ぼくわ

なんだか家の無線LAN環境が、へんになってしまった。
なぜだろう。
家のLANは分からないが、何となく分かることといえば「ぼくわ」ではじまる文章のことだ。
すごく出ている。
あるいは出そうとしている。
どちらにしても、読み手は一歩下がった状態からの読み出しとなるだろう。
「ぼくわ、か・・・」
例えそれがモノホンであったとしても、だ。
モノホンかどうかは文章の稚拙さや筆跡、または読み進んで行けば分かる。
一方、そうでなさそうなら「書いた人はどうにかして「っぽさ」を出そうと苦心したのだ」と、どうにも冷めた視点になってしまう。
※当ブログはモノホンなので、冷めた視点にはならず温かい目でご覧になっていると思う。
故意の「ぼくわ」なら。
どうせならその「ぼくわ」の周辺も極力「ぼくわ」テイストにしてほしい。
でも「ぼくわ慟哭した」とか書かれると気になって面白い。
何気に「ぼくわあした、やきゅうをしました」とかやられると、それは思いのほか哲学的だ。
そうもなると、実は「は」と「わ」の違いなんて重要ではなく、何かを書くか書かないかが重要で、書いたら何かはひらえるわけで、そっちのほうがいいのかもしれない。
と、自分を励ましつつも「モノホンがまさにそれなんだよ」と自責する、夜の各駅停車かな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です