「帰れま10」ですらなかなか終わらないのだから、「帰れません」なら全然帰れないねえ。
そうぽろっと言ってしまったとき、ちょっと変な空気になるのを感じた。
な、何か僕おかしな事を・・・?。
「番組最初の方は大進撃だよね」
「第982位!、でもすごくよろこぶよね」
空気ぜんぜん変わんない。
いいから。
普通の「帰れません」のほうでいいから。
どちらも浅はか過ぎの可能性も。
月: 2010年12月
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イヴ「カラーの花が、いいんじゃない?」
イヴ「ウツボカズラも、いいんじゃない?」
そして蛇!!。
どこかで書いた気もするが、まあいいか。
とりあえずモンハンやらな!!。
曲線と断絶
駅のホームで電車を待っていると、向かい側ホームに大きく「2」と書かれたシャツを着た人が立っていた。
「2」はすごく大きくて立派で、「なんの2位だよ」とかのツッコミがあまりにフトドキ。
そのすばらしさに感銘を受けた。
しかし困った事に、このすごさを誰かに伝えようとしても、「2」が「に」であるところが足をひっぱる。
どうも「に」だと気の抜けた感じになる。
こちらがどれほどにだにだ言っても、どうも「に」ではその立派さが伝わらないのだ。
な行がいけないと思う。
な行はやさしいが、その分迫力には欠ける。
その分「ご」は誰しも認める迫力がある。
「ご」に勝てるのはもう2文字以上のものだけで、ある意味異種格闘技枠を考えないとだめだ。
ああ、あの人はなんで「5」のシャツじゃなかったのか。
そうすればその立派さを、まあ「2」ではなくなったけど伝えやすいのに。
だが、あの人はそんな僕にこう言うかもしれない。
「あなたは誰かにそれを伝えなくちゃいけないんですか」
そりゃそうだ。
立派だったんだもの。誰かに言いたい。
「でも、その感動を誰かに伝えたところで、さらに深まるものでもないでしょう?」
そんなことはないですよ。
その人が一緒に感動してくれたら、それは大きい。
「それはただの共感。たとえ伝えなかったとしても、あなたのなかの2が強弱どちらにもゆらぐことは決してないでしょう」
そ、そうですけど。
「わたしは川エビの唐揚げのお皿の下にたまるエビのひげが大好きです」
奇遇ですね!!。
こうして僕は2のことを書いたりしているが、今日のホームでもその人は見つからなかった。
「2」のシャツを着ていないので、わからんのだ。
置換
ある人間と神様の目が入れ替わってしまったらどうなるだろうってことを考えていた。
うそだが、何となくこんなことになるんじゃないだろうか。
人の目を持った神様は、人間の稚拙な騙りを見抜けず翻弄され、神たるちからを行使して破滅してしまう。
神様の目を持った人間は、全てを見通せるけど何ら影響を与えられない自分の非力さに悲観して死んでしまう。
こんな童話がもうあったかもな、とも考えながら、まあ神様と人間の目は入れ替えちゃいけないってことですよ。
ところで、もしそういうことがあるとすると、入れ替えるのは誰だろうか。
たぶん神様自身だろう。
いつぞやか、空から聞こえるのだ。
「入れ替えるひとーっ」
このとき「はーい」と返事をしてしまうと上記の全員参加型カタストロフが待っているため、返事してはだめだ。
かといって「やめといたほうがいいよーっ」とか言ってしまうと、どーんとやられてしまうだろうから、わがままなのな神様って。
おとなしさんの十八番
2 Minute Silenceという曲の紹介がされていた。
2分間、ずっと無音らしい。
詳しくは分からないが、似たような曲はあったような。
すごく長く間をあける曲で、未だに演奏中のやつとかもあるし。
この手の曲で重要なのは、作られた背景と聞き手の補完能力なのかもしれない。
共感できる背景なら聴いている間にいろいろ考えるだろうし、共感はそれほどできなくても無音の曲を聴くという経験はなんらかの影響を与えないわけでもなさそう。
