのつづき。
【あらすじ】
美容室で恥ずかしいのは「頭骨の形が美容師にばれちゃう」だ。
恥ずかしくない頭骨の整え方を、嘘を交えて考察。
=====
1:整えたい頭骨の対角線に位置する部分を軽く押し続ける。
実は、頭というのは全てが均一にバランスが保たれることで形を成している。
例えば、ある顔の部分を親指の腹で軽く押し続けると、その力が作用して反対側の部分が少し盛り上がる。
これを利用して頭骨を整える方法で、うそ。
あごのしゃくれている人は、幼少の頃に枕の形が影響したのかもしれない。
2:両手を顔の前で交差させてそのまま耳をつまみ息を吸い、大きく口を開けて「あー」と言いながら息を吐く。
これでなぜ頭骨の形が整えられるのかはわかっていないが、なぜか整うとうわさされている方法で、うそ。
元々は「スキー場ですてきな男性と出会えるおまじない」としてティーン誌に掲載されていたが、その目的で実戦した女性全6人のうち、3人が頭骨への作用をなんとなくうわさした。
3:幼少から金魚鉢をかぶっておく。
かなり直接的な整え方として古くから知られている方法で、うそ。
この世に金魚が誕生してからまもなくして考えだされている。
しかし現在、その強制的なやりかたが、主に健康面へ悪影響を及ぼすのではないかと心配されている。
そもそも金魚鉢型が「整った頭骨の形」として成り立つのかどうかも、時代によって不定。
よって、この方法を行うにしても、風呂のあと10分だけかぶるといった適切な手段をとるようにしたい。
4:ヘルメットの裏に「理想の頭骨像」を描いた紙を貼っておく。
いわゆる「睡眠学習法」と同様の効果を期待した方法で、うそ。
ただしこのヘルメットを、特に着用しなくてもよいところが、「睡眠学習法」と異なる点である。
あとはヘルメットの該当する部分をなでるだけでそこの頭痛が治るなどの民間療法も存在しているため、ヘルメットには何か神秘的なものがあるのかもしれないと、もっぱらの評判。
5:頭髪を剃った状態で、街に出まくる。
あえて頭骨の防御を捨て去り、ほどよい風化にまかせるという方法で、うそ。
ただし街で見かける丸坊主の人の頭の形はなんだか良さそうに見えることもあるため、一概にはあなどれない方法だろう。
雨風にさらされるほどに頭骨はより自然味を帯び、優美な曲線を描くだろう。
しかし効用を急ぐあまり、本骨(ほんぼね)をちょい外気にさらすような衛生的に良くない愚行は避けたい。
以上。

おねがい舞の海 その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
美容室で恥ずかしいのは「頭骨の形が美容師にばれちゃう」だ。
じゃあ恥ずかしくない頭骨とその整え方は?
=====
頭骨の整え方についてまず何よりも優先したいのは「無理はしない」ということだ。
頭骨は生物にとって様々な「大切なもの」を守る役割を持っているため、それを無理に整えようとすると「大切なもの」も無理してしまう。
その結果「よい形の頭骨になったが、運気が悪くなった」や「頭骨は申し分ないが、遠くから自分を呼ぶ声が絶えず聞こえる」などの悪影響が出るため、とにかく無理をしないことだ。
まず、「恥ずかしくない頭骨」について考えてみる。
たいていの人は自分の頭骨を目の当たりにはできないためか、自分の頭骨に自信の無い方が多い。
しかし安心してほしい。
ほとんどの人の頭骨は、恥ずかしくない。
恥ずかしい頭骨とは以下のとおりである。
=====
自分のうちの電話番号がマジックで書かれている
つなぎ目部分にごはんが埋められている
頭骨の額の部分にイニシャルが書かれている
九九が書かれている
頭骨の形状が変化し、左右こめかみ付近に骨のグリップができている
鼻の穴部分に息をふきこむと、きれいな音が出る
=====
恥ずかしい頭骨とは、以上のようにほとんど「肉が落ちて骸骨状態になってから」判明するものである。
もちろんこの状態では、本人は恥ずかしいどうこうはありえないため、結果問題ない。
形状についても、こめかみにグリップやねじがついている人はまれで、いたとしてもほぼ正義超人であるため、恥ずかしくないもしくは恥ずかしさを克服している。
よって、実は頭骨を整える必要に迫られる人はいないのである。
今のままで十分だということだ。
ただし、それでもより整えたい、これから整えていきたいという人がいると思われる。
なので冒頭にあるように、無理をしない方法を、今からでっち上げます。
じゃあ明日。

おねがい舞の海 その1

美容室で恥ずかしいことと言えば「頭をいじられる」ことで、これは突き詰めてみるとどうも「頭骨の形がばれちゃう」のが恥ずかしいらしい。
骨は人間のうちなるものと考えることもでき、その点プライバシーの最たる部分のひとつだろう。
それがばれてしまうのである。
同じ美容室に再度行ったとき、前に髪を切ってもらった人がこうしたらどうだろう。
「頭骨の形を両手で表現しながら、そこそこのあいさつ」
美容師としては「あなたのことは覚えています」「あなたのことは、手が覚えています」と特別な顧客であることを示しているわけだが、こちらとしては恥ずかしい以外、ない。
「あなたの頭骨はちょっとユニークで、ここまでは緩やかなんですが、ここからはキュッ」
このへんで、たぶん裁判に勝てる。
とはいえ、最初からばれても恥ずかしくない頭骨の形をしていれば、美容室で恥ずかしい思いをする事もないのだ。
ろくろの前で真剣なまなざしの陶芸家。
美容師がそんなふうに見えるような頭骨を目指せばいいのである。
次回、頭骨をどう整えるか。

企て

今年のはじめ、「時計じかけのオレンジ」の舞台を見てきた。
銘打つ「パンクオペラ」というものが普通のオペラとどう違うのかわからないが、おもしろかった。
ラスト近く、怒濤のミュージカル調になっていたけど。
この舞台で目を見張るシーンとして思い出されるのはインターミッションのところ。
舞台上で、主人公が拘束衣を着せられてコマい部屋の中で苦痛にもだえつづけるという演出があった。
映画のシーンで言うところの「ホラーショーな映画を見せられるが投薬されているので見たくないよー」とつらそうな場面。
それが舞台だと、本当の休憩中、ずっと行われているわけ。
ただ、舞台上の個室の中は微妙に見れないようになっていて、叫び声だけ聞こえる。
僕が気に入ったのは「休憩中なのでそれを見に行く人たち」だった。
叫び、嗚咽が漏れる舞台上の個室と、それを見ようと集まる人たちの対比が、すごくよかった。
これも演出の一部として企てたんじゃないかと思う。
あと、僕の隣の席の人がきれいな人だった。
これも演出の一部として企てたんじゃないかと思う。