つまるところ補完はもっぱら聞き手の勝手になるわけだが、まあそれが長所とも言えるし、話題にもなるし。
ただ難しいのは、単にこの曲を聴くだけだと、イヤホンで耳栓をした状態とさほど変わらないというところだ。
周辺は音であふれている。
せっかくの無音らしいのだから、そこは無音な状態で聴かないともったいない。
この曲をノイズキャンセラー付きのイヤホンで聴いたらどうなるだろう。
残念ながら、期待するようなことにはならないだろう。
何もないというのは難しいのだ。
しかしより無音を感じる、楽しむ姿勢としては悪くない。
話のタネにもなる。
うちでは猫がなんか夜とか、かっさかっさするので、無音というのはなかなか難しい。
パソコンはシーシー言うし、静かだと思ったら遠くでブレーキ音、モールス信号のような耳鳴り。
無音な感じの環境でこの曲を聴くというぜいたくができたらどうだろうか。
できた方はこう感じるんじゃないかと思っている。
「この曲、たった2分なの?」
悪夢
ちょっと大きめの小豆かな?。
もう完全に人と小豆を馬鹿にしている、ごきぶりの卵である。
クロレッツのハードミント的な味のやつかな?。
そんなものが家にあったら、それは確実にごきぶりの卵である。
何をそんなに、クロレッツに似せる必要があるのかと問いただしたくなる。
それにして、どれもこれも食べられちゃうものに似せている。
どうしろというんだ。
今日のそばがらの枕、粒子粗くない?。
これなら悪夢を見ろ!!で分かるのだが。
準備中その2
昨日から。
【あらすじ】
ある駅で「準備中」のシールだけが貼られた無地の看板を見つけた。
たぶん準備してないと思うが、どんな感じなら「準備中」っぽくなるのだろうか。
=====
例えば、下書きっぽい絵の上に準備中の貼り紙をしていたらどうだろうか。
下書きの存在によって、今後必ず新しい看板ができあがるのだ。
その準備をしているのだから、準備中なのだ、と。
しかしこれは難しいところだ。
下書きがあるということは、これは準備中というよりはもはや絶賛進行中である。
そもそも、準備というものは水面下あるいはそれに準ずる感じで行われるものである。
表立って進行が進んでは、準備中ではない。
これは、例えば準備中の看板にはしごをかけていたとか、看板近くにハロゲンヒーターがついていたとか、生活のあとがあったとか、お弁当がまだあたたかかったとか、交通整理の警備員さんがいたとか、頑丈な柵で囲まれていたとか。
先日の「お店における準備中」では何となく準備中だったんだ、という感じの物でも、看板の話になると、どうも全てが、進行中の範疇に入ってしまう気がする。
これは、お店の準備中が、準備中という静的な状態のままでも問題ない事もある点と、看板ではかならず動的(描かなくてはならない事)な状態になるという点の違いだろう。
なに書いてんのか分からなくなってきた。
では、これはどうだろう。
「両側の看板の更新度が非常に高いなかの、真ん中の準備中」
これは結構いいと思う。
両側の更新の頻繁さを考えると、この一帯の広告パワーは優れているようだ。
そのなかでひとつ、準備中となった看板。
これとて人気のはず。
準備中となっているからには、そりゃ準備してるんでしょうよという感じである。
最後。
昨日まで貼られていた「準備中」の貼り紙がはがされている。
一番「準備中」な気がする。
となると「準備中」の貼り紙ははがされる瞬間から「準備中」になりえるのであって、その貼り紙はなかなか美しい事になっているみたいだ。
知らなかった。
準備中その1
ある駅で「準備中」のシールだけが貼られた無地の看板を見つけた。
僕が合っていると思うのだが、おそらく何も準備していないだろう。
無地の状態が何となくしのびないから、とりあえず準備中ステータスにしたのだ。
飲食店でもよく見られる、この「準備中」。
どうも我々は「特に何もしていません」ということに罪悪感を持つらしく、たとえ何もしていなかったとしても「準備中」としたがる傾向にあるようだ。
「準備中」の札がかけられたドアの向こうで、人気が全くないというそば屋は、まさにそれにあたる。
このことは、タイミングによっては利用客の怒りをかうことにすらなる。
そばが食べたかった人が、札の前で憎らしげに言うのだ。
「準備なんかしてねえじゃんか」
例えばこれが、「準備中の札出し + 店内の椅子が全て店外に出されている」だったとしたら、ああ準備中なんだねと納得もできる。
「準備中の札出し + 店内で店員が整列して立っている」。
これも納得だ。
「準備中の札出し + 段ボールいっぱい」。
「準備中の札出し + 調理道具がぶつかり合う金属音」。
「準備中の札出し + クラウチングスタートの構え」。
どれもこれも、納得博覧会だ。
と、このように受け手側としては「準備中」には準備中たるもう一手が必要と考えていることもあるわけだ。
そこで駅の看板の「準備中」。
「準備中ではないのではないか」。
違和感を感じた僕に対して、本来どんな一手が必要なのだろう。
明日。
ありをつぶしたことある指で
先日、知人の買ったスマートフォンを見せてもらった。
なんだかかっこいい。
いろいろな機能があったのだが、そのなかでもGPS機能は便利そうだ。
僕は道によく迷うので、手元に相対的な現在位置の分かる手段があるのは魅力的だ。
GPS機能の詳細は知らず、どのようにして場所を割り出しているのかも分からない。
しかしその精度は高く見え、ロイヤルホストで何シーズン目かのカレーを食べている僕らのことを、ロイヤルホストにいるらしいことまで、現在位置を示すプロットは表していた。
近い将来、食べているカレーの種類も分かってしまうなんてことがあったりして。
「そんな冗談を思ったりもしてたんですよ」
まあ、そこまで行かなくてもこう、左手で持っていたケータイを右手に持ち替えただけで、プロットもちゃんと移動する。
そのくらい精度が上がるかもしれない。
さらに精度が上がると、ほら、こうするだけで。
「そう言いながら、ケータイを少し振っただけなんです」
「ケータイを振ると、現在地点もそれに合わせて微動する」
「そんなことを冗談めかしていただけなんです」
「その行為が、局所的な大地震を起こすきっかけになるなんて・・・」
変化
寒い季節になってきて、朝がつらい。
やっと外気にさらされる事のない建物のなかに入り込めたと思ったら、なんだかそこには落ち葉が。
たくさんではないが点々。
それが階段でも見られ、最終的にある部屋へと続いていた。
風も雨もあったから、誰かの靴にでも付いてきたのだろう。
しかし、これを「完全にたぬきのスパイが侵入している」と考えていくとちょっとおもしろい。
一枚だけ拾った落ち葉を眺めながら考えていた。
人間の建物の奥の部屋まで来られるという事は、確実にそのたぬきは化けている。
でも、その術の何らかの副作用で、歩くたびに落ち葉が落ちてしまうのだ。
そのリスクを考えると、長い間はいられまい。
早足で建物から去る者がたぬきのスパイだ。
たぶん尻にしっぽも残っているだろう。
あるいは、斥候のようなやつが先に侵入。
自分の侵入経路を次の侵入者に伝えるべく、落ち葉を落としていったのだ。
木の葉舞うこの季節を侵入時期に選んだ事を考えると、策士である。
そして入り口でたむろするやつらが本隊か。
恰幅もいい。
いや、もしかしたら術の有効時間が決まっていて、タイムリミットがせまったときにすぐ再術を施すために必要な落ち葉を手に入れるため、前もって要所要所に落ち葉を置いたのだとも考えられる。
おそらく額に落ち葉をあてると、再術が可能になるのだろう。
それなら、ずっと落ち葉を見ていようか。
なにげなくそれに近づいたり、手に持ったりするやつが、タイムリミット間近のやつだ。
俺だ